朝から騒がしい話。
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すらりとした肢体に薄いベールを纏った女、雪女は、繭を満足そうに眺める腐蝕の王を気持ち悪そうに睨みつけた。
雪女。村にいた雪妖精とは比べ物にならないほどその姿は大人びており、これが雪女だと知らなければ、ただの美しい女にしか見えない。
いや、多少肌が青白くはあるが、これもまた愚かな人間からすれば“儚い”と映るのかもしれない。
「わざわざ傷を治してやるとは、物好きな四天王様だこと」
「あのまま死なれたら困るだろ? 今からこの女は、いたぶり、犯して、死んだほうがマシだと思うぐらいの醜態に晒して、それからこう言わせるんだ。“私は貴方様の奴隷です”ってな」
「趣味悪いのね……」
雪女は腐蝕を軽蔑するような視線を投げ、それから自身の指先に息を吹きかける。爪に薄い氷の膜が張り、それが光と反射して美しく煌めく様に、雪女はうっとりと爪を見つめた。
「趣味? はっ、たかだか雪女程度に言われたくはないな。俺より雑魚のくせによぉ」
「船を落とせたの、一体誰のお陰だと思っているの? 白き妖精王が怖くて怖くて近づけすら出来ないのに」
挑発地味たその言い方に、腐蝕の持っていた小さな白い花が腐り落ちていく。雪女が「怖い怖い」とクスクス笑うが、口ほどに恐怖など感じていないのがよくわかる。
「そういうお前こそ、いいのかぁ? 大好きな大好きな妖精王様が人間なんぞと一緒にいてよ」
笑い声がぴたりと止んだ。
「いいわけないじゃない」
「ならお前こそ……っ」
腐蝕の唇に、雪女の冷たい指先が触れる。背筋をぞくりと震わせるそれに、腐蝕が乾いた笑いを喉から絞り出す。
「わかってないのね、四天王様は。妖精王は人間に騙されてるの。ううん、妖精王は人間に弱味を握られたのよ。だからあんな人間なんかと一緒にいるんだわ。船だってそう、あのまま行けば人間は皆死んだのに! きっと人間が妖精王に力を使わせて出てったんだわ。憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。妖精王を惑わす人間が憎い! 私にはもう妖精王しかいないのに。あの子がいなくなった私には、もう、もう……!」
その感情に呼応するように、雪が舞い始め、床や壁が雪女を中心に凍りついていく。
「おいおい、落ち着け、メンヘラ女。俺まで冷えるだろうが。ま、冷えたところで腐ってちゃ変わらないけどな」
「……ふぅ」
雪女がひと呼吸すると、雪は消え、氷はあっという間に割れていく。顔に出すことなく腐蝕は安堵し、
「それで? 全員固まってちゃ流石に勝ち目ないだろ? 雑魚はどうするつもりだ、あ?」
と語尾を強めるが、雪女は気にするわけでもなく、
「四天王様だって、探し物があるからここを拠点にしているんでしょう? だったら貴方は迎え撃てばいいじゃない。私は私で、やりたいことがあるのよ」
と口だけ笑い、腐蝕が拠点としているここ、廃村のとある建物から出ていく。
まだ村が生きていた頃は、それはそれは綺麗な建物だったことが随所に見受けられる。それは高い位置にある美しい硝子で作られた窓であったり、白樺で作られた椅子と机は、まるで一族の博愛心を表すかのようだ。
だが今はどうだ。
通路のそこら中に繭が転がり、中には人間であったであろう何かが蠢いていたり。天井まで這った黒い蔦は、時折生きているかのように脈打ち、巻き付いている何かから養分を吸っている。
村の生き残り、ではない。
腐蝕が気に入った奴の、成れの果て、とでも言っておこう。
「本当に趣味が悪いわ。私なら、妖精王だけを必要として、妖精王だけを閉じ込めるのに。そしたら人間も、手なんか出せないのに」
その黒い感情は、雪女を更に染め上げていく。最早もう、戻る場所などないのだと、理解っているかのように。
※
「わぁ、可愛い! 可愛いよ! ねぇまいちゃん! ちょっとまいちゃんも見てあげてよ!」
