をし彼の人へ捧ぐ話。
雪女は、魔法剣士の手をしばし見つめていた。それはまるで時が止まったかのようで、懐かしい昔に想いを馳せるには十分な時間だった。
もう思い出すのも困難なほどだ。
まだ生まれたばかりの自分たちが、よく人間のことも知らず、魔族に見世物や食物として飼われていた時代。ある日あの白き王がやって来た。
奴は「自分のせいだ」と言い、魔族に飼われていた自分たち雪妖精、花妖精、森妖精、他の妖精たちを解放してくれたのだ。
あれからどれだけの年月が過ぎたのか、今ではもうわからない。それでも確かなのは、魔法剣士が差し出したこの手が、あの日の白き王と同じなこと。
「妖精王……」
その手を掴もうと伸ばし、しかし急に頭に走った痛みに雪女は手を引っ込めた。
「ぅ……ァァァ、あいつ、まさか……!」
「頭痛いの? 大丈夫!?」
苦しみだした雪女は、ふらふらと頼りない足取りで魔法剣士から離れると、そのまましゃがみ込んだ。わけもわからず、魔法剣士が手を伸ばしそれを心配そうに見つめていると。
雪女の頭から、毒々しい色の花が生えてきたのだ。
「は、花!? なんで……」
その花は雪女の力を吸い取るように巨大化し、そこから大量の花粉を撒き散らし始めた。
「待って僕花粉症なの! 折角雪国で大丈夫だと思ってたのに!」
そう喚きながらも、魔法剣士は花をなんとかしようと手をかけ――そして気づく。
「これ、頭の中から……?」
なんという卑劣極まりないことか。雪女の頭の中、つまりは脳髄に根を張り、そして美しい花を咲かせたこれは、最早雪女と一体化しているとは。
「あいつ、あいつ……、こんなことを君にしたのか!?」
「アァ……、人間、憎い、憎イ!」
血走ったような目は正気の欠片すら見えない。それでも魔法剣士は臆することなく、その花を引っ掴み、どうにか出来ないかと接合部分を見る。
「そんな……」
当たり前だが、頭蓋を破り咲かせた花だ。簡単に抜けそうにないことなど、馬鹿な魔法剣士でもすぐにわかった。
「なら……、燃えろ!」
魔法剣士の言葉に反応し、掴んだ手から炎が湧き上がる。それは低級魔法“火炎”と同等の威力しかなかったが、花を焼くならそれだけで十分なはずだった。
しかし、花が燃え始めた途端、それは視界が霞むほどの花粉を撒き散らし始めた。それを吸い込んだ魔法剣士は咳込み、すぐにそれがただの花粉でないことに気づく。
「げほっ、なんだこれ……。手足、が、痺れて……?」
そのまま膝をつく魔法剣士とは逆に、雪女はおぼつかない足取りで立ち上がると、
「ァ、アァ、腐蝕様……。私ハ、貴方の、奴隷、デス」
「何言って……」
視点の定まっていない目はどこか遠くを見つめ、雪女はその先にまるで何かがいるように手を伸ばしている。
「まさか、四天王のあいつに? 駄目だ、雪女! 君の敬愛する彼はそいつじゃない!」
「あ、アァ、ああああ!」
悲痛な声と共に、雪女の周囲に氷の粒が舞いだした。その切っ先は鋭く、貫かれれば怪我では済まないだろう。しかし今の魔法剣士は動くことは出来ず、それでもなんとか魔法を使おうと雪女に手を向け、
「たす、けて……」
と雪女の頬を涙が伝うのを見、魔法を使うのを躊躇ってしまった。だから魔法剣士は近づき、その花を躊躇いなく掴むと、
「ちょっと痛いけど我慢して! こんのぉおおお!」
と力任せに引っ張った。花を掴んだ魔法剣士の手が爛れる。しかしそれに臆することなく引っ張り、
「おりゃあ!」
ぶちり。と嫌な音と共に花が抜けた。反動で尻もちをついた魔法剣士の手から、花が腐り落ちていく。
一応言っておくが、普通の人間なら抜くことはおろか、あの痛みの前では掴み続けることすら出来ない。
「ああああ! ァァァアア!」
「あわわ、やっぱマズかった!?」
雪女が手を振り、氷の粒を魔法剣士へと飛ばす。目の前に迫るそれに、魔法剣士が自身を庇おうと手を突き出したところで。
「無事かい?」
「リーパー……?」
魔法剣士を守るように雪女に背を向け、呆れた笑いを向けてくるリーパー。その手には、すやすやと眠る少女が抱かれている。
「リーパー! 本物!?」
「キミはボクの偽物を見たことがあるのかい?」
「なかった!」
「じゃ、本物だね」
柔らかい笑みを見せたリーパーは、魔法剣士に少女を預け、雪女へと向き直る。まだ痺れは残っているものの、持てないほどではない。
