はにかんで、手を握る話。
流れる水面を眺めて、そこに映る自分のゲンナリした顔に、魔法剣士は何回目かのため息をついた。舞手は近くの木に寄りかかってそれを見ている。
「落ち着いたか?」
「うん……」
「だーりん、だいじょうぶでち?」
「うん……」
心ここに非ずといった返事に、フワリンが舞手をちらりと振り返る。まるで、なんとかしろとでも言いたげなその視線に、嫌々ながらも舞手が木から背中を離した。
「おい童貞」
「お願いそれやめて……」
「おいヘタレ」
「もうそれでいいよ……」
顔を何回か洗ってから、魔法剣士は立ち上がる。足元がふらついたが、そこはなけなしのプライドで踏みとどまった。
「君のお姉さん、なかなか激しいね、なんつって……アハハ」
こいつにとってそれは唯の冗談のつもりだった。
「おい」
「うわっ」
急に胸ぐらを捕まれ、魔法剣士は無理矢理舞手と顔を合わせる形になる。微かに魔法剣士より高い位置から見下される視線は、明らかな怒りを含んでいた。
「ヘタレ。お前は飯を食ったことがあるか?」
「あ、あるに決まってるよ! 死んじゃうじゃないか……!」
「だろうな。その家畜どもを殺して食うのと、狼や魔物を食うのに、どれほどの差がある?」
「で、でも、牛や豚はそのために育てているし、魔物を食べるなんて、で、出来ないよ……!」
「そのため、ねぇ」
舞手は乱暴に魔法剣士を突き放すと、これ以上は言うことはないとばかりに背を向けた。魔法剣士はその勢いで尻餅をついたが、ここで行かれては堪らないと舞手の足にしがみつく。
「離せ、ヘタレ野郎」
「ま、待ってよ! 僕はヘタレでいいからさ、せめてこの子連れてって!」
この子、とはもちろんピンクのフワリンのことだ。自分のことを持ち出すとは思わず、フワリンは「だーりん!」と離れたくないとばかりにへばりついた。が、続く魔法剣士の言葉は、一人と一匹には予想外のものだった。
「僕じゃ、さっきみたいに襲われてもこの子守れないから。君なら、ううん、あのお姉さんなら強いだろ? 頼むから、この子連れてってよ……」
「お前……」
「だーりん……」
舞手が背中越しに魔法剣士を見る。土下座をするその姿を見て、舞手は頭を掻きながらため息をついた。
「……さっきの場所で野宿している。それからその毛玉にはちゃんと礼を言っておけ。オレらに助けを求めたのは、そいつなんだからな」
「え、あ……」
魔法剣士はそれ以上何も言えず、消えていく後ろ姿を見送った。
それからだいぶ経っただろうか。
月はとうに真上へ登ってしまったし、気温はそこそこ冷えてきた。この国がいくら温暖といっても、真夜中に薄着で外にいるにはまだ早い。
「ざむい……」
流れる川を三角座りで眺める時間にも、そろそろ飽きてきた。けれど寝るわけにもいかず、目の下にクマを作る覚悟で起きているわけだ。
「ねぇ、君」
「なんでち?」
フワリンが膝に飛び移る。
「助けてくれて、ありがとう」
「だーりん、それはちがうでち」
「違う? でもまいちゃんは君が呼んだって」
呆れたように二度跳ね、それから頭へとまた飛び移る。
「だーりんが、たちけてくれたんでち。わたちをおりからだちてくれて、わたちをかばってくれたでち」
「たまたまだよ、たまたま。檻が壊れたのは偶然で、庇えたのも運が良かっただけ。僕は何もしてない、出来てない」
「でも、わたちがここにいるのは、だーりんのおかげでち。だから、だーりんはおんじんなのでち」
「そっか。そっかぁ……くしゅ」
寒さでくしゃみが出てしまい、魔法剣士は「ごめんね」と鼻をすすった。今度はフワリンは魔法剣士の肩へ乗ると、その暖かい身体を頬へなすりつけた。
「わぁ、あったかい。ありがとう、ええっと、名前どうしよっかなぁ……。考えとくから、また今度でいい?」
「もちろんでち! あ、できればかわいいのがいいでち!」
「かわいいのかぁ、僕センスないんだけどなぁ」
そう言い苦笑いしてみれば、自然と瞼は重くなっていく。村にいた頃は安心して毎日を過ごせていたというのに。それが今では酷く恋しい。
「やっぱり明日、帰ろうかなぁ」
「わたちはだーりんについてくでちよ!」
「うん、じゃ、かえろ……っか……」
小さな暖かさに安心し、魔法剣士はそのまま眠りへ落ちていった――。
翌朝、舞手と聖女が魔法剣士の様子を見に来てみれば。
川に片足を突っ込んだ状態で、大の字で寝ている魔法剣士の姿がそこにはあった。
舞手としてはそれなりに心配もしたのだ。それがどうだ、鼻提灯に涎を垂らしたこの姿は。ちなみにあのフワリンは器用に腹の上で爆睡中だ。
「起きろ」
「ふがっ」
頭を蹴られて鼻提灯が割れる。
「え!? 何々、朝ご飯!?」
母親に起こされたと勘違いし、飛び起きた魔法剣士の視界には聖女の笑み。
「おはよう、よく眠れたかしら?」
「あああああお姉さんでしたか! 昨日はどうもすみませんでしたありがとうございます!」
「はい、お姉ちゃんですよ。元気になったようで嬉しいわ」
その法衣には血の一滴もついておらず、昨日のことは夢だったんじゃないかと錯覚しそうだ。
