るり色の爪に惹かれる話。
日が沈んだ後に開く店など、大抵ロクなもんじゃない。それでも表にある店はまだマシなほうだ。その中でも割と、灯りが他の店と比べて明るい店を選んで入ることにした。
「あんま混んでなくて良かったねぇ」
店員に通された席へと座り、メニュー表を少女に見せてやる。選ぶ間に魔法剣士は店内を眺めることにした。
店の前方には小ぶりなステージがあり、どうやらそこで何か催しが開かれるのか、近くの席に座る客からは溢れんばかりの熱気が伝わってくる。いや、あれは熱気というより、殺気に近いものだな。
魔法剣士は自分の袖を少女が引っ張るのに気づき、同じようにメニュー表を覗き込む。少女が小さな指で示しているのは、旗が立てられたオムライスだ。
「美味しそう! 皆は決まった? 店員さん呼んじゃうよ? すみませーん!」
「おいまだ決まったなんて言ってねぇ!」
「え、そうなの!? 一人で決められないなんて、やっぱり、まいちゃんはお姉さんがいなきゃ駄目なんだねぇ。じゃ、オムライス三つでいっか」
「待て、なんでオムライスなんだ!」
「まいちゃんオムライス嫌い……?」
そう首を傾げる魔法剣士の横では、少女が二重の瞳をこれでもかというほどに見開いている。流石の舞手ですらこれはわかった。
『オムライス、嫌いなの?』だ。
目を潤ませそう訴えかけられては、舞手も背もたれにもたれかかり、
「ああったく、好きだよ。オムライス」
と半ばヤケクソ気味に答えるしかない。少女の表情が一気に明るくなり、それから水の入ったコップに口をつける。
忙しなくやって来た店員に、魔法剣士が「オムライス、三つで」と指を三本立てた。頭を下げて厨房へ向かう背中を見送り、魔法剣士は少女に「楽しみだねぇ」と笑顔を向ける。
そうして他愛ない話をしていると、先ほどの店員がワゴンにオムライスを三つ乗せて運んできた。立っている旗は絵柄がそれぞれに違い、少女が率先して旗を見比べている。
「どの旗がいい? 選んでいいよ」
「……!」
魔法剣士の言葉に少女が目を輝かせ、しばし迷い、白にピンクのハートが描かれたオムライスを選ぶ。残り二つを適当に舞手とリーパーへ渡すと、魔法剣士は嬉しそうにスプーンを握る少女に視線を移した。
そんな魔法剣士を呆れたように見、リーパーが自分の分を差し出す。もちろん魔法剣士は何事かと首を傾げる。
「ボクはいいから、キミが食べるといい」
「ん? あぁ、いいよ。僕はこの子のをもらう、から……」
そこまで言いかけ、気づく。少女が信じられないという目で魔法剣士を見ていることに。
「う、嘘嘘! 一人で食べれるもんね! お兄ちゃん嘘言っちゃったよ! ごめんね!」
「……!」
少女は自分のオムライスを手で庇うようにし、またスプーンを動かし始めた。
魔法剣士は、リーパーから受け取ったオムライスにスプーンを入れると、少女に「大丈夫、取らないから」と言い聞かせながら食べていく。
三人は料理に手をつけ、リーパーが本を読み始めた時だ。ガラの悪い二人組の男が、魔法剣士の座る椅子を思い切り蹴ったのは。
「ふぐっ」
口に入っていたオムライスが飛び出し、反対に座っていた舞手の皿へと華麗にかかる。舞手が「おい!」と怒りをぶつけるが、二人組の下品な笑みを目にし、すぐにそちらを睨みつける。
「おいおい、ここはお子様ランチを食べる場所じゃねぇよ」
「そこのお姉ちゃん。そんなガキたちより俺らともっといいモン食おうぜ」
舞手の顔が引きつった。
それはそれとして、未だ咳き込み続ける魔法剣士の背中を、椅子から降りた少女が擦ろうとする。が、如何せん手が微妙に届かず、あまり意味がない。まぁ、気持ちは有り難く受け取るとしよう。
「そっちのガキも可愛い顔してんじゃねぇか。お兄さんたちといいモン食おうぜ」
下品な笑いをして男が見たのは、魔法剣士に引っ付いたままの少女だ。少女は肩を震わせると、その視線から逃げるように魔法剣士の影へと隠れる。
落ち着いた魔法剣士が水を一杯飲み干し、それから笑い続ける男の胸ぐらを掴んだ。それは一瞬の出来事で、男は知らずのうちに口から小さく息が漏れた。
「僕の仲間に何か用?」
もう一人が「おい!」と魔法剣士の手を掴むが、魔法剣士の覇気に押され離してしまう。
「もう一度聞く。何か用?」
「こんの……っ、ガキ……!」
男が拳を振り上げる。
魔法剣士の影に隠れていた少女が目を閉じる。しかし、その拳が下ろされることはなかった。
