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聖王伝(修正中原稿)  作者: 竜人
プロローグ
16/190

第015話

初秋の空を、血の様に染めて

魔物の群れは、砦の中で勝ち鬨の声を上げていた

今まで、女神に守られた人間に負け続けた

これが初めて、人間に勝ったという勝利の雄叫びだ

この勝利によって、侵攻は更に激しくなる

人間に奪われた土地を、奪い返す為に…


夜が明けた

敗走する騎兵団は、魔物を警戒しながら進む

しかし魔物は現れず、代わりに山犬の群れや、熊に襲われる事になる

魔物の出現に怯えて、野生の獣は人に襲い掛かって来ていた

幸いな事に、兵士に数人の犠牲者は出たが、思ったよりも少ない被害で済んでいた


朝焼けが見えた頃に、交代で寝ていた兵士達が起き始める。

この間にも数度の戦闘が行われ、死亡したのは3名、重症者が5名となっていた。

幸いだが軽症者は、手当てを受けて無事だった。

負傷兵の手当や、死亡者の埋葬の報告をする為に、大隊長の天幕に兵士達が入る。

中では既に準備を済ませて、話し合いをする大隊長と部隊長達が居た。


「だから仇を…」

「くどいぞ

 今は退くべきだ」

「しかしこのままでは!」

「住民達の事もある

 それにこのままでは…」

「勝てなくとも!」

「報告に上がりました」

「うむ

 ご苦労」

「あの…

 お邪魔でしたか?」

「ん?

 構わんよ

 こいつがしつこいだけだ」

「大隊長!」

「くどいぞ、ジョン」

「そうだ

 大隊長の指示に、従え」

「しかし!

 おい!

 エリックも何とか…」

「ワシも反対じゃぞ」

「くっ」


第2部隊、部隊長のジョナサンは、友であるロンメルの仇を取りたかった。

しかし大隊長は、それを善とはしなかった。

魔物は彼等に、砦から逃げ出す事を許していた。

それならば、避難民を安全な場所に逃がす為にも、彼等は退くべきだった。

だから大隊長は、ジョナサンの上申を聞く事は出来なかった。


「くそっ!」

「あ!

 おい!」

「良いから放って置け」

「しかし

 あれじゃあ…」

「さすがに一人では、あいつも動けないだろう」

「あ…」

「そうだ

 それよりも今は…」


ジョナサンは怒って、天幕から出て行った。

しかしその後を追う者は、この場には居なかった。

戦友であるロンメルは死に、他の部隊長達は大隊長の言葉に従っている。

それに部下からの、報告を聞く必要もあった。


「それで?

