第009話
斯くて、物語の幕は開く
魔物と人間の存亡を賭けて
初めての大規模な戦いが始まろうとしていた
これは大きな戦いの、序章でしかなかった
闇夜に曙光が差し込む
辺りに差し込む陽光が、やがて温かみを取り戻していく
野鳥の声が朝の訪れを告げる頃、重苦しい音を立てて門が開かれた
「ぜんた―い
すすめ―」
『ぜんた―い
すすめ―』
ゆっくりと、第2砦の門を抜けて部隊が進む。
第1砦へと退がり、魔物を迎え撃つ為だ。
昨晩の激戦を物語る様に、公道のあちこちに不気味な魔物の死体が転がっている。
「これは…
第3部隊は死体を集めて焼却しろ
第1、第2部隊はそのまま住人を移送しろ」
「はい」
部隊長の傍らに、馬車が近付いて来た。
窓が開き、幼い少年が顔を覗かせた。
「厄介ですね」
「ああ
一先ずは、住人を移送することを優先だな」
第4、第5部隊は周りの警戒と出立の後始末をしている。
早く移動をしたいが、死体をそのままには出来なかった。
少年の話では、魔物に殺された人間の死体は、放って置くと亡者と成って襲って来るらしい。
闇の勢力である魔物の死体は、人間の死体より亡者に成り易く厄介であるらしい。
人間の亡者だけでも手強く厄介な敵であるのに、魔物の亡者まで増えては堪らない。
早めに焼いて、駆除しておいた方がいいだろう。
「お前も早く砦へ向かえ
ここへ居ても魔物に狙われるだけだぞ」
「そうですねえ
とはいえ、おじさんに何かあっては後悔しそうです
今暫くは同行しますよ」
「うるせえ」
「ははは」
またおじさんと言われて、少し傷つきながらも大隊長は続ける。
「心配してくれてありがとよ
でもな、まだお兄さんな!」
「お兄さん…ってのは無理が
あ!
痛い!
痛い!」
「わははは」
「また要らぬ事言うから」
大隊長の籠手を着けた拳が、グリグリと少年の頭に押しやられる。
その様子を見て、側近の数人がまたいつものとクスクス笑う。
それも含めて、日常の風景だった。
これは少年の、暗い雰囲気を和まそうとするいつもの軽口だった。
「お前はどうして…
そう口が悪いかね」
「そうですか?」
少年は涙目で、何とかやり返そうと思案する。
「そんなんじゃあ将来、女にモテないぞ?」
「結婚も出来ないおじさんに、言われたくありませーん」
「こ、こいつー」
「はははは」
「大隊長
こいつはやられましたね」
「そうそう
早く結婚しないから」
「うるせえぞ、お前等!」
「ははは」
「おお、怖い」
あっかんべして、少年は窓から顔を引っ込める。
堪らず部下達が、笑い出していた。
それで昨晩から続いていた、暗い雰囲気はすっかりなくなっていた。
「大隊長、今のは負けですよ」
「こないだの見合い話もダメだったし」
「うるせえ
俺だって…」
大隊長は渋面を作って脹れる。
「まあまあ」
「帰ったら、またいつもの店に行きましょう」
「ばか!
それがバレたからダメになったんだろが!」
大隊長が、顔を真っ赤にして怒る。
せっかく見合い話が上手く行きそうだったのに、花街で遊んでいたのがバレてしまったのだ。
それで領主から勧められていた、見合い話もおじゃんとなっていた。
そして大隊長は、領主から小言も言われていた
「え?
バレちゃったんですか?」
「馬鹿
お前等が話していたから…」
「え?」
「そのご令嬢、隊舎に来てたみたいだぜ」
「え?」
「お店って?」
兵士達の話を聞いて、少年が窓から顔を出した。
大隊長は慌てて、その顔を押し戻そうとする。
「子供は知らんでいい!!」
「ははあん
チャーリーの店ですか?」
「お、おま!
なんで?」
しかし少年は、その店の名前まで知っていた。
確かに兵士達の間では、その店の名前は知られている。
しかし少年には、そこは縁の無い場所である筈だった。
少年は溜息を吐いてから、その問いに答える。
「はあ
大隊長殿、夜遊びはほどほどにしてくださいね
ボクの耳にも入るぐらいだし」
「な、なな!」
大隊長の顔色が赤から蒼へ、そしてまた赤へと変わる。
「それと
ご機嫌な時は分かりますが、飲んで寝言はご用心を」
「ね、寝言?」
「サラちゃんでしたっけ?」
「あ…」
それがバレた原因だと気が付き、大隊長は何か言おうと拳を振り上げる。
しかし部下が抑えて、何とか大隊長を宥める。
そんなこんなで、騒いでいるところへ、折り悪く第3部隊の部隊長が戻って来た。
彼は作業が終わったと、大隊長に報告に戻って来たのだ。
「お前は!」
「大隊長…
どうしたんだ?」
「いつものさ」
「ああ
またアーネストの仕業か…」
「いいから
報告しろ!」
「はーい」
部隊長は巻き添いで怒られるのは割に合わないと、素直に報告をする。
馬車の窓からは、少年がまだ覗いていた。
その顔はニヤニヤと、上機嫌に笑っていた。
「…というわけで、死体の焼却も終わりました」
「ああ、ご苦労
では、少し休憩してから出立するか」
「そうですね
部下も、いくら魔物とはいえ…
あれだけの死体を焼けば…
干し肉と水を与えて休ませます」
「うむ
1時間後に出立するぞ」
「はい」
報告を聞いてから、大隊長は渋い顔をしていた。
いや、その前に醜聞を暴露された時も、渋い顔をしていたのだが。
しかし今の顔は、不安要素を聞いて思案している戦士の顔だった。
「しかし報告通りなら…
凄い数になるな」
「昨日ので50近く
今日のが100近く」
「それでも本隊ではなかろう
ならば本隊は…」
「少なくとも300はくだらないだろうな」
側近達は不安になって、ひそひそと話し合っていた。
それを聞いた大隊長が、具体的な予想を告げる。
側近の兵士達は、それを聞いて驚いた顔をする。
それだけの数ならば、本格的な国境での戦闘に相当する。
それ程の敵が、気付かれずに砦に迫っていたのだ。
「300…ですか?」
「ああ
少なく見ても、300は超えるだろう」
「そんなに?」
「しかしそれでは…」
「ああ
小競り合いでは済まないな」
「そうですよ
本格的な戦争ですよ?」
「それ程の戦闘は、ここ数年では…」
「ああ
建国戦争以来だな」
それは建国戦争に於ける、帝国軍の事を言っていた。
その頃には、帝国軍が越境して攻め込む事もあった。
しかしこれ程の規模を、悟られずにここまで攻め込ませる事は難しい。
ましてやそれが、異形の軍勢となればなおさらである。
「となれば、昨晩の攻め方から見れば…
予想出来る総数はその倍以上、ですか?」
「いや」
大隊長は、しかしその言葉に首を横に振る。
「昨晩の攻め方から、敵はよく指揮されていた
だから昨晩までの先遣が、おおよそ300以上だ」
「先遣隊?
