なくなと言われても鼻水が出る話。
短いオレンジの髪を掻き上げ、自身を“学者先生”と名乗ったこいつは、どうやらこのまま滞在を決め込むらしい。
一応は女性だ。聖女たちと同室がいいかと一度は考えたが、リーパーと同じ。つまり魔族のこいつを向こうに押しつけるわけにもいかず、魔法剣士は占拠された自身のベッドを恨めしげに盗み見た。
「ぐすん。眠たい……」
テーブルに突っ伏し、たまに顔を上げて学者に視線を送るも、それを聞き届けてくれる気配は見られない。
「魔法剣士殿、よければ俺の寝床を使うといい。俺は慣れてる故、床でも構わん」
「いやいや、戦士にはいつも頼ってばっかだし使って使って。てかむしろ」
相変わらず本を読みふけっているリーパーを見やる。その頭では、ロディアも一緒になって本を読んでいるようで、視線が左から右に流れている。
「ねぇリーパー。ベッド……」
「嫌だよ。労るのも飼い主としての大事なお仕事じゃないのかい? “御主人”」
「うわぁ、嫌味だなぁ」
明日も早い。情報を集めつつ、更に北を目指すつもりなのだから。これ以上粘っても無理だと思い、ならば床で転がって寝ようかとも考えるが、久しぶりのベッドだ。今日ぐらいはここで寝たい。
「ほんっとにお願いします! 寝かせてください!」
ついに魔法剣士は土下座をした。戦士が「頭を上げないか」とベッドから降りたところで、にやにやと笑っていた学者が「仕方ないね」と立ち上がる。
やっと寝れると思い、魔法剣士はパッと顔を上げる。輝く瞳が眩しいが、そんなことはお構いなしに、学者は魔法剣士の髪を引っ張り無理矢理立たせた。
「え!? 何? 痛い痛い! ハゲちゃうよ!」
「安心し給え。貴様ほど若くリフレッシュならば、すぐに髪のニ、三本くらい生えてくるものだよ」
「色々突っ込みたいけど、とりあえずリフレッシュじゃなくフレッシュって言いたいの!? 僕って新鮮!?」
「あぁ、色々と新鮮だ。というわけで、リーパー、少し借りさせてもらおうか」
まだ髪云々騒ぐ魔法剣士は放っておき、学者はちらりとリーパーを振り返った。リーパーはそれに視線だけ上げ、すぐに本をまた読み始める。
「さ。では行こうか」
「どこに! 嫌だ! ああぁぁぁ……」
ずるずると引きずられ、魔法剣士は部屋を後にした。置いていかれたロディアが、しばし考え、それから魔法剣士に割り当てられたベッドの上で跳ねる。
「わぁい! ひとりじめでち!」
「よかったね。さ、戦士くんも早く寝るといい」
「うむ……。しかし大丈夫なのだろうか」
布団を被り、天井を見る戦士が心配そうに呟いた。
「まぁ、死ぬことはないだろう。それに拾ってきたのは彼だ、責任を取ってもらわないとね」
死ぬことはない、というのもそれなりな気もするのだが、何より、リーパーが黙って送り出したのだ。多少なりとも信用出来ると考え、戦士は目を閉じる。ほどなくしてリーパーがロウソクを吹き消す頃には、戦士は意識を手放した。
「わぁ、星が綺麗だなぁ」
満点の星空を見上げ、魔法剣士は諦め気味に肩を落とした。学者は自慢気に腕を組み、同じように星空を見上げた。
「そうだろう、そうだろう。昔ここいら一帯は金の大地と呼ばれていてな、それはそれは綺麗な」
「あ、そういうのいいんで。早く用件お願いします」
「つまらん奴だ。まぁ構わん。なぁ、貴様はなぜ魔法を使わんのだ? リーパーに押し付けているのか?」
魔法剣士は、それこそウンザリするほど言われてきた言葉に、半ば嫌気が差しながらも、仕方なしに答えてやる。
「リーパーにも言われたけど、僕は使えないわけじゃなくて、制御出来ないんだって。だったら教えてくれればいいのに」
「まぁ、アレは昔から気紛れだ。あまり責めてやるな。一緒に行動しているだけでも中々珍しいのだぞ」
そう言われても、魔法剣士にしてみれば、魔法が使えるならば早いとこ使いこなしたいのだ。狭間の世界で男と対峙した時、そして先日の緩衝地帯でのこと。
どちらにしろ、自分が魔法を扱えていれば、それこそ何かが変わっていたかもしれない。それを考えると、不甲斐なさに涙が出そうにもなる。
「青少年、そこまで気に病むな。だから、この、ジブンが、貴様を虐め……いや、鍛えてやるのだから」