 被害状況はどうなっておる?」

「はい」

「重傷者は馬車に乗せて、安静にさせています」

「死亡者は荼毘に付してから、この地に埋葬しました」

「せめて骨だけでも…」

「無理だな

 亡者になる可能性もある」

「しかし、それでは!」

「許せ

 仕方が無いのじゃ」

「くうっ…」


「それよりも

 他の怪我人は?」

「数名居ますが…

 怪我は大した事はありませんでした」

「怪我をしている者は、馬車で運びましょう」

「馬車にはまだ、余裕があるのか?」

「はい」


死んだ者達には酷い事だが、その死体を運ぶ事は出来なかった。

アーネストからの進言で、荼毘に付して埋めるしか無かった。

そうしなければ、彼等が迷い出る恐れがあったからだ。

それは魔物の出現で、この辺りに負の魔力が満ちている事が原因だった。


次に大隊長は、集落の住民達の状況を確認する。

住民達は、再三の獣の襲撃に怯えていた。


「住民達は、どうしている?」

「住民の殆どは、大人しくしています」

「獣の鳴き声で眠れないって、騒ぐ者も数人は居ましたけど…」

「そうか…」

「最初の集落では全滅でしたが、2つ目の集落では生き残りがいました

 今は他の集落の住民が、彼等の面倒を見てます」

「小さな子供も居たんだよな?」

「はい

 まだ3、4歳ぐらいですかね」

「少し大人し過ぎる様な気もしますが…」

「そうか…」


少女はまだ幼く、見た目は3、4歳程度だった。

喋っている様子は見られず、余程襲撃が怖かったのだろう。

老婆の傍に居て、会話をする様子も見られなかった。


「両親は?」

「居ないみたいですね」

「殺されたのか…可哀そうに」

「魔物に殺されたのか…」

「いえ

 両親は既に死別していたみたいです

 育てていたのは老夫婦ですが…

 その老夫婦が魔物の犠牲に…」

「そうか…」

「何と!」

「酷い事だ…」


小さな幼児が一人、身内を失ってしまっていた。

両親を失った上に、育ての老夫婦も亡くなってしまった。

これからあの少女は、どうするのだろう。

ダーナに保護されても、孤児院で過ごすしか無いだろう。

しかし孤児院でも、あれ程の小さな子供は滅多に見掛けられない。


「で?

