日だまりのない昏き場所の話。
雪妖精の村を出、北西へ向けて歩き出す一行。この国に来てどれくらい経ったのかわからないが、少なくとも一日は過ぎているだろう。ならば早く聖女を救わねばと、気持ちは早るのだが……。
「さ、寒い……」
温暖な“緑の国”で生まれ育った魔法剣士には、この体験したことのない寒さが身に堪えた。
「寒いっていうか……、痛い!」
まるで針に刺されているかのように、唯一出している顔に痛みが走る。寒さというのは度を越えると痛いのだと、この日初めて魔法剣士は知った。
着込んでいる自分でこれなのだ。舞手なんかは凍っているのではと、少し前を歩く舞手の背中を見つめる。
「まいちゃーん、死んでないー?」
「死んでたら動いてねぇだろ! あほか!」
「あほって言うほうがあほなんですぅ! つまりまいちゃんがあほなんですぅ!」
また始まった口喧嘩だが、まぁここまで賑やかならば早々死にはしないだろう。先頭を歩く戦士も、うっすらと背中が見えるだけではあるが、笑っていることが伺える。
「……」
「大丈夫? まだ歩ける?」
「……!」
少し疲れたのか、雪に足を捕らわれた少女が転びかける。それを庇った魔法剣士が少女を覗き込んだ。
「やっぱり抱っこする? そのほうがあったかいよ?」
魔法剣士の気遣いに、少女は頑なに首を縦に振ろうとはしなかった。少女なりの小さな頑張りではあったのだが、今は急ぐ旅だ。やはり抱き上げようと、魔法剣士が手を伸ばした時だ。
あれほど吹雪いていたのが嘘のようにぴたりとやみ、雲の隙間からうっすらと日光が差してくる。その光はある一点を差すように真っ直ぐと地上へ降り、とても美しい。
「あれは……?」
「なんか罠っぽくねぇか?」
確かに怪しくはあるが、魔法剣士には、その光が導いているように見えたのだ。だから、
「罠だったら逆にラッキーじゃん。歓迎してくれてるってこと、でしょ?」
とにやりと笑ったのだ。舞手は一瞬虚を突かれたように目を丸くするが、しかしすぐに喉を鳴らし笑う。
「違いねぇな。さぞかし豪勢なお茶会だろうよ」
「手土産は用意しておらんが、まぁ許してもらおうか」
仲間の心強い言葉に頷き、魔法剣士は少女を抱き上げる。懐にいたロディアが「つぶれるでち!」と少女の頭へと移動した。
そうして歩き、光の麓へ辿り着くと。
石で出来た建物が並ぶ、しんと静まり返った廃墟へと足を踏み入れた。どうやら中心に見える少し高い建物が、この廃墟の、いやこの里の中心地なのだろう。
「……」
少女が魔法剣士の肩口に顔を埋め、その廃墟を見ないようにしている。そんな少女の頭を撫でてやり、魔法剣士は近くの建物、いや家だったものに視線をやった。
「どの家も綺麗だ。人が住んでそうな……」
そこまで言いかけ、奥から歩いてくる人影に息を呑んだ。
「誰だ!?」
魔法剣士が声を張り上げ、戦士が斧を構える。舞手は微動だにせず、その様子を伺っているようだ。
歩いてきた人影は、まだ若そうな女だった。腰まである黒髪を揺らし、深い漆黒の瞳は全てを見透かすようだ。少なくとも少女には、そう見えていた。
「マ……、マ……!」
肩口から顔を上げた少女が女に手を伸ばし、必死に声を出そうと何度も口を開く。
「待って! あれが……、お母さんだって言うの?」
頷く少女。しかし魔法剣士の目には、全く違うモノが見えていた。それは舞手も同様で、小さく舌打ちすると、
「ちっ。癪だが、お前も同じものが見えるなんてな」
「じゃ、じゃあまいちゃんも? あれは何?」
と手を伸ばし続ける少女を諌めながら、魔法剣士は舞手へ問う。舞手は腰から扇を抜き、緊張した面持ちのまま女を睨みつけた。
「嫌な幻覚だ。人の心に付け入りやがって」
「え? じゃ、あれはお母さんの幻なの?」
舞手は眉をひそめ、
「そう見えてるなら、そのチビには幸せかもしれねぇ。いや、どっちにしろ一緒か……」
と悔しげに言い放った。傍らの戦士も怒りを隠せないのか、斧を持つ手が震えている。
