第010話
魔物が来る
いつだか分からないが、奴等は来る
奴らの陰は、既に傍ら迄迫っていたのだ
他の集落では、多くの死者が出た
次は誰が犠牲者になる?
住民達は、不安に煽られていた…
空は低く垂れこむ黒雲に覆われ、今まさに降り注ごうかといった状況だ
暗雲は空だけではない
地上でも多くの騎馬が行き来し、正に戦争の始まりと言わんばかりであった
ノルドの森から1㎞ほど離れた場所に、公道に沿うように大きな砦が建てられていた。
ノルドの森第1砦だ。
周囲にある集落と、公道の安全を守る為の砦だ。
先の第2砦に比べると大きく、外周は500ⅿ近くあった。
城壁は少し高く2ⅿぐらいあり、外を狙う為の覗き穴も多数空いていた。
中の建物も兵舎以外に、宿泊出来そうな空いた宿舎も多めにあった。
これは避難民や、遠征に来た兵士を泊める為の兵舎であった。
そこで集落の避難民も、無事に保護出来そうであった。
砦の入り口へ、騎馬の一団が走り込んで来た。
先行していた第1部隊の、隊長と供の騎兵だ。
「どう、どう」
馬を宥め、部隊長達は馬から飛び降りる。
「お疲れ様です」
「それで、首尾は?」
「あちらは如何でしたか?」
「うむ…」
見張りの兵士が近付き、馬の手綱を受け取る。
「ああ
酷い有様だった」
「え?」
「そんな!」
「おい
一体何があったんだ?」
「分からん…」
部隊長の返答に、入り口に集まった兵士達へ動揺が走る。
彼等が向かう際には、具体的な話は出ていなかった。
あくまでも異変の確認と、避難民の保護が目的だった。
だからここで、酷い有様と言う言葉が出るとは思っていなかった。
「間もなく、先行した我が部隊と、第2部隊の混成で住人と怪我人を運んで来る
温かい食事と、馬の世話を頼む」
「はい」
「怪我人ですか?
おい、医療用の担架やポーションの準備をしろ」
「倉庫に手配しろ」
「いや、それには及ばない
応急処置は既にしてある
休む場所と替えの衣服や包帯を用意してやってくれ」
「はい」
部隊長は駆け出そうとする兵士を呼び止め、細かな指示を与える。
兵士は頷くと、直ちに準備に向けて駆け出す。
「それで、状況は?」
「まあ、待て
先ずはここの隊長との相談だ」
「はい…」
心配する警備兵達に落ち着くように話していると、副隊長が出て来た。
「無事に戻られたようだが…
他の者達は?」
「ええ
先ずは我々が先行して戻りました
追って本隊も帰還いたします」
「そうか…」
言いながら、部隊長は大隊長からの報告の羊皮紙を手渡す。
副隊長は紐を解き、素早く中身を改める。
「これは…
本当なのかね?」
「ええ
残念ながら
第2砦は放棄しました」
「ええ?」
「放棄って…」
「何があったんだ?」
兵士達のざわめきが大きくなる。
副隊長は兵士を数人呼び、直ちに戦闘の準備を指示する。
「急げ!
時間が無い!
物資の補充と武具の手入れを怠るな!」
「はい」
「倉庫を解放しろ
それから避難民の為の宿舎の用意を」
「はい」
「櫓の見張りを増やせ
いいか!
西や北だけでは無いぞ
東や南も見張れよ」
「はい」
手早く指示を出すと、兵士達は準備へ奔走する。
再び部隊長へ向き直り、副隊長は苦虫を嚙み潰した様な顔で言った。
彼としては今回の件は、予見していない事であった。
「不味いな
こちらは第2と比べれば戦力は十分整っていたが…
先の避難での損耗と避難民の受け入れで手一杯だ。
そちらの戦力を当てにするしかない」
「ええ
それは承知しています
ですから、要求は物資の一部と場所の提供です」
「頼むぞ
兵士達は実戦慣れしておらんのだ」
砦とはいえ、そこまでの兵士を抱えている訳では無い。
尤もここの警備隊長は、第2砦のハワードよりは優秀だった。
実戦経験こそ無いものの、その訓練は過酷な物であった。
これで経験が伴えば、そこそこは使える兵士になっただろう。
しかし現実は過酷で、その様な都合のいい物では無かった。
それに対して騎馬大隊は、普段から戦闘訓練をしている本職の軍人達だ。
随行の歩兵師団も、訓練こそ本職ほど激しくは無いが、実戦訓練を経た猛者ばかりだ。
警備隊の様に、普段は暴徒や酔っ払いの鎮圧に回るのとは経験が違う。
ただ心配なのは、今回の戦いが本格的な殺し合いの、初めての経験である事だった。
ましてや魔物との戦闘など、想定外であるという事は間違い無い。
公道に出没する盗賊紛いとは、明らかに物が違うのだ。
警備隊長の執務室へ向かう間、副隊長が何度か魔物について尋ねた。
しかし余計な不安が伝搬する事を恐れてか、部隊長は寡黙に黙っていた。
コンコン!