 その子供はどうしてる?」

「最初の頃はぐずっていたみたいですが、元々あまり手が掛からない大人しい子供という事でして

 今は他の子供達と、一緒に寝てますよ」

「そうか…

 ダーナに戻ったら、領主様に相談だな」

「そうですね

 里親でも、見付かれば良いのですが」

「ああ

 そこまでの小さな子供だ

 孤児院では難しいだろう」

「そうですね」


「もう一人の子供は…

 こちらはショックが大きかったのか、塞ぎ込んでまして」

「丁度アーネストと、同じぐらいの女の子でね

 良かったらこちらも、領主様に相談しようかと」

「なるほど、侍女見習いなら欲しがるだろうな」

「ええ」

「孤児院で過ごすより、アルベルト様なら…」

「そうですね

 あの方ならば…」

「よし」


領主アルベルトは、ダーナを治める辺境伯である。

彼は王族の縁者であり、その優しい性格から領民からも慕われていた。

彼ならば幼い子供達の、過ごす先も探してくれるだろう。

その為にも今は、無事にダーナまで送り届ける必要がある。

大隊長は気合を入れ直して、膝を叩いて立ち上がる。


「問題はあるが、先ずは無事にダーナに帰還しなければな」

『はい』


「魔物の追走は見られない

 問題は獣の襲撃だな」

「はい」

「各自で斥侯と連携を取って…」


大まかな話し合いを済ませて外へ出た頃には、辺りはすっかり朝を迎えていた。

大隊長が出たのを見計らい、兵士達が天幕を片付け始める。

大隊長は周りの様子を確認した後、出立の為の指示を出し始める。


「出立の準備は殆ど終わっているな

 1刻後、8時を予定に出発とする

 それまでに各自で食事と支度を済ませる様に」

『はい』


「第3部隊は引き続き第2部隊の指揮に入れ

 なお、臨時の部隊長はアレン

 アレンフォード、ダーナまで任せる」

「は、はい」


「頼んだぞ」

「はい」


彼は今まで、ロンメルに従っていた暫定副部隊長である。

アレンフォードは緊張して、上擦った声で返事をした。


「大丈夫かな?」

「大隊長、まだアレンには早いのでは?」

「いや

 他に適任も居ないし、今から慣らさなければな

 ダーナに還ったら正式に辞令を出すつもりだ

 それまでは、ジョン、しっかりサポートするんだぞ」

「はい」

「はい…」


無理も無いだろう。

彼はまだ、正式な副隊長では無かった。

今年に入ってから、ようやくクリサリスの鎌を扱える様にまでなった。

それでロンメルが、彼を副隊長に推薦していた。


クリサリスの騎兵部隊では、兵士は剣を扱う事になる。

これに慣れて来ると、クリサリスの鎌を扱う事が許される。

部隊長はクリサリスの鎌を扱えるか、何らかの武芸に秀でている必要があった。

それはクリサリスの鎌が、儀礼用の武器でもあったからだ。

だからアレンが副隊長に選ばれたのも、鎌を馬上で扱える様になったからだった。


第2部隊長のジョンは、返事をしてアレンを連れて行く。

彼に部隊に指示を出させて、経験を積ませる為だ。

いきなり彼一人では、部下達も従い難いだろう。

当分はジョンが横に立って、その様子を見守る事になる。

それを見送ると、他の部隊長も各々の部隊の元へと向かう。


ジョンは先の戦闘で、親友であるロンメルを失っていた。

それでここ数日は、塞ぎ込み勝ちだった。

この役目をこなす事で、吹っ切れてくれればと大隊長は考えていた。


大隊長が一人で様子を見守っていると、警備隊長と副隊長、アーネストが近付いて来た。


「オジサン、食事にしよう」

「どうですか?

 あちらで用意してます」

「では、お言葉に甘えます」


4人で少し離れた、兵士達が朝食を用意している場所へ向かう。

パンとスープ、干し肉と簡単な食事が用意されていた。

簡単な物だが、スープに入った野菜と香草の香りが、食欲をそそって腹の虫が抗議の声を上げた。

受け取った食事を持って、4人は少し離れた場所に腰を下ろす。


「ふう

 領主館とはまた違った、素朴な料理が美味しいね」

「お前は贅沢のし過ぎだ」

「ふふふ」

「だって、しょうがないじゃない

 ボクの仕事は領主館での、作法の勉強も込みなんだから」


アーネストの言葉に、警備隊長はニコニコして笑い、大隊長は肩を竦める。

少年は物怖じせずに、屈強な大隊長に抗議する。

その様子を見て、彼は微笑ましいと思っていたのだ。

この様な荒んだ戦場では、その様な光景は心を癒される物だった。


「こっちはオジサンと違って、勉強が主な仕事だからね

 今回は特別!」

「へいへい、そうですか」


大隊長は一瞬、オジサン呼ばわりを咎めようかとも思った。

しかしまた煩くなるので、話題を変える事にした。

口喧嘩になると、賢い少年に負けてしまう。

その事は大隊長の、沽券に関わる事だからだ。


「ところで、若様とは仲良く出来ているのか?

 一緒に勉強していると聞いたが」

「ああ

 ギルバートかい?」

「こらっ」

ゴチン!


そこで大隊長は、口が悪い少年に拳骨を落とす。


「あいてっ!」

「口が悪いぞ!

 せめてギルバート殿下、ないしは様ぐらい着けんか」

「だって

 本人が止めてくれって言うんだぜ」

「そうは言うがな…」


涙目になって、少年はむくれて呟く。


「まあまあ

 その様子なら大丈夫でしょう」

「はあ…」

「そうそう

 先生からも許しが出てるし

 来週にはギルも騎兵部隊へ、研修で入るんでしょ?

 そうしたら暫くは、若様扱いはしない様にしないとね」

「んん?

 もう、そんなに経ったか?」

「ああ

 ボクが9つになったから、あいつも訓練に出る時期だよ」

「そうか…

 あのお身体の弱かった若様が、もう9つになったのか」

パシーン!


大隊長は不意に、自分の頬を両手で叩いて気合を入れる。


「よし

 若様を鍛える為にも、ここで落ち込んでる場合じゃないな!」

「お?」

「はっはっはっ

 では、わたしも頑張らねば」


大隊長、警備隊長共に、気合を入れ直した様だ。

それを見て、本当にこの人達って頭の中まで筋肉なんだからとアーネストは顔を引き攣らせる。


「どうだ?

 何ならお前も、鍛えてやるぞ?」

「い、嫌だ!」


アーネストは首を、ブンブンと横に振って拒絶する。


冗談じゃない!

誰があんなむさ苦しくて、暑苦しい事なんてするか!


