第013話
魔物のは立ち去った
しかし厄災は、まだ終わってはいない
いや、これからなのだ
恐ろしい化け物の出現に、砦は恐怖に包まれていた
月は少しずつ、西へと傾いて行く
魔物達が去ってから、暫く時間が経っていた
夜明けまで、猶予は少なかった
負傷した兵士には、守備隊の者が手当てを行い、全体に干し肉と水が配られた
「終わった…のか?」
「どうでしょう?」
「魔物は去って行きましたが…」
「でも、また夜になったら?」
兵士達は不安そうに、ひそひそと話し始めていた。
取り敢えずは、今は生き延びる事が出来た。
しかし、この先はどうなのだろう?
再び夜になれば、魔物の襲撃が再開されるのでは?
不安と恐怖、猜疑心に染められて、兵士の士気は最低にまで下がっていた。
このままでは、本当に襲撃されたら一溜りもないだろう。
大隊長は立ち上がり、全体の士気を上げる為に声を上げる。
「諸君達が不安なのは分かる」
ざわめきが収まり、皆が聴く体制になる。
「今、奴らが引き返して来たら?
我々は一溜りもないだろうな」
「それは…」
「そうですが…」
再び大隊長は全体を見回し、言葉を続ける。
「だからこそ!
だからこそ、早急に立て直さなければならない」
場がしんと静まり返り、誰かが呑み込んだ唾の音がゴクリと響く。
大隊長の言う事も尤もだろう。
しかしだからと言って、あの数では太刀打ち出来ない。
それにあんな強そうな、指揮官クラスの魔物まで居るのだ。
「でも…
でも、魔物は逃げて行って…」
「逃げてはいない
我々は…見逃されただけだ」
「でも、どうやって?」
「そうですよ
あんな化け物に、どうやって…」
「だからこそ、だ!」
兵士の一人が、勇気を振り絞って言ったが、大隊長は素早くその発言を止めた。
ここで逃げたと安堵したら、士気はもう上がらないだろう。
例え本当に次の襲撃が来なくても、ここは一旦退いて立て直すべきだ。
でないと、このままここで全滅を待つだけだ。
「よく聞け!
これから夜明けまで休息する」
「え?」
「ここでですか?」
「ああ」
再び兵士達が、ざわざわし始める。
てっきり先ほどの話しから、撤退する物だと考えていたのだ。
しかし大隊長は、敢えてここに残ると言うのだ。
それはあまりにも、危険な事である。
「どうしてですか?」
「そうですよ
今は撤退すべきでは?」
「まあ、待て
今迂闊に出れば、それこそ追撃されるぞ?」
「それでも
それでもここに居るよりは…」
「夜が明けたら…
明けて7時に出発の準備に掛かる
9時を目途にここを立ち、ダーナへと引き上げる」
「おお…」
兵士達の騒めきが、さらに大きくなる。
「大丈夫なのか?」
「さあ」
「そもそも魔物が、攻め込んで来るか…」
「大隊長殿
ダーナへ…ですか?」
「ああ
ここでは無理だからな」
「でも
でも、ダーナまでは3日は掛かりますよ?」
「そうだな」
その兵士の言う通りであった。
ダーナまでは距離がある。
馬でなら1日走り詰めであれば、到着出来るだろう。
しかし歩兵や住民達が居ては、そうもいかないだろう。
急いでも3日、いや歩き詰めでも2日は掛かるだろう。
「住民や歩兵師団達は?」
「置いて行くんですか?」
「いや、寧ろ俺達は置いて行っていただけませんか?」
「そうですよ
我々が足手纏いになるのでは…」
「いや、考えがある」
「考えですか?」
大隊長は副隊長を呼んで、何やら話し合いを始める。
それはここに居る者しか、分からない事である。
大隊長は、逃げる為に必要な物資を確認した。
「副隊長、荷台のある馬車は幾つありますか?」
「運搬用の馬車は5台
他に修理すれば使えそうな馬車は3台
詰めれば住民は載せれますでしょうな」
「歩兵は厳しいか…」
「大隊長
我々の事は…」
「まあ、待て」
「ふむ
それなら、途中の集落に寄って馬車を回収しては?」
「途中の?」
「ええ
