入っては、また、入っていく話。
土色の肌、生気の無くなった青い髪。一見すれば死んでいるように見えるが、微かに上下する胸が、まだ聖女が生きていることを表していた。
「おい雑魚! 何しやがったんだ!」
腐蝕が聖女の胸ぐらを掴み、無理矢理起こすと乱暴に揺する。それにすら反応することなく、聖女はされるがままに揺さぶられる。しかし何も言わない聖女に痺れを切らした腐蝕が、台座から聖女を振り落とした。
「折角、折角この俺が! 使い道のない雑魚を使ってやろうと思ってたのによ!」
「……」
その醜い様を視界の端で捉えながら、聖女は成功して良かったと胸を撫で下ろした。
魔法力をこの男に渡すわけにはいかない。それこそ根こそぎ奪われるのは目に見え、例え生かされたとして、また魔法力が回復した頃に奪われるのがオチだろう。
ならば。
そんなもの、自分から捨ててしまおうと考えた。その放出する際に発した力は、仲間にも見えただろうか。
生命を絶やさない程度には力を残したが、この様子だとそれもすぐに奪われそうだ。まぁ、こんなカスほどの力など奪ったところで、この醜い男にはなんの足しにもならないだろうが。
「あー。でもまだ生きてんのか。なら、やることはひとつ、だよなぁ? 動けねぇなら尚更好都合だ」
しかしそれはそれとして。
好きなように辱められるのは気に食わない。だから聖女は、せめてもの反抗にと、近寄るなと言わんばかりに睨みつけてやった。
「なんだなんだ、雑魚が。どうしようも出来ねぇくせに、いっちょ前に反抗すんのかぁ? ま、もうどうにもならねぇけどな」
腐蝕が舌舐めずりをし、床へ転がったままの聖女の身体を見やる。物色するようなそれを耐え、聖女は細く息を吐き、それから絞り出すように喉を震わせた。
「せめ、て……」
「なんだ女ぁ」
「貴方、の、目的を……教えて、頂けません、か?」
正直話すのも辛いが、それでも最後まで足掻きたい。これは聖女の意地だ。
「あぁん? なんで雑魚に」
「どうせ死ぬのなら……、構わないと、思いませ、んか……?」
「ふぅん」
こんなのはただの時間稼ぎだ。だが、この腐蝕という男は阿呆でな。気が強く見えた聖女の乞いに気を良くしたのか、先ほどまで聖女を横たわらせていた台座へ座ると足を組んだ。
「まぁ、いい。俺は花を探しに来たのさ」
「は、な……?」
「あぁ」
腐蝕が指を鳴らす。それに呼応するように、蔦が床から生えてくると、その先端にピンクの花を咲かせた。まるで絹のような柔らかさを纏ったその花は、高貴な白と呼ばれる花に似ているが、そもそも色が違う。
しかしそれはすぐに腐り落ち、可憐な花はその姿を失くしてしまう。腐蝕は自嘲気味に笑い、
「これは俺が似せて作った贋作だが、実際にこの花は存在する。結界が無くなったと聞いて来てみたんだが……。ま、この有り様ってわけだ」
と蔦を腐らせ、首を横に振った。
「なぜ、花を……」
それは至極当然の疑問だった。しかし腐蝕は酷く顔を歪め、そしてこめかみ辺りを押さえると、小さく項垂れた。
「なぜ……。なぜって、それは……っ」
その顔は痛みに歪んでいるが、しかしすぐに腐蝕は頭を振り、呼吸を何回かすると「雑魚には関係ねぇ」と台座から降りる。
「さ、これでいいだろ。大人しく食われな」
聖女の身体に蔦が纏わりつき、両手を頭の上で縛ると、腐蝕と同じ高さになるように持ち上げた。植物とは思えない力に、今の聖女には為す術もない。
骨のような細い指先が聖女の頬を撫で、その首筋へと顔を寄せていく。これ以上はどうしようもないと、聖女は静かに目を閉じ――
舞手たちが辿り着いた先。少し広いその場所は、まだ里が生きていた頃、住人が祈りを捧げる為に集まっていた広間だった。
室内だというのに、そこには美しい花が年中咲き乱れ、その花によって、この里は守られてきた、と言っても過言ではないだろう。まぁ、今はそんな花など枯れ果て、その後のことは語るまでもないか。
その広間の奥。蔦や繭によって侵食された長椅子が並び、それらの前に置かれた台座へ腰掛けているのは腐蝕だ。その足元に転がる聖女の身体が視界に入り、舞手が身体を震わせた。
「姉貴に……!」
「落ち着け」
飛び出そうとした舞手の腕を掴み、戦士が静かに腐蝕を見据える。怒りと焦りから舞手はその手を払おうとするが、戦士の瞳もまた怒りで満ちていることに気づく。舞手は深く息をひとつ吸うと、
