冷えた大地は誰のせい、な話。
空から降り注ぐ白い綿――雪の冷たさに、赤髪の少年、魔法剣士は盛大なため息をつき、手のひらへと舞い降りた雪をひとつ、口にした。
「寒い……」
そんな呟きも、次第に強くなる雪の前ではなんの意味もなさない。唯一の救いは、一緒に放り出された中に、青髪を緩く三編みにした一行の頼れる仲間、聖女がいたことくらいか。
「ふふ、落ち込んでいても仕方がないわ。早く皆を見つけちゃいましょ! えいえいおー、よ!」
「お姉さん元気だなぁ……」
空元気だとしても、誰かと一緒なのは心強い。魔法剣士は手に息を吹きかけ、両手をさすりながら弱々しくも笑みを見せた。
更に強くなる雪に、魔法剣士は力無く空を見上げ、こうなってしまった経緯を思い返した。別に誰が悪いというわけでは、ないのだが。
“黄の国”から、古代の乗り物“魔法船”に乗り、一行は“青の国”を目指していた。魔法剣士は少し休もうと、適当な場所がないかと見回すが、椅子どころかテーブルひとつすらない。
「座る場所ってないの?」
仕方がないので、抱いていた黒髪少女を降ろし、自分は床に座り、壁にもたれかかって休み始める。そんな魔法剣士の隣に、少女もちょこんと座り、体をくっつけようとぐいぐい押してくるのが可愛らしい。
「あぁ、まじ天使……。癒し……」
魔法剣士も少女にすり寄り、二人で押し合いを始める。そんな二人に呆れた視線をやり、青髪翠眼の少年、舞手が魔法船を操作する白髪の青年、リーパーの元へと歩み寄った。
「おいもやし、お前こんなん操作出来たのかよ」
眼の前に広がる、まるで外の光景をそのまま映したようなそれから視線を外さず、リーパーはその白目を細めた。
「まぁ、ね。長生きしてる弊害というやつだよ。知りたくもないことや覚えたくもないこと、忘れたいこと……。長生きというのも、いいものばかりではないからね」
「ふぅん。まるで、忘れたいことがあるような言い草だな」
「それはあるさ。例えばそうだな、キミと話していることもそれのひとつかな」
「お前……!」
また喧嘩越しになる二人だが、魔法剣士には止める気力がない。昨夜、夜通しで魔法の特訓という名の拷問にも近い何かを受け、ほとんど眠れていないのだ。
出来るなら、着くまで何事もなく、ただ穏やかに過ごしたいのが本音だ。
「二人とも、いい加減にせんか。リーパー殿も、そんな言い方をせんでもよいだろうに」
「人のことに首を突っ込むからだ。わかったら、少しは遠慮というのを学習したほうがいい」
「だからお前は……!」
舞手がリーパーの頭を殴る。もちろん、それでどうにかなることはないが、一応リーパーが手綱を握ってるも同然なのだから、もう少し手加減すればいいのにと、思わなくもない。
のんびりと景色を見ていた舞手の姉、聖女が「仲良しさんねぇ」と三人に笑っているが、あれを仲良しだと呼べるのは、恐らくこの聖女様だけだろう。
そんな仲間たちについ苦笑が漏れ、それから魔法剣士は欠伸をした。流石に限界が来たようだ。
「ちょっと、だけ……、寝よっか……」
隣に座る少女が頷いた気もしたが、魔法剣士は睡魔には勝てず、そのまま気絶するように寝てしまった。
気づいたのは、耳を裂くような激しい音でだ。目を開けた魔法剣士は、広がるその真っ白い光景に、一瞬我を忘れる。
魔法船が一層激しく揺れ、少女の体が吹っ飛びそうになったのを、魔法剣士が咄嗟に抱きかかえ床に転がった。
「大丈夫?」
少女がこくこくと頷く。それに魔法剣士は安堵し、それから状況を把握しようと少女を立たせ、自分も立ち上がった。
操作をするリーパーに、舞手が「何があった!」と詰め寄っている。リーパーは手元を何度か動かし、それから小さく首を横に振った。
「操作が効かない……。恐らく雪妖精、いやこれは雪女か? 全く、これだから人間は嫌いなんだ」
「お前何言って……」
尚も何か言いたげな舞手を押しのけ、リーパーが一同の顔を見渡す。その緊張感が滲む表情に、只事ではないのだと、舞手だけでなく魔法剣士も悟った。
「いいかい? 今からキミたちを“下”へ飛ばす。なるべく固まるように努めるが、多少離れることは覚悟してほしい」
「リーパー、どういうこと……?」
「転移魔法だよ。このまま乗っていても、自由の効かない状態では、落ちて死ぬのが目に見えている。だからキミたちを」
「君は? まさか残るの?」
魔法剣士の心配そうな顔を見、リーパーが意外そうに眉をひそめた。
「ボクは死なないし、第一このまま墜落させたら、それこそ大惨事になってしまう。まぁ、多少傷はつくだろうが、ボクなら別に」
