悔しさとみすぼらしさの話。
船内のある一室にて。
その暗き部屋の、その大きなソファへ座る男と、その男に膝枕をしてもらい横になっている女がいた。そう、あの双子の兄妹だ。
「お兄様お兄様」
「なんだい、愛しい愛しい妹よ」
妹は甘えた響きを含ませ兄を呼ぶ。兄は手を伸ばし、その自分と同じ顔を愛しそうに撫で、妹が何を言うのかを待つ。
まぁ、妹が何を言わんとしているかは、言葉などなくともわかるのだが。
「どうしてあの少年に乗船券を渡しましたの?」
「あぁあぁ、妹よ。その疑問はもっともだ。だが私はあの少年に用があったわけではないんだ」
妹は、自分の頬を撫でる兄の指へ自分の指を絡ませ、その指先へ口づけを落とした。
「あの少年の側に少女がいただろう?」
「えぇえぇ、気づいていましたわ! あの少女から私たちの友、“黒”の匂いがしたことを」
「あぁあぁ、そうだとも。黒は私たちの友。友の為に何かをするのは当たり前のことだろう?」
兄の言葉に、妹は「えぇえぇ」と興奮を隠せない様子で頷き、愛しき兄の体へと更に身を寄せた。それをしっかりと受け止め、絹のような髪を指で梳いてやりながら、
「私たち兄妹の唯一無二の友人であり、そして私たちの唯一の理解者」
「えぇえぇ、その通りですわ、お兄様。でも……」
と妹が髪を梳く手に触れた。その体が微かに震えていることに気づき、兄は安心させるようにその手を強く握り返してやった。
「可愛い妹よ。何も案ずることはない。この兄がいつでも側にいるではないか」
「えぇえぇ、わかっていますわ、お兄様。けれど感じるのです。黒の周囲を覆い尽くすような……」
その先を言わせぬように、兄は妹の唇に軽く指先で触れる。
「あぁあぁ、その名を口にしてはいけないよ。穢れた、忌まわしき、呪われた名を。それよりも、私たちの友を迎え入れる準備をしようじゃあないか」
「えぇえぇ、わかりましたわ。お兄様がそう言うのなら」
「だから今は」
「私たちだけの」
「「世界で」」
※
船の内装は、それはそれは立派なものだ。天井からぶら下がるシャンデリアには、煌めくほどの宝石が取り付けられ、壁にはどこかの風景を描いた絵画、床は真っ赤な絨毯と……まぁ、よくもこれだけ派手に出来たものだ。
「ようこそいらっしゃいました」
クルーが魔法剣士たちへ頭を下げ、それから先頭を歩き出す。それに従いながら、魔法剣士はその豪華な内装をまじまじと見つめていた。
「おいやめろ。お登りさんかよ」
「初めて見るんだから。いいじゃんいいじゃん」
舞手に横腹を突かれるが、恥ずかしさの欠片も見せずに、魔法剣士はキョロキョロと首を振り続ける。手を引かれる少女もまた、魔法剣士に習って辺りを見回している。
「こちら二つのお部屋が男性、こちらは女性のお客様のお部屋でございます。何か御用がございましたら、部屋内にある魔法石をお使いくださいませ」
軽く会釈をし、そうしてクルーの姿が見えなくなると。
「じゃ、とりあえず荷物を置いて」
「ま、待つんだ……」
死にかけのリーパーが、掠れた声で魔法剣士を呼び止める。ドアノブに手をかけたままの状態で、魔法剣士は戦士に背負われたままのリーパーを見上げた。
「ボ、ボクは、その子と一緒、の、部屋がいい……」
「……」
誰もが何かを言えるような空気ではない中、最初に吹き出したのはやはり舞手だ。
「ほほう。もやし、お前そういう趣味があんのかよ」
「キミと一緒に、するな……! ボクはただ心配だから」
「へぇ、心配、ねぇ」
お互い火花を散らすが、戦士に背負われたままでは、格好も示しもついたものではない。何より、またかと言いたげな戦士が憐れである。
「とりあえずさ、リーパーは自分で立てるようになってから言おう? さあさあ、荷物置いてこよー」