集落になら、農耕用や荷物を運ぶ為の馬車ぐらいあるでしょう」
「そうだな…」
第2部隊の部隊長が、大隊長達に提案する。
確かに集落になら、馬車はありそうだった。
農作業にもだが、開墾にも馬車は必要だ。
切り倒した大木を、集落に運ぶのに必要なのだ。
「ふむ
それまではしんどいが、歩兵隊も移動は可能か」
「ええ」
「早速、こちらで馬車の修理をさせます
なあに、ダーナまでなら簡単な応急修理でも十分保ちます
それまで、少しでもみなさんは休んでください
先の戦闘では相当消耗してますでしょう」
「すまない」
「いえ、みなさんの頑張りがあってこそ、ここは守られましたから
すぐに湯浴みの準備もさせます」
「頼む」
大隊長は部隊長に指示を出し、休息を命じる。
本当は武具を修理したり、点検もしておきたかった。
しかしさすがに、そこまでの時間的な余裕は無かった。
少しでも休息をして、追撃に備えなければならない。
第2、第3部隊は馬に飼い葉を与えて休ませる。
それから第1、第4部隊と共に、休息を取る為に兵舎へと向かう。
第5部隊だけは控えていたので、無傷で疲労も殆ど無かった。
だから彼らは、他の部隊の馬の世話を引き受けていた。
大隊長は部隊長達を連れて、警備隊長の執務室へと向かった。
警備隊長は魔物が去ったのを見て、すぐに執務室に戻っていた。
次の襲撃に備えて、被害状況を確認していたのだ。
ドアをノックして、促されてから彼等は室内へと入る。
「無事でなによりだ」
「ええ
無事…ですかね?」
「そうだな…」
魔物の群れが去ったとはいえ、まだ脅威が去ったとは言えない。
特に警備隊長は、思ったよりも被害が大きい事を痛感していた。
本来のゴブリン程度では、ここまでの被害は無かっただろう。
やはりあの大きなゴブリンが、指揮官として指揮していたからだろう。
「再び、来ると思うかね?」
「はい
恐らくは」
「そうか…」
警備隊長は髭を扱きながら、大隊長に質問を続ける。
「次も…
勝てそうかね?」
「雑魚だけなら」
「うむ
問題はあのボスだね」
「ええ」
部屋に、重苦しい空気が垂れこむ。
普通のゴブリンなら、ここまで手古摺らなかっただろう。
やはり警備隊長も、あのゴブリンを危険視していた。
あれが居る限りは、勝つ事は叶わないだろう。
「正直に言いますよ
あれにはオレでも…
勝てません」
「そう…か」
言い終わらない内に、大隊長は知らぬ間に震えていた。
あの異様な雰囲気を思い出して、知らずに身震いしていたのだ。
あの感覚は、自分よりも格上の戦士が纏う気配だった。
それは殺気や闘気と、呼ばれる様な強者の持つ気配だった。
「あれを倒せるのは…
いや、師匠でもヤバいかも」
「将軍でもか?」
「ええ…
厳しいんじゃないですかね」
「ううむ…」
ダーナには、騎兵団が出撃している間は、クリサリス聖騎士団が代わりに控えている。
それを率いているのは、騎士団長代理としてクリサリス軍の将軍であった。
大隊長の言う師匠とは、その将軍の事だった。
彼の剣の師匠にして、騎兵団での師でもある。
その彼をして、敵わないかも知れない、大隊長はそう直感していた。
そもそも将軍は、本来なら引退している年齢である。
彼の全盛期であれば、あるいはという事もあるだろう。
しかし大隊長も、彼の全盛期の力量は知らなかった。
将軍はその頃から、後方の実務を主に引き受けていたからだ。
「師匠もお年ですから…」
「うむ
全盛期の彼は、それは勇猛な…
っと、それは今話すべき事では無いな」
「はは…」
警備隊長は、共に建国戦争で戦った仲である。
彼からすれば、将軍は憧れの戦士であった。
彼がここに居ればと、警備隊長は少なからず思っていた。
大隊長も力量はあるが、まだ若かった。
この様な事態に対しては、まだまだ経験が不足していた。
「では、ここを離れるのは危険なのでは?」
「そう…かも
しかし、奴らが退いている今が最後のチャンスでしょう
