のら猫は今日も欠伸をする話。
街の中心地まで来ると、それなりに人通りが増えてくる。身なりのいい人間たちも、な。その賑やかな声の中。低い中年男の声に、魔法剣士は足を止めた。
「魔族は滅ぶべきなのです! 魔物も! もちろん穢れた血も! 人間こそが素晴らしく、尊い生命なのです!」
「……」
中年男の言葉に目を細めはするものの、魔法剣士はそれを止めようとはしなかった。いや、出来なかった。
強固な壁のように人集りがあり、集まっている奴らは総じて、男の言葉に頷いている。殺気立っていると言ってもいい。いくら魔法剣士が考えもなしに動く阿呆とはいえ、ここで出しゃばるような能無しではないということだ。
「だーりん……」
懐の奥に入ったままのロディアから、いつもよりか細い声が聞こえ、魔法剣士は安心させるように微笑みかけた。それにいくばか安堵したようだが、ロディアは顔を出すことはしない。
「早く宿を探そっか」
どうにも居心地が悪い。特に、中央で演説をする男からは、明らかな敵意を向けられている気がする。
「……そこの赤髪の少年、待ちなさい」
やはり見られていたようだ。
「……」
恐らく自分だろうが、関わりたくない魔法剣士は、無視するように通り過ぎようとする。が、行く手を阻むように人々が立ち塞がった。
「なんだお前ら、そこを」
「まいちゃん」
少女を背負ったままの舞手を諌め、魔法剣士は男を静かに振り返る。明らかに嫌そうに、な。
「無視しようとした僕が悪ったです。それで? なんの御用ですか」
いつもの能天気さはどこへやら。敬意の欠片も見られないそれに、しかし男は特に意に介した様子もなく、
「どうもこんにちは。ワタクシはとある団体の主でして。そうですね、協祖とでもお呼び下さい」
「……協祖様ですか。それはどうも」
男は、いや倣って“協祖”とでも呼ぼうか。協祖はその穏やかな、取ってつけたような笑みのまま、魔法剣士たちへと歩み寄ってくる。一定の距離を保ったまま立ち止まると、協祖は「ふむ」と顎に手をやり首を傾げた。
「少年、悪いことは言いません。お付き合いする種は選んだほうが身の為ですよ。幼き頃に言われませんでしたか? 友達は選びなさいと」
「さぁ? 覚えてないよ。あ、でもこうは言われたかな。“知らない人の言うことは聞いちゃいけません”ってね」
自分よりも背の高い協祖を真っ直ぐ見上げ、魔法剣士ははっきりと言い放った。周囲の殺気が魔法剣士へと向けられ、舞手と戦士もまた気を張り――
「ふふふ。気に入りました。それはそれとして、貴方がたはどうやってここにいらっしゃったのですか? “黄の国”からの航路はしばらく出ないと聞いていたのですが」
協祖の笑いに、周囲の殺気が引いた。だから魔法剣士もまた、二人に視線だけ送り、再び協祖を見上げる。
「そういうおじさんこそ、どうやって来たの? まさか泳いできたわけじゃないんでしょ」
「ワタクシは“赤の国”から航路で。といっても、もうすぐ地下電車が完成するので、廃航になるようですが」
「ふうん。ちなみに僕たちは“黄の国”から遠泳してきたよ。ま、おじさんには無理だろうけど」
そう魔法剣士が鼻を鳴らせば、協祖は面白いと言わんばかりに笑みを深くした。
「お時間を取らせてしまいましたね。ではまたどこかでお会いしましょう、勇気ある可哀相な少年よ」
「こちらこそ。ハリボテの協祖様」
それきり振り返ることなく歩き、協祖たちの姿が見えなくなった辺りで。
「あああああ……。ごわがっだぁぁあ」
と頭を抱えてしゃがみ込んだ。先程の姿とは違うそれに、舞手が思わず小さく吹き出した。
「お前、あのなぁ」
「ううっ、ごわい。でも、でも、嫌だったんだよぉ。あんなふうに言われるの、嫌だったんだよぉ」
「ったく」