その際に見えたリーパーの背に、無数の氷が刺さっているのが見え、魔法剣士は「ごめん」と小さく項垂れた。
「何を謝る必要があるんだい? キミは何もしなかった愚か者ではなかっただろう? 自らの力で抗い、自らの意思で決め、自らの足で進んできたのだから。むしろ謝るのはボクのほうだ……」
「リーパー、それって」
魔法剣士の言葉を遮るように、雪女が甲高い悲鳴にも近い声を上げる。肌で感じるそれに、魔法剣士は反射的に少女をしっかりと抱きしめた。
「とりあえず、先に彼女を消してしまおうか。あのままではキミと話も出来ないからね」
そう言ったリーパーが、左手で円を描き、白薔薇のついた鎌を取り出した。草刈りが似合いそうだとは言ったが、そういう意味ではないと伝えたく、魔法剣士が「待って!」と声を荒げた。
「確かに今は雪女だけど、あのムカつく四天王になんかされちゃったみたいだけど、今は、今は見逃してあげて」
「……キミは、優しいんだね」
その声色はぞくりとするほど冷たく、しかし同時にとても淋しい響きが含まれており、魔法剣士はリーパーに“それ”をさせてはならないと、手を伸ばしたのだが。
「ヒヒッ、ヒッ。妖精王様は、優しいのねぇ」
先ほどとは様子の変わった雪女を見て、リーパーの目が細められた。
「ボクはどうやらキミに相当嫌われているようだ。それこそ直接話したくないほどに」
「言ってろ言ってろ、雑魚っカス。船をなんとかするのと、ここに来るのに魔法力を使い切った妖精王様なんか、目じゃねぇからなぁ」
気味悪く笑う雪女に、リーパーが容赦なく鎌を振る。しかし雪女は何かに操られているかのように鎌をよけ、再び頭から花を咲かす。
花は巨大化し雪女の身体を呑み込んでいく。その際の「妖精王……」という小さな呟きと、ふわりと笑ったあの顔は、雪女だったのか。それとも雪妖精だったのか。
何も残ってなどいない跡を見つめ、魔法剣士は「くそう、くそぅ……」と涙を零すしかなかった。
「……くっ」
小さな呻き声と共に、リーパーが膝をついた。魔法剣士は慌てて駆け寄ろうとするが、やはりまだ痺れが抜けきっておらず、足がもつれ倒れてしまう。それでも少女を庇うのだから大したものだ。
「リーパー、大丈夫!?」
「キミは自分の状態を確認してから言ったほうがいい」
「え? あ、そっか!」
魔法剣士は笑ってみせ、それからなんとか体を引きずりながらリーパーの隣へ並ぶと、改めて奴の顔を覗き込んだ。
最初会った時のように顔色は悪く、心なしか息も荒い気がする。魔法剣士は少し考えると、自身の爛れ血で濡れた手を見つめる。
「はい。僕のでいいかわかんないけど」
「気を使わなくて構わない。第一、キミがボクにそこまでする必要がないだろう」
「んー、必要かぁ」
魔法剣士は困ったように笑い、それからリーパーを真っ直ぐ見つめる。
「なら、なんで君はあの時助けてくれたの?」
「あの時って、魔法船のことなら……」
魔法剣士は「違うよ」と首を横に振り、膝枕で寝ている少女の頭を優しく撫でる。
「最初に会った時。僕らのこと、よく知らなかったのに、なんでそこまでする必要があったの?」
「それ、は……」
「雪女が言ってた。リーパーは僕らと流れる時間が違うって。だから自分がリーパーといるんだって。でも、僕、思ったんだよね」
懐かしそうに細められた目は、あの日を思い出すかのようだ。
「君が本当に僕らと関わりたくないなら、いつでもそれは出来た。なのに助けてくれて、一緒に来てくれた。だから今思ったんだけど」
「……うん」
「本当はさ、リーパー、淋しかったんでしょ! 本当に独りでいたいなら、関わってこようとしないよ。雪女だってそう。淋しいから、誰かといたいから、ああやってぶつけちゃうんだ。あー、だから、その」
撫でる手が止まり、代わりに気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「一緒にいようよ。一緒にいれば、君のこれからの未来にだって、誰かが一緒にいてくれるよ。そのために、今をなんとかしよう!」
「キミは……、本当に……」
堪えきれないというように頬を緩めたリーパーを見て、魔法剣士が「笑えたの!?」となんとも失礼なことを言う。それにリーパーは「一応ね」と返し、その指先から滴る血を舐め取ったのだ。