アーネストは、書物を読んだりして過ごすのが好きな大人し目の子供だ。

当然、運動なんて大嫌いだった。

何度か無理矢理、大隊長に捕まって運動をさせられたが、それで益々嫌いになった。

その事で根に持って、オジサン呼びをしているぐらいだ。

まあ大隊長の人柄は好きだから、今回も着いて来たんだが、運動させられるのだけは勘弁だった。


「はあ…

 今からそれだと、ブクブクになるぞ?

 それこそお前の嫌いなスミスみたいになるぞ?」

「うっ

 スミスのおっちゃんみたいなのは嫌だけど、それでもオジサンの訓練は嫌だ」

「はあ…」

「くっくっくっ」


フルフルと首を横に振って、アーネストは拒絶をする。

溜息を吐く大隊長、それを見て笑う警備隊長、その様子を見て兵士達の顔にも笑みが浮かぶ。

暗くなっていた野営地に、明るさが戻って来た。

少し和やかな雰囲気になってから、大隊長はアーネストに向けて真剣な顔をした。


「これからダーナに向かうが…

 いいか、決して馬車から出るなよ」

「え?

 何で?」

「ぬう…」


大隊長は少し躊躇ってから、警告を続ける。


「今のお前は、魔力が少ない

 あれだけ大きな魔法を使ったからな」

「いや、大分回復したよ?」

「いや、魔力枯渇し掛けていただろう?」

「そりゃあそうだけど

 ポーションも飲んだし」

「でも、万全じゃないだろ?」

「え?

 う、うん」


アーネストは実際に、魔力枯渇で昏倒していた。

大隊長の前では無理して、何とか踏ん張っていた。

しかし意識を保つには、あまりに多くの魔力を使い過ぎた。

マナポーションを飲んで、少しは魔力は回復していた。

しかし枯渇した影響で、実は暫くは大きな魔法を使えなくなっていた。


「だから危険が無い様に、馬車の中に居ろ

 第4でしっかり、護衛するからな」

「大袈裟だよ」

「そうでもないだろ

 魔物がまた来ないとも限らない」

「いや、来ないでしょ?」

「何でだ?」


アーネストは少し考えながら、小声で話す。


「だって、話を聞く限りでは、魔物は武人だったんでしょ?」

「ん?

 お前は寝てたんじゃあ…」

「警備隊長から聞きました

 1対1の決闘を挑み、勝ったから砦を要求してきたと

 違いますか?」

「ううむ

 確かにそんな感じだったが」


大隊長も、当時を思い出しながら頷く。


「聞いただけの話しだから、確証は持てないけど…

 そこいらの野盗よりは、しっかりとしてるね

 ロンさんの装備を返したとか、如何にも武人らしいし」

「ああ

 武人…な

 魔物を人と呼ぶかどうかなんだが…」

「帝国の奴らよりは、よっぽどましでしょ」

「まあ、そりゃそうだが…」


アーネストは続ける。


「それに、奴らが…

 魔物が狙っていたのが集落と砦なら、辻褄が合うからね」

「何でだ?」

「そこからはワタシが」


ここで警備隊長が、話に割って入って来た。


「集落を狙ったのは、恐らくは砦を狙う為の前準備かと」

「それは、どうしてです?」

「先の集落の襲撃で、結界石を無効化する試みが行われてました」

「ああ

 そう聞いている」


確かに、第2砦に向かった時に、生存者からその様な報告が上がっていた。

使者の骸を使って、結界石が穢されていたと。

それから推測出来るのは、結界があっても魔物の侵入は防げない。

さらに穢されると力を失い、魔物の侵入が容易になってしまう。

しかし侵入出来るのなら、集落を襲う必要が無いのでは?


「集落が襲われたのは何故です?」

「恐らく

 これは少年と話し合って考えた結論ですが…」


警備隊長はそう言いながら、アーネストの方を見る。

アーネストは頷いて、警備隊長に先を促す。


「集落の結界では防ぎきれないが、砦の結界は強力で、魔物に少なからず影響があるのかと

 それで住民の遺体を使って、結界を弱体化しているのではないか?

