難な生き方をした馬鹿者の話。
それは突然だった。魔法剣士たちが店を出ていき、どれくらいか経った頃だ。
本を広げ紅茶を嗜んでいたリーパーは、カップを静かに置くと、ミルクを皿から舐めていたロディアを優しく掴み、口回りのミルクを拭き取ってから自身の肩へと置いた。
「りーたん?」
首(どこかは知らんが)を傾げるロディアは、飲みきれていないミルクを名残惜しそうにしつつも、リーパーが何か言うのを待つ。少女もまたフォークを置くと、不安そうにリーパーを見上げた。
しかしリーパーは特に慌てるでもなく、頬杖をつき、軽くため息をついた。もうこれは奴のクセなんだろうな。
「代金の請求か、はたまた長時間居座っていることへの注意か……。さて、どちらだろうね」
「……?」
少女は椅子を降り、何か言いたげにリーパーの服の端を掴もうとし。そこで気づいた。
周囲に座る客の視線が、自分たちへ向けられていることに。
「……!」
本当ならば掴みたくはないのだが、背に腹は変えられん。少女はリーパーの服を掴んで揺するが、それにリーパーが動じる様子は微塵たりとてない。
一人の男がゆらりと立ち上がると、二人と一匹のテーブルへと近づき、その拳をテーブルに叩きつけた。ガシャンという音と共に食器類が揺れる。
「ぅ、ぅた……。歌姫の為にィィイイイ!」
雄叫びを上げリーパーへ襲いかかる。が、たかだか普通の人間にどうこうされるような奴でもない。男は触れることすら叶わず、その身体を何かによって吹き飛ばされてしまった。少女が目を点にし、リーパーの体をガクガクと揺する。
「なんだい?」
「……! ……!」
「りーたん、ぼぼぼぼうりょくは、はんたいでちよ!」
ロディアが跳ねて抗議し、少女が倒れた男を指差し何かを訴えるように口をパクパクとさせている。
「……」
「あぁ、キミも穏便に済ませたいほうなのか。わかったから、早くその手を離すといい」
そう言い席を立つと、リーパーは少女の手を強く引いて店の出口へと歩いていく。先ほどの男と同様に、何人かがリーパーへ斬りかかっていくが、それもまた飛ばされてしまう。
「りーたん、おかねは? はらわないでち?」
「この状態で誰に払うというんだい?」
「……くいにげでち」
「置いていくよ?」
「ごめんでち」
店を出、リーパーは空を見上げる。
「あぁ……、嫌な魔法力だ。反吐が出るくらいの、ね」
半ば少女を引きずるようにして、リーパーは魔法剣士たちがいる北門近くへと向かった。もちろん途中で、抱っこをせがむような目を向けられては、仕方なしではあるが、抱き上げるしかなかったのだが。
※
その紫髪の少女、いや歌姫は、赤目をギラつかせ踊り子を忌々しく見下ろしている。見た目の年的には魔法剣士たちと変わらないように見えるが、実際どれくらいかはわからん。短いスカートにはレースが施され、なんとも全体的にひらひらとした格好ではあるが、それ自身が、魅了するためのひとつなのかもしれないな。
「やーっと見つけたですの。忌々しい踊り子チャン」
「あぁ、やっぱりあんただったのかい。鮮血の歌姫」
二人の言い様に、魔法剣士が尻もちをついたままで視線を交互にやった。
「お、お知り、お知り合い、ですか」
「まぁ十年来の知り合いに違いはないさねぇ。昔と変わりなく、いや更に若くなったようだけど……」
踊り子は扇を広げ構えると、その扇を下から上へと振り上げた。
「風雅」
それは奴らが使う擬似的な魔法のようなものだ。余り魔法力に優れなかったこの一族は、その見た目で魅了すると同時に、こうして扇の振りに魔法力を織り交ぜ技を繰り広げる。
まぁ、この世界の魔法について詳しく知りたいのなら、あの高慢な妖精王様がまた話してくれるだろう。
「あーもー。ほんとにウザったいですの」
踊り子の扇から発した風の刃を、歌姫は左手を払う仕草をして防ぐ。多少衣装が破けたようだが、歌姫には傷ひとつない。
「あとは踊り子チャン、あなたを殺れば忌々しい一族は消え去るですの」
それに反応したのは舞手だ。
「忌々しい、一族……? は? だってオレの村は、野盗に……」
「言うんじゃない!」
踊り子が遮るが、歌姫が聞き逃すはずがない。見上げる舞手に視線をやり「んー?」と小首を傾げると、何かを思い出したように甲高い笑い声を上げた。