舞手は少女を降ろしてから屈むと、魔法剣士の頭を軽く小突いた。魔法剣士は耐えきれずに舞手に抱きつき、
「ぐしゅー!」
「おいヘタレ! 鼻噛むな! ああ!?」
無理矢理魔法剣士を引き剥がすと、汚らしい鼻水が伸びていき、そして消えていった。
「ありがと、まいちゃん。すっきりしたよ!」
「オレは不愉快だ!」
「あ、ちょうどここ、ご飯屋さんっぽいよ。入ろうよ!」
「おい待て! これをなんとかしろ!」
舞手が止めるのも聞かず、魔法剣士は少女の手を引いて店へと入っていく。戦士が貸してくれた手拭いで鼻水を拭き取っていると、舞手は何かを凝視している聖女に気づいた。
「姉貴、何見てんだ?」
「んー? これよぉ」
聖女が指差したのは、壁に張られている一枚の紙切れだ。
「何々……“求ム。激☆炒飯挑戦者。完食すれば飲食代タダ”。ほぉ」
「ね。いいと思わない?」
お互いの顔を見、何かを企むように笑い合う姉弟。事情や二人の性格を知らなければ、美人な二人組に目を奪われるに違いない。だが戦士には、悪魔の笑顔に見えていた。
各々食べたいものを注文し、魔法剣士がロディアに食後のフルーツを切っていた時だ。店員が置いていった手書きの注文表を見ていた魔法剣士が、震える手で「ねぇ」と紙を舞手に差し出した。
「そういえば僕、お金のことなんにも考えてなかったんだけど、これって大丈夫なの?」
魔法剣士から紙を受け取り、舞手は上から順に文字を追っていく。品名がずらりと並び、一番下に書いてある合計金額はというと。
「へぇ、三万ルクね。ま、大丈夫だろ。安心しろって」
「で、でも……」
「大丈夫だ、オレを信じろって」
そう口の端を持ち上げられ、魔法剣士は安心したように胸を撫で下ろした。
「じゃ、心配ないね。あ、プリンふたつ追加で」
通り過ぎようとした店員に注文し、魔法剣士は満面の笑みで待ち人の到着を待つ。一応言っておくが、渦中の奴は、まさか食べ放題よろしく好き勝手に注文を通しているとは夢にも思うまい。
「姉貴、どうだ?」
「そろそろかしらねぇ。あ、来たわ!」
聖女が微笑み、立ち上がったのと同時だ、出入口の扉が開かれたのは。いつもの黒いローブ、白髪白目、筋肉とは無縁の体つき。
そう、この一行の最年長者、リーパーである。
「リッちゃん!」
聖女はすぐさまリーパーの元へ駆け寄り、その冷たい手を引きテーブルへと戻ってきた。
「あ、あの、これは……? 食事中だったのなら、ボクは適当に時間を潰すけど」
「お願い、皆を助けて? リッちゃんしか頼めないの」
「へ? あの、え?」
わけのわからないまま座らせられ、リーパーの前にコップ一杯の水が運ばれてくる。そうして聖女は店員に店主を呼んでもらうと、
「彼が挑戦者です。よろしくお願いしますね」
とリーパーの後ろに立ち、その両肩に手を置いた。店主は「ほう」とリーパーを品定めでもするようにじっくり眺め、
「そんな細っこい兄さんがねぇ」
と明らかに馬鹿にするように鼻を鳴らす。聖女は「あら」とその目を細め、挑発し返すように店主を下から鋭く見つめる。
「見た目で侮ってはいけませんよ。何せ彼は、深き闇を操り、その底へと全て溶かしてしまうのですから」
「ほほう、底なし沼ってわけかい! いいだろう、待ってな」
にやにやする店主が厨房へ消えると、周囲で話を聞いていたらしい客たちが一気に騒ぎ始めた。
「あれに挑戦する猛者だぞ! 賭けだ賭け!」
「失敗したらあいつら好きにしていいんだろうな!?」
「おいもっと酒持ってこい、酒!」
増えだす観衆を他所に、当の本人は理解が追いつかず、ただただ呆然とするしかない。戦士が呟いた、
「リーパー殿、頼んだぞ」
の声は悲しいかな、久方ぶりのお祭り騒ぎの前では、誰にも届きはしなかった。




