はりぼての虚勢心の話。
舞手を追いかけ店を出たまではよかったが、人通りの多くなった街を探し回るには、魔法剣士はこの街を知らなさすぎた。それでも止まっているわけにはいかないと、とりあえず宿とは逆方向へと向かうことにする。
「まいちゃん……」
通り過ぎていく人々の顔を見、時には心当たりがないか聞いてはみるが、皆一様に顔をしかめるだけで、余りいい返事をもらえることはない。それほど広くもない街のはずだが、やはり土地勘のない場所を彷徨うのは、骨が折れるというものだ。
「まいちゃん足早すぎ……」
気づけば北への門が見える場所まで来ていたらしい。遠目に門を眺めながら、魔法剣士は肩を落とした。
滞在証のない自分たちでは街の外へ出ることは出来ず、しかし出る必要性すら今はないに等しい。ならばまだ街中にいるとは思うのだが。とりあえず中心地に戻るかと足を向けかけ――、どこからか聞こえてきた歌声に、魔法剣士は足を止めた。
「歌……?」
それがどこから聞こえてくるのかと、辺りを見渡しながら歩いていく。そうしていると、人々の様子がおかしいことに気づいた。
「ぁ、あぁ、歌だ……。俺らの歌姫の……」
人々が揃って頭を押さえ、視点の定まっていない目を宙へと向ける。魔法剣士も習って宙を見るが、もちろんそこには何もない。
「あのぉ、何見てるんですか」
一番近くの女に声をかける。振り返った女の定まっていない目に、魔法剣士が小さく悲鳴を上げた。
「歌姫の……ため、に……」
「我らの歌姫……」
ゆらりゆらりと近づいてくる人々に、魔法剣士は「え? え?」と手を突き出しながら後ずさる。ドンっと何かにぶつかり、恐る恐る振り返れば。
「歌姫の為にィィイイイ!」
「ぎゃあああ!」
血走った目の男共が、手に鎌やら棍棒やらを持ち魔法剣士を睨みつけるのを見て、魔法剣士は堪らず逃げ出した。
どうしてこうなったのかはわからないが、魔法剣士は街中を鬼ごっこと洒落込んでいた。もちろん見つかればどうなるか……、言わなくてもわかるだろう?
置いたままの荷箱を蹴飛ばし、たまに転がったままの瓶を踏みつけ転びかけては、それでも捕まるまいと魔法剣士は走り続けていた。
「はっ……、はあっ。な、なんで、こんなことに……!?」
物陰に隠れとりあえずはやり過ごし、魔法剣士は切れた息を整える。リーパーたちのことが気にならないわけではないが、なんとか出来るだろうと踏み、今は考えないようにした。
「あれかなぁ。僕有名人にでもなっちゃったのかなぁ」
通り過ぎていった人々を見送り、魔法剣士はずるずると座り込んだ。
「おい」
「はぎゃ!?」
急に声をかけられ飛び上がってみれば、舞手が手を伸ばした格好で止まっていた。
「ままままいちゃん!」
抱きつこうとした魔法剣士を華麗によけ、舞手は「やめろ」と魔法剣士の頬を殴った。
「痛い。でもよかった、まいちゃんだ」
「お前、まさかオレを追いかけてきたのか……?」
魔法剣士は殴られた頬を擦り、尻もちをついたままでふにゃりと人懐こい笑みを向けた。
「だってさ、心配だったから」
「お前なぁ……」
舞手は軽くため息をつき、それから目線を合わせるように屈んだ。
「悪かったよ。急に出てったりして」
「それは怒ってないって。だって、我慢出来なかったことなんでしょ? まいちゃんがそうしたいって思ったんでしょ? なら僕は責めないよ」
「お前……」
「あぁでも」
魔法剣士は頬を指差し、
「これは怒っていい?」
と、さして怒りを感じてもいない声色でにやりと笑った。舞手はそれに苦笑いし、魔法剣士に手を差し伸べ、
「悪かったって」
「じゃ、なんで出てったのか聞かせてくれない?」
と魔法剣士はその手を握り返した。立ち上がった魔法剣士に、しばし迷う動作を見せた後、舞手は観念したように壁へともたれかかる。
「……本当は、姉貴が舞いを継ぐはずだったんだ」
「お姉さんが?」
「あぁ」
そう俯く舞手を見て、魔法剣士もまた習って壁にもたれかかった。
「舞いにはいくつかあってな。そのひとつが幻覚を見せるもので、オレの村は、幻覚によってその存在を隠していたんだ」
「あー、だから聞いたことなかったんだね」
「けれど、それがある日破られちまったらしくてな。野盗たちが押し寄せてきやがって、村の人間は散り散りになっちまった」
そう。奴らの村は、魔族や魔物ではなく、欲に目が眩んだ同族共に滅ぼされたのだ。舞手を見ればわかると思うが、男女共に目を惹く美しさを持つこの一族は、まぁ、そういった嗜好の奴らには大層気に入られていてな。
“なぜか”はわからんが、舞手の言った通り、ある日幻覚は破られ、野盗共の餌食になったわけだ。
「姉貴は小せぇオレを連れて逃げたんだが、とっくに両親がいねぇオレらは行く宛なんかあるわけねぇ。姉貴が選んだのは、僧侶になって座へ就く道だったわけだ」
「座に就くと何かあるの?」
「修道院内でのある程度の施し、それから自由が利くってのがデカい。元々オレはあそこの生活は好きでもなかったし、何より、舞いを極めるには外へ出るしかなかったしな」