今退かないと、今度は間違いなく全滅でしょう
そして…住民を守るという任務も果たせなくなる」
「なるほど
住民を逃がす為にも、退くべきか」
「ええ」
警備隊長も、その意見には賛成だった。
しかし問題は、魔物の追撃である。
「と、なれば
住民の盾となる為にも、十分に英気を養わなければな」
「はい」
「奴等がこのまま、諦めるとは思えんからな」
「ええ」
警備隊長は合図をし、食事を用意させる。
「こ、これは…」
「気にしないでください
どうせ撤退には、食料は載せて行けそうにないですから
折角ですから、豪勢にいきましょう」
「は、はあ」
撤退に当たり、荷馬車は住民の移送に使われる。
残りの荷馬車も交代で、歩兵達を乗せる事になる。
資材や武具、食料は、残念だが諦めるしかない。
そう考えれば、食料を無駄に棄てる事は出来なかった。
魔物に与えるぐらいなら、焼き捨てるか食べてしまうべきだろう。
「まあ、最低限の分は持って行きますがね
2日分なら、個々で持てますでしょう」
「そうですね
なるべく日持ちが良い物を持たせましょう」
「それでは、準備は私達でやっておきます。
なあに、こちらは後で馬車で休ませてもらいますから」
「なら、お言葉に甘えます
おい
お前らもしっかり休めよ」
『はい』
大隊長と部隊長達は、礼を述べてから食事に手を付ける。
それから食事を終えてから、各自の持ち場に引き返して行く。
部下達が起床した後に、指示を出す為である。
「では、7時に
それまでよく寝とけよ」
「大隊長こそ」
「酒なんか飲まないでくださいよ」
「馬鹿野郎!
帰るまでは飲めるか!」
「そうそう」
「くくくく」
「ふん」
ひとしきり皆で笑って、心がようやっと晴れたのだろう。
第3部隊長が、振り向きニカっと笑う。
「そうそう
チャーリーの店で飲む、約束ですよ」
「お、おう」
「それまでは、死ねませんから!」
「そうだな
ニーナちゃんが待ってるからな」
「おいおい」
気張る第3部隊の部隊長を、第2部隊の部隊長が揶揄う。
この二人は昔から、仲が良い同期であった。
二人がまだ、新米の騎兵隊兵士として配属された時からの同期であり、ライバルであった。
「え?
こいつ、ニーナちゃん狙ってんの?」
「う、うるせえ!」
「お、赤くなってやんの」
「うるせえよ」
「はははは」
「胸が大きいからな」
「そ、それだけじゃねえよ
あの子は優しいし
それに
それに…」
「おうおう」
「くくくく」
他の部隊長まで、混ざって彼を揶揄う。
それに顔を真っ赤にして、狼狽える第3部隊の部隊長。
どうやら彼は、本気で彼女の事が好きなのだろう。
大隊長には、その魅力が分からなかったが。
「お前ら
盛り上がるのは良いが、ちゃんと休めよ
眠いですっても、無理やり走らせるぞ」
「ふえーい」
『はーい』
それから、各々の部屋で休むべく解散した。
7時までまだ、十分な時間がある。
部隊長達は、お互いを小突き合いながら部屋を後にした。
目が覚めた時、小鳥の鳴き声が聞こえた様な気がした。
初めてこの砦に来た時には、小鳥はおろか小動物も姿を消していた。
戦闘の不穏な空気もだが、魔物の気配を恐れてであろう。
それが一時であるとはいえ、魔物が撤退した為に戻って来たのであろう。
「朝…か
はっ!!」
大隊長は意識が覚醒すると同時に、手早く身支度を始めた。
何も起きなかった。
何も起きなかったのだ。
どうやら魔物は、本当に見逃してくれる様だ。
少なくとも、休む猶予は与えてくれたのだ。
表に出ると、既に起き始めた兵士達が支度を始めていた。
「お前達、しっかり休んだのか?」
「あ、大隊長
おはようございます」
「しっかり休ませてもらいましたぜ」
「これならダーナまで
走って帰れます」
「本当か?」
「おいおい
オレは嫌だぜ」
「はははは」
兵士達は意気揚々と、大隊長に応えた。
残りの兵士達も、起きだして支度に加わる。
