第140話
ギルバート達が砦に向かっている頃、フランドールは邸宅の執務室に居た
彼は一通の書状を見て、朝から上機嫌であった
それを不審に思い、ミスティは不安になっていた
彼の浮かべる笑みが、あまりに危ういと感じていたからだ
彼がギルバートに対して、危険視するのは理解出来ていた
しかし過剰に危険視して、ギルバートを貶めようとしている
そう感じるからこそ、ミスティは不安を感じていた
その行為に対して、ギルド長達も不審感を持っていたからだ
「フランドール
何を見ていらっしゃるの?」
「これか?
これはなあ…
いや、君にも見せられないな」
「どうして?
私が信じられないの?」
「いや…
そうでは無いが…」
ここ数日で、二人の距離は大きく縮まったと思われる。
しかし肝心な事は、フランドールは秘密にしていた。
それでミスティは、常に不安を感じていた。
そこをケア出来ないのが、彼の経験の乏しさであるのだろう。
しかし彼は、それでも秘密を抱えていた。
「どうして話してくれないの?
私では信用出来ないの?」
「いや、そうじゃあ無いのだが…」
「じゃあ、どうして?」
「それは…」
君を危険に巻き込みたく無いんだ。
その一言を、フランドールは言えないでいた。
その代わりに、慌てて書類を隠してしまう。
その隠し場所が、ミスティには見えているのだが…。
そこがまた、彼の稚拙なところでもあるのだろう。
「そ、それよりも
今月の収支の報告はどうなのかな?」
「それよりもって…」
「さっきのは忘れてくれ
その内に話す」
「本当に?」
「ああ
本当だ」
「ふう…
そうね」
ミスティはそうやって、フランドールの事を信用しようとする。
なんだかんだと言って、彼の事を愛してしまっていた。
だからこそ不信に思っても、それ以上は問い詰めれなかった。
それが後に、この街にどんな困難を引き起こす事があるかも知らずに…。
「今月の収支は…」
「ふむふむ
ここは引き締められるな」
「でも…
これ以上は危険よ
領民の反感を買うわよ?」
「そこは政策で緩和して…」
ミスティはそうやって、今日もフランドールの施策の相談を受けていた。
本来であるならば、ハリスや従者がその任を負う筈である。
その為に従者達は、アーネストにしっかりと学ばされていた。
そしてハリスも、その腕を買われるべきである。
しかしフランドールは、彼等を信用していなかった。
それは従者達が、アーネストに教わっていた事がある。
それで従者達は、アーネストの手腕に心酔していた。
それで知らず知らずに、主であるフランドールと比較していた。
その事が、フランドールには耐えられなかった。
そしてハリスに至っては、先任のアルベルトを引き合いに出していた。
あくまでもアルベルトを参考にして、政策を学ぶべきという忠告である。
しかしこれすらも、フランドールは煩わしいと感じていた。
比較されれば比較される程、アルベルトを憎む様になっていた。
本当ならば、彼の政策の方が優秀だったのだ。
しかしフランドールは、いつの間にか彼を無能と評し始めていた。
彼が亡くなったのも、領民を守る為の勇敢な行為だった。
しかし無謀に亡くなった者として、侮り始めていた。
それは自分が、オーガに勝てたという事も関係していたのだろう。
オーガに殺されてしまった、名ばかりの勇敢な騎士。
いつしかフランドールの中では、彼の評価はその様になっていた。
そしてギルバートが強かったのは、選ばれた血が流れているからだと。
それでギルバートを、必要以上に嫌悪していた。
私だって
選ばれた血が流れていれば、あんな胡乱な者には負けなかった
神だか女神だか知らないが、それが贔屓しているからだ
私は…
そんなものは認めない
「…ンドール
フランドール?」
「ん?」
「どうしたの?」
「あ、ああ…
何でも無い」
「そう?
怖い顔をしてたわ?」
「いや、難しい案件を考えていてね」
「そう?
それほど難しくも無いと思うわよ?」
「いや
この食料支給の件では無く、魔物の被害の問題だ」
「そ、そう?
