当たり前のことを聞く話。
この遺跡が崩れたのは、別にこのフワリンのせいではない。ではこの魔法剣士が割った玉のせいかと問われれば、それもまた否と答えよう。
元々、どこぞの誰ともわからぬ輩によって封印が解かれていたのだ、この遺跡は。だからこそ、こうして地上へ出てきてしまっていたし、中を更に荒らされることになった。
運が悪かったのだ、有り体に言えば。
崩れた瓦礫の間に挟まれながらも、魔法剣士は未だしぶとく生きていた。瓦礫によって、フワリンの入っていた檻は歪み、もしあのまま中にいたらならば、今頃フワリンは潰れていただろう。
「いて……。君、大丈夫?」
「……なんでわたちをかばったでち」
「君が潰されちゃうだろ? 僕はここから動けないけど、君は自由だ。早く外へ出なよ」
手足どころか、首の向きさえも変えられないままで、魔法剣士は傍らにいるであろうフワリンに語りかける。フワリンが「ばかでち」と言い残して離れる気配を感じながら、魔法剣士は静かに目を閉じた。
どれくらい経っただろうか。
瓦礫をどかす音、そして差し込んできた日の光に、魔法剣士はうっすらと目を開けた。ぼやける視界の先に、それはそれは綺麗な青髪の“美女”が見えたものだから、魔法剣士はそれをよくよく見ようとなんとか瞬きを数回した。
「おい、大丈夫か」
「……やけに、乱暴な物言い、だな。でも好み……」
「あ?」
美女の顔が酷く歪んだ。
「まいちゃん、どう? 誰かいたかしら?」
「あぁ……、いや、誰もいねぇ」
そう言って、その美女は瓦礫をまた元の位置へ戻した。再び真っ暗になる遺跡内に、魔法剣士は酷く慌てて、
「待って! いるよ!? なんで漬物石みたいに戻しちゃったの!?」
と力の限り叫んだ。ずり、とまた瓦礫をどかす音と共に、今度はさっきとは別の美女が顔を覗かせる。先程の美女と同じ青髪を、ゆるく三編みにしている。
「あらあら、本当だわ。今助けるからねぇ」
それからさほど時間がかかることもなく、軽々と瓦礫はどかされていった。それでも、この魔法剣士は外へ出て身体を伸ばせたのは、もう既に日が沈みかけてからだ。
「助かった……、お二人とも美人ですね! 姉妹ですか!」
「んんん? んー、私はお姉ちゃんだけど、まいちゃんは妹ではないのよ?」
そう笑ったのは、姉だと名乗った女のほうだ。そうだな、この姉のことは以後、聖女とでも呼ぼうか。何せ、彼女は皆の姉として、時に母として、こいつらを支えていくことになるのだから。
そして隣の不機嫌な妹、いや弟は舞手と呼ぼうか。そう遠くない未来、この舞手は男女関係なく魅了するほどの美貌を持つことになり、更には舞いを舞える唯一の人間になるのだが、もちろんこいつも今は舞えん。
まぁ、ただの生意気な子供というわけだ。
「妹じゃ、ない……? あぁ、従妹ですか?」
「ちげぇ。そもそも俺は女じゃねぇ」
「そうだね、こんなに可愛い子が女の子なわけないもんね!」
最後まで言い切る前に、魔法剣士の顔面に舞手の拳がめり込んだ。鈍い悲鳴を上げて倒れた魔法剣士を見、聖女は慌てるかと思いきや、
「まいちゃんがこんなにはしゃいでるの、お姉ちゃん久しぶりに見たわ」
と両手を叩いて喜びを表した。少しズレている感性を持ってはいるが、それもまたこいつらには必要だった、ということだろう。
「姉貴。こいつ埋め直していいか」
「こらこら、折角掘ったんでしょ? 埋めたらそれが台無しよ?」
「ちっ」
舌打ちをした舞手を見て、魔法剣士は怒るかと思いきや、頬を擦りながらも起き上がると、
「そうだぞ、まいちゃん! 台無しだぞ!」
「うるせぇ!」
と舞手はまた魔法剣士を殴り飛ばした。
「まぁまぁ! 二人は仲良しさんねぇ! あ、そうそう、この子知り合いかしら?」
聖女がそう言い、自分の影に隠れたままのピンクの毛玉に視線を落とした。見たことのあるそれはおずおずと魔法剣士の前まで出ていくと、潤んだ瞳を向ける。
「君、無事だったのかぁ! よかったよかった!」
「……わたち」
「ん?」
フワリンはぴょんと魔法剣士の足に体当たりを繰り返す。何をしたいのかわからず、魔法剣士がただただ困惑していると。
「乗りてぇんだろ。察してやれよ、童貞」
「なんで初対面に童貞って言われなきゃならんのか、ちょっと詳しく聞きたい」
そう言いながらも、魔法剣士は屈んでフワリンに手を伸ばしてやる。その手を伝って頭まで登ったところで、フワリンは満足そうに頭へ頬ずりをした。
「わたち、だーりんについていくでち!」
「は!? 待ってだーりんって何!?」
「だーりんちらないでち? だーりんは、あいするとのがたのことでち」
「それくらい知ってるよ!? 聞きたいのは、なんで僕が君にだーりんって呼ばれなきゃいけないのかなんだけど!」
