第110話
3匹のフォレスト・ウルフは魔術師を囲む様に守る兵士達を睨みながら、ゆっくりと周りを回って隙を伺う
一瞬の隙も逃さないと言わんばかりに、低く唸りながら睨んでいる
その身体は普通の狼よりも大きく、噛み付かれたら一溜りもないだろう
猪の様な大きな身体をゆっくりと動かし、今にも飛び掛かって来そうだった
魔術師達が狙われているのに、ギルバート達は手が出せなかった
何故なら、彼等の前にも魔物が立ちはだかっていたからだ
大きな熊の魔物、ワイルド・ベアだ
熊のうち1匹は将軍と向かい合い、その剣戟を何とか身を捩って躱す
右腕の二の腕から胸までは、マジックアローで傷が付いていた
しかし厚い毛皮が邪魔をしたのか、傷は浅くて出血も少ない
多少の痛みがあるのか、右腕の動きはぎこちなかった。
それでも時折、唸りを上げた剛腕が将軍に向けて繰り出されてくる。
グゴガアアア
ブンブン!
「くそっ
厄介な」
今のところ互いに牽制をし合って、有効打は与えられていない。
それでも油断をすれば、強烈な一撃が入るだろう。
そうすれば形勢は決して、一気にどちらかが倒れる事となる。
しかし将軍は、まだ倒れるわけにはいかなかった。
ここで倒れてしまえば、部下だけでは無く魔術師やギルバートも危険になる。
それだけは何とか、防ぎたかった。
グガアアアア
ブオン!
「ぬうっ
させん
させんぞ」
チラリと正面の魔物を気にしながら、横目でもう一方の魔物を見る。
そこにはもう1匹のワイルド・ベアが立ちはだかり、ギルバートと兵士が身構えている。
しかし兵士達では、ワイルド・ベアに太刀打ち出来なかった。
彼等は魔物の咆哮で、意識を奪われない様に必死に耐えていた。
グゴオアアア
ビリビリ!
「ぐうっ」
「があ…
かはっ」
「ひいっ」
「耐えろ
坊っちゃんを守るんだ」
「お前達は下がれ
危険過ぎる」
「出来ません」
「そうですよ
坊っちゃんだけを残せません」
「我々が守ります」
「その間に戦ってください」
「しかし…」
魔物が迫った時、将軍とギルバートの側にも兵士は居た。
彼等は魔術師達の元へは向かわず、ギルバートを守ろうとしたのだ。
しかし警戒した魔物に威圧されて、身構えたまま動けなくなってしまった。
こいつは先日のワイルド・ベアに比べても、よく育った大きな個体だったのだ。
だからこそ咆哮だけで、意識を奪われそうになっているのだ。
グゴガアア
ブン!
ガキン!
「ひいっ」
「このっ
くそっ」
将軍が向き合う個体も、2m70㎝ぐらいの大きな物だった。
しかしギルバートの側に居るワイルド・ベアは、3m近くの大きな個体だった。
その大きさはギルバートの、身長の倍ぐらいの大きさだった。
だからかギルバートは迂闊に踏み込めずに、正面から魔物と睨み合っていた。
極度の緊張からか、ギルバートも兵士も、さっきから一言も発していない。
この状況では無理も無いだろう。
兵士は共にワイルド・ベアと戦ったベテランたちだったが、この魔物の迫力は桁違いだ。
先に感じた強い殺気は、恐らくこの2匹の魔物が発した物だろう。
そしてギルバートは、初めて大きな殺気を感じた影響か、顔を険しく顰めて魔物を睨んでいた。
「ぐうっ…
何て気迫だ…」
「坊っちゃん
無理はしないでください」
「我々の事は構わず、こいつを倒す事に集中してください」
「しかし…」
「良いんです
オレ達は坊っちゃんを守る為に居るんです」
「そうですよ
例えこの身を打ち砕かれても…」
「ここは通さない」
「お前達…」
兵士は決死の覚悟で、ギルバートの周りを囲んでいた。
ギルバートが受け切れない時は、その身を挺して守ろうとしているのだ。
ギルバートは彼等にとっては、単なる前領主の息子では無いのだ。
彼等を導いてくれる、若き指導者でもあるのだ。
それに年齢から考えても、彼は守るべき存在だった。
魔物を倒す事が出来るのも、将軍とギルバートしか居ない。
しかしそれでも、ギルバートは本来なら守るべき存在なのだ。
考えてみれば、彼はまだ大人になっていない少年だ。
普通ならオークぐらいでも怖がって、逃げ出してもおかしくないだろう。
それが大人でも逃げ出す様な、大きな熊の魔物を前に必死に踏ん張っている。
それだけでも賞賛すべき事なのだ。
だからこそ何とかして、彼だけでも逃がしたいと思っていた。
だが強大な魔物を前にして、守る事も満足に出来ないでいる。
守りたいと思いながらも、強烈な熊の爪を捌くのがやっとで、前へ踏み出す事も叶わなかった。
ガキーン!