そうね、確かに難しいわね」
フランドールは何とか、自分の考えを誤魔化していた。
それは無意識に、自身の考えに後ろめたさを感じていたからだろう。
あれだけ否定していた、選民思想に影響を受けていたのだ。
だからミスティにも、その考えを知られたく無かった。
何とか話題を逸らして、その話を気付かれない様にする。
そのミスティが、自身の心境の変化に気付いているとも知らずに。
彼は懸命になって、それを隠し通そうとしていた。
「はあ…」
「ミスティ様
どうでしたか?」
「駄目ね
相変わらず黙っているわ」
「そう…ですか」
「ねえ
本当に危険なの?」
「ええ
マズいでしょうな」
「そう…
信じられないわ
彼が内通しているだなんて」
「ええ
私も信じられません」
フランドールは気が付いていなかったが、ハリスにはバレていた。
先に隠した書類も、既にハリスが目を通した後なのだ。
それなのにフランドールは、誰にもバレていないと思っている。
それが非常に、危険な事なのだ。
「既にギルド長達の耳には入っているでしょう」
「そう…」
「そして選民思想社達の耳にも…」
「ねえ
本当なの?
本当にフランドールは…」
「ええ
彼の叔父に当たるのです
当然聞き及んでおいででしょう」
「それなのに…
あれだけの事をされたのに?」
「それでもですよ
坊っちゃんを売ってでも、恩を売るつもりなのでしょう
それが危険な事なのだと知らずに…」
「でも!
でも…
王太子なんでしょう?
それを売るだなんて…」
「それだけ危険視されて、憎んでおいでなのでしょう」
「そんな…」
フランドールの見ていた書類は、砦の街からの返信だった。
王太子ギルバートが、このダーナの街を発った報せへの返礼だった。
これで砦の街は、王太子ギルバートの到着する予定を知る事が出来た。
そのお礼の手紙を、彼は見ていたのだ。
「坊っちゃんが王太子である事
そしてダーナの街を発った事
それを報告された様ですな」
「どうして?」
「叔父であるダモン男爵に、恩を売りたい
表向きはそういう書類でしたな」
「だからって…
彼を見捨てた親族でしょう?」
「それとこれとは…
別でしょう?」
「別って…」
「彼等は親族として、協力すべきと言っておる様ですが…
フランドール様は違うお考えの様ですな」
「違うって?」
「ミスティ様なら、分かるのではありませんか?」
「まさか?」
「ええ
そのまさかです」
フランドールは単に、親族だから協力している訳では無かった。
彼は彼なりに、何か考えがあって協力しているふりをしている。
ハリスはそう判断しているのだ。
それが証拠に、彼は軍備を性急に強化している。
まるで魔物が、再び攻め込んで来ると言わんかの様に。
「軍備を強化されております」
「それは魔物に備えて…」
「しかし、使徒様は魔物は来ないと…
そう仰られたそうですぞ」
「それはそうですが…
しかし野生の魔物には責任が持てないと」
「確かにそうですな
ですから魔物の被害は減ってはいません」
「でしょう?」
「しかし…
それだけですか?」
「え?」
野生の魔物は、依然として街の周辺に現れる。
しかしその程度では、今のダーナの兵士の敵では無かった。
勿論、オーガの群れでも現れれば別だろう。
その際には、被害を被る可能性はある。
しかし軍備を強化するには、それは理由にはなり得ない。
そこまでの危険が、早々に起こるとは思えないのだ。
「それでは、何故軍備を?」
「そこですな
私の私見ですが…」
「…まさか?
そんな!」
「あくまでも、私の私見ですが…
大いにあり得ます」
「だとすればフランドールは…」
「ええ
ですから危険なのです」
ミスティはハリスの告げた言葉に、衝撃を受けていた。
確かに考えてみれば、その可能性は大いにあった。
しかしフランドールの側に居た為に、彼女はその可能性を否定していた。
だが考えれば考えるほど、その懸念は否定出来なかった。
少し離れた立場のハリスだからこそ、冷静に考えれたのだろう。
「だけどそんな事…
王国に反乱する様なものですわ」
「でしょうな
無用な内乱は、王国に反抗すると取られても仕方がありません
しかしそれでも…」
「フランドールがすると?」
「するでしょうな
あなたも仰ったではないですか?