「そういうことじゃなくて!」
いつもなら出さないその声に、少女の肩がびくりと震える。魔法剣士はハッとし「ごめんね」と少女の頭を撫でてから、
「痛いもんは痛いんでしょ。なら、死なないからって、そんなことしてほしくない、というか、なんというか……」
と頭を掻いた。上手く伝えられない自分がもどかしく、魔法剣士は小さく唇を噛んだ。
リーパーは目を見開き、それからふっと口を緩ませた。それは奴が初めて見せた“笑顔らしい笑顔”であり、恐らく奴自身も、意識して笑ったわけではないだろう。
「全くキミは、本当に……。確かに痛みを感じるよ。だけどそうだな、キミたちが死んだら、たぶん、もっと痛い、かな……」
「リーパー?」
後半部分が聞き取れず、魔法剣士は聞き返す。だが再び大きく揺れた船体が、そんな時間はないのだと突きつけてきた。リーパーが首を横に振り、再び手元を操作し始める。
「“青の国”には、雪妖精と呼ばれる存在がいる。下に降りたらまずは彼らを頼るといい」
「攻撃したりしてこないかな!?」
「キミは花妖精や森妖精とも通じ合えたんだ。大丈夫、彼らとも上手く話せるさ」
そこまで言い、リーパーは振り返ると「集まって」と一同の顔を順に見る。集まった仲間たちに右手を突き出し、リーパーはひとつ息を吐くと、静かに詞を言葉にしていく。
「深き孤空。引き裂く時間。我が声に応え、腕に宿れ。空間領域」
右手の先に真っ黒な穴が現れる。それはリーパーが本を出し入れする際に見るあれと似ているが、大きさがまるで違う。人なぞ簡単に入れそうなその穴は、魔法剣士たちを丸々と呑み込んでいき――
そして、そこには何者もいなくなった。
「……ん?」
真っ白な景色。急激に冷える身体。
そしてなぜか魔法剣士は、宙にいた。
「なんでぇぇえええ!?」
もちろんその身体はすぐに落ち始め、足元に積もっていた雪の中へ足からずっぽりと入ってしまった。
「え!? なんで!? てか出れないんだけど! こんな綺麗にはまることってある!?」
なんとか雪から這い出ようとするが、胸辺りまで深く埋まってしまい、どうやっても抜けれそうにない。
「んぎぎぎ! こうなったら魔法を……。いやでも溶かしたら大洪水になって危ない? むしろ自分を焼いちゃう? あれ、もしかして僕、絶体絶命ってやつ?」
考えている間にも体温は奪われていき、元から寝ていないのも重なり、強烈な睡魔が襲いかかる。なんとか起きていようとはするが、どうにも勝てそうにない。
「あぁ……、向こうに親父が見える……」
間違いのないよう言っておくが、奴の父親は死んでいない。
「最期くらい、綺麗なお姉さんに、ギュッてしてほし、かった……がくっ」
「はい、お姉ちゃんですよ。呼んだかしら?」
「あ、お姉さんだ。って、お姉さん!?」
真っ青な顔で、垂らした鼻水さえすぐ凍る中、魔法剣士の前に屈んでいたのは聖女であった。
「あああああん! お姉さん! だずげでぐだざい!」
「はいはい、今助けますからねぇ。よいしょっと」
聖女は魔法剣士の両腕を掴むと、軽々とその身体を引っこ抜いた。まるで大根のように綺麗に抜け、魔法剣士は「あはは……」と苦笑し、身体についた雪を払い落とした。
「お姉さんは大丈夫だった? 落ちて怪我してない?」
「落ち……、お姉ちゃんは落ちてないわよ?」
「え、じゃ僕だけ? ちょっとリッちゃん、どーなってんの!」
どこにいるかもわからないリーパーへの文句を空へ言い、続けて大きくため息を吐いた。
「とりあえず、雪妖精の村を探そっか」
「そうねぇ。寒くて凍えそうだものね」
確かに、聖女の薄手の法衣では寒さを凌ぐのも大変だろう。魔法剣士は聖女の手を握り、それを自身のズボンのポケットへと入れてやった。
「これで少しはあったかくなると思うんだけど……」
「あらあらまぁまぁ。男の子は日毎夜毎におっきくなっていくものねぇ」
「それって手が?」
「ふふ、さぁ?」
クスクス笑う聖女に、魔法剣士は罰が悪そうに空いた手で頭を掻いた。
「さ、雪が強くなる前に見つけましょう。大丈夫よ、お姉ちゃんもついてますからね」
「頼りにしちゃいますよー」
「ふふふ」
そうして二人は見通しが悪くなっていく中、少しずつ、だが確実に進んでいく。日の光さえも当たらず、今が昼なのか夜なのかもわからない。
「ん?」
「どうしたのかしら?」
「いや、誰かに見られていたような……。気のせいかな」
魔法剣士が空を見上げるが、白ばかりで何も見えず。だから気づかなかった。
二人を上空から見下ろす、冷たい影がいたことに。