悔しげに吐かれた言葉は、舞手が自分自身を忌み嫌っているように聞こえた。奴は、姉の人生全てを自分のせいで壊していると考えているからだ。
姉はそう思ってなぞ、ほんの少しすらないのに、な。
「まいちゃん」
「あん?」
「なら、尚更こんな場所にいられないね。だってまいちゃんの舞いは……」
笑う魔法剣士の背後に、棍棒を振りかぶった影が見え、舞手が「危ねぇ!」と魔法剣士を引き寄せ、棍棒を握る手に回し蹴りを放った。
「あわわ、見つかっちゃった!」
「お前も逃げてたのかよ!」
「“も”ってことはまいちゃんも!? やだ、助けに来てくれたのかと思ってたのに!」
「んなわけあるか! 逃げるぞ!」
再び集まってくる影から逃げるようにして、舞手は反対へと駆けていく。魔法剣士もまたそれを追いかけ反対の路へと出るが、まるで統率でも取れているかのように、既に通りにはゆらゆらと揺れる人々が集まっていた。
「逃げられないよ、まいちゃん! なんとかして!」
縋りつく魔法剣士をウザったそうに払いのけ、舞手は何かを考えるように地面へと視線を落とす。
家々の屋根にも人々が身軽に上がるのを見、魔法剣士が「人間技じゃない!」と更に騒ぎ立てた時だ。
シャラン、と鈴の音が響いたのは。
「おやおや。こんなに観衆に囲まれて。羨ましいったらありゃしないねぇ」
初めて会った時と同じように、踊り子は優雅に、妖艶に、そして美しく観衆の壁の向こう側から歩いてきた。
「踊り子、さん……」
呟くように零れたそれに、踊り子は持っていたキセルを吸い、煙をゆったりと吐き出してから、近くの男の手に灰を落とした。熱いはずだが特に反応を示さず、むしろ男は踊り子の通る道を開ける。
「さぁ、酔いなさいな」
扇を広げ、踊り子が舞い始める。
一歩、一歩と踏み出すその様に、我を失っていた観衆共が釘付けになる。次第に鎌や棍棒が落ち、そして意識を失うようにして地面へと倒れていった。
緊張の糸が切れた魔法剣士が、情けない声を上げながら腰を抜かす。全く、肝が座っているのか座ってないのか、よくわからん奴だ。
「ごわがっだぁぁあああ! だずがっだぁぁあああ!」
踊り子は二人へと歩み寄ると、騒ぐ魔法剣士の頭を優しく撫で、それから腕を組み、地面を見つめたままの舞手に視線をやった。
「全く。これだけのお客さんがいて舞わないなんて、勿体ないにも程があるねぇ」
「……オレは舞えねぇ。お前だって言ってただろ」
「まだ言ってるのかい? ほら、新しいお客さんが来たようだよ」
そう踊り子が示した先、まるで傀儡のようにして寄ってくる観衆の姿があった。先ほどよりもその数は増え、持っている武器も槍や剣に変わっている。
魔法剣士が叫び「早く逃げよう!?」と騒ぎ立てるが、踊り子も、そして舞手もまたその場を動こうとはしない。
「さぁさ、魅せてやんなよ。あんたの舞いをさ」
「オレは……」
「もし」
未だに渋る舞手の頭を、踊り子は手にした扇で二回叩いた。舞手が顔を上げる。
「もし、自分を信じられないのなら。あんたを舞えると信じたあたしを、そこのボウヤを、信じてやんな」
舞手は魔法剣士を振り返る。魔法剣士が「まいちゃん……」と情けなくも、それでも笑うのを見、舞手は自身の両手を強く握りしめた。
そうして舞手は前を見据え、両手を強く強く、叩いたのだ。
一斉に視線が舞手へ向けられる中、舞手は臆すことなく一歩一歩を舞っていく。指先ひとつひとつにすら目を奪われるそれを、余すことなく、見逃すまいと観衆の視線が追っていく。
最後の一歩を踏み終わり、舞手が優雅に、華やかに、頭を下げると、観衆たちがバタバタと倒れていった。魔法剣士が無意識に手を叩き、
「まいちゃん凄いよ! 舞えたよ!」
とはしゃぐが、肩で息をする舞手には届いていないようだな。そんな舞手に踊り子は薄く笑ってみせ、扇の端を舞手の顎へかけると、そのまま顔を上げさせ唇を重ねた。
それに慌てたのは舞手本人、ではなく魔法剣士のほうだ。
「え? えぇ!? ちょちょちょままま待って!? えぇ!?」
目の前の艶めかしい光景に、魔法剣士は思わず顔を手で覆う。が、指の隙間から覗き見る辺り、やはり年頃というわけか。
当の舞手はといえば、いきなりのことに頭がついていかないのか、されるがままに重ねられ、そのまま離れていく踊り子をただ呆然と見送った。
「……っ」
少し間が空き、何をされたのか理解した舞手が顔を赤くした。拳で自身の口を拭い、それから「何すんだ!」と出来る限りの虚勢を振り絞って吼える。対する踊り子は、面白そうに口元を扇で隠し、
「出来たじゃあないか。やっぱりあんた、いい男になる素質があるよ。いい男になったら、その時また続きをしてやろう」
と背を向けた。舞手は何も言えず、いや踊り子のその背をただただ見つめ、それから魔法剣士へ「帰ろうぜ」と頭を掻いて振り返った時だ。
「キャハハ! やっと見つけたですの!」
紫の髪を左右に高く結った、赤目の女が、宙へ浮いたまま甲高く笑いだしたのは――。