「うぬぬぬ
こいつ…めえ」
ブン!
ザシュッ!
グガアア
ギルバートが必死に振るった剣先が、熊の頬を掠める。
それでも浅手で、大した傷にはなっていない。
熊の反撃の一撃が振るわれ、剣で受けても大きく後退してしまう。
それを周りの兵士達が、必死に支えて守ろうとする。
ゴガアアアア
ガキーン!
「っくう
何て重い一撃なんだ」
「坊っちゃん
まだですよ」
「そうです
このままでは負けてしまいます」
「何とか隙を突いて…」
「必ず倒しましょう」
「分かった
それまで我慢してくれ」
「はい」
「ええ」
「任せてください」
その向こうでは、将軍も苦戦していた。
彼の素早さでは、魔物の攻撃を弾くのがやっとだった。
それでも何とか、将軍は攻撃を防いでいた。
その間に何とか、逆転の一撃を狙っている。
「ふぬおおおお」
ゴアアアア
バギン!
ズジャシャアアア!
後方に飛ばされながらも体制を立て直して、将軍は再び魔物と睨み合う。
先程から何度、このやり取りを繰り返しただろう。
そろそろどうにかしなければ、魔術師達も限界だった。
どうにか出来ないものかと、将軍は周囲を見回す
その思考を油断と捉えたか、焦った熊が大きく踏み出した。
ワイルド・ベアからしても、何とか素早く将軍を倒したかったのだ。
そうしなければ、仲間のワイルド・ベアも苦戦を強いられている。
そして引き連れた狼も、魔術師達に足止めされていた。
だから人間達を倒す為には、将軍を殺す必要があったのだ。
ゴガアアア
ズズン!
巨体が一気に詰め寄り、将軍の前で後ろ足で立ち上がる。
両の腕を高々と振り上げて、鋭い爪を構える。
そのまま一気に振り下ろし、将軍を叩き潰すつもりなのだ。
青い空に白い雲…
それを背景に両腕を振り上げた熊
まるで一枚の絵画の様だな
こんな美しい光景を最期に見れて…
一瞬、将軍はその光景に見とれていた。
しかし逆に、将軍が動かなかった事が熊に警戒を抱かせた。
両腕を振り上げたのに、将軍はその場で身動ぎ一つしなかった。
それで熊は、大きく振り上げた両腕を振り下ろす事を躊躇っていた。
グゴガアア…
…って、こんなところで死んでたまるか!
まだ子供の顔も見てないんだぞ!
頑張れオレ!
産まれて来る子を…
エレン!
「…っふううん
ぬうううおおおお」
ブウオオオン!
ズドン!