「あー! その髪色! あの男と一緒ですの!」
「あの男? お前何言って……」
意味のわかっていない舞手を嘲笑うように、歌姫の姿が一瞬にして消え――、舞手の前へ現れた。
「っ」
歌姫の右手が舞手へと伸びる。避けなければいけないと理解しつつも、舞手の体は動かない。その右手が首を掴む寸前、
「まいちゃん!」
と尻もちをついていたはずの魔法剣士が、舞手の腕を掴み引き寄せた。
「あらら? 反応出来る子ですの! 人間にしては珍しいですの!」
はしゃぐ歌姫を睨み、魔法剣士が震える声を絞り出す。
「お前はなんだ……?」
その質問に対して歌姫は気にする様子もなく、
「何って酷いですの! こんなに可愛い歌姫を捕まえておいて! そんな子にはお仕置きですの!」
と右手をひらりと振った。すると手に黒い棒のようなものが現れる。棒の先端には丸い物体がついており、それは魔法剣士たちには見慣れないものだった。
「みーんな皆、私の歌声に酔えばいいんですの! 私だけを見て、私だけを愛せばいいんですの!」
歌姫が息を深く吸い、手にした棒へ向かい声を奏で始める。その歌声は倒れていたはずの人々を再び立ち上がらせると、手にした槍や剣で己の腹や首を斬ったのだ。
「な、何やらせて……!」
声すらも上げずに、血溜まりを作り倒れる人々を見、歌姫は舌舐めずりをし、恍惚の笑みを浮かべた。
「何ってご飯の準備ですの。あなたたち人間だって、家畜を捌くですの。ちゃんと人間の文化に合わせる私、いい子ですの!」
「捌く? ご飯? まさか……」
倒れた人々は、あの朝、魔法剣士がリーパーから見せてもらった蠢く物体へと姿を変えていく。それは一見すればただの肉塊だが、これの元が何かを見た今では、気分の悪いものでしかない。
「やめろ! この人たちはお前のものじゃない!」
「あーもー、煩いですの。第一、そこの二人は私に酔わないのは仕方がないとして……」
その冷たい赤目が魔法剣士を捉える。
「なんであなた、私に酔わないんですの?」
「な、何言って……」
「私以上に綺麗なものも、可愛いものも、美しいものも、全部全部ぜーんぶ、消したのに。私にだけ酔えば幸せなのに。だから」
周囲の肉塊が次第に溶けていき、それはリーパーが示したように跡形もなく消えていく。
「あの村の奴らなんて、必要ないのに」
どくん、と魔法剣士の心臓が音を立てた。それは怒りからなのか、恐怖からなのか、はたまたもっと別の感情だったのか。
気づけば細剣を抜き、地面を蹴っていた。
「キャハハ! 怒ったですの、怒ったですの! 怒りに任せた剣なんて、当たるはずが」
笑う歌姫は余裕の表情だった。魔法剣士は左手でその顔を鷲掴みにし、そこから激しい炎を発生させる。それは火の高等魔法なのだが、如何せん、それを使うには魔法剣士はまだ未熟過ぎた。
ろくに魔法も使えない奴の手は焼け、酷い火傷を負うが、魔法剣士はそれを気にするでもなく歌姫の顔を焼いていく。
「ぎゃァァアアア!」
歌姫は手を振り払い距離を取る。爛れた顔からぼとりと片目が落ち、落ちたその目は鮮やかな深緑へと変わっていった。そう、舞手と同じ、深緑の瞳に、な。
「あの目の色……、一族の……」
呆然とする舞手とは反対に、魔法剣士が左手を押さえ地面へ膝をついた。
「あなた頭イカれてんじゃないですの!? 自分の手まで焼く魔法なんて、聞いたことがないですの!」
爛れた顔を押さえ、残った片目を怒りで見開き、歯をギリギリと噛むその様は、最初の余裕などどこにも見られない。魔法剣士は脂汗を額に滲ませながら、それでも痛みを感じさせない笑みを口元へ浮かべた。
「だから?」
「イカれてるですの……!」
歌姫が再び声を発しようとし――。
「蝶香」
踊り子が両手の扇で円を描く。色鮮やかな蝶たちが空を舞い、それは歌姫の視線さえも釘付けにしたその一瞬の隙だ。
「桜唄」
扇を縦へ強く振り、ふわりとその身体をしならせる。
一面に桃色の花びらが舞いだし、それは生きているかのように唸り、歌姫へと向かっていく。花びらは歌姫の身体を微塵に斬り刻み、風に舞う肉片へと華麗に、残酷に変えていった。
「これが、舞い……」
誰が言ったのか。その言葉に、踊り子は妖艶に口元を緩ませた。