恨みこそすれ、協力するとは思えないと」
「だからって…」
フランドールの目的は、恐らくは貴族への内乱である。
それはフランドールにとっては、復讐でもあるのだろう。
自分を捨てた商人と、その親族である砦の貴族。
彼にとっては、その両方とも許せない相手なのだろう。
彼が協力するふりをするのも、ギルバートが絡んでいるからだろう。
この報告をする事で、ギルバートは危険な目に遭うかも知れない。
しかし上手く行けば、彼を排除してこの街を治める事が出来る。
そして内乱を勝つ事が出来れば、さらに砦の街も治める事が出来る。
「坊っちゃんを危険な目に遭わせて…
この街の支配を盤石にする」
「噓!
フランドールがそんな事を…」
「考えていないとは…
あなたでも否定出来ないでしょう?」
「う…
でも…」
「そうですね
彼は非情になろうとしています
しかし失敗すれば…」
「それで報告を?」
「ええ
誤報を掴ませました
今頃は坊っちゃんは…」
「そうね
その方が良かったのかしら
あの子にも、フランドールにとっても…」
「ええ
ですから内緒ですよ」
「そうね
黙っているわ
この件が終わるまではね」
「ええ
それで宜しいかと
後は私が責任を負います」
「ハリス
それで良いの?」
「ええ
もう…
あの方は居ませんし」
「ハリス…」
ハリスは覚悟を決めていた。
彼はアルベルトが亡くなった時から、いずれその様な時が来ると予感していた。
そしてギルバートを守る為なら、その命も惜しく無いと思っていた。
ギルバートの捕獲が失敗した今、フランドールは原因を探る事だろう。
そして情報を操作した者が、ハリスだとすぐに気が付くだろう。
その程度の事なら、フランドールでも気が付く筈だから。
ハリスはその命を賭けて、フランドールの企みを崩そうとしていた。
偽の情報を掴ませて、それを砦の貴族に送らせたのだ。
ダモンはまだ、ギルバートが道中だと思い込んでいる。
その間に抜ければ、ギルバート達は安全に山脈まで抜けれるだろう。
山脈まで逃げ込めれば、さすがにダモンでも追跡は困難であろう。
魔物が現れた今では、そうそう山脈を追い掛ける事も出来ない。
そんな事をしていれば、魔物に襲われてしまうからだ。
だからこそギルバート達が助かるには、無事に山脈まで逃げおおせる必要があった。
「でも…
あれだけで大丈夫なの?」
「そうですな
アーネストには伝えておりますが…
十分では無いでしょう」
「それじゃあ…」
「見付かる可能性が…
無い訳ではありません
しかし何もしないよりは…」
「そうね
後は無事に抜けれると…」
「ええ
信じましょう」
偽の情報を掴ませる事は、事前にアーネストに知らせてあった。
後はアーネストが、上手く砦の関所を抜けるだけである。
しかしそれも、上手く誤魔化せたらである。
きっと向こうでも、十分に警戒はされているだろう。
もしかしたら、既に彼等は捕まっているのかも知れない。
しかしその時には、ハリスも覚悟を決める必要があるだろう。
「もし…」
「もし?」
「坊っちゃん達が捕まったと報告があれば…
ギルド長達に報告します」
「でも、それじゃあ…」
「先にフランドール殿が動くでしょうな
王太子を救出するという名目で…」
「でしょうね
そもそもギルド程度では…」
「救出は難しいでしょうな
しかしそれでも…」
「行くつもりなのね」
「ええ」
「そうね
その時は私も…」
「よろしいのですか?
それではフランドール殿を裏切る事に…」
「そうねえ
でも、それでも…」
彼女もアルベルトには、恩義を感じている。
そしてフランドールを愛しているが、それでも譲れないと思っていた。
いや、フランドールを愛するからこそ、彼の暴走を止める必要があった。
そう考えれば、彼を止める為にギルド長側に立つ必要があった。
「先ずは…
坊ちゃんがどうなったのか
それを知る必要がありますね」
「でも、それじゃあ嘘の情報も…」
「それはあり得ませんな
あそこには密偵も入っております
もし坊ちゃんが無事に抜けられれば…」
「密偵が?