頭を上下左右に振ってみるが、このフワリンが離れる様子は全く見られない。むしろ「だーりん、はげちいでち!」と喜ぶばかり。
聖女も「あらあら」と頬を赤く染めて一人と一匹を眺めている。舞手だけが、呆れて物も言えない様子でため息をついた。
「フワリンちゃん、おめでとう。やっぱり恋って素敵ねぇ」
「お姉さん! 素敵言ってる場合じゃなくて! てかこの子女の子だったの!?」
「だーりん、はずかちがらなくていいんでちよ!」
「ねぇ話聞いてる!?」
やんややんやと騒いでいるが、ここは危険な魔物が徘徊するハイスヴァルム。日も沈んだ中、こうして騒いでいれば、自ずと餌を求める連中が集まってくるのは当然のことだ。
「姉貴」
「あらあらまぁまぁ! 悪い子が来ちゃったみたいねぇ」
辺りの森を鋭く睨みつける舞手とは反対に、聖女のほうはのんびりと言い微笑んだ。魔法剣士だけがわけがわからず首を傾げる。
暗闇から光る目が、二つ、四つ、六つと増えていき、それが十を越えた辺りで、この鈍い魔法剣士にもわかった。狼に囲まれているのだと。
「わ、わわわ! こんなにたくさん、僕美味しくないよ!」
「大丈夫よ。この子たちにとって貴方が美味しいかどうかなんて関係ないもの!」
「あ、そうなんだ……って、納得しないよ!?」
口から涎を垂らしているのを見るに、ここ何日も餌にありつけていないのだろう。まぁ、それもそうだ。
世間を知らない魔法剣士は疎いが、日が落ちてから街や村の外に出る人間などいやしないからな。自分から餌になるお人好し、間近で魔物を見たいなどと抜かす物好きは知らんが。
あぁそれから、死体の隠し場所に困った一般人共もそれに当てはまるかもしれない。
「た、助けて……」
驚きで腰の抜けた魔法剣士に舌打ちをして、舞手が腰に差した扇に手を伸ばす。
「あら? まいちゃん、舞えないのに扇使うの?」
「舞えるかもしれねぇだろ!? オレは本番に強いんだよ!」
「そう言って舞えたことは一度も」
「あぁもう! 少し黙ってろよ姉貴!」
語尾を強めて言い、舞手は両手に扇を握りしめる。それを下から上へ振り上げ、
「風雅!」
と叫ぶ、が何も起こる気配はない。もう一度「風雅!」と同じ動作をするが、やはり何も起こらない。
「……え、君も戦えないの? あんだけ大口叩いといて?」
「うるせぇ!」
舞手は恥ずかしくて堪らないのか、魔法剣士に背を向けてから扇を地面へ叩きつけた。
「あらあら。だからお姉ちゃん言ったでしょう? まいちゃんはまだ舞えないんだからって。お姉ちゃんの言うことをちゃんと」
ふわりふわりと話していると、待ちくたびれた狼が三人へ飛びかかってきた。魔法剣士はもちろん、舞手もまた小さく悲鳴を上げる。
「あら? もう……、お姉ちゃんお話中なのよ? お話中に割り込むような悪い子には、お仕置きが必要かしら」
言うが早く、聖女はその穏やかな笑みと白の法衣には到底似合わない棍棒を手にすると、それを容赦なく狼の脳天へ振り降ろした!
「ギャッ」
潰れた狼を「もう」と優しい眼差しで見つめると、聖女は続いて襲いかかる狼に横から棍棒を叩き込む。他の狼を巻き沿いながら木へぶつかると、二匹の狼は動かなくなった。
「ふふふ、今日の夜ご飯はお肉かしら。皮はそうねぇ、あ! 町で買い取ってもらえるかしら。えい!」
片手で悠々と棍棒を振り回し、返り血で法衣を赤く染めながら、その聖女は笑顔を絶やすことなく屍を積み上げていく。
その異常な光景は、今までに見たことのないもので、魔法剣士は胃から込み上げたものをすぐに吐き出した。
「うっ、はっ……」
「あら? どうしたの? 気分が悪いの?」
「ひ、ひいっ」
全ての狼を葬った聖女は、最初となんら変わりない穏やかな笑みを魔法剣士へと向けた。優しさに溢れているはずのその笑みが、今の魔法剣士には心底不気味に見えたことだろう。
「あらあら、そんなに吐いて……。具合が悪いのね! すぐにご飯作りましょうね」
「ご、ごはん……?」
呂律も頭も回っていないが、それでもなんとなくわかる。この狼を食べるつもりなのだと。
「ぼ、僕は、ご、ご飯いいんで……!」
頭をなんとか動かして左右に振る。
「んん、でも食べないと元気は出ないのよ? だから出来上がるまで待っててもらえる?」
そう言って腰に下げた袋から出したのは短剣だ。それを容赦なく狼に突き立てようとしたところで、
「姉貴!」
「なぁに、まいちゃん。そんなに大きな声を出さなくても聞こえてるわよ?」
「あっちに川あったろ? こいつの顔洗ってくるわ」
「あらあら、気が効くのね! じゃあ、お願いしちゃおうかしら」
ふわりふわりと笑う聖女に片手を上げると、舞手は魔法剣士に「来い」と顎で示す。魔法剣士は半ば這うようにして後をついていく。
魔法剣士にとって、背後から響く鼻歌が、この時は鎮魂歌に聞こえたに違いない。