ゴアアア…
一瞬遅れた両腕の振り下ろしに、下から将軍の剣が振り上げられる。
彼は懸命に意識を振り解くと、下から剣を振り上げたのだ。
その剣がワイルド・ベアの、両腕を下から斬り割いた。
膂力によって無理矢理振り上げた剣は、力任せに熊の両腕を叩き切って行く。
ワイルド・ベアは両腕を、肘から先で斜めに切り飛ばされた。
魔物は自分が大きなミスを犯したと、この時察した。
そのまま叩き潰せば、将軍を倒す事が出来たのだ。
それを不必要に警戒して、反撃のカウンターを受けてしまった。
そして思わぬ反撃に、魔物は両腕を失ってしまった。
グゴガアアアア
狼狽えた熊は、ここがどこかを忘れてしまっていた。
踵を返して逃げようとするも、前足である腕は無くなっている。
それでバランスを崩しながら倒れると、そこにはもう1匹の熊が居た。
助けを求めて見上げるも、仲間も敵と対峙していてそれどころではない。
もう1匹のワイルド・ベアは、ギルバートの攻撃に苦戦していた。
「喰らええええ
うおおおお」
ブオン!
跳躍した将軍が、渾身の一撃を熊の背目掛けて落とした。
ズドガッ!
グガアア…ア…
ワイルド・ベアは、倒れたまま背中を切り裂かれる。
狼狽えた事で、魔力が乱れて防御力も落ちていた。
それで将軍の剣は、魔物の背中から脇腹までを切り裂いた。
そうして切り裂かれた背中から、臓物と鮮血が吹き出した。
ゴガア?
ワイルド・ベアが放った断末魔が、一瞬だがもう1匹の熊の意識を奪ってしまう。
視線が一瞬だが、ギルバートから後方の仲間の方へと向いた。
しかしその瞬間を、ギルバートは見逃さなかった。
ギルバートは唸り声を上げて、魔物に向かって切り掛かる。
渾身の一撃が、魔物に向けて振り被られる。
「うおおおおお!」
渾身の気合を込めて、ギルバートは全身に魔力を送り込む。
先年の黒い骸骨武者と対峙した時以来の、全力を込めた一撃だ。
魔力の奔流が全身を駆け回り、ギルバートの身体に不思議な模様が浮かび上がる。
それは文字を絡めて描かれた、不可思議な模様だった。
それが淡く輝きながら、ギルバートの全身の力をさらに強くする。
ギルバートは素早く踏み込んでから、魔物に向けて跳躍する。
少年の身体はスキルと身体強化の力で、高々と熊の頭上に飛び上がる。
彼は跳躍しながら、剣を頭上に振り上げる。
そのままスキルの力を借りて、ギルバートは魔物の首筋に剣を叩き付けた。
「ああああ…
バスター」
ズドン!
グガ…
ワイルド・ベアが最期に見たのは、飛び掛かって来る少年と、視界が回って地面が見えた事だった。
大きな熊の魔物の首が飛んで、ゆっくりと宙を舞った。
そのまま首のあった辺りから、魔物は大量の鮮血を吹き上げた。
そしてその身体は、力無く地面に崩れ落ちた。
ズズン!
グガルル…
ウウ…
その光景は、狼の魔物達も怯ませていた。
予想外の味方の死に、狼は意識を完全に奪われていた。
まさか自分達を引き連れていた、ワイルド・ベアが倒されるとは思っていなかったのだ。
ワイルド・ベアの断末魔に振り向くと、そのまま見入ってしまっていた。
それは大きな好機で、魔術師達も見逃さなかった。
さっきまでは恐怖に震えていたが、狼が後ろを振り返ったままだ。
彼等は呪文を素早く唱えて、何とか魔法を放つ。
たかだかマジックアローだが、それが複数放たれれば効果があった。
「マジックアロー」
「マジックアロー」
「マジックアロー」
次々と魔法の矢が飛んで行き、狼の濃緑色の毛皮に深々と突き刺さる。
それが1本2本では無く、複数本が突き刺さっていた。
魔物は無数の矢に刺されて、その場に倒れる。
ギャワン
キャイン
「お…終わった?」
「たす…かった?」
魔術師達だけでなく、兵士達までもがその場にへたり込んだ。
最後の狼が倒れた事で、安堵からその場に座り込んでいた。
極度の緊張から解放されたので、腰が抜けてしまっていた。
向こうの方でも将軍が、熊の背中から転げ落ちる。
「う…ああ」
ドスン!