扉を開け、魔法剣士は戦士に入るよう示す。まだ何か言いたげなリーパーであったが、気分の悪いままでは抗うすべもなく。聖女と少女も荷物を置くのを待ってから、魔法剣士も自身の荷物を置きに部屋へと入った。
各々出てきたのを確認し、魔法剣士が「よし」と大きく頷いた。その際、通ったクルーにどれくらいで着くのかと聞けば、順調に行って一日らしい。
というのも、この海域はよく荒れることがあり、順調に船旅が進むほうが稀だと言う。だからこそ、海の中を進む乗り物“地下電車”を建設していたのだ。ちなみに海が荒れた場合だと三日ほどかかるらしい。
「あれ? リーパーは?」
気づいたように首を傾げる魔法剣士に、
「リーパー殿なら、あそこに」
と戦士が部屋の中を示した。珍しくベッドに寝転がり、背中を丸めて何やら唸っている。その人間よりも人間らしい仕草に、魔法剣士は笑いが込み上げてくるが、そこはなんとか抑え、
「じゃ、自由行動でいっか」
と手を打った。すかさず舞手が、ため息をつく。
「お前一人だと迷子になるんじゃねぇの」
「違いますぅ、皆が迷子になってるだけですぅ」
それは、遠回しに迷子になること前提で話しているようなものだが、魔法剣士は頑なに迷子とは認めたくないようだ。
「そんなに心配なら、まいちゃんも一緒に来ればいいじゃん」
「誰がお前なんかと」
「あらあら、いいわねぇ! じゃあ、お姉ちゃんはお料理堪能してこようかしら」
言うが早く、聖女は少女に「一緒に来る?」と目線を合わせ尋ねる。少女はちらりと部屋の中、そこで寝込むリーパーを心配そうに見つめ、ふるふると首を横に振った。
「ふふ、振られちゃったわ。リッちゃんが羨ましいわぁ」
「では姉上殿。俺がエスコート役を引き受けよう」
慣れた手つきで聖女の手を取り、戦士がゆったりと歩き出す。聖女もまた微笑み、首だけを後ろへ向けると、舞手に「またね」と軽く手を上げた。
「……行っちゃったよ?」
「あー。もういいんだよ。あとはおっさんの押し次第だろ」
「じゃ、僕らも探検しようよ」
魔法剣士は屈むと、未だリーパーを見つめる少女の頭に手をやった。肩がピクリと震え、その目が恐る恐る魔法剣士を捉えた。
「どうする? 一緒に来る?」
「あの……」
「ん?」
何を言おうとしているのかは、流石の魔法剣士でも察しがつくが、それでも少女が自らそれを言うのを待った。
「リーと、いる……!」
「そっかそっか。まいちゃーん、僕も振られちゃったから、一緒にいこーよー」
魔法剣士は少女の頭を撫でてやると、立ち上がり、面倒くさいと顔に書いてある舞手を振り返った。
「あ、でも」
いくらリーパーが信頼出来るとはいえ、今の状態では困ることもあるだろう。魔法剣士は懐に入ったままのロディアへ視線を落とし、
「ロディア。リーパーたちを頼める?」
とふわりと笑った。ロディアは「まかせるでち!」と懐から飛び出し、そのまま少女の頭へと華麗に着地を決めてみせた。
少女が頭に乗ったロディアと共に、嬉しそうにくるくると回る。それを眺める表情がよほど情けなかったのだろう、舞手は魔法剣士の耳を掴むと、そのまま強引に引きずりだした。
「待ってまいちゃん! 痛い痛い、なんで引っ張るの! てかまじで痛いよ!」
「うるせぇ、時間は限られてんだ。早く回りきって、オレらも姉貴たちと合流すんだよ」
「あああ、耳! 耳が取れた!」
「取れてねぇ!」
なんとも騒々しい二人を見送り、少女は再びリーパーへと視線を向けた。廊下側へ背中を向けているため顔色は見えないが、丸くなったままの背中からはいつもの覇気が感じられない。
「リー……」
弱々しい声に、ロディアが元気よく跳ね、頭から肩へと移動する。
「おみずあげてみるでち!」
「うん!」
かくして少女の“初めてのリーパー介護”が始まったのである。