「失礼します」
「入ってくれ」
部隊長が中に入り、副隊長は部下に飲み物を用意するよう指示する。
「まあ、掛けたまえ
長くなりそうなんだろう?」
「はい
失礼します」
警備隊長は壮年の戦士で、昔の傷が無ければ部隊長を引き受けれたほどのベテランだ。
彼は副隊長や部下の様子を見て、只ならぬ事態が起きていると推察していた。
部隊長が腰掛けると、その前に紅茶が出される。
警備隊長は微笑むと、部隊長に促した。
「さあ、疲れただろう
先ずは一息入れてくれ」
「お気持ちは有難いのですが…
事態は切迫しております」
そう言って部隊長は、副隊長の方を見た。
副隊長は頷くと、先ほどの書類を警備隊長へと手渡した。
警備隊長は書類を受け取ると、再度紅茶を示した。
部隊長はとまっどたが、その芳しい香りに負けてしまった。
警備隊長が書類に目を通している間に、彼は紅茶を口にしていた。
警備隊長は素早く書類に目を通すと、少し黙祷する。
それから再び読み直して、部隊長が紅茶を堪能し終わるのを待った。
部隊長は十分に香りを堪能し、溶かした果糖の甘味で緊張と疲労が解れる。
そこで彼は、警備隊長と目があってしまった。
真っ赤になる部隊長に、警備隊長は優しく呟く。
「無理もない
これだけの戦闘の後なんだから
緊張は解れたかね?」
「は、はあ…」
警備隊長のニコやかな問いに、部隊長は答える。
「とても美味しかったです」
「ああ
戦闘の緊張を解すには、この茶葉が一番だからね」
「そうなんですか?」
うんうんと頷いてから、不意にその眼光は鋭くなる。
「それで
魔物とは本当かね?」
部隊長は、その慧眼の鋭さに圧倒されながらも答える。
「はい
我々も戦いましたが、間違いありません」
「ふむ」
警備隊長の眼光が、少し和らぐ。
「ゴブリンと書いてあるが、間違いないのかね?」
「はい
随行した魔法使いが、確認しております」
「ふむ」
警備隊長は副隊長を見るが、副隊長は黙ったまま頷く。
それを見て、再び警備隊長は考え込む。
「んーむ」
心配そうに、副隊長が尋ねる。
「いかがされました?」
警備隊長は片目を開くと、思案しながら答える。
「いやなに、相手がゴブリンなのがな」
「よいではありませんか
危険な魔物よりも、一番弱いとされる小鬼が相手なんですから」
「そうさなあ
一番弱い筈なんだよ」
「え?」
警備隊長の一言に、副隊長も部隊長も首を傾げる。
「何か問題でも?」
「これ…
報告では、ある程度統率が取れている様だよね」
「はい
我々が到着してからは、算を乱したかの様に逃げ出しましたが…
それ以前は連携して、防壁をよじ登っていたそうです」
「それなんだよな」
「と、言いますと?」
「逃げたのも、指示があって分散して逃げたんじゃないのかい」
「まさか?」
警備隊長は続ける。
「私がまだ若い頃にね
帝国とのいざこざで国境を越えた事もあるんだよ」
「そうですなあ…」
「そこでね、ゴブリンとばったり」
「戦った事があるんですか?」
「戦った…
そう、戦ったね
というか、追い払っただけだけど」
「おお…」
「それでね
その時と、今のこいつらでは違うんだ
元来、奴らは知能が低いから
集まって、数で囲んで殴るぐらいしか出来ない筈…
なんだよね」
「え?」
思案顔から、再び鋭い眼光を向けて部隊長に迫る。
「で、そいつら
本当にゴブリンだった?
緑で、こんな耳して、目ん玉が黄色の…
出来損ないの小人みたいな」
「は、はあ
そうです」
バンと机を叩き、不意に警備隊長は立ち上がる。
「私も大隊長と同じ意見だ
敵の正体が分からない以上、事態は非常に不味い事になりつつある」
「え?
それは?」
警備隊長は直ちに、ダーナ及び王宮へ使者を出す様に指示をする。
内容は、危険な魔物の群れの台頭の兆しあり
至急対策を取られたし
尚、本砦は可能な限り交戦し、進行を遅らせる
以上の内容を認めた、羊皮紙を封蝋をして渡す。
「よいか!
事態は予断を許さない
早急に対処する様に伝えて渡すのだ!
