げ、と言うには早い話。
「いやぁ、本当に悪いねぇ」
町の宿の一室にて、鍛え抜いた体つきの女性が、頭を掻きながら苦笑いをした。格好からするに冒険者なのだろう。健康的に焼かれた褐色の肌が、彼女は熟練の冒険者だと語っている。
「いいえ、こちらも悪いことをしましたし。お気になさらず」
「僕が言うセリフだよね、それ」
部屋の隅で身体を拭きながら、魔法剣士がため息をついた。ちらりとベッドに視線をやれば、あいも変わらず足元ばかり見ている少女。
「アンタたち、見たところ冒険者のようだけど、こんな町になんの用だい?」
「まいちゃんのお祝いをしに」
「姉貴!」
「あらあら、恥ずかしがらなくてもいいのよ? 反抗期は皆が通る道なんだから」
もう好きにしてくれと、舞手は肩を落とした。元々姉に口では勝てないのだ、だからといって、腕っぷしで適うかといえば、まぁ知っての通りだな。
「オレらより、お前らはなんの用だ? どう見ても親子じゃねぇ。しかも姉貴に言わせると、そのチビ、呪いをかけられているときた。何が目的だ」
舞手は冒険者を睨むが、如何せん頭に乗ったままのフワリンのせいで、凄みも何もあったものではない。しかし女冒険者は気にも留めることなく、むしろ舞手を睨み返す。
「アンタが悪い奴じゃないのはよくわかる。だけど、おいそれと事情を話せるほど、信用はしちゃいない」
「あぁそうかよ。宿代は有り難く受け取っとく、早く出ていけ」
「もちろんそのつもりさ」
火花が走る二人を横目に、身体を拭き終わった魔法剣士がどかりと少女の隣に腰を降ろした。反動でスプリングが軋み、微かに少女の身体が浮く。
「まいちゃん、誰にでも喧嘩はよくない。せめて僕だけにしようよ」
「弱っちいお前をのして何の意味があるんだ」
「誰も傷つかないよ。まいちゃんが嫌な目で見られることも無くなるし」
そう言って、魔法剣士はへにゃりと頬を緩めた。
その笑顔に呆れたのか、舞手はため息をつくと、女冒険者に「悪かったな」と小さく吐き捨てた。女冒険者もまた「いや、こちらこそ」と言うと、少女に視線を移す。
「……この子の両親が事切れる寸前に丁度出会ってね。託されたのさ。アタシと会った時にはあの状態さ」
あの、というのは、この微動だにしない状態のことだろう。何も瞳に映そうとせず、動くことすらしない余りにも不幸な結末だ。
「んで? 心の傷でも癒しに来たのか?」
「アンタが元から口が悪いことはわかったよ。全く、そこのガキんちょに感謝しな。アンタの腕一本や二本、折ってやってもいいんだからね」
「それはどうも」
本当に誰にでも喧嘩を売る奴だ。だがまぁ、こいつと姉の素性のことを思えば、喧嘩腰になるのも仕方のないことだ。また機会があれば話をしてやろう。
魔法剣士は隣の少女に視線をやり、その頭に手を置いた。撫でるとサラサラと砂のように零れる髪が、触っていて妙に心地がいい。それに身じろぐでもない少女を見ていると、なんとも言えぬ虚しさを感じるのもまた、事実である。
そんな二人をちらりと見て苦笑いすると、女冒険者は「ところで」と聖女に視線を移す。聖女もまた「なんでしょう?」と首を傾げてみせた。
「アンタ、相当熟練の僧侶様だとお見受けするが、この子が呪いを受けているってのは本当かい?」
「えぇえぇ。でも古い呪法を用いられていて、簡単には解けそうにないわ」
「古い呪法だって?」
女冒険者の言葉に「えぇ」と聖女は笑い、少女の隣に腰を下ろした。そしてその手を優しく取る。
「長く生きるという森妖精なら知っているかもしれないわ。彼らは魔法に関して随一の知識を持っているから」
「そうかい。やっぱりこの国に来て正解だったようだね。感謝するよ」
「お役に立てたようなら、お姉ちゃん嬉しいわ」
ふわりと笑ってから、聖女は手を離した。
「……あ、あのさ!」
「ん?」
