たいそう歪んだ愛情の話。
夕刻。
魔法剣士とロディアは宿へと戻ってきた。その手には出る時には無かった小さな本が抱えられている。
「ただいま」
そう笑った魔法剣士とは逆に、舞手は明らかな怒りを含んだ視線を向ける。
「お前、それなんだ? 金がねぇことくらいわかってんだろ」
ため息と共に本を引ったくり、中身を捲る。白紙の続くページを見て、舞手の眉がぴくりと動いた。本を突っ返す時に睨んでやると、魔法剣士が一瞬言葉に詰まる。
「う。いや、日記でもつけようかな、なんて……」
「日記? 遠足じゃねぇんだぞ」
「そ、そうなんだけどさ、見たこととか、聞いたこと、感じたことを書いていこうかなって」
「勝手にしやがれ」
椅子に座った舞手に「ありがとう」と頬を緩める。魔法剣士にもわかってきていたのだ、この舞手が、口ほどには悪い奴ではないことくらい。だから早速反対に座ると、宿に置いてある筆ペンを使い、最初のページに日付を書き込んだ。
「……おい、日付違ってんぞ」
「わざとだよ」
「内容も違くねぇか」
「どうせ誰も……、いや君は読むかもしれないけど、読みはしないんだから、少しくらい脚色してもいいだろ」
「少しか、これ」
などとやり取りをしながら、数ページを書いたところで、女冒険者と少女、それから満足そうに袋を抱えた聖女が戻ってきた。
「まいちゃん、待たせてごめんね! お姉ちゃん、ちゃんとハニートースト買ってきたわよ!」
満面の笑みで袋を机に置いてから、聖女はガサゴソと袋から包みを取り出した。途端に漂う甘い香りに、舞手ではなく、魔法剣士の腹が鳴った。
「あー、僕ももらっていい?」
「えぇえぇ、もちろんよ!」
魔法剣士は包みを受け取ると、久方ぶりの“まともな”飯にかぶりついた。肉が食べたくもあったが、今それを言えばあの干し肉が出るだろうと我慢して。
聖女は少女の頭を撫でて、一緒に空いた席へと座った。女冒険者は背を壁に預けると、美味そうにハニートーストを食べる魔法剣士に視線をやった。
「ところでアンタ、剣は使えないのかい?」
「え! あ、あぁ……剣、剣ですよね? もちろん使えますとも!」
「嘘つけ」
「まいちゃんには聞いてないよ!?」
パンカスを飛ばす勢いで話す魔法剣士に、舞手は心底嫌そうに顔をしかめるが、魔法剣士が気にする様子など微塵たりとてない。
「ちょいと剣を構えてごらんよ」
「ふぁ!? 剣! 剣ですね!」
魔法剣士は立ち上がって柄に手を伸ばす。そしてそれを抜こうとする――が、長さが引っかかったのか抜けすらしない。
「まいちゃん」
「あ?」
「ちょっと、ちょっと鞘、鞘抜いて」
呆れて物も言えないのか、舞手が手伝うことはない。女冒険者も頭に手をやりため息をつくと、
「アンタ、呆れるほど力が無いねぇ……。よし、明日から稽古をしてやろう」
とにやりと笑った。それを聞いた魔法剣士は震え上がり、それから何かを思いついたように舞手を振り返った。
「まいちゃんもやろうよ! 一緒にやろーよー!」
「はぁ!? オレは関係ねぇだろ!」
「それはいい。アンタら二人、まとめて見てやろう」
女冒険者の言葉に、舞手の眉間にシワが寄っていく。
「オレには必要ねぇ! 舞いがあるだろ!」
「アタシは舞いには詳しくないが、今のアンタじゃまともに舞えるとは思えないけどねぇ。この際だからはっきり言わせてもらおうか。アンタらがこのままだと、お姉さんは死ぬよ」
女冒険者の剣幕に、いつもは生意気な態度を崩すことがない舞手も、言葉を詰まらせ悔しげに唇を噛んだ。
「お姉さんは確かに強いが、アンタらみたいなお荷物を抱えて、いつまでも過酷な旅が出来ると思わないことだよ。確かに“僧侶”ってのはね、血反吐を吐くほど厳しい修行、鍛錬をする。それは自分に奇跡の魔法を使えないから、足を引っ張ることのないようにするためだ。なのにアンタらが引っ張ってどうすんだい!」
矢継ぎ早に言われ、舞手だけでなく、魔法剣士も柄から手を離して俯いた。魔法剣士の頭によぎったのは、やはりあの日の出来事だろう。
あれが狼だったから助かったのだ。もし、魔物や魔族だったなら、こいつらは今頃道端に生える草木の肥料にでもなっていただろう。
「……僕に、出来るのかな」
魔法剣士が自分の両手を見つめる。豆も傷もない綺麗な手は、まだ何ものにも汚れていない。
「出来るかはアタシは知らないよ」
「そこは出来るって言ってほしいんですが」
「ただね、やらなきゃ出来はしない。やらなければ、出来るは一生来ることはないんだよ」
その言葉に、魔法剣士は何かを決心したように両手を握りしめた。そして頭を深々と下げると、
「おばさん、よろしくお願いします!」
「アタシのことは師匠と呼びな!」
「師匠!」
と手を出した。その手を女冒険者、いや師匠殿は握り返すと、白い歯を見せてニッと笑った。まぁ、舞手は気が進まないのか、それとも考えることがあるのか、返事はしなかったのだが。
一行の目的地は森妖精の里へ決まった。
