れいど以下の話。
「月牙」
舞手の動きに合わせ、蔦が瞬く間に凍りついていく。その煌めく美しさとは反対に、床へ湧き出る茶色の液体はどろりとしており、なんとも気味が悪い。
「うおォオオ!」
戦士が斧を払うたびに発火し、それらは蔦を容赦なく焼き払っていくが、そもそもとしての量が多い。こうして耐えられるのも、時間の問題だろう。
「おっさん! まだイケるか!?」
「義弟に心配されるほど、まだ老いてはおらん!」
「はんっ、言うじゃねぇか」
再びステップを踏みながら、舞手は視線だけでロディアを探す。視界の端でピンクの毛玉が跳ねるのが見え、舞手は更に強く扇を振った。
魔法石を聖女の近くへ投げるという選択肢もあった。しかしそれをするには、蔦に邪魔をされる可能性、聖女がそれを受け取れるだけの余力が残っているかなど、確実に渡せれるか自信はなかった。
そんな考えを払うように、舞手はまた力強く踏み出し、扇を軽やかに指先で操る。
「桜唄」
天井を埋め尽くすほどの蔦を、花びらが鮮やかに舞い、切り落としていく。その中を戦士が駆け、切り落とされた蔦を灰に還していく。
あと少し、あと少しでロディアが聖女の元へ着くという時だ。
「きゃーでちー!」
ロディアに気づいたらしい蔦が、ねじるようにまとまっていき、その先端を尖らせた。もちろん舞手は「風雅」とその蔦へ技を出すが、庇うように他の蔦がその軌道を塞ぎ、ロディアを狙う蔦まで技が届かない。
「ロディア! もういい! 戻ってこい!」
他の技も繰り出すが、どうやっても届かない。その尖った何本かの蔦がロディアへ向かって伸ばされた時だ。
「ばかにするなでちー!」
ロディアは頭に乗せた石を、力の限り聖女へ向かって放り投げた。蔦はそのままロディアへ向かい、床にいくつも突き刺さっていく。反動で土埃が起き、舞手たちからロディアの姿がよく見えない。
「ロディア!」
「ロディア殿!」
蔦を迎え撃ちつつ、二人はロディアの名を叫ぶ。その声に返事がないことに、嫌な予感が舞手の頭の中を過ぎる。
「ま、まい、たん……」
「無事か、ロディア!」
か細いが、確かに聞こえたそれに、舞手が土埃の中目を凝らした。土埃が晴れ、視界がしっかりしてくると、奇跡的に串刺しを免れた格好のロディアが転がっていた。致命傷ではないが、微かに掠ったのか、ふわふわの毛はしっとりと血に濡れている。
ロディアも心配ではあるが、必死で投げた石はどこに行ったのか。聖女を見れば、手を伸ばせば届く距離に、それは転がっていた。
「姉貴! 起きてくれ!」
その指先が一瞬動き、何かを探るように手を伸ばす。
「姉上殿!」
蔦を何本か切り落とした戦士もまた、声を張り上げた。だがその隙を逃さず、蔦が持つ手を叩き、その反動で斧を落としてしまう。
「チィッ」
斧を拾う間も惜しいのか、戦士が聖女へ走り出すが、迫りくる蔦を引き千切るのに手を取られてしまう。舞手もロディアと自身への蔦の処理で手が回らない。
と、その時だ。
聖女が魔法石に触れた瞬間、床を埋め尽くすほどの花が咲き乱れたのは。
「これは幻覚か!?」
「いやちげぇ、本物だ……!」
ピンク色のそれは、腐蝕が聖女に見せた高貴な白そのものだった。そしてその花に惹かれるようにして、淡い光が集まりだす。
「奇跡の光よ……。淡い灯火、固い絆、強き心。それらを繋ぎ合わせ、言の葉に紡げ。あなたを守りたい」
ぽつりぽつりと、聖女の口から零れる言葉に呼応するかのように、その光はひとつひとつ人型へと形を変えていく。それらはかつて、この地で生きていた一族だと理解するのに時間はかからなかった。
「これは……、死者を具現化、している、のか?」
「恐らくな。だがこれは“壱の座”にしか使えねぇはずだ。とにかく、姉貴が心配だ……!」