急げ!!」
「はい」
呆気に取られる部隊長に、警備隊長は苦々しく呟いた。
「奴らは烏合の衆ではない
統率の取れた軍に成りつつある」
「え?」
「まさか?」
混乱する部隊長と副隊長に向けて、彼は頭を横に振って答える。
「そのまさかだ
奴らを指揮する存在が居る
ゴブリンなのか?
他の魔物なのか?
正体は分からんが、どうやら知恵を付けているようだ」
「そんな…」
「このままでは、どんどん実戦を経て危険な存在に成り兼ねん
早急に、出来ればここでそいつを討っておきたい」
「ここでですか?」
「ああ
長弓を得意とする者は何人居たか?」
「はっ
確か10名ほど…」
「ぼさっとするな
そいつらを集めて、指揮者を狙撃する準備をしろ」
「はい」
「それから
斥候を数人…
森と公道の間に配置しろ
緊急用の狼煙も用意させろ」
「はい」
警備隊長は、テキパキと指示を出していく。
とても田舎の砦の、警備隊長とは思えない的確さだ。
「君も着いて来たまえ
大隊長が到着次第、作戦会議を開く
その前に出来るだけの準備はしておこう」
「はい」
警備隊長に促され、部隊長も準備に取り掛かった。
警備隊長と第1部隊長が表に出ると、避難民の移送を終えた第2部隊が待って居た。
「どうした?
ダナン」
「丁度良かった」
「君も来るんだ」
二人の様子に気圧されながらも、第2部隊長は後を追いながら質問する。
「なあなあ
一体どうしたんだ?」
「ジョン
どうやら、思っていたより深刻らしいぞ」
「敵の部隊は実戦に慣れ始めている
早く手を打たんと、大変な事になるぞ」
「ま、まさか?
はは…」
二人の言葉に、ダナンは若干引き気味になる。
確かに不気味だが、たかだか森に住む小鬼だろ?
ダナンがそんな事を考えていたら、見透かされた様に警備隊長が突っ込む。
「その簡単な筈の小鬼退治に、うちの兵士や第2砦がやられているんだがね
君らも取り逃がしたんだろう?」
「うっ…」
確かに、最初は集落だったが、油断したのか砦まで落とされていた。
いや、油断していたとしても、小さくても砦が落とされたのだ。
もしかしたら、これは大変な事態ではなかろうか?
ようやく第2部隊長のダナンは、事態の深刻さに気付き始めた。
自分の隊の兵士を見つけると、手招いて着いて来させる。
本隊が到着するまで、彼等は休憩だと思っていた。
しかし緊張した面持ちの三人に連れられ、彼は次々と戦争の準備の指示を伝えられる。
その様子に気が付いた兵士が近付き、彼もまた指示を受けて慌てて走り去る。
砦の入り口は、次第に緊迫感に包まれていった。
正午を過ぎ、斥候に出ていた兵士から、第3から第5部隊が間もなく帰還すると報告が入る。
警備隊長は部隊が帰還次第、皆を集めて会議をする様に指示を出す。
やがて大隊長が率いる、第3から第5部隊が砦の入り口へ到着する。
大隊長は直ちに食事を取り、待機をする様に指示を出した。
そして警備隊長からの招集を受け、部隊長を連れて直ちに執務室へ向かった。
執務室では入り口を開けて、皆の入室が待たれていた。
中に入れば警備隊長を始め、第1、第2部隊の隊長も真剣な面持ちで待ち構えていた。
「すいません
お待たせいたしました」
「ああ
先ずは掛けてくれ」
警備隊長に促され、大隊長と部隊長達はソファーに腰を下ろした。
次いで警備隊長が書類を出し、大隊長に質問する。
「部隊長にも質問したが、これは本当かね?」
「これとは?」
「侵入していたゴブリンの群れと、砦内で交戦したとの報告だ」
「ええ
実際に、この目で見ましたから」
「うーむ…
不味いな」
「やはり、不味いですか」
「ああ
集団で戦闘をしている
それもある程度、統制が取れている事が問題だ」
「そうですね
オレもそこが気になります」
警備隊長は身を乗り出し、話を続ける。
「君は…
私がなんでここに居るのか、知っているよな」
「ええ
帝国に何度も出兵した、稀代の戦士
しかし、その戦闘での負傷から昇進を拒んだと」
「ああ
この…」
警備隊長は肩の傷を示した。
「肩の傷がな
もう、クリサリスの鎌を握れなくなってしまった」
「ええ
存じております」
そう答えつつ、大隊長はそれと今回の件がどう関係するのか分からず、困惑していた。
「これが付いたのは、最後の国境での侵攻作戦を止める為だが…」
「それとこれの関係は?」
「ああ
すまない
年を取ると話が長くなるな」
咳払いをしてから、彼は話を続ける。
「その数年前から、帝国へ何度か出兵しておってな
その時に、村々を襲うゴブリンやオークを駆逐する事もあった」
「ほおう
それは初耳です」
「うむ
私の経験からなんだが
奴らの集団は統制が取れておらなんだ」
「それは…本当ですか?」
「ああ
ひどいものさ
とにかく、飢えて襲って来る
それだけさ
我先に突っ込んで来るから、とにかく剣を振って切り伏せるだけだった」
それを聞いて、大隊長は首を捻る。
「おかしいですね」
「ああ」
「それが本当なら
今回のは、随分と知恵が付いているのでは?」
「ああ
おまけに、少しずつ賢くなっているのではとさえ思える」
「うーん
厄介ですな」
「そう
厄介なんだ」
二人のやり取りに、第3から第5部隊の隊長は理解が追い着かなかった。
そこで第1部隊の隊長が、彼等に掻い摘んで説明をする。
それを横目に見ながら、大隊長と警備隊長は暫し悩む。
「どうでしょう
ここいらで戦力を、大幅に叩かないといけませんですぞ
こちらの砦に誘き寄せませんか?」
「私もそれを考えていた
しかしな…
住民を抱えておる」
「ああ!