「ねぇ、今虐めるって言った? いい玩具とか思ってる?」
「さ、まず始めにだな」
魔族というのはとことん話を聞かん連中だ。だが、それでも魔法剣士は少しでもどうにかなるならと、仕方なく付き合うことにする。
聞く姿勢になった魔法剣士に満足したのか、学者は右手を軽く握り、そして手のひらを上に向けて開いた。そこにあったのは、一粒の種だ。いや、種というには少し大きいかもしれない。
「それは?」
「そんなに警戒しなくとも、これは四天王とかいう阿呆の物とは少し違う」
その種を左の指先で軽く叩く。途端にそれは発芽し、中から鳥の羽のようなものが出てきたのだ。
「真っ白だ」
「では失礼」
「あがっ!」
学者はその羽を、魔法剣士の頭に容赦なく突き刺した。チクリと痛みが走るが、見た目ほどには痛くはない。まぁ、魔法剣士は今の自分の姿など、微塵足りとも見えないのだが。
「これ何?」
そおっと羽に触れてみたが、それなりに深く刺さっているのか、それとも何かの魔法なのか。それとも羽自身が根を張っているのか。なんにしろ、簡単には抜けなさそうだ。
学者は「よし」と満足そうに頷くと、音が鳴りそうな勢いで指を立てた。
「ではそうだな、なんでもいい。魔法をジブンに向かって使ってみてくれないか。あぁ安心し給え。“リーパーと同じ”だから、容赦しなくて構わない」
「でも魔法は……」
それでも躊躇う魔法剣士を見、学者はため息を零す。
「貴様は魔法を使いたいと言いつつ、そのくせ自分では使えないと言い続けている。矛盾だと思わないか? 既に魔法を使っているにも関わらず扱えないのは、貴様のそれが原因なのだよ」
「……」
いつもの明るさはどこへやら。魔法剣士は言い返すこともせずに、ただ俯き黙りこくっている。
「貴様の場合、そうだな。わかりやすく、全ての魔法力の限界値を“五”とする。感情によってそれが昂り“六”になった時初めて、貴様の魔法は発動する。だがそんなことを続ければ、身体が耐えられず崩れるだろう」
「……どうすればいい?」
「簡単だ。他の魔法力を“四”にすればいい。そうして均衡を崩してやれば、自ずと使いたい魔法を“五”で扱えるはずだ。その羽はそれの補助に過ぎん」
魔法剣士はこくりと頷き、両手を前へと突き出す。学者が「さぁ、使うといい」と両手を広げ、その頬を緩ませた。息を深く吸った魔法剣士の口から、流れるように詞が溢れ出す。
「月下へ渡る永久の、在りし有りして氷面鏡。冷たき息吹は……、なんだっけ……ま、いっか! 氷塊」
氷の低級魔法だ。この魔法は普通、小さな氷のツブテを相手へ飛ばし、足を止める為に使うものなのだが。
魔法剣士の放ったそれは、岩ほどの大きさだった。学者にぶつかると、その勢いのまま上半身を引きちぎる。それが五、六個現れたものだから、魔法を使った本人が一番驚きを隠せない。
「いやぁぁあああ! 学者先生ぃぃいいい! 僕がちゃんとしないからぁぁあああ!?」
氷はすぐに溶けていき、地面に転がったままの学者の上半身が笑いかけてくる。絶妙にホラー地味た演出に、魔法剣士が再び悲鳴を上げた。
「落ち着き給え。リーパーと同じだと言ったはずだ。これくらい簡単に戻せる」
立ったままの下半身が上半身の横に跪くと、上半身は腕を使って軽々と下半身の上に乗り、そして何事もなくひとつへと戻った。
「あれ? リーパーは確か再生していたような……」
「あぁ。あれは魔法力を使うから、なるべくやりたくはないのだよ。人間もそうだろう? 使えるものは使って、使えなくなったら新しくする。同じことだよ」
「は、はぁ……」
理解出来るような出来ないような理屈だが、魔法剣士は早く帰りたい気持ちには勝てず、適当に流すことにする。
「それで? 感覚は掴めたかね?」
「んー。はい」
「ハッハッハッ、そうかそうか」
これで帰れそうだと、魔法剣士が安堵した時だ。
「嘘をつくのはいけないことだ。朝まで特訓をし給え!」
「はい……って、はい!?」
「さ、次の魔法を使い給え!」
学者は至極愉しそうである。魔法剣士は口の端を引きつりながらもなんとか上げ、
「はは、は……」
と掠れた笑いをしてみせた。