はしゃぐ魔法剣士を、舞手は舌打ちと共に睨んだ。それでも魔法剣士は「まいちゃーん」と朗らかに笑い続けた。
魔法剣士の前には、猫耳付きコートを被った少女が『見ろ』と言わんばかりに鼻息荒くして立っている。
「可愛い! 今度はこっちを……」
今度は熊耳付きコートを手にし、それを少女にあてがった。ちなみに猫の前は犬、あとはネズミやウサギもあったな。
「おい! いい加減にしろ!」
流石に舞手が耐えきれず、適当なコートを渡す。赤い鶏冠のついたこれは、鶏コートとでも呼ぼうか。魔法剣士がコートを受け取り、少女に合わせ「これも可愛いね!」と舞手を振り返る。
「まいちゃんは動物より鳥類がお好き?」
「もうそれでいいから早くしろ!」
「はーい。好きなの着ればいいからね」
少女に笑いかけると、魔法剣士も厚手のコートに袖を通した。
リーパーを除いた一行は、聖女奪還の為、廃墟となった隠蔽された里へ向かうことになった。しかし外の寒さは雪妖精の村の比ではない。
仮にもここは雪妖精によって守られた場所であり、人間の子供が生活していけるようになっている。
しかし村の外は違う。魔法剣士たちは雪妖精の好意に甘え、防寒具をあてがってもらったのだ。
「まいちゃんは……、あれ? あんまり着てなくない?」
厚手のコート、更に帽子、懐にはロディアという防寒対策は完璧な魔法剣士と違い、舞手は帽子のみ被っただけでいつもと余り変わりない。
「動くのに邪魔なんだよ。それにオレは、寒さにはつえぇからな」
「まいちゃん、鳥肌鳥肌」
「うるせぇ!」
所謂、やせ我慢というやつだ。
「貴公ら、選び終えたか?」
いつもの姿と、それこそ全く変わらない戦士が、食料や魔法石をまとめた袋を担ぎ、家へと入ってくる。自分たちがコート選びをしている間、戦士は旅の準備をすると言い村を回っていたのだ。
「ありがとう、お陰さまで。ほらほら、戦士も見てよ! 可愛いでしょ?」
魔法剣士が示した先で、鶏コート姿の少女がくるりと回った。どうやらあれで行くらしい。
「なかなか個性的で良いとは思うが、外は一面雪景色だ。もう少し目立つ色にするといい。これはどうだ?」
そう戦士が手にしたのは、ピンクの毛玉のようなコートだ。いや、これは恐らく、
「わたちとおそろいでち!」
「……!」
ロディアの言葉に少女は顔を輝かせ、すぐさま鶏コートを脱ぎ捨てた。魔法剣士は「あああぁぁ」と拾い上げ、丁寧に折り畳む。
「どうやら動物でも鳥でもなく、ロディアがお好き、と。まいちゃん、鳥じゃないけど泣いちゃ駄目だよ」
「お前がな」
頭からすっぽりと毛玉を着込み、嬉しそうに笑う少女を見、魔法剣士は微かに眉を潜めた。
本当は迷ったのだ。
四天王の根城へ、この幼い少女を連れて行くかどうか。しかも少女にとって、辛い記憶の地に違いない。鍵を探せとは言われたが、本当にそれは少女の願いなのか。自分の独りよがりではないか。
そう考えていたのだが。
古老の屋敷から戻る途中、ロディアを頭に乗せた少女が駆け寄り、そして魔法剣士にきつくきつく抱きついたのだ。その体は震えており、決してそれは、寒さから来るものではなかった。
「……魔法剣士殿」
呼ばれて戦士を見る。どうやらまた思い詰めた表情をしていたらしい。魔法剣士は首を横に振り、
「大丈夫。もう、大丈夫だから。絶対にお姉さんを助けよう」
「ったりめぇだろ」
「……!」
少女もまた小さく飛び上がり、にっこりと微笑んだ。魔法剣士はその小さな頭を撫でてやり、
「戦士、隠蔽された里の方角は?」
と真剣な目つきに変わる。戦士は「うむ」と頷くと、
「ここより北西だ。元は結界が張られていたそうだが、今はかなり荒れていると聞いた。近くには魔物の巣もあるという」
「そっか。じゃ、気を引き締めて……っくしゅ」
生理現象なので仕方はないが、やはりというべきか。舞手が白い目で見るのを、魔法剣士が手を振り「そんな目で見ないで」と苦笑いを零した。