では、あれはまだ一部だと?」
「その可能性が高い
あれ程の兵士を動かしているんだ
それをたかだか、砦を一つ落とすのに全力を傾けるか?」
ゴクリと唾を呑み込む音が、辺りに響いた。
兵士達は大隊長の言葉を聞いて、改めて敵の勢力に驚いていた。
しかしそれは、言っている大隊長も同じだった。
彼もまた、少し前まではそこまで考えていなかった。
「奴らは繁殖能力が以上に高いらしい
いいか
ここだけの話にしろ
他の奴らに聞かせて動揺させるなよ」
「は、はい」
コクコクと頷き、側近達は今聞いた事を黙る事にした。
300匹でも脅威なのに、それが数部隊?数十部隊なぞ悪夢でしかない。
そんなの聞いたら、部隊の士気はガタ落ちだ。
最悪、瓦解して逃げ出すだろう。
「先ずは第1砦で一当てしてからだ
それで敵さんの兵力の底も見えるだろう
いや、見極めなくてはな」
「やれますか?」
「やるしか無かろう?」
聞いた話以上に、ゴブリンは作戦を練り、指示に従って動いている。
だからこそ、昨晩以上の兵士が、まだ伏せられている可能性が高いのだ。
もしかしたら…
だが大隊長は、その先はまだ考えない方が良いと判断した。
下手に考えて、違った場合は致命傷にも成り兼ねない。
用心に越した事は無いが、警戒し過ぎるのも問題だ。
今出来る事は、早く第1砦へ着いて、警戒網の強化と砦の防御の強化だ。
それも、焦って失敗しては駄目だ。
冷静に出来る事を見極めて、敵の出方を見て対処しなければならない。
どんな魔物か名前は分かったが、肝心の情報と整合が取れない以上仕方が無い。
休息を終え、第3、第4、第5部隊の出立の準備が出来た。
各部隊長が点呼を終え、報告に上がる。
「部隊の確認が終わりました」
「出立の準備も整いました」
「では、出発だ
ぜんた―い
すすめ―!」
『ぜんた―い
すすめ―!』
粛々と部隊は、進み始める。
魔物を迎え撃つ為に、第1砦へ向かって。
彼等の出発する姿を、見守る姿が繁みには残されていた。
それは小さな者で、コソコソと隠れながら見張っていた。
時に、聖歴33年
季節は秋に入る9月の2週目
記録では9月9日であったと記されている
この日付が第1砦の攻防戦の日と記されてはいるが、最初の集落への襲撃日であるという説もある。
ともあれ、この日クリサリス聖教国と魔物との間に初の戦争が始まろうとしていた。
これは、後に聖魔戦争と呼ばれる大きな争いの序章にしか過ぎない。
大きな争いを前にして、ノルドの森には再び暗雲が垂れこもうとしていた。
聖歴とは、クリサリスで使われている暦である。
それはクリサリスが、建国した時から使われていた。
それ以前は、帝国で扱われていた帝歴が使用されていた。
帝歴も聖歴も、実際の暦は365日を1年としている。
異なっているのは、いつからが最初の年度であるかだ。
そして暦の元となっているのは、いずれもそれ以前の過去の王国の暦だ。
それは魔導王国と呼ばれる、過去に栄えた王国の暦であった。
魔導王国は、今では伝説とされる幻の王国となっている。
しかし過去には、その強大な力で各国を治めていた。
そしてその力は、強力な魔導士による支配であった。
その魔導士達の衰退が、王国を滅ぼしたと伝えられる。
今では当時の記録も失われて、その存在も疑わしくなっている。
しかし魔法は兎も角、魔物は実際に存在していた。
そじて魔導王国が苦戦していた、魔物は現在も生き残っていた。
ほとんど駆除されたとされていたが、未だに生き残っていたのだ。
そして再び、その悪夢の様な姿を現していた。
まるで再び、世界に暗雲を振り撒く様に…。
まだまだ続きます。
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