それまで黙っていた魔法剣士が、何か思いついたように女冒険者を見上げる。その目を見て、嫌な予感がよぎったのは舞手だ。
「その森妖精がどこにいるか知ってる?」
「いや、今から探そうかと思ってるが……」
「僕たちも探すよ!」
「おい」
やはりというべきか。舞手は魔法剣士に近づくと、いつも通り胸ぐらを掴んで無理矢理立たせた。
「何勝手に決めてんだ。つうか、お前オレらの目的も知らねぇくせになんでも首を突っ込むんじゃねぇ」
「そ、それはまいちゃんが話してくれないし。僕も聞いちゃ駄目かなって気を使ってたし……」
「お前みたいな奴に気を使われると気持ち悪いんだよ!」
「あわわわわ」
「だーりん!」
頭をガクガクと力任せに振られて、魔法剣士の視界が揺れる。舞手の上に乗ったままのフワリンが抗議するが、こんなフワフワした抗議が効くはずもない。
そしてそれを止めるわけでもなく、聖女は「いいじゃない!」と手を叩いた。予想外の答えに、舞手が魔法剣士を床へ突き飛ばして姉に詰め寄った。
「姉貴!」
「急ぐ旅じゃないんだし、それにこの子、放っておけないでしょう?」
「急ぐ急がないの問題じゃねぇだろ!」
「あぁ、大丈夫よ、まいちゃん。ちゃんとお祝いはするからね」
「そうじゃねぇ!」
話の通じない姉に頭を抱えるが、これはもう一緒に行動するのが決まったようなものだ。以前から、姉の突拍子もない言動には頭を悩ませていたが、この魔法剣士が加わってから更に拍車がかかっている。
「あー、で? 一緒に来てくれるんだね?」
「はい! 問題ありません!」
「話を聞け!」
「よかったわねぇ、まいちゃん。お友達増えたわねぇ」
話がまとまったのかは定かではないが、まぁ、なんだかんだでこの舞手は連れて行かれるのだ。この頼りない魔法剣士に、今も。そしてこの先も、な。
情報収集がてら、魔法剣士はフワリンを連れて町を出歩くことにした。
頭の上から「だーりん」と聞こえ、魔法剣士は「ん?」と視線を上に向ける。
「わたち、だーりんとでーとできるなんて、ゆめみたいでち」
「デート? デートかぁ……」
せめて初デートくらい人間の女の子としたかったなどと言うのは呑み込んで、魔法剣士は苦笑いを浮かべた。
「わたちじゃふまんでち?」
「あああああ、違う違う。ほら、僕は誰かと出歩いたことないからさ。何すれば喜んでくれるかとか、何を話せばいいのかとか。はぁ、全然駄目だなぁ……」
村には同じ年頃の女性はいなかったし、いやいたのだが、皆働きに出てしまって、たまに帰ってくるくらいでしか知らない。そしてこの魔法剣士、女性を意識した瞬間、何も話せなくなってしまうのだ。
「じゃ、だーりんがいきたいとこいくでち」
「僕の?」
「わたちはだーりんといっちょなら、どこでもいいんでち。おいちいものも、たかいものも、ひちゅようないでち」
「僕と一緒なら……」
魔法剣士は黙り込み、そして頭に手を伸ばしてフワリンを優しく手の平へ乗せた。
先ほどはなんと失礼なことを考えたのだろうか。こんなにも、こいつのことを考え、一緒にいると言ってくれた“彼女”を、人間ではないからと否定しかかった自分を殴りたくなったほどだ。
「……ロディア」
「ろでぃ……? それって」
「君の名前さ。可愛く、ない、かな?」
照れたように笑う魔法剣士に、フワリンは目を大きく見開き、そしてみるみるうちに涙を溜めていく。
「え! 何? 気に入らなかった? え、センスなくてごめん!」
慌てだす魔法剣士に、フワリンは「ちがうでち」と精一杯体を左右に振って否定をする。
「うれちいのでち。だーりん、ありがとうでち!」
フワリン、いや以後はロディアと呼ぼうか。ロディアは魔法剣士の肩に跳ねると、頬に体を擦り寄せた。そのフワフワした毛並みに多少のくすぐったさを感じつつも、魔法剣士は嬉しそうに笑っていた。