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62.それでも諦めない琴音ちゃん

(ほとんど眠れなかった……)


 優斗はまだ暗いうちからベッドから起き出し、朝のトレーニングの支度をする。久々に履くジョギングシューズ。少し厚手のランニングウェアに着替え、気持ちを切り替えて真っ暗な冬の朝の道へと走り出した。





(眠いな……)


 いつもより濃いめのコーヒーを飲んできたにもかかわらず、優斗は登校早々強い睡魔に襲われていた。いつも通りの教室。まだ琴音は来ていないようだ。隣に座る優愛に軽く挨拶をする。



「優愛、おはよ」


 昨日は珍しく業務連絡がなかった。体調でも悪いのかと心配したが出席しているようで安心した。


「お、おはよう……」


(ん?)


 何かぎこちない。というより優愛の目が自分と同じく真っ赤である。優斗がカバンを机に置き優愛を見て尋ねる。



「優愛、どうしたんだ? 目、真っ赤だぞ??」


「え? そ、そうなの!? 目薬差したんだけど……」


 そう言って目をパチパチさせ手でこする優愛。そして優斗を見上げて言う。



「あ、あなたこそ目が真っ赤よ!! 一体誰と何をしていたの!!??」


(は? ()と何を??)


 優愛の発言の意味が分からない。優斗が答える。


「何って昨日は畑山とラーメン食べに行って、家に帰って、あ、お前、業務連絡なかったよな?」


 色々と何か歯車が合わないふたり。



「そ、それは……」


 琴音とのことが気になって怖くて連絡できなかった、とは言えない。


(優愛……?)


 そんなふたりの耳に、その彼女の声が響いた。



「優斗さん、おはようございます!!」



「え? あ、琴音」


 声の方に目をやると、そこには茶色のボブカットでにっこり笑う琴音が立っていた。いつも通りの笑顔。いつも通りの優しい声。ただ彼女の目もまた同じく真っ赤であった。



「お、おはよう。琴音……」


 優斗が戸惑いながら挨拶をする。



(琴音……)


 座りながら優愛が琴音をじっと見つめる。もしかして優斗の部屋に泊まったのではないか。朝は時間をずらしてわざと別々に登校したのではないか。でも服に全く皺がない。ならば多分家に帰ったのだろう。

 そう安心しかけた優愛の目に、真っ赤な琴音の目が映る。



「琴音、目が真っ赤だよ……」


 琴音が笑顔で答える。



「うん、大丈夫だよ」


 大丈夫、その意味が分からない。それを聞いていた優斗はいつも通りで変わらない琴音に安心しつつも、何か空気が変わったこの状況に戸惑う。



「今日は生徒会やりますよね?」


 そこへ全く無関係の計子がやって来た。昨日、生徒会室に行っても誰もなくひとり帰った計子。ちょっとむっとしながら尋ねる。優愛が答える。


「そ、そうね。今日はやらなきゃね。みんな、放課後は生徒会室に集合よ」


「了解!」


 優斗がそう返事をするとちょうど担任がやって来たのでみな席に着いた。






(私は諦めない……)


 琴音は授業を始めた担任を見ながら今朝の出来事を思い出した。




「ん? メッセージ?」


 前日の夕方、帰宅途中の琴音のスマホに一通のメッセージが届いた。


(畑山君だ……)


 野球部キャプテンの畑山。自分に優斗を『託す』と言った張本人。以前、ボランティア清掃の際に成り行きでアドレスを交換してしまったことを思い出す。琴音がメッセージを開ける。



【明日の午前8時、体育館裏に来て欲しい。話がある】


 授業開始より随分早い時間。部活動をやっていない琴音には普段行かない時間帯。



【分かったわ】


 琴音が返事を返す。ちょうどいい。琴音自身も聞きたいことが彼にはあった。




「お、おはよう。五十嵐」


 冬なのに随分と薄手な格好の畑山。そのくせ顔は緊張しているのか真っ赤である。薄暗い体育館裏。可愛らしく笑顔が素敵な琴音はまるでそこに舞い降りた天使のようであった。琴音が尋ねる。