何? 森妖精とはなんだと? いいか、この世界には人間、魔物と魔族、そしてそれらに属しない“妖精”という種族がある。森妖精というのは、まぁ、また追々説明してやろう。
西から東へ向かい町に、そして一行は更に東へ進むことになる。これは町を出て、次の日の夜のことだ。
「次の町ってどの辺かなぁ」
野宿の準備をしていた魔法剣士が、焚き火のために木をくべつつため息をついた。
「色々話を聞きながら歩いてるし、中々時間も必要になるわ」
今日の獲物だった猪を引きずりながら、聖女がふわりと笑う。聖女の細腕では中々に重そうではあるが、実は魔法剣士と舞手では引っ張ることすら出来なかった。
「あー、お姉さん。今からそれ、もしかして……」
「うん。前のお肉無くなっちゃったし、また作らないとね!」
「ですよねー……」
なるべくなら見たくはないのだが、聖女の楽しそうな笑顔と鼻歌を聞いていると、言いづらいのも事実だ。そんな魔法剣士に気づいたのか、師匠殿が「アンタ」と手招きをした。
「丁度いい。これから夜は稽古の時間だ」
「え!? 毎日!?」
「当たり前だろう! 一日二日で身につくなら、世の中に天才と呼ばれる奴はいないんだよ!」
師匠殿はまだ何かボヤく魔法剣士の首根っこを掴むと、軽々と引きずり少し離れた場所へと向かう。ロディアも「だーりん!」と置いてかれまいとついていく。
少し遠目にはなるが、聖女たちの姿は見える程度まで歩くと、師匠殿は魔法剣士を乱暴に地面へ投げつけた。
「痛い!」
「黙って早く立ちな」
「師匠、厳しいですね。なんならもっと優しく……」
ぎろりと師匠殿に睨まれ、魔法剣士は肩を震わせてから「なんでもないです」とすぐに立ち上がった。
「まずアンタ、その剣はどうしたんだい。使えもしないもの持ってても仕方ないだろう」
「いやぁ、これは村を出る時に父親のをもらいまして……」
「形見なのかい?」
「いや生きてます」
「捨てちまいな。いや、まぁ、捨てられないなら持ってるのもアリだが」
魔法剣士は剣に軽く触れる。確かに思い入れなぞあったものではない、第一錆ついたままで使えはしないだろうしな。それでも、村に戻りかけた時の母親を思い出すと、簡単に手放しは出来ないのは事実だ。
「……今は持っててもいいですか」
「ふん、好きにしな。それから、アンタにはこっちのが扱えるだろう」
そう言って、師匠殿は腰に差していた細剣に手を伸ばした。それを右手に握り、そして足元からいくつかの石を選ぶと、それを宙に放り投げた。
「見てな」
一息。
たった一息だ。
投げたいくつかの石が、一瞬にして砂のように崩れていったのは。
「え? え!?」
「すごいでち! なにしたのでち?」
驚き狼狽える魔法剣士とは逆に、ロディアはどちらかと言えば落ち着いた様子で、何をしたのか聞きたくて堪らないようだ。師匠殿は二度頷いてから、今度は少し大きめの石をひとつ手に取った。
「いいかい? モノには必ず脆い場所がある。そこをついただけさ」
「そんな簡単に……」
「はっきり言わせてもらおうか。アンタは力もなけりゃ速さもない。魔法力はアタシは詳しくないからわからんが、アンタの様子を見るに魔法力もないんだろう」
「ごもっともです」
「ならアンタは技を磨くんだ。すべからく、術というのは凡才が天才に追いつくために編み出されたものだ。だからアンタは技術を磨くんだよ」
そう言い、少し大きめの石の中心を軽く突いた。再び崩れる石を見て、魔法剣士は目を丸くした。
「といっても、アンタはまず基礎体力をつけにゃならん。話はそれからだよ。アンタは身体も硬いようだし……。ちょっとそこの影から見てる奴」
近くの草むらからガサリと音がし、気まずそうな顔で出てきたのは舞手だ。頭に葉っぱがついているが、本人は気づいてすらいない。
「まいちゃん!?」
驚いた魔法剣士が駆け寄り、葉っぱを取ってやる。ロディアが意地の悪い笑みで舞手の頭に乗ると、いつもより軽やかに跳ねた。それを見ていた師匠殿は呆れた顔で腕組みし、盛大なため息をつく。
「アンタら仲良いねぇ。気になるなら素直に言えばいいだろうに」
「気になってねぇ」
「じゃなんでこんな場所にいたんだい。姉さん大好きなアンタがわざわざこっちに来るなんて、ひとつしか思い浮かばないんだけどねぇ」
「うるせぇ!」
口を開けば暴言ばかりだが、その顔が内心そうは思っていないことを表している。それもそうだ、奴だって強くなりたいのだから。自分をここまで育ててくれた、ただ一人の姉の為に。
「まぁ、なんでもいいけどね。アンタら、二人でストレッチから始めようか。身体が硬けりゃ何も出来やしないからね」
「はぁ!? なんでオレがこんなヘタレと」
「よろしく、まいちゃん! 二人でお姉さんの為に頑張ろうな!」
「姉貴を出すんじゃねぇ!」
かくして、この日から毎夜、魔法剣士の情けない悲鳴と、舞手の容赦ない暴言が、聖女の奏でる鼻歌に重なることになったのだ。