くろうの末に必死になる話。
疲れていたとは言え、約半日寝ていたとは。それでも眠いのは、最早寝すぎたからかもしれないと、カーテンから差し込む朝日に目を細めながら、魔法剣士は伸びをひとつした。
同室のはずの戦士は既に見当たらない。昨日この街に辿り着き、すぐに加勢に入ってくれたはずだ。戦士のほうが疲れが溜まっているだろうに、それを微塵も感じさせないのは、やはり場数の違いなんだろうな。
「起きたなら起こしてくれても……」
ぶつぶつと文句を漏らし、出発するために荷物をまとめる。といっても、荷物なぞ細剣一本、ロディアの毛を梳かすための櫛、それから。
「っと。あー、全然書いてない……」
枕元に置いた日記を手に取り、パラパラと何ページか捲る。日付を見るに、リーパーの屋敷で書いたのが最後のようだ。
これを読むであろうリーパーが「全然書いてないじゃないか」と渋い表情をするのが容易に想像出来、魔法剣士は軽くため息をついた。まぁ、また何かしら書いておこうと考える。
一階へ降りると、既に魔法剣士以外は揃っており、特に舞手は呆れたように魔法剣士を睨みつける。
「あ。まいちゃん、おかえり。早いねぇ」
「オレがいつ帰ったのかわかんねぇだろうが……」
「僕より早起きしてる人は皆早いのと同じだよ」
魔法剣士がそう悪意なく笑うものだから、舞手ももう何も言えずに「そりゃそうだな」と苦笑した。
「ま、オレはそんなことより……」
先ほどの空気はどこへやら。舞手はリーパーに掴みかかる勢いで、
「おい、もやし。お前なんで姉貴と同室だったんだよ」
とリーパーに詰め寄った。少女を抱いたままのその姿は、傍から見ればただの恐喝にしか見えない。実際少女は目を見開き、リーパーと舞手、交互に視線を送っている。
しかしリーパーがそれに動じるはずもない。自分よりも背の高い舞手を前にして、なんら臆することなく、
「ボクにしてみれば、キミのような手当り次第に手を出すようなゴミと、この子供が同室にならなくて良かったと思っているよ」
「あん? もやし、お前、見てたのかよ……? 趣味悪すぎだろ」
「見るわけないだろう! キミに匂いがついてるんだよ。鼻が曲がるほどに、たくさんの、ね」
とリーパーは舞手から少女を守るように、抱く手に力を込めた。魔法剣士は状況が呑み込めず、とりあえず聖女の肩に乗っていたロディアに「おはよう」と笑いかける。
ロディアも「おはよでち!」と声を上げると、魔法剣士の肩へと飛び乗った。ロディアを軽く撫でてから、魔法剣士は戦士の隣へコソコソ移動し「ねぇ」と声をかける。
「全くわかんないだけどさ、どうなってんの、これ」
「なぁに、義弟が男になっただけだ」
「男に……え? え!?」
慌てる魔法剣士を他所に、聖女が涙を拭う仕草をし、感極まったように手をパンと叩いた。
「そうなのね、まいちゃん。お姉ちゃん、嬉しいわ。でも犯罪は駄目よ?」
「しねぇよ! 姉貴も変なこと言ってんじゃねぇ!」
「わたちもねらわれるでち……?」
「ただの毛玉に欲情してたまるか!」
「酷いよまいちゃん! こんなにロディアはフワフワなのに!」
各々の言いたいことをてんやわんやに口にし、収拾がつかなくなってきた時だ。バキン! っと何かが壊れる音に、一行が音のほうへ目をやれば。
宿屋の主が、手刀で受付の机を真っ二つに叩き割っていたのだ。口から息を細く吐き出すその様は、一見すれば昨日の四天王より魔族らしい。一応言っておくが、主は人間だ。
「にぃちゃんたちぃ、出るのか? 出ねぇのか? どっちなんだ!?」
「出ます! 今すぐに!」
即答した魔法剣士が、未だ揉める舞手とリーパーを先に外へ押し出し、続いて戦士、聖女が出ていく。最後に、
「どーもー……、お世話になりましたー……」
と店主に一応笑ってみたが、一言の挨拶も無かった。
昨日のことが嘘のように、通りでは今日も朝から人が行き来をしている。所々瓦礫がまだ残ってはいるが、商売をするには問題ないということか。
「賑やか、だね」
通りを眺める魔法剣士から、知らずに小さく呟かれた。
「……キミが守ったんだよ。全部とまではいかなかったかもしれない。けれど、今歩いている人間たちは、確かにキミが守ったんだ」
「うん……」
何があったのか、今を歩く奴らには知ることすらないだろう。だが、魔法剣士はそれで満足していた。だから自分の頬を両手で叩くと、右手を高く高くかざし、
「よーし! 目指すは“青の国”! そのためにも、早く北へ向かおう!」
と意気込んだのだが。
「……ノリ悪いなぁ。僕しか手上げてないじゃん」
肩のロディアから呆れたようにため息が聞こえ、
「だーりん、わかってないでち」
「え、何? 何が? もしかして僕だけ置いてかれる感じ? やだ置いてかないで!」
涙目になる魔法剣士に、聖女が可笑しそうに頬を緩めた。
「皆仲良しさんねぇ。お姉ちゃん、嬉しいわぁ」
「僕だけ仲間外れじゃない? 大丈夫、これ」
戦士が懐から手拭いを取り出し、魔法剣士へと差し出した。
「世の中というのは、相持ちで出来ている。貴公もまた、そうであろう?」
「世の……、何?」
手拭いで涙を拭いてから戦士へ返す。ちなみにだが、戦士の言葉、あれは“旅は道連れ、世は情け”と同義だと言えばわかるか?