そう…
それなら安心ね」
「ええ
今は無事を祈って…」
砦の街には、王都から密偵が潜入している。
ハリスはアルベルトから、その事を聞いていた。
だからこそ、いざとなればその密偵から連絡が入ると信じていた。
今はそれを信じて、フランドールにバレない様に動くだけであった。
そして当のフランドールも、バレていないと信じていた。
彼はミスティが退室した後に、再び書類を手にしていた。
そこにはダモンから、感謝の言葉が記されていた。
それを証拠に、彼はギルバート達が捕らえられたと示すつもりであった。
「くっくっくっくっ
もうすぐだ
もうすぐあいつ等が…」
彼はニヤニヤと、意地の悪い笑みを浮かべる。
彼は自身が、悪意を持って行動しているとは思っていなかった。
彼はギルバートを、魔物の様に恐れていた。
その事で彼を、始末しようとまで考えていた。
砦の街に情報を送ったのも、その事が原因である。
「あの澄ました面が、絶望に染まれば…
くくくく」
しかし次の瞬間に、その表情は不安気な顔に変わる。
「だが、どうしてなんだ?
何でオレに仕えない
あんな化け物に仕えやがって…」
ガン!
精神が不安定になっているのか、彼は不意に机を殴る。
それはアーネストが、ギルバートに着いて行く事を告げたからだ。
確かにアーネストには、腹を立てていた。
しかしそれは彼が自分にでは無く、ギルバートに着いて行くと言ったからだ。
その事がフランドールには、許されない裏切りに感じられていた。
「どうして私では無いんだ
私ならば、お前の望む物も用意出来る筈なのに
何であんな化け物を…くそっ」
ガンガン!
フランドールからすれば、アーネストは自分に仕えるべきなのだ。
しかし彼は気付いていなかった。
アーネストが友誼を示したのは、ギルバートと仲良くして欲しかったからだ。
決してアーネストが、フランドールを気に入ったからでは無いのだ。
それなのにフランドールは、アーネストが裏切ったと考えていた。
「しかしもう少しだ
もう少しすれば…
くくく…」
フランドールの計算では、ギルバートは砦で拘束される筈である。
そしてその救出を、彼が行う予定になっていた。
ダモンに応援として駆け付けると、事前に手紙を送ってある。
そうして油断させて、街の中で彼を殺すつもりなのだ。
ギルバートを殺すのも、その時に油断させて殺せば良いと考えていた。
救出に来たと言えば、彼も油断するだろう。
それで油断したギルバートを、殺してしまえると思っていた。
殺してしまえば、後は既に殺されていたと誤魔化せる。
そう考えているからこそ、フランドールは勝った気でいた。
「そうすればこの街も…
領民も納得するだろう
私こそが、領主に相応しいのだ
ふははははは」
フランドールは勝利を確信して、執務室で悦に入っていた。
しかしその頃、ギルバートは無事に街に入ろうとしていた。
後は関所を抜けて、山脈に入るだけであった。
後は領主であるダモンが、彼に気付くかどうかだった。
しかし遠く離れたダーナの街では、彼もどうしようも無いだろう。
彼に出来る事は、自分の教えた情報でギルバートが捕らえられる事だけだ。
それさえも偽の情報で、ギルバートは翌日に到着予定であった。
ダモンが関所で見張るのは、翌日の予定になっていた。
その事を知っているのは、アーネストとハリスだけである。
そのハリスも、フランドールを裏切っていた。
従者にも嘘の報告をして、そのまま知らないふりをしている。
このままであれば、ギルバートは捕まる事は無かった。
だからハリスも、ミスティに知らせていたのだ。
ギルバートが無事に、関所を抜けて山脈に入るだろうと。
そしてミスティも、その事をフランドールには知らせなかった。
彼が誤った道を、進んでいると懸念したからだ。
そうした三者の思惑が、どの様な結果を生むのか。
彼等はまだ気が付いていなかった。
全てはギルバートが、捕まるかどうかである。
そしてその報せが、この街に届いてからになるだろう。
執務室には、フランドールの不敵な笑い声が響いていた。
それは勝利を確信して、低く暗い心情を隠した笑い声だった。
ただ従者達だけが、主のその様子を心配そうに見詰めていた。
彼等ですら、フランドールを止める事は出来なかったのだ。
まだまだ続きます。
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