 そう考えています」

「弱体化ですか

 そういえばアーネスト、お前もそんな事を言っていたな」

「ええ

 まだ確証はありませんが、何とか侵入して、結界石に血や遺体等を乗せて穢されたら…

 試してませんが、恐らく結界が壊されて魔物の力が増すのかと

 それを狙って侵入をして来てたんでしょう」

「それが本当なら、結界を守っている兵士がやられて…

 そいつらの遺体が使われたら…」

「ええ」


アーネストは頷く。


「結界は効力を失い、破壊されるでしょうね」

「そんな…」


大隊長は頭を抱えた。


「おいおい

 領主様に報告する事が増えただろ」

「ええ」

「今頃ワタシの砦も、結界が壊されているのでしょうね」

「ああ…

 ええ、そうですね」


魔物は集落の結界を壊していた。

ならば集めた死体で、砦の結界も破壊しているだろう。

いや、それだけでは無い。


「それだけじゃあ、ありませんよ

 砦以外の結界も、同様に…」

「公道の結界もか?」

「でしょうね」

「そうなればダーナにまで…」

「可能性は…

 否定出来ません」

「恐らく、それが狙いだったんでしょう」

「はあ…」


魔物の狙いは、恐らくは最初からそれだったのだろう。

公道の結界まで破壊されれば、魔物は自由にダーナまで来れる。

そうなれば、同様に他の場所にも向かえるだろう。

そう、例えば多くの人が集まる、王都にまで…。


暫しの沈黙の後、警備隊長は言った。


「致し方ありません

 取り戻そうにもワタシの力では無理でしょうし」


彼はそう言って、肩を竦める。


「まあこうなれば、ダーナで返り討ちにしてやるまでです

 当然奴らが来たら、ワタシも参戦させていただけますよね?」

「いえ

 こちらこそ、お願いしようと思ってました」


警備隊長と頷き合い、大隊長は部隊長達に話を振る。


「今回の遠征で、こちらの被害も大きい

 警備隊長の部隊に入ってもらえるなら、どこが良いか?」

「騎兵部隊は補充さえ掛けれれば…」

「ダーナにも控えの騎兵は居ますし」

「なら、どうする?」


少し考えて、第4部隊の部隊長が呟く。


「警備隊長は…

 歩兵の指揮の経験がおありですよね?」

「ええ」

「なら、新規で集める予定の歩兵部隊の隊長をお願いできませんか?」

「歩兵部隊ですか?」

「ええ

 既存の歩兵部隊の他に、クリサリスの鎌を使った部隊を考案しています」

「ああ

 あの企画のか」

「ええ」

「あくまでも、警備隊長がよろしければ…ですが」


既存の歩兵部隊は、4部隊の小剣(ショートソード)と小楯の突撃部隊だ。

それに加えて、中距離の長柄の武器を有した部隊を作ろうという話が出ていた。

元々はロンメルが就く予定であったが、彼はもう居ない。

ジョンも頷き、その案に賛成する。


「オレも新しい部隊を預かる予定でしたが、今回の事でアレンの補佐にも回らないと

 まあ、ロンが仕込んでいたから、あまり手は掛からないとは思いますが」

「ああ

 その件はすまないが白紙になるな」

「いいんです

 それよりも、戦力の補強をする為にも新しい部隊は必要です

 どうです?

 警備隊は、クリサリスの鎌の訓練はしてますか?」


警備隊長は振り返り、クリサリスの鎌を見ながら少し思案する。


「基礎は出来ていますが、実戦経験は…

 少し時間をいただければ、実戦訓練を行えますが

 如何でしょうか?」

「そうなれば、後は魔物の侵攻速度次第か」

「よし

 今の提案も込みで、領主様へ提出しよう

 オレからも一言伝えておく」

『はい』

「こうなると、責任重大だぞ

 何としても無事にダーナへ帰還する」

『はい』


「では、一旦解散して、各自出立の準備へ掛かれ」

『はい』


部隊長は食事を終えて片付け、各自の部隊へと戻って行く。

ジョンも吹っ切れたのか、アレンを連れて部下の元へ向かう。

このまま立ち直って、元の彼に戻れば良いのだが。

しかし彼の理解者でもある相棒は、もうこの世には居なかった。


大隊長が立ち上がると、少年も立ち上がる。

少年は小さく伸びをすると、眠そうに目を擦っていた。


「じゃあ、ボクも馬車で準備をするね」

「ああ

 くれぐれも…」

「出て来るな!でしょ?