「おはよ。それでなに? お話って??」


 琴音が畑山をじっと見て言う。その可愛らしさにもう立っていられなくなるほどの衝撃を受けた畑山が声を振り絞って言う。



「優斗のことだ」



 予想はしていた。でも今ならどんなことでも聞きたい。


「うん」


「あのさ、以前俺がさ、その……、優斗と五十嵐を賭けて争ったって話、覚えてるか?」


 覚えてるも何もそのせいでこの半年以上変な勘違いをさせられていた。琴音が言う。



「覚えてるよ」


「あれさ、ごめん! 俺の勘違いだった!!」


 そう言って腰を直角に曲げて頭を下げる畑山。



「俺が勘違いして、勝手に五十嵐を賭けてたつもりで優斗と勝負して、でもあれは清掃の手伝いの勝負だったのに、俺、なんか熱くなっちゃって……」


 ずっと頭を下げたまま話す畑山。琴音はじっとそれを聞く。


「本当にすまない。申し訳ない!! 心から謝る」


 更に腰を曲げて謝罪する畑山。そんな彼を見て琴音が言う。



「うん、知ってたよ。だからもういいよ」


 落ち着いていた。琴音は自分でもびっくりするほど落ち着いていた。頭を上げた畑山。その顔は血が充血したのか真っ赤である。琴音が言う。



「許してあげるから私のお願いを聞いてくれる?」


「お願い? ああ、俺でできることなら何でも!!」


 畑山はまさか自分と交際を、などと一瞬夢見る。



「私、優斗さんのことが本当に好きなの。だから畑山君も私達のことを応援して」



「え? あ、ああ、分かった。なんだ、そんなことか!!」


 乾いた声。まるでそれは自分の声じゃないような感覚。がっかりする畑山に琴音が更に続ける。



「ずっと優斗さんのことが好きで好きで、告白したんだけどダメで、でもやっぱり諦めきれなくて、アメリカにでも一緒に行きたいぐらいなの」


「そ、そうか……」


 琴音に悪気はなかった。

 彼女は彼女なりに辛く、それを乗り越えようと必死であった。だから目の前の男に以前自分が告白されたことなどすっかり頭から抜け落ちていた。



(俺はその程度の男。でも……)


「分かった、五十嵐。お前の気持ちは十分理解した。俺も手伝うよ」


「本当? 畑山君って優斗さんと仲がいいよね? 本当にお願いよ!」



 ――可愛い


 畑山は優斗の話をする時の琴音が一番可愛いんだと今気付いた。それからもずっと優斗のことを話す琴音。ぼんやりとそれを聞きながら畑山は思った。



(ああ、俺、何やってんだろ……)


 目の前の女の子が可愛ければ可愛いほど、手の届かない存在に思えて来た。




(私は諦めないんだから!!)


 琴音は担任が黒板に書いた文字を見ながら自分に強く言い聞かせた。






「じゃあ、みんな揃ったわね」


 放課後、生徒会室に集まった皆を前に優愛が言う。


「一年間、お疲れさまでした。残りのイベントは生徒会選挙のみ。いわばバトンイベントね。最後の最後まで気を抜かず頑張りましょう!」


「はい!」


 ルリや計子が元気にそれに答える。



(琴音ときちんと話ができていない……)


 そう話しながら優愛は今日一日まともに琴音を話をしていないことを気にする。話したくても話せない。知れば何かが終わってしまいそうな気がして聞くことができない。ルリが言う。



「琴音~、ポスターってできたの~??」


 選挙会役員選挙。その啓発のためのポスター作製を任されていた琴音。もう選挙まで二週間を切っている。そろそろ準備をしなければ間に合わない。



「あ、ごめんなさい。まだできていなくて……」


 琴音が申し訳なさそうな顔をしてそれに答える。優愛が琴音を見つめて言う。



「手伝おうか? 琴音」


「うん、お願い。優愛ちゃん」


 何気ないいつもの会話。ただその本人達だけがその違和感に気付いていた。




「こんなに投票用紙っているのか……」


「当たり前ですよ。どう計算しても生徒数分は必要です」


 優斗と計子、そしてルリの三人は投票用紙の準備、並びに投票箱の作成を行う。

 それらから少し離れたテーブルで優愛と琴音が一緒にポスターのデザインの下絵を描いている。デザイン的なものは琴音が既に用意して来たので後は細かな所を付け足すだけ。順調に進む作業の一方、ふたりにほとんど会話はなかった。優愛がその沈黙を破って声を出す。



「ねえ、琴音」


「なに?」


「何かあった?」



「……あったよ。どうして?」


「ううん、何となく……」


 優愛がポスターを見つめながら答える。琴音が尋ねる。



「聞かないの?」


「え、あ、うん……」


 まだそんな勇気はない。聞きたいけど死ぬほど怖い。琴音が言う。



「じゃあ、言わない。でも優愛ちゃん……」


「なに?」



「負けないから」



(……私もよ)


 優愛はそう心の中で答えた。言葉には出せなかった。何故だかは分からなかった。でも琴音にはその沈黙で何となく彼女の意思が伝わった。優愛が言う。



「琴音、大好き」


「私も大好きだよ、優愛ちゃん」


 そう言って見つめ合うふたり。



「ぷっ、ぷぷっ、くくくくっ……」

「ぶっ、きゃははははっ!!!」


 優愛と琴音が声を上げて笑い出す。

 それを見たルリや計子は相変わらず仲の良いふたりを笑顔で見つめた。

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