「貴公らに何が見えているのかは敢えて聞かぬが、相当趣味の悪いものだと理解したぞ」
「と、通り過ぎることって出来ない?」
魔法剣士は違うが、少女の目には母親の姿が見えているのだ。例え本物でなくとも、少女の目の前で母親をどうにかするのは避けたい。
「俺も出来ればそうしたい。だが、そうはさせてくれんらしい」
女が「お帰りなさい」と優しい微笑みと共に、更に歩み寄ってくる。それから離れるように、魔法剣士たちも少しずつ下がる。
「早く、早く、帰っておいで」
そう笑った女の顔が、どろりと溶けた。それは予想だにしておらず、魔法剣士の腕の中から、少女はそれをしっかりと見てしまったのだ。
「ア、アァ、イタイ。早ク、早く帰ってオイデぇ」
「……!」
少女の声にならない叫びは、リーパーの封印を簡単に解いてしまう。いや、一応言っておくならば、離れて力が弱まっていたところに、追い打ちをかけられたのだ。
溢れんばかりの光を放ち、少女は何かを叫んで、魔法剣士を突き飛ばす。反動でロディアは転げ落ち、冷たい雪の中に埋もれていく。眩しさから目を細めていたのと、意表を突かれたこともあり、魔法剣士はその手を離してしまった。
「マ、マ……!」
「行っちゃ駄目だ!」
走る少女を追いかける。少女が女に触れる瞬間、女のぞくりとする笑みを見、魔法剣士は必死に手を伸ばした。
少女が女に触れると、女の姿は真っ黒な水になり地面に広がると、その中へ少女を引き込んだ。その足が消える間際、魔法剣士はそれをなんとか掴むと――
「消えた……」
二人の姿は消え、また水も消え去り、舞手は悔しさに拳を震わせた。
「……義弟よ、俺たちは中心へ向かうぞ」
「何言ってんだよ、おっさん。あいつらいなくなっちまったんだぞ!?」
「いなくなってなどおらん」
その力強い声に、舞手は戦士を見上げた。戦士はふっと口元を緩めると、穏やかに舞手見つめ返し腕を組む。
「そんなに強く握るものではない。舞いは柔軟さが命であろう? 頼りにしているぞ」
「おっさん……」
「大丈夫だ。魔法剣士殿は強い。どこへ招待されたのかは知らんが、必ずなんとかして顔を出すに違いない」
そう歩き出す戦士の背中は逞しい。舞手はもう一度軽く拳を握ると、顔をしっかりと上げ、その背中を追っていった。
魔法剣士が気がつくと、どこにも少女の姿は無かった。とりあえず立ち上がり、周囲を確認する。
そこは、どこかの広間のようだった。魔法剣士が倒れていた場所より少し先に台座があり、そこには何かが飾られていたような跡がある。余り大きくなく、ともすれば手のひらサイズだが、果たして何が飾られていたのだろうか。
「人間、目が覚めたようで何よりだわ」
背後から聞こえた感情のない声に、魔法剣士は、心臓を鷲掴みされたように動くことが出来ない。
「貴方が妖精王を惑わしているのは知っているの。でも貴方、こうでもしなきゃ来てくれないと思って」
リーパーを妖精王と呼ぶその声が、雪妖精の話していた雪女だということはすぐにわかった。だがどうにも動けない。明らかな殺気に、魔法剣士は生唾を飲み込んだ。
「怖いの? そうよね、一人になるのは怖い。でも貴方も、妖精王を独りにしちゃうのよ?」
「リーパー、を……?」
絞り出た声と共に、なんとか魔法剣士は振り返った。
薄手のベール、青白い肌、それに似合わぬ真っ赤な目。怒りに身を任せているはずの彼女は、なぜだか魔法剣士には淋しそうに見えた。
「人間と妖精王じゃ流れる時間が違う。どうせ人間なんて死んじゃう。妖精王を独りにしちゃう。だから私が妖精王といるのよ。もう私には妖精王しかいないから」
「……んー」
魔法剣士は首を傾げ、そして困ったように頬を掻き、そしてこう言ったのだ。
「そんな難しいこと、考えてなかったなぁ。リーパーがついてきてくれたから。だから、そんなもんだと思ってた」
そして雪女に手を差し伸べたのだ。
「だから君とも、そうありたい、じゃ駄目かな」
と笑って。