舞手が聖女の元へ駆け寄る。その身体を起こしてやれば、やはりというべきか。人とは思えないほどに冷え切っていた。
続いて戦士が、道中拾い上げた斧を背中へ担ぎ、ロディアを懐へ優しく入れる。屈んで聖女を横抱きにし立ち上がると、舞手に「行くぞ」と声をかけたところで。
死者たちが、何かに祈るように手を組み、瞳を閉じた。それに呼応し、花から無数の光が登っていき、それらは蔦を優しく照らしていく。
「アアアアア!」
「な、なんだ!?」
建物全体が揺れだし、天井から破片がいくつか降ってくる。舞手はそれを避け、戦士は聖女に被さるようにして凌ぐ。戦士の額から血が滴り、それは聖女の顔へと落ち、口内に入ってしまったのだが、それがどういう意味か。
後になれば、まぁわかることだ。
揺れが収まったことで、舞手は辺りを見回し、そして気づく。
「蔦が……、消えていく?」
花から溢れた光が蔦に触れるたび、あれほど湧いて出てきた蔦が、腐ることもなく、その存在が無くなっていく。床に広がっていた茶色の液体もその姿を消し、後に残ったのは壊れた椅子や台座のみとなった頃。
「ヒッ、ヒヒッ」
半分にされたまま動くことのなかった腐蝕が、自身の身体に蔦を巻きつけると、半ば無理矢理にひとつへと戻した。再生する様子は見られないが、その異様とも言える光景に、舞手は再び扇を構えた。
「雑魚め……。魔法力を捨てたのは、この為だったのかよぉ」
ほぼほぼ消滅した蔦と同時に、死者たちもその姿を消していく。残ったのは、気味悪く笑う腐蝕、それから体力のすり減った舞手たち、それから、僅かながらの花だけだ。
「えぇ……。どう、ですか。切り札の、お味、は……?」
戦士の腕に抱かれた聖女が、その口元を緩めた。
「その代償が自分の命たぁ、なんつう雑魚だ。でもやっぱ、雑魚は雑魚なんだよなぁ。もう誰にも俺は止められ……!?」
余裕そうな笑みから一転、腐蝕は蔦で自身を守るように囲んだ。通路の奥から走る炎が腐蝕に当たるが、それは燃えることなく弾け飛んでいく。
「皆! 大丈夫!?」
「……ったく。ヘタレ、どこ行ってたんだっつの」
通路から駆けてきたのは魔法剣士だ。その手に少女が抱かれていないことに気づき、舞手が顔をしかめた。
「チビは?」
「リーパーに預けてある! 僕は皆を助けようと先に来たんだ!」
その手には剣も何も握られていない。だが、魔法剣士が右手に発した炎を見、舞手が「ほう」とにやりと笑った。
「ちったぁマシになってるようだな」
「付け焼き刃程度だけどね。ここを出たらリーパーが教えてくれるってさ」
「はぁ? あぁ、だから雪降ってんのか」
「それとこれとは関係なくない?」
いつものように軽口を叩きあうが、その視線は腐蝕から外されることはない。弱々しい赤い閃が走り、ふたつの身体が再生していく様に、魔法剣士は「やっぱり」と頬を緩めた。
「腐蝕、だっけ? だいぶん再生するのが遅いみたいだけど、大事なものはちゃんと隠しといたほうがいいよ」
「なんだと、雑魚が! 第一、普通の人間に俺らの魔法石を壊せるはずも、触れるはずもねぇ!」
叫ぶような腐蝕に対し、魔法剣士は至って冷静に、そして右手の炎を強めつつ、
「もしそうなんだとしても、僕はなんとしても壊すし、彼女たちを解放してみせるよ」
と迷うことなく右手を薙ぎ払った。炎の刃に似たそれを腐蝕はかわすと、悔しげに歯軋りをした。
「チッ、狂ってる……! 狂ってやがんだよ! お前も! 俺も! あいつ、も……あいつ、も?」
腐蝕の頭の中を過ぎったのは、一体誰だったのか。そうして一瞬動きが鈍ったのを魔法剣士は見逃さず、
「燃えろ!」
と両手を床へつき、声の限りに叫んだ。
途端に腐蝕の立っている場所から炎の柱が上がり、それは奴の身体を火炙りにしていく。炎の中から上がる叫び声に、顔をしかめる者など、ここには誰一人としていないのもまた、滑稽なものだな。