第51話【助言】
「あんたの方から急に呼びされたと思ったら......やっぱり世愛ちゃんのことだったか」
奏緒との待ち合わせで毎回使う喫茶店の、いつもの窓際の席。
気持ちの良い午後の陽射しがテーブルを照らす。
もう会うこともほとんどないと思っていたであろう、元カレからの呼び出しにも拘らず、二つ返事で快く応じてくれた。
「――世愛から昔のこと聞いたよ」
かすみに世愛のデリケートな部分を暴露するわけにもいかず、迷った結果、俺は世愛の家庭の事情を知っている奏緒に話しを聞いてもらうことに。
「......そう。あんたが想像してたより、余程辛い経験をしてたでしょ?」
俺の言葉に一瞬目を丸くした奏緒だったが、すぐに渋い表情を浮かべた。
「......正直、世愛に親がいないのは何となく察してはいた。でもまさか、父親の死の原因があんなこととは思いもしなかった」
いくら探偵の奏緒だとしても、世愛が父親と肉体関係を結んでいた秘密まではさすがに知らないはず。
あくまで俺は奏緒が把握していると思われる範囲に限定して話を進めるつもりでいる。
「私も世愛ちゃんの身辺を調査した時には驚いたわ。というより絶句した」
頷く奏緒に俺も同調して頷いてみせた。
「母親の方の医療ミスだけでも辛いのに、そのうえ父親が目の前で自殺――未成年、しかも思春期の子にはあまりにも残酷すぎる現実ね」
言葉にすると尚のこと凄惨さがよく伝わる。
世愛がそんな地獄みたいな体験を数年前に通ってきたかと思うと、胸が苦しく、自然と奥歯に力が入ってしまう。
「今は養子に出されたお兄さんが世愛ちゃんの書類上の保護者らしいけど。あんまり良好な関係とは言えないみたい」
「あの感じなら、そうだろうな」
世愛の態度もさることながら、兄貴のあの冷徹な上から目線の態度からも、二人の関係が悪いことは明白。顔は笑っていても、氷柱みたいにトゲトゲしく、凍てついた言葉を投げる男。
俺が来栖佑馬に抱いた印象はそんな感じだ。
「会ったの?」
「ああ。んでもって、すぐこの家から出て行けって宣告された」
「......ということはあんた、また宿無しじゃない! いまどうしてるの!?」
「落ち着け。とりあえず世愛のおかげでまだあの家で暮らしてる。それもいつまで続けられるかはわからないけどな」
テーブルから身を乗り出す奏緒をなだめ、ホットコーヒーを一口すする。
――世愛の兄はまた来ると言っていた。
それが明日なのか、それとも一週間後なのかはわからない。
一つだけ確かなのは、今度は世愛の助けがあっても厳しいだろうということ。
「世愛ちゃんのお兄さん――来栖佑馬か。とんでもない人がお兄さんね」
「知ってるのか?」
「あんた、もっとニュースよく読みなさい。ペットボトル飲料業界の若き天才社長・来栖佑馬と言ったら業界の内外問わず、結構有名な人物よ」
ビジネス関係の情報に疎い俺を、奏緒が呆れた口調で諭す。
昔はその手の情報サイトに目を通していたんだが、自律神経を病んでしまってからは逃げるように遠ざけてしまっていた――と言ったら、奏緒は謝るだろうから黙っておくが。
「お茶飲料でしかシェアを稼げなかった三国園に新たな可能性を誕生させたやり手で、一時期メディアにもよく顔出しで出演していたでしょ」
奏緒に言われてハッとした。
なるほどな。
見覚えはあるのに名前が出てこないのは、テレビで見たことがあったからか。
合点がいった。
「そんな曲者が世愛ちゃんの保護者だとすると、あんたに残された時間はほとんど無いわね」
「だな......」
「残念だけど、今さら家に戻って来ようなんて思わないことね。来月私、引っ越すことが決まってるから」
「安心しろ。そのつもりは全く無い」
世愛との同居生活のタイムリミットが迫っているというのに、真っ先に心配しなければいけない次の住居の問題を、俺は全く考えようともしなかった。
「......ねぇ、あんた。いっそのこと世愛ちゃんと恋人同士になっちゃえば?」
「ハァッ!? いきなり何言い出すんだお前は!!」
奏緒が突拍子も無いことを言うもんだから、思わず静かな店内に俺の素っ頓狂な叫びが響き渡る。
「だってあんた達、お似合いのカップルだと思うし」
「元カノのお前が言うと皮肉以外の何物にも聞こえないんだが」
「今はまだどちらかと言えば恋人同士というより兄妹だけど、あと2・3年したら世愛ちゃん、きっといい女になると私は確信してる」
「何の根拠があっての確信だ」
「同じ女性としての感ね」
わけのわからん根拠で俺と世愛を無理にくっつけようとされては困る。
俺はともかく、世愛に対して可哀そうだろうが。
自分で言うのもアレだが、こんなダメなパート・アルバイターの俺ではなく、世愛には安定した職業に就いた人物とくっついてほしい。
もちろん、それ以前に世愛を世界中で誰よりも愛してくれる男が最低条件ではある。
「例え世愛ちゃんと一緒に住めなくなったとしても、あんたは世愛ちゃんの近くにいてあげるべき。せっかく前を向いて歩けるようになった世愛ちゃんを、絶対見放しちゃダメ。あんた達はお金という繋がりがなくても、充分これからも二人でやっていける......だからあんたは、自分のしたいように行動しなさい」
奏緒は強い意思を眼差しに乗せ、俺に語りかけた。
「......なんか最近、かすみにも同じようなこと言われた気がする」
「誰よ、かすみって?」
奏緒の知らない女性の名前を口にした途端、彼女の眉が寄った。
「バイト先の同僚で先輩。金髪お団子頭と褐色がトレードマークのギャルJKだ」
「情報量凄いわね」
「世愛が瞬に拉致られた時に連絡してくれた子って言えばわかるだろ」
「ああ。あの時の」
実際声を聴いたわけではないが、なんとなく思い出したらしく頷いた。
「今度紹介してやるよ」
「いいわよ別に。紹介するなら女子高生より性格の良い、若くて将来有望そうな男性社員をお願いするわ」
「生憎だが、ウチに将来有望そうな男性社員どころか、それ以前に全員まぁまぁ歳のいった既婚者だ。諦めろ」
「うわ最悪」
終始暗い話で終わるかと思ったお茶会は、奏緒のおかげで最後は付き合う前みたいに、お互い憎まれ口を言い合うような形で締めることができた。
なんだかんだあった俺たちだが、奏緒とはこのくらいの関係性が丁度の良いのかもしれないな。
***
「おかえりなさい」
外出から家に帰ってきた俺を、世愛がいつもと変わらない雰囲気で迎えてくれた。
「おう、ただいま。遅くなってごめんな。いま夕飯の準備始めるから――」
「その前に風間さんにお願いがあるの」
上着を脱ぐ俺の背中越しから、世愛は食い気味に声を上げた。
「あのね......今度のバイトがお休みの日、私とデートしてください」