「しょ、将軍」
「大丈夫ですか?」
慌てて動ける兵士が、転がり落ちた将軍の下に駆け寄る。
将軍は力を使い果たしたのか、仰向けに倒れて起き上がれなかった。
その近くでは、ギルバートも力を使い果たして蹲っていた。
スキルや身体強化もだが、何よりも魔物と対峙していた事が効いていた。
精神的な疲労から、立ち上がれなくなっていた。
「な、なんとか…
勝てた…」
「もう駄目だ…」
「坊っちゃん…
さすがです」
「いや…
将軍のおかげだ
あれが隙を作ってくれた」
ギルバートの傍らに居た兵士しか、満足に動ける者は残って居なかった。
他の兵士達のほとんどが、精神的にも疲れ果てていた。
ここでオーガ以上の魔物が現れたら、彼等は全滅していただろう。
しかし女神の采配だろうか?
魔物はそれ以上は現れなかった。
「おーい
大丈夫か?」
先に荷車でオークの死体を運んで行った兵士が、大きな物音を聞いて引き返した来た。
オークの死体を、あの場にそのまま残すのは心配だった。
しかしあまりに大きな音と声が聞こえたので、心配になって引き返したのだ。
そして彼等は、その場の惨状を見て絶句する。
「な、何だ?」
「こ、これは…」
「狼?」
「しかし、それにしては大きい」
「はい
フォレスト・ウルフです」
狼の死体を前にして、兵士達は驚く。
フォレスト・ウルフ初めて見たのだ、驚かない方がおかしい。
それに大きさも、かなり大きな狼だった。
こんな物に襲われては、無事では済まないだろう。
「フォレスト・ウルフ?」
「はい
森に潜む、狼の魔物です」
「そんな奴も居るのか」
「新手の魔物だな…」
「狼の魔物か…」
魔術師を代表して、ミスティが魔物の説明をする。
そのミスティも戦闘の恐怖で腰が抜けていて、顔を赤らめながら座っていた。
不覚にも恐怖心から、呪文を唱える事も出来なかった。
彼女が無事だったのは、魔術師の中でも後方に位置していたからだった。
「将軍は?
坊っちゃんはご無事なのか?」
「ええ
坊っちゃんは力を使い果たしたのでしょう
あそこで休んでいらっしゃいます」
「そうか
それならポーションをお渡しせねば…」
「それから将軍ですが
彼も戦闘に疲れた様子です
私達も…
暫く立てそうにありません」
「そ、そうか」
「それならば、馬車か荷車が必要だな
すぐに手配する」
兵士は慌てて駆けて行き、その背中に向けてミスティは頭を下げる。
立ち上がりたくても、腰が抜けて立てなかった。
ワイルド・ベアの咆哮で、多くの者が立てなくなっていた。
それだけ魔物の咆哮は、恐怖心を引き起こす強力なものだった。
「頼んだわ…」
恥ずかしい話しだが、数人が咆哮で失禁していた。
そのせいでこの周辺では、微かな臭いがしていた。
彼女はそれで、自分も誤魔化せるのが救いだと思っていた。
普段なら情けないとか叱る場面だが、あれでは仕方が無かっただろう。
彼女自身も、咆哮の恐怖に負けていたのだ。
奮起してマジックアローを放った者は、寧ろ褒められるべきだ。
彼等が魔法を放ったお陰で、何とか生き残ったと言っても過言ではない。
それで多くの仲間が、魔物の攻撃から守られたのだから。
威力は大した事は無かったが、それで魔物の攻撃を防げたのだ。
「うう…
痛ててて…」
「さ、寒い…」
「あ…
ぐが…」
怪我して出血した者が、血を失って寒がっていた。
中には負傷した際の衝撃で、意識を失っている者もいた。
早く街に戻って処置をしなければ、大事に至るだろう。
ミスティはポーションを飲ませながら、仲間の魔術師に身体を擦らせた。
「低体温になっているわ
身体を暖めてあげて」
「それではファ…」
「馬鹿!