 でも、魔物は暫くは来ないと思うよ?」

「それでも、だ

 魔物以外にも野生の獣が居る

 狼は見てないが、熊や野犬が追われてこっちに来てるみたいだからな」

「はーい

 わかりました」


「大隊長、よろしいですか?」

「ん?」

「少年を連れて来たのは何故です?」


警備隊長は、彼らが砦に来た時から気になっていた質問をぶつける。

これからダーナに帰るのだ、何もこんな時にとも思ったが、矢張り気になっていた。

何故、こんな危険な任務に少年を連れて来たのか?


「ああ

 領主様に頼まれましてね

 実戦の勉強と火魔法による支援の為です」

「それは…

 建前ですよね」

「ううむ…」


警備隊長の言葉に、大隊長は逡巡する。


「帝国の奴らが入って来たのかも?って噂がありましてね」

「こら!

 機密をペラペラと」

「いいじゃないですか

 結局違ったんですから」

「そりゃそうだが…」

「帝国が…」


警備隊長の表情が、一気に険しくなる。


「それは…

 どのぐらいの信憑性がありますか?」

「あー…

 ここだけの話ですよ

 そもそも、その話を持って来たのはアーネストです」

「少年が?」


魔術師には、使い魔という精霊の様な物を使役する術がある

自らの魔力で呼び出した存在に、伝言や魔力の一時保管等といった簡単な仕事を頼むのだ

勿論、使役するにはそれなりの魔力が必要で、魔力を多く持たない者では召喚も出来ない

それを使役出来る事は、一流の魔法使いである証でもあった


「王都の魔術師から、使い魔が伝言を預かって来まして

 帝国領に近い村に住む者から、報告があったって…

 帝国が再び、戦争の準備をしていると」

「そう…ですか」

「こいつの師匠の友が、王都に住んでいましてね

 それでアルベルト様に、連絡する為に使い魔を…」

「王宮の魔術師だからね

 使い魔なんて使えて当然なんですよ」

「王宮の…」

「懲りないですよね

 3年前に負けたのに、また国境を越えようとか」

「だが、あくまでも徴兵や兵器の準備だけ

 まさかこんなに早く来るわけがないと

 それで、恐らく偵察で入り込んだ部隊でもいるかと思ったんですがね…」

「まさか魔物なんて、出て来るとは思いませんでしたよ

 それで念の為に準備していた、騎兵部隊が出て来たというわけです」

「そうなるとワタシ達は、帝国の派兵準備に救われたワケですね」

「ええ

 皮肉な事に…」


帝国が本気で、再び越境しようとは思えなかった。

今の帝国は内部分裂をしていて、領内での内戦も起こっている。

しかし情報をくれた者は、武器や食料を徴収する様子を見ていた。

だから念の為に、王都に報告をしたのだ。


「それで、新たな部隊を編成しようと…

 納得しました」

「はい」


警備隊長は、近くに置いてあったクリサリスの鎌を手に取る。

昨日ロンメルが、ジョンに預けると言っていた鎌だ。

今は主を失い、大隊長が代わりに預かっていた。

彼はそれを手にすると、じっと見詰める。


警備隊長は暫くそれを見つめると、(おもむろ)に振り回し始めた。

鋭く左右に薙いでみたり、振り抜きざまに切り返し、突きを出したり。

とても怪我で引退した、元兵士とは思えない腕であった。

しかし1分も経たぬ内に、彼は苦悶で顔を歪めて、その手から鎌が滑り落ちた。


「っくう!」

「警備隊長!」

「大丈夫ですか?」


カランと乾いた音を立て、鎌は地面に落ちる。


「この手が、まだしっかりとしてれば…」