シャラン、シャラン。
それは鈴の音だ。その音はよく響き、そして心地よく、気づけば誰もがその音のほうへと目を向けていた。
「お客サン、ここは食事を楽しむ場だよ」
妖艶な笑みを携えて、一歩一歩を美しく踏み、店の入口から魔法剣士たちのテーブルまで歩いてきたのは。
美しい、いやその言葉ですら失礼に当たるであろうほどの、それだけの美貌を持つ女だった。薄緑の髪を高い位置でひとつにくくり、そこに独特の髪飾りをつけている。
着ている服もこれまた独特でな。
昔“黄の国”に住んでいた少数民族の衣装だ。確か、そう“キモノ”と言ったか。その民族はどうなったか、だと? さてな。
「綺麗な人……」
意図せず魔法剣士の口からそう零れ、掴んでいた手から力が抜ける。女は魔法剣士にふっと柔らかい笑みを見せ、それから二人組には手にしていた扇を向けた。
「そんなボウヤを相手にするより、あたしで酔っていかないかい?」
その扇で男の顎を、つ………と撫でてやれば男の顔が惚けた。それに女は首を横に振り、空いている席を示しながら「ほら、座りなさいな」と扇で頬を軽く叩いてやった。
興奮気味に席へと着く二人組を見送り、女は影に隠れたままの少女に視線をやる。次に魔法剣士を見ると、
「ボウヤはその子の兄サンかい?」
と微笑んだ。魔法剣士がハッとしたように瞬きを繰り返した後、少女の頭を優しい手つきで撫でてやり、
「義妹です」
「……!」
少女が猫のようにすり寄るのを更に撫で、魔法剣士は「ほら、食べよう」と椅子に座るように促した。こくりと頷いて座る少女にスプーンを持たせてやり、それから自分の分にも手をつけ始めた。
女は扇で口元を隠し、しかし目つきは優しいままで二人に微笑んだ。何か、懐かしいものでも見るかのように。
「ふふ……。ボウヤ、あんたいい男になるねぇ。よかったら楽しんでいってよ。そこの白髪の兄サンも、ね」
そう言われるも、リーパーは本から視線を上げず、つまりは全く興味を向けることなく、本を読み続けている。女はそれを可笑しいとばかりに笑い、しかし気にすることもなく奥のステージへと進む。
前方の客だけでなく、食事中の客、更には給仕中の店員までもが、その姿に見惚れ、そして手を止めた。
そうしてステージへ上がった女は、両手の扇を優雅に振り始める。歩を進め端へ行く度、誰もがそれを追い顔を向ける。反対へ向かえば同じように。
いや、そこのご立派な“妖精王様”は本にご執心のようだったが。
女が踊り終え、頭を下げる。一斉に鳴り出す歓声はしばらく止むことはないだろう。
カラン、とスプーンが床に落ちる音を聞いて、魔法剣士が慌てて少女のほうを見れば。半分以上残ったオムライスを前に、少女が途方に暮れているところだった。
「あ、スプーン落としちゃったか。新しいのもらおっか。すみませーん」
魔法剣士が店員からスプーンの代わりをもらう間、少女はなんとも言えない表情でオムライスを見つめていた。それにため息を零したのはリーパーだ。
「ほら。それ食べるからこっちに渡しなよ」
本を閉じ、テーブルの隅へと置いたリーパーは、早くしろと少女に手を伸ばした。しかし奴に懐いていない少女が、そう簡単に渡すわけがない。
全力で首を振ると、リーパーをきっと睨みつける。まぁ、可愛いだけで、怖くもなんともないのだが。
「だから子供は嫌いなんだ。自分の限界も見極められないくせに、一人前になんでもしたがる」
「ちょちょちょちょ、リーパー? 小さい子にそういうのはさ、ほら、ね? 落ち着いて落ち着いて」
宥めるものの、リーパーの口調は冷たく、そして少女の表情は次第に歪んでいき、涙がポロポロと溢れてしまった。それでも泣くまいと引き締める口元は、なんともいじらしい。
しかしリーパーにそれは逆効果だ。目が赤く染まったそれを見て、少女の顔が更に固まっていく。リーパーは視線を反らすと、
「嫌なら、先に出てるけど」
と小さく呟いた。二人を交互に見る魔法剣士が慌てて奴のフードを深く被せ、
「あー、あー。わかった、お持ち帰りにしよう! すみませーん!」
と声を張り上げた。スプーンを持ってきた店員の目が「今度はなんだ」と訴えかけてくるのを気にせず、魔法剣士は朗らかに笑った。
「お持ち帰りの容器ひとつと、あと追加でお持ち帰りのオムライスひとつください」
「おい」
面倒くさそうな店員を見送り、ステージを見れば。
あの女の姿は、もうどこにもなかった。