燃やしてどうするの
本当に死ぬわよ」
気が動転しているにしても、温めるのに火を点けては駄目だ。
それこそ燃えて、灰になってしまう。
燃やすにしても、それなら枯れ木や枝を燃やすべきだろう。
それが出来ない以上は、身体を擦って温めるしか無かった。
「こうして…
擦ってあげて」
私がやったらマズいからね」
「は、はあ…」
「こうですか?」
「分かりました
私がやっておきます」
「頼んだわよ
こっちは包帯を巻いて」
「こうですか?」
「ええ
止血をしないと、死んでしまうわ」
立ち上がれる様になった2人の魔術師が、怪我した人の背中や腕を摩ってやる。
それでも寒気がするのだろう。
彼等は譫言の様に、寒い寒いと繰り返していた。
「頑張って
応援の兵士が迎えに来るわ
それまで意識を保つのよ」
「ああ…」
「うう…
痛い…」
「さ、寒い…
うう…」
ミスティは手を握りながら励まし、仲間も懸命に声を掛け続けた。
このまま意識を失えば、二度と目覚めなくなりそうだ。
冷静な判断が出来た者も居て、近くの木切れを引き摺って来る。
それに魔法を使って、火を着けて温めようとする。
「さあ、これに火を点けよう」
「そうか」
「それなら暖まる」
「いい考えよ
火の精霊よ
私の魔力で火を灯してちょうだい
ファイヤー」
ボッ!
すぐに火が起こされて、魔術師は焚火の傍らに寝かせられる。
季節は夏を過ぎたところで、まだまだ暑いぐらいの気候である。
それでも失った血が多くて、身体の体温が下がっていたのだ。
他の者は熱く感じられても、彼等には温かい火であった。
「だ…だいじょう…ぶか?」
魔術師達が仲間を暖めている所へ、ギルバートがフラフラと歩いて来た。
彼らを心配して来たのだろう。
ふらつく足を踏みしめながら、ギルバートは魔術師達の側に来る
しかしギルバートも深刻な状態で、唇は紫になり、顔色も悪かった。
「ぼ、坊っちゃん」
「坊っちゃんこそ大丈夫なんですか?」
「だ…じょぶ」
「大丈夫じゃないでしょう
顔も真っ青ですよ」
「ここに座ってください」
「ポーションです
飲んでください」
「す、すまな…」
ギルバートも焚き火の側に座らされ、火で暖められる。
魔力を一気に使った事もあるだろうが、どうやら魔力枯渇では無い様だ。
しかし頬は青褪めて、唇も紫色に変わっている。
考えられる症状は、寒さで体温が下がった時の症状に似ていた。
初めて見る症例に、ミスティはどう対処すれば良いか悩む。
実は魔術師達の方では、戦闘中はフォレスト・ウルフに注目が集まっていた。
それで彼等は、ギルバートの変化には気付いていなかったのだ。
身体に浮き出た模様は光っていたが、そこまで目を引く様な強い光では無かった。
それに、目の前に迫る死の予感に、彼等の視界は狭まっていた。
唯一、傍らに居た兵士達は光が見えていたが、その光が何か分かっていなかった。
寧ろ身体強化か何かの、魔法を使った為だと思っていた。
これがアーネストだったなら、何か勘付いたかも知れなかった。
しかしこの話は、アーネストの耳に届く事は無かった。
ギルバートが焚火で暖まっている間に、将軍は力を使い果たして伸びていた。
怪我ではないのでポーションの効果も薄く、寝転がって休むしか無かった。
将軍は譫言の様に、繰り返し死ぬとか呟いていた。
その言葉が兵士達に、笑いを押さえさせるのに必死にさせていた。
「うう…
オレはこのまま、死ぬのか?」
「将軍
何を弱気な」
「しっかりしてください」
「ああ…
四肢に力が入らない」
「大丈夫ですって」
「そうですよ」
「子供の顔も見れないなんて…」
「おい
本当に大丈夫なのか?」
「外傷は無い
なあに、疲れて動けないだけだろう」
「全く…
要らぬ心配をさせる」
「そうだよ
死ぬ訳が無いだろう」
将軍には目立った外傷は無く、熊の掠めた爪痕が幾つかあるだけだった。
彼が動けないのは、単に魔力が切れたからだ。
それで身体強化も使えず、疲労から動けないだけだった。
「ああ…エレン
子供が出来なくてすまない」
「将軍…」
「何言ってるんですか?」
「今夜も頑張るつもりだったが…
もう腰を動かす気力も出ない」
「ぷっ」
「くすくす…」
「おい!