「警備隊長…」

「悔しい

 部下達の無念を晴らせぬ、自分の不甲斐なさが

 悔しい…」


副隊長が近付き、鎌を拾ってから警備隊長の肩に手を置く。


「仕方が無いじゃありませんか

 せめてその分、私達の指揮に専念してください」


そう言って、警備隊長を連れて部隊の元へ戻って行った。


「あの人、訳有りなの?」

「ああ

 帝国との戦争でな」

「ふーん」


アーネストはそう呟くと、自分の馬車へと戻って行った。


それから1時間も経たない頃、慌ただしく出立の準備は完了した。

大隊長の号令の元に、避難民を連れた部隊は再び出発する。

そうして危険を冒しながらも、駆け通しに駆けた。

下手に止まっていれば、野生の獣に狙われるだろう。

動いている時の方が、獣は恐れて近付かないのだ。


途中に、正午過ぎに一旦休息を挟んだ。

彼等は昼食を軽く取った後、再び駆け続けた。

幸いな事に、騎馬の群れに恐れをなして、野生の獣は出て来なかった。

夜も更けた頃に、部隊の目の前に、ようやく懐かしいダーナの明かりが見えてきた。


「よーし

 もう少しだ

 各自警戒を怠るな!」

『はい』


彼等はそのまま警戒をしつつ、無事に夜半前にダーナの門前に辿り着いた。

先行していた部隊の報を受け、ダーナの門は既に開かれていた。

本来ならばこの時間には、危険なので城門は閉じられている。

ダーナの警備兵が慌ただしく出迎え、門の前で確認する。


「出迎え、ご苦労」

「無事のご帰還、ご苦労様です!」

「うむ」

「大隊長旗下

 騎馬部隊の方々ですね」

「うむ」

「避難民の馬車は?

 ああ、あちらですね」

「ああ

 丁重に頼む

 彼らも新しい住処を追われて、長旅に疲弊している」

「はい」


集落から逃げて来た避難民は、ほとんどが碌に荷物を持たずに着の身着のままだ。

開拓に出る前の住居が、そのまま残されている者もいたが、大半が持ち家など無い状況だ。

取り敢えずで宛がわれた宿屋へと、彼等は案内されて行く。

その後の暮らしは、領主から何らかの沙汰があるだろう。


「今夜はこのまま、一時解散とする」

『はい』

「部隊長は、各自報告書を作成する様に」

「はい」

「砦の警備部隊は…」

「そちらはうちの宿舎に」

「領主様から、警備隊の宿舎を使う様にと」

「うむ

 任せるぞ」

「はい」


部隊は一旦解散し、それぞれの兵舎へと引き上げる。

砦の警備部隊は、当座の部署が無いのでダーナの警備隊へ預けられる。

休む場所が無い者は、予備の宿舎を開放する事となった。

先ほど挙がっていた、新しい部隊を迎える予定だった宿舎だ。


「空いている隊舎があって助かりました」

「ええ

 しかし、問題は山積みですね

 明日からどうするか、先ずは領主様に相談しませんと」


大隊長達の後ろで、ダーナの門が閉まる音がする。

その先には、未だ魔物達がその勢力を伸ばしているのだろう。

まだ、危険が去った訳ではないのだ。


夜が更けているとはいえ、急を要する報告もある。

大隊長達は重い足取りで、領主の館へと向かって行った。


斯くして、クリサリス教国での初めての魔物との戦闘は終わった。

これは人間側の、手痛い敗北で終わってしまった。

しかしこれは、人間と魔物との長い戦いの序章に過ぎなかった。


時に、聖歴33年

9月の第3週目の事であった。

まだまだ続きます。

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