どこかで聞いたような話。
舞手は自身の小さな手をしばし見つめ、それから、朝食の用意をしている母親の後ろ姿に目をやった。記憶の中の母親は、確かいつも病床に伏せっていたはずだが。
「……なぁ」
自身の声が高く聞こえ、そこで舞手は確信を得た。
「こら。お母さんを呼ぶのに“なぁ”はないでしょ」
振り返り、腰に手をやりながら怒る姿は、どこか姉にも似ている。いや、姉が母親に似たのだろうな。
「……」
おかしい。おかしいと理解はしているのだが、舞手は優しく微笑む母親の姿を否定したくはなかった。何も言わない舞手を不思議に思ったのか、母親は手を拭いてから、屈んでやり、視線を合わせた。
「どうしたの? 怖い夢でも見たのかしら?」
「あ、あの、お袋……」
「まぁ、お袋だなんて。昨日まで母ちゃんって呼んでたじゃない。また何かお友達に言われたの?」
そう抱き寄せてくれる母親は、確かに鼓動を打ち、とても暖かい。まぁ、当たり前と言えば当たり前だ。現実なのだから。どうするのがいいのか迷っていると、
「二人とも、帰ったぞ」
「お母様、まいちゃん、ただいま」
と低い男の声と、嫌というほどに聞いてきた姉の声が玄関から聞こえてきた。舞手は母親の腕をするりと抜け出すと、息を切らすほどに走り、声の主を迎えにいった。
これまた自分と同じように幼くなった姉と、そして記憶に残ってすらいない、男の姿が見えたのだ。
「まいちゃん、どうしたの? そんなに慌てて……」
「あ、あね、姉貴! そいつ、そいつ、まさか」
舞手は信じられないものを見るような目で男を見つめる。男は「なんだと、この生意気な」と笑い、舞手を軽々と抱き上げた。
「は、離せ! やめろ!」
「父親に向かってその口の利き方はなんだ? 全く、誰に似たのやら」
「あら? あなただと思ってましたよ?」
奥から遅れてやって来た母親が朗らかに笑う。男、いや父親は「オレかよ」と歯を見せ笑うと、舞手を床へ降ろし、その大きな手で頭を撫でた。
「お、おや、じ?」
ぽつりと零れた言葉に、父親は顔をしかめ、
「なんだなんだ、本当にどうしちまったんだ? 怖い夢でも見たのかぁ?」
と舞手と目線を合わせる。その翠の目は明らかに一族のものであり、また、自分と同じ髪色は疑いようもなく。舞手は知らずのうちに涙を流し、
「親父、お袋!」
と父親に抱きついた。
力強く暖かいそれは、紛れもない現実ではあるが、事実、二人はもうどこにもいない。それを知ってしまうことは、受け入れてしまうことは、今の奴にはなんと酷なことか。
「姉貴! 早く飯にしようぜ!」
「そう……。まいちゃんがそう言うなら、お姉ちゃんもそれでいいわ」
「姉貴?」
少し離れた場所から見ていた姉が、悲しげに目を伏せ、それから「ううん」と首を横に振る。
「お姉ちゃんはいいのよ、お姉ちゃんは。でも、きっとお友達はまいちゃんを待ってると思うの」
「は? 友達? 友達なんていねぇ! 村の奴らはオレを馬鹿にしてきやがるだろ!? 族長の息子のくせにだとか、才能がないだとか」
父親の腕の中から吼える舞手は気づいていない。自分が抱きついているのが、血も涙も流さないただの人形だということに。
「違うわ、まいちゃん。あの子は、まいちゃんの舞いを楽しみだと、綺麗だと言ってくれたじゃない。今さらお友達やめちゃうの? 用無しになったらポイするなんて……、そんな子に育てた覚えはないですよ」
「そんなの、あいつが勝手に友達だとか言ってるだけで……。あいつ、が、勝手に」
そこまで言いかけ、舞手は自身を優しく抱きしめる父親を正面から見据える。その目に光る優しさは本物で、この場所にいれば、ずっと愛を与えられながら生きていけるだろう。だが。
「ふっ……、ちげぇよな。与えられる側から、与える側にいくって決めたんだよ」
父親の体を押すようにして舞手は離れ、それから姉の隣へと歩き出す。
「わりぃ、親父、お袋。オレ、友達が出来たんだわ。能天気で、馬鹿で、ヘタレで、とことんお人好しで……」
姉の隣に並ぶ。そこには自分より背の低い姉が、いや、見慣れた聖女の姿があった。自分を見上げる瞳に映るその姿も、見慣れたごく最近のものだ。
「自分がこうだと思ったら馬鹿みてぇに突っ走るわ、オレらの迷惑をなんも考えてねぇわ、自分の傷より、他人の傷ばっか気にしやがる。だけど」
舞手が振り返った先。父親と母親は、わかっているとばかりに深く頷いた。
「あいつが言ってくれたんだ。オレの舞いが見たいって。だから、オレは一緒に行ってやるんだよ」
「まいちゃん、素直にならなきゃ駄目よ?」
「……ちっ」
小首を傾げる聖女に舌打ちだけ返し、舞手は両親に軽く手を上げてみせる。それに父親もまた同じ仕草で返すと、
「流石オレの息子だ。やってみせろよ。お前が思う、思った通りの、その形で」
と艶麗に笑ってみせた。それに舞手は背を向けると、玄関の扉へ手をかける。
「ま、しばらくお袋とシケこんでてくれよ。いつかそっちに行けたら、今度は酒の飲み方でも教えてくれ」
「それぐれぇ自分で覚えな」
「言うじゃねぇか。じゃ、またな」
舞手はそれを最後に、外への扉を開いた。満ち溢れるほどの光が入り込み、次に目を開けた時、二人は機械だらけの部屋にいた。
「ここは?」
「うーん、わからないわ」
「だろうな……」
とりあえず戻ってこれたことに変わりはない。舞手は深くため息をついてから「なぁ」と腕組みをした。
「姉貴は気づいてたんだろ? なんで先に出なかったんだよ」
「それはね」
舞手は少し期待した。“弟が心配だから”だとか“置いていけない”だとか、そういった類の答えを言ってくれるだろうと。
「お姉ちゃん、ちっちゃいまいちゃんが見たくて! もしかしたら見れるかなって、ずっと気づかないフリしてたのよ!」
「……」
あぁ、そうだ。この姉はそういう女性だった。だから散々苦労してきたし、けれどもそれ以上に助けられてきたのだ。舞手は呆れたように口の端を持ち上げてみせると、
「なぁ、姉貴」
「なぁに?」
「オレを恨んでないか? 舞いの道じゃなく、そっちの道を歩ませたオレを」
と今まで聞けなかった思いを吐き出した。聖女は何回か瞬きを繰り返した後、可笑しそうに笑みを浮かべた。
「双子のお兄ちゃんも言ってたでしょ? 可愛い可愛い弟のことを愛しはしても、恨むことはないわ。だからわかるのよ。あの二人の気持ちが、なんとなくだけど、ね」
「ま、わかりたくねぇけどな。頼れるのがお互いだけってのは、よくわかる」
聖女はひとつ頷き、両手を祈るように組んだ。
「私たちがそうであったように、あの子たちだって変われるわ。だから行きましょう」
「ったりめぇだろ」
「まずはここから出ないと! えいえいおーよ!」
「……」
はしゃぐ聖女とは反対に、舞手はどうしたものかと深くため息をつくのだった。