そうか…」
大隊長は頭を掻く。
これ以上の侵攻も、敵に経験を積ませるのも危険だ。
しかし下手な手を打つと、住民を危険に晒す恐れがある。
それに加えて、大隊長には他にも懸念があった。
敵の勢力の、全容が計れていない事だ。
「まだ
生存者に確認は取れていませんが…」
大隊長は、周辺の地図を取り出した。
それは『竜の背骨山脈』からノルドの森、ダーナ迄の公道を記した地図だ。
「奴らがどこから湧いたか知りませんが…
ノルドの森のこっちから…」
大隊長は、地図の上に銅貨を置く。
「こう来て、集落を襲ったと考えています」
「ああ
そうなるな」
丁度森の外周を沿う様に、東から西へと移動している。
その先が、第1砦である。
さらに進めて、ダーナの街へと動かす。
それを見て、警備隊長も頷く。
「恐らく、そう動くだろうな」
「ええ
ですが…」
「ん?」
「これが…
こいつらだけ、ならいいんですが…」
そう言うと、今度は3枚の銅貨を進めて、1枚を第2砦へ置く。
残りの2枚が進んで、もう1枚が第1砦へ置かれる。
そうして銅貨は更に進軍する。
「まさか…」
「分かりません
分かりませんが、在り得る話かと」
「うむむむ…」
「ダーナへは伝令を送りましたか?」
「ああ
だが…ここまでは」
「そうですよね」
「ああ
そんな事態は想定…」
「そうですよね
私も同行の魔術師に言われるまで、想定していませんでした」
「ううむ…」
そうして二人で暫く、銅貨の数を増やしたり減らしたりしながら議論が続く。
言われてみれば、それは当然である。
あれだけの数が統制を取れていたのなら、もっと兵士が居る可能性は高い。
でないとここまで、攻め込む意義が無いから。
使い潰しで良いから突っ込んだのなら、それを超える兵力が在って当然なのだ。
「これは困ったぞ
今の脅威だけと思って住民を抱え込んだのが、却って裏目に出てしまった」
「しかし住民の安全を考えるのなら、貴方の判断は的確でしたよ」
「だが、それでより危険になってしまった」
「とにかく
今日を乗り切りましょう
住民は明日にでも、護送してダーナへ送ってもいい」
警備隊長はまだ悩んでいたが、大隊長は先ずはここを守り切る事に専念しようと割り切っていた。
結局そうするしかないので、警備隊長も説得されて頷く。
方針が決まれば、後は策を練るだけだ。
当初は警備隊長は、なるべく砦の機能を維持したいと思っていた。
しかし事ここへ至っては、そんな事も言ってはいられない。
最終的にはここを捨ててでも、敵を抑え込まなければ、ダーナへと進行を許してしまう。
そうなれば、より多くの住民が犠牲になる。
「分かった
住民には私が話しておく」
「すいません
辛い決断を迫って」
「いや、仕方が無い事だ
寧ろ早めに知れて良かったよ
ギリギリで決断するには、余りに大きな事だ」
住民を守る守備重視ではなく、魔物の殲滅を目標にした攻勢に出る。
部隊の大多数が犠牲になるかも知れない、大きな戦になるだろう。
そうなれば、住民を護る為に割く兵力はほとんど無くなる。
自分の身は自分で守る様に。
酷ではあるが、住民達にはそう告げられる事となった。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。
また、誤字・脱字、表現がおかしい点がございましたら、ご報告をお願いします。