火を起こして暖を取り、その周りで武具の点検をする。
昨晩からの戦闘で、幾らか傷んでいるだろう。
砥石で刃を磨いたり、皮鎧に着いた血を水で洗い流す。
「大隊長、おはようございます」
「おはようございます」
次々と起きだして、火の回りに兵士達が増えていく。
各々が自分の馬と装備を用意して、支給された保存食と水を受け取る。
歩兵達は馬車をひいて来て、荷馬用の馬に繋ぐ。
そこへ幌を掛けたり、座る為の敷布を用意する。
住民用の水が入った樽と、保存食も積み込まれた。
と言っても、最低限の量しか用意はされていないのだが。
住民達は、ギリギリの時間まで起こさないでおく。
下手に起こすと騒ぎになるし、住民を乗せたら直ぐに出発の段取りになっている。
それまでに支度を済ますのだ。
そうして住民を乗せると、直ちに出発する事になる。
「馬車はそっちの端に集めろ
そうだ、そこへ寄せておけ」
「はい」
「第4の食料と水だ
こっちへ取りに来い」
「はい」
「がっつくなよ」
「ゆっくりと食って、無理はするな」
「はい」
「馬具の破損している者は居ないか?」
「砥石が足りない
こっちにもくれ」
「革紐の予備は無いか?」
次々と声が上がり、着々と準備が進む。
そこへ唐突に、奇声の様な声を上げて住民の代表が駆けて来る。
「どおいう事なんだ!
話が違うだろ!」
どうやら彼は、出発の準備を見て気が付いたのだろう。
大隊長に掴み掛かると、大声で喚き出した。
「ワシらを帰してくれんのか!」
「そうしてあげたいのはやまやまなんだが…」
大隊長は肩を竦めて、それは無理だと示す。
しかし代表は、それには納得出来なかった。
「なら、今すぐ!!」
「いや…
まだ、外は危険なんだよ」
「じゃあ!
じゃあどこへ行くんだ!
ワシらは集落以外へは行かんぞ!」
「はあ…」
大隊長は、深く溜息を吐いた。
予想通り、彼等はごね始めていた。
「ダーナまで退く
あそこなら危険はないだろうから」
「冗談じゃない!
ワシらの!
ワシらの集落はどうなるんじゃ!」
「あんた達を守りたい
だが、オレ達だけでは無理なんだ」
「無理とは?」
「魔物だよ」
「魔物?」
大隊長の言葉に、意味が理解できずにオウム返しになる。
彼等は不気味な生き物は見ていたが、それが魔物だとは聞いていなかった。
いや、敢えて彼等には教えていなかったのだ。
教えてしまえば、彼等はパニックを起こして逃げ出すだろう。
「そう
相手は化け物の大群だ」
「ひっ!!」
代表は、腰が砕けて座り込む。
そこで代表はその意味に気が付き、理解をしたのだ。
あの不気味な生き物が、老人が語る物語に出て来る魔物だと。
「そ、そんな
それじゃあ集落は…」
「諦めてくれ
あんたらを無事に送り届けるのも、難しいぐらいなんだ」
「た、助けてくれ!
死にたくない!!」
「ああ
ダーナには、たとえ多くの犠牲を出そうと送り届ける」
「そ、そんな…」
大隊長は、それから数分掛けて、何とか説得しようとする。
彼に住民達を、馬車に乗せる様に頼む為だ。
代表は不承不承ながら、その提案に頷いた。
少しでも生き残るなら、最早それしか無いとなれば仕方が無いだろう。
そうして、住民達の避難の準備も始まった。
出来る事なら、出発は早い方が良いだろう。
魔物がいつ戻って来るかも分からないからだ。
この際、みっともない等とは言ってられない。
このまま魔物が居ない内に、早々に退却をすべきだろう。
大隊長は手早く指示を出し、出立の準備を進める。
やがて準備が整い、いよいよ砦を発つ時が迫る。
この門を開けた時、魔物の群れからの逃亡が始まる。
死を目前にした逃避行だ。
さあ、旅立とう
大隊長が門を開ける為に合図の手を上げる。
閉ざされていた砦の門が、ギシギシとゆっくりと開かれた。
まだまだ続きます。
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