「わりぃ」
と扇をその手に握り直した。それを見た戦士も腕を離し、
「いや、よく耐えてくれた」
と斧を構える。
そんな二人を小馬鹿にしたように見ていた腐蝕が、ふわりと身軽な動きで床へと降り立った。
「よぉおお、雑魚共。今日はどうやらツイてる日みてぇだ。弐の座の聖女に、それから奇跡の生き残りのガキんちょ、更には舞いの女ときた。邪魔な妖精王はまだ来れそうにねぇし、あとは……」
腐蝕は戦士を見、それから両手を上げるとさも興味が無さそうに「あー、混ざりもんかよ」と舌打ちをした。
「混ざりものだと侮っていると、貴様が痛い目を見ることになるがよろしいか」
「ほぉん。混ざりもんは混ざりもんでも、人間寄りたぁ珍しい。どぉだ、人間は。さぞかし“可愛がられた”んじゃねぇのか?」
なんともねちっこい言い方に、舞手が「はんっ」と鼻で笑う。そして扇を華麗に広げ、腰を低くした。
「自己紹介、ご苦労さん。お前もさぞかし“可愛がられた”部類のようだな、イキり野郎。行くぜ、蝶香」
舞手が広げた扇を華麗に振り、タンタンと軽くステップを踏む。七色の蝶が飛び交うその幻想的な光景は、普通の人間ならば見惚れるのだろうが、生憎相手は腐っていても“始祖”と呼ばれる四天王の一人だ。
いくら舞手が幻覚を魅せたとて、それに惑わされるほど阿呆でもない。腐蝕は煩わしそうに蝶たちを見、呆れたようにため息を吐いた。
「雑魚は所詮、雑魚だなぁ。こんなもんが始祖様に聞くかよ、ぶぁあか」
「では力業でいかせてもらおう」
「あ?」
戦士が蝶に紛れ腐蝕の懐まで潜り込むと、そのまま手にした斧を下から上へと振り上げた。股から頭まで綺麗に真っ二つにされ、腐蝕が左右へそれぞれ倒れていく。
「やったか!?」
「いや、リーパー殿と同じならば、大なり小なり再生するだろう。とりあえず姉上殿を保護して……」
「おっさん後ろだ!」
舞手に言われ、戦士が振り返った刹那、蔦が首へと巻きついた。それはギリギリと締め上げ、戦士の口から小さな息が漏れていく。
「ちっ、風雅!」
扇から発した風が蔦を切り刻む。蔦が緩んだのを見計らい、戦士が蔦を力ずくで引き剥がした。
腐蝕が何かしているのかと見るが、変わらず二つに分かれたままだ。その断面はひくひくと気味悪く動いてはいるが、な。
「再生してるわけじゃねぇ。けど死んでもいねぇ。どういうことだ……」
たじろぐ舞手とは反対に、ちぎり落とした蔦を見ていた戦士が、何かに気づいたように顔を上げる。辺りを、というよりも、建物自体を見回し「そういうことか」と歯軋りをした。
「義弟よ。一刻も早くここを出るぞ」
「姉貴はどうすんだ!」
「もちろん連れて帰る。これを!」
戦士が舞手に投げたのは、ロディアよりも少し小さな魔法石だ。ただ、始祖たちが持つような立派なものではない。そこらに売られているような、いや、それよりかも遥かに雑な造りのものだがな。
それを受け取った舞手が「おっさん!?」と叫ぶのと、再び無数の蔦が伸びてくるのはほぼ同時だった。雄叫びを上げつつ蔦を切る様は、なんとも勇ましく、そしてなんとも、人間離れしていることか。
「早く行けェ! ヤツは、腐蝕はこの蔦そのものだ! もたもたしてっと、建物ごと巻かれちまうぞォッ! 俺はなァ、家族の悲しむ表情なんて見たくねェんだよォ!」
戦士の赤い目が、急げと舞手に訴えかけている。だから舞手は、口角を微かに上げてみせた。
「はっ、かっこいいじゃねぇか。なぁ、兄貴」
「貴公……」
「おい、ロディア」
舞手が肩に乗るロディアに、視線をやらずに声をかけた。
「まいたん……?」
ロディアもまた、真剣な面持ちでちらりと舞手を見る。
「オレとおっさんで隙を作る。その間に石を姉貴に渡してくれ」
「まほうせきでち? でも……」
「オレは出来ねぇ奴に頼みはしねぇ。な? 出来るだろ?」
「まいたん……」
丸い目が大きく見開かれ、しかしすぐに覚悟を決めたように舞手をしっかりと見据えた。その目にもう迷いは見られない。
「まかされたでち!」
「よし行け!」
舞手の声と共に、ロディアは舞手の手へと跳ねると、魔法石に体当たりをし床へと落とす。続けて自分もその下になるように素早く落ちると、華麗に頭で魔法石を受け止めてみせる。
予想外の動きに舞手が一瞬苦笑した。しかしすぐに扇をくるりと回し構え直すと、戦士の援護をすべく舞いだした。