「……!」
リーパーに抱かれた少女が、魔法剣士に向かって手を伸ばす。その動きはまるで頭を撫でてくれるようで、魔法剣士は
「うぅ、優しい。お兄ちゃん元気出そう……」
と情けない声を上げ少女に近寄る。しかし少女は魔法剣士の服を強く引っ張り続け、その意図に気づいた魔法剣士が「あ、抱っこですね」と軽く抱き上げた。満足したらしい少女が、得意気に鼻を鳴らす。
「ほらよ。早く行こうぜ」
「置いてかないの?」
「あのなぁ……」
舞手はそれ以上言うこともなく、北門への道を歩き始めた。続く聖女、それから戦士を見送り、魔法剣士が「待ってよぉ」と慌てて走り出す。
リーパーが最後尾をゆったりと歩き出す頃には、既に街には活気が溢れていた。
「あ! そういえば滞在証!」
そう、覚えているだろうか。この“黄の国”を歩く際に必要となる、その証明書のことを。街へ入る際にはリーパーが誤魔化してくれたが、流石にこの人数だ。誤魔化しきれないと魔法剣士が頭を悩ませていると、
「安心するといい。滞在証ならば既にある」
と戦士が一枚の紙切れを取り出した。それなりに達筆な字で、滞在を認める旨が書かれている。
「流石戦士!」
その滞在証を、どこでどうやって手に入れたのかは知らないが、奴ほどになればそのくらい朝飯前なのだろう。余り深く言うまいよ。
昨日はいなかった北門の衛兵にそれを見せ、入ってきた時とは比べ物にならないほど簡単に外へと出ることが出来た。
「南はどんな感じだった?」
北門が見えなくなった頃。先頭を歩く戦士の横に並び、魔法剣士が自分よりもはるかに高い奴の顔を覗き込んだ。
「南も大して変わりはなかったな。歌姫への信仰、ともでも言うのか。それで溢れていたようだった」
「なら北もかなぁ」
未だ見えない北の街を想像し、魔法剣士は目を伏せる。
「それなら心配することはないよ」
最後尾を歩くリーパーに、魔法剣士が「本当に?」と振り返った。リーパーは頷き、
「魔法力はだいぶ薄まったようだし、次第に人間たちの無駄な争いもなくなるだろう。それがいつまでかかるかはわからないけどね」
「いつまでって……」
「かなり侵食されていたようだし、自然回復を待つなら……五十年くらいかな」
「五十年て……」
リーパーたちにとってみれば、五十年など取るに足らない時間だろう。だが魔法剣士たちにとっては、それは長い時間にも等しい。出来るならば、もっと早くどうにか出来ないものか。
どうやら考えが顔に出ていたのか。リーパーから盛大なため息が聞こえ、魔法剣士は意識を再びリーパーへと向けた。
「……キミさ、簡単に考えてるだろ。いいかい? 確かにボクも同じことは出来るが、あれは“声”に特化させていたから出来たんだ。同じ規模のことは、流石のボクでも無理だよ」
「へぇ、個々で違うんだ」
確かに、歌姫はリーパーと比べて再生は遅かったし、煉獄に関しては力が強かった。まぁ、どれだけ強かろうと、この妖精王の前では関係なさそうだがな。
緑がまだ残る道を一行は歩いていく。しかし手入れのされていない街道は、旅慣れしていない魔法剣士と少女には辛く、それほど歩かずして、本日の野宿と相成ることになるのだが。




