なるほど、つまりこれは……な話。
上を見れば巨大なシャンデリア。
下を見れば一面赤い絨毯。
丸テーブルがこれでもかというほどに並べられており、そこには湯気の上がる美味そうな料理たち。魔法剣士は、その見たことすらないほど豪華な料理に、思わず生唾を飲み込んだ。
「ね、ねぇ皆、なんか美味しそうな料理が……って、あれ?」
そこで魔法剣士は気づく。仲間がどこにもいないことに。
「だーりん!」
懐がもぞりと動き、そこからロディアの丸々とした目が覗いた。それに魔法剣士は肩を撫で下ろし、
「よかった、ロディアだけでも一緒で」
と懐から出してやり、慣れた手つきで肩へと乗せてやる。ロディアも辺りを見回し「ここって……」と不安の混じる声で呟いた。
「船の中、だとは思うんだけど……。廊下に繋がってなかったっけ?」
魔法剣士は半ば唖然としたままで、テーブルへと歩いていく。チキンの丸焼きに、色とりどりのサラダやデザート、見ただけで柔らかいことがわかるパン。
とりあえずマフィンをひとつ手に取り食べてみる。
「だーりん、おぎょーぎわるいでち……」
「大丈夫大丈夫。ロディアが黙ってれば怒られないよ」
口の中に広がる控えめな甘さに、ほろりと崩れていく生地。なんとも言えぬ美味しさに、魔法剣士はマフィンを少し千切り、ロディアへと食べさせてやる。
「もぐもぐ。まったく、だーりんは、もぐ、おぎょーぎがわるいでち」
「これでロディアも共犯だね」
「はっ! でち」
指をぺろりと舐め、それから今度はナイフを手にした。チキンに刃を入れてやれば、実家で食べてきた肉とは比べ物にならないくらいそれは柔らかく、すんなりと簡単に切れてしまった。
「うわお。こんなお肉見たことないよ」
「んー。でもだーりん、だいじょうぶでち? ひろいぐいは、おなかこわすでち」
「ふっ。甘いよロディア。こう見えて僕、学校では三秒ルール王と呼ばれていたんだ」
「よくわかんないうえに、ださいよびなでち」
切れた肉をフォークに突き刺し口へと運ぶ。やはり美味い。
「現実だけど、事実じゃない。たぶんそれが鍵だと思うんだけど……」
考えながらも肉を切り分けては皿へ盛っていく。肩から冷たい視線が投げられているが、それに気づかないフリをし、粗方料理を取り終えたところで、隅にある椅子へ座り料理を食べ始めた。
「だーりん」
「ん?」
「やってることと、いってることがあってないでち」
「いやぁ、こんなに美味しいもの食べたことなくてさ。でも」
皿の半分ほどを食べ終えた頃、魔法剣士はいきなり残りの料理を床へ落としたのだ。ロディアが「だ、だーりん!?」と慌てるが、魔法剣士は至って冷静に立ち上がると、
「こんなに美味しいものは食べたことない。でも僕は、どんなに豪華な料理も、どれだけすごい人が作った料理でも、皆がいなきゃ美味しくないよ」
と最後に皿を落とした。
パリン、とまるで鏡のようにその世界にヒビが入り、それはみるみるうちに剥がれ落ちていく。
「これは確かに“美味しい料理”っていう現実だ。でも僕にとっての事実は“美味しくない料理”なんだ。ごめんね、おもてなしを受け取れなくて」
最後の壁が剥がれ落ちた時、そこは船内にあるどこかの広間だった。恐らくは一般人であろう客たちが床へ倒れ、何事かをぶつぶつと呟いている。
「だーりん、これは……」
「たぶん、皆ああいう世界に入ってしまったんだと思う」
客が生きているかだけを確認し、魔法剣士が広間を出ようとし、人形を抱いたまま倒れているまだ幼い少年に気づく。年は十歳ほどだろうか。
灰色の髪のその少年は、人形を離すまいと力強く抱きしめている。美しいブロンドをもつその人形は、どう見ても可愛い女の子だ。
「これ、じぇしかでち!」
「ジェシカ?」
「まほうつかいのおんなのこでち。かわいくてつよい、あこがれのこでち!」
「へぇ……」
よくある童話の人物だろうか。魔法剣士はそう結論づけ、それから少年の頭を軽く撫でてやり広間を出た。それにしても、なぜロディアがそんなものを知っているのか。それは永遠の謎かもしれんな。
扉を開けた魔法剣士だが、一歩を踏み出したところで危うく海へ落ちそうになり、なんとか踏みとどまることに成功した。
「わぁ、今度はびっくりショーかな?」
「だーりん、どうするでち? でれないでち!」
肩で跳ねるロディアを諌め、魔法剣士は「うーん」と頭を捻った。恐らくはあるのだ、道が。だが魔法剣士には、それが正解だと思えなかった。
「よし。ロディア、しっかり捕まってて」
「え? まさかだーりん」
「どっしゃぁぁあああ!」
ロディアが抗議をする前に、魔法剣士は宙へと身体を投げ出した。一瞬の浮遊感の後、すぐさま落下を開始する。
「ぎゃぁぁあああでちー!」
そうして魔法剣士の身体は海に叩きつけられ死に……いや、死ぬわけがない。なぜならば、海は生きているかのように、その身体をどっぷりと呑み込んだのだから。
真っ暗なその世界は、不思議と息が出来た。肩にいるはずのロディアを見れば、まだ小さく震えたままだった。
「ロディア、息出来るよ」
「ほ、ほんとでち」
といっても、道があるわけでもなし。しかし不思議と歩けるその空間は、一歩踏み出せば、水の上を歩くかのように波紋が広がっていく。
その先に、青色と赤色に光る小さな石を見つけた。それが魔法石だと確信した魔法剣士は、急ぎ足になるが、途中どこからか声が聞こえてきた。
『醜い醜い私。誰も誰も撫でてはくれない』
『汚い汚い俺。誰も誰も愛でてはくれない』
それはあの双子の声だったが、仕掛ける様子は感じられない。
『お兄様、お兄様。私はまた捨てられるの?』
『妹よ、妹よ。俺は、俺だけは妹を愛し続けているよ』
切なげな響きと、叫びにも近いそれに、魔法剣士の足が止まった。
『見て見て、お兄様。あの黒髪の女の人、私に気づいたわ』
『見てるよ見てるよ、妹よ。これで妹は愛されるようになるだろうか』
「だーりん、このこえ」
「うん、あの二人だ。なんだろう、すごく淋しそうな……」
再び魔法剣士は歩き出した。
一歩踏み出すたびに、双子の悲しい声が頭の中に響いてくる。それに耳を澄ませば澄ますほど、気が狂ってしまいそうになるのを耐え、そうして魔法石の元へ辿り着き。
「人、形?」
そこに転がっていたのは、ボロボロの、かろうじて形を留めているだけの、男女の人形だったのだ。