「あ、昨日のお肉、干し肉にしたのよ。お腹空いたでしょう? はい、どうぞ」
やっぱり夢ではなかったようだ。
腰につけた袋から出したのは、少し茶色味かかった固そうな物体だ。それが聖女の言う通り“昨日のお肉”というならば、つまりは、そういうことなのだろう。
「あ、ああ……、いやぁ、はは。今はいいかなぁって。それに僕、やっぱり村へ帰ろうと思ってて」
「あら、そうなの? じゃあ送るわね」
魔法剣士の手を取ると、聖女は「こっち?」と指差しながら歩いていく。その自分よりも華奢な手に、魔法剣士は自分の心臓が強く跳ねた気もするが、きっと昨日の出来事を見たせいだ。この感情は恐怖なのだと言い聞かせなければ、村へ着く前に、後ろを歩く鬼に殺られてしまいそうだからな。
そうして歩き、村を囲っている柵が見えてきた。一日しか出ていないが、一生分の経験を終えたような気分になる。
自然と足が早くなり、さてもう着くという頃だ。畑仕事をしている村人たちの他愛ない会話が聞こえてきたのは。
「そういや聞いたか? あの家の一人息子」
「あぁ聞いたよ。なんでも魔王討伐へ行ったとか」
魔法剣士は反射で木の影へ隠れる。心臓が、さっきとは違う意味で大きく跳ねた。
「まぁ、学校でいい成績でもなけりゃ推薦もなかったんだろ? 挙げ句に魔法も使えない。魔王どころか、その辺のフワリンにでも馬鹿にされるのがオチだよ」
「違いねぇ!」
大声で笑い出す二人を見て、魔法剣士は泣きそうな顔でその場にずるずると崩れ落ちた。
まぁ、わかっていたことだ。
魔法が使えなくとも、兵士や、それこそ技術者にだって成れるのだ。そうでなくとも、更に勉学に励むことだって。ただ、魔法剣士はそのどれもが出来ず、どこからも推薦されず、家に帰ってきた。
「お、噂をすればじゃないか」
村人の声に顔を上げれば、魔法剣士の母親が、ジャガイモの入った大きな籠を持って歩いているところだった。
「息子さん、やっと出てったんだって? 魔王倒せるといいですなぁ」
「途中で死なないことを祈ってますよ」
なんとも嫌味なことを言う。舞手が舌打ちと共に出ていこうとすると、
「あたしの息子を、馬鹿にするんじゃないよ!」
と勢いをつけて籠を振った。飛び散るジャガイモが嵐のように二人を襲う。
「な、何すんだ!」
「確かにね、あの子は新芽と雑草の見分けがいつまでもつかないし、なんの才能もないけどね。大事な大事な、あたしの子なんだよ! だけど、あの子はケツを叩いてやんないと逃げてばっかだからさ。親がそれをしなくて、誰がするんだい!」
「息子が息子なら、親も親だな! ジャガイモ片付けとけよ!」
ぶつぶつ言いながら奥へ行く二人に「言われなくても片付けるさ!」と言葉を飛ばし、母親は地面に籠を置いてジャガイモを拾い始めた。
「……」
それを影から見ている魔法剣士は、きっと手伝いに行きたいのだ。だが、それをすれば、また母親が馬鹿にされるのは目に見えている。どうしたものかと頭を抱えていると、聖女が「大丈夫よ」と魔法剣士の頭を撫でた。
何がと聞く前に、聖女は立ち上がり「よいしょ」と柵を乗り越えた。昨日もそうだったが、なかなかに大胆な聖女様のようだな。
そうして母親の元まで駆けていくと、同じようにジャガイモを拾い始める。
「大丈夫ですか」
「あんたは……、その格好、僧侶様かい?」
「はい、慈悲の旅をしております。お困りのようでしたので、少しお手伝いをと」
「僧侶様にこんなことさせられないよ。あたしが投げたもんだしねぇ」
母親は手に持ったジャガイモを静かに見つめる。
「あたしは、酷いことをしちまったのかね……」
聖女は持っていたジャガイモを籠へ入れると、母親の手を両手で包み込んだ。
「そんなことはありませんよ。貴方は慈悲深く、そしてお強い心をお持ちです。だから安心してください。願いは祈りとなって、必ずや貴方の大切なかたを守ってくださいます」
「あんた、もしかして……」
「はい。これで最後ですね。では旅を急ぎますのでこれで」
穏やかに笑うと、聖女は足早に駆けていき、また「よいしょ」と柵を乗り越えていく。それに苦笑いした母親は、
「全く、お転婆な僧侶様もいたもんだね。でも、安心出来そうだよ」
と籠を抱え直した。
とりあえず村から少し離れるため、今朝いた場所へと戻ってきた。魔法剣士は情けない顔を川の水で洗う。
「で、お前どうすんだよ」
「うん……、帰れなくなっちゃったなぁ、あはは」
「だーりん! わたちがいるでち!」
魔法剣士の横で跳ね、フワリンは頭へ飛び乗った。それを受け入れてから、魔法剣士は立ち上がり、舞手と聖女に向き合う。
「あの、一緒についてってもいい、かな?」
「はぁ?誰がお前みたいな奴」
「まいちゃん、よかったわねぇ。お友達ついてきてくれるって!」
「友達じゃねぇ!」
舞手はあまり気乗りしないようだが、まぁ聖女がいいと言っているようなものだ。魔法剣士はここを押せとばかりに頭を下げて、
「よろしく、まいちゃん!」
と右手を出した。もちろんそれは「まいちゃんって呼ぶな!」と強くはたかれたのだが。