くすくす」
「ダメだぞ、笑うな
く…ぷっ」
兵士が笑いに堪えられずに悶えている横で、尚も将軍は頑張れない自分を責めていた。
これだけ話せるのなら、心配するほどの事も無いだろう。
むしろそこまで元気なら、起き上がって指揮しろと兵士達は思っていた。
「オレがヘタレなばっかりに、寂しい思いをさせて…」
「将軍
それ以上はもう…くっ」
「ダメだ
堪えきれん」
「ぶふぉっ
はははは」
「もう我慢出来ない」
「ん?」
それを眺めていた老練の兵士が、将軍を見下ろしながら呟く。
「将軍
それ、エレンさんに聞かれたら、殺されますよ」
「え?」
「女は抱かれる事に幸せを感じるんです
帰ったら先ず、する事より黙って抱き締めてあげなさい
子供はその先です」
「ぶはっ
もう駄目だ」
「限界だ!
ぶひゃひゃひゃ」
「おい!
お前ら!」
遂に笑い出した兵士を見て、将軍の生気が甦る。
顔を真っ赤にしながら、疲れた表情から怒りの形相に変わった。
ここにきて彼は、自分が弱気になってとんでもない事を呟いていた事に気が付いた。
そして笑いだす兵士達に、怒りを堪え切れなくなっていた。
「それだけ元気なら、くくっ」
「今夜もさぞかしお盛んに…ぶはっ」
笑いに身悶えする兵士を見ながら、将軍は拳を握って震えていた。
しかし身体に力は入らず、立ち上がる事は出来なかった。
もし立ち上がっていれば、兵士達を叱っていただろう。
「なあに
暫く休んでりゃ元気になりますぜ
それこそ家に帰る頃にゃあ下も元気になってますって
死にそうになれば、男は女を求めたくなりますからね」
ベテラン兵士は、夜もベテランだった。
彼の言葉に、数人の兵士が頷く。
彼等は将軍よりも、結婚の上ではベテランだった。
応援の兵士が戻って来た頃には、兵士達は笑い転げていた。
そしてギルバートの顔色も、赤味が戻って大分良くなっていた。
それでも大事を取って、負傷した兵士や魔術師だけでなく、ギルバートと将軍も馬車で運ばれた。
「もう、大丈夫ですよ」
「いえ
先ほどは本当に死にそうな顔をしてましたよ
暫くは大人しくしていてください」
「うーん…」
「駄目ですよ」
「無理はしないでください」
「参ったな…」
「坊っちゃん
ここは大人しくしてください」
「将軍もですよ」
「え?」
「折角無事だったのに、兵士を笑い殺そうとしないでください」
「いや、オレはその
あいつ等が勝手に…」
「でも、将軍が原因ですよね
私も聞いていましたから」
「ぐ…くそっ」
将軍は何か言い返そうとして、悔しそうな顔をする。
ギルバートは話の意味が分からず、首を傾げていた。
そもそもが先ほどの会話の意味が、ほとんど分からなかったのだ。
「家に帰るまでは大人しくしてください
その後はいくらでも頑張って良いですから」
「お、おま!
くそう…」
将軍は嬉しそうにニヤけて、サムズアップする兵士を睨んでから不貞寝をした。
ギルバートは将軍が怒った意味が分からず、キョトンとしてそれを見ていた。
そのまま馬車で運ばれながら、彼等は街へと戻って行く。
他の者達もほとんどが、立てなくて馬車や荷車で運ばれて行った。
時刻はまだ2時を過ぎたところで、少々時間は早かったが狩は終わりとなった。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。
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