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歩を進み、早足で行く話。

 男は、自分がどれくらいかぶりに昂っているのを感じていた。退屈な、衝動や欲のままに貪る日々。それを今、自分よりも遙かに生きていないちっぽけな少年ガキが壊そうとしている。

 その昂りが、嬉しくて嬉しくて仕方がないのだ。


「なぁ、ガキ。テメェは俺っちの渇きを潤してくれる奴かぁ?」


 魔法剣士は何も答えず、剣先を向けているだけだ。それに男は「ヒヒヒ」と喉を鳴らし、自分の手首をベロリと舐めた。


「やってみりゃあわかる、か!」


 男が高く飛び、その交差した手を勢いよく振り下ろす。爪が魔法剣士に向かって飛ぶ。それをひらりひらりと身軽な動きでよけ、魔法剣士は手にした細剣を男の肩へと打ち込んだ。


「ヒヒッ」


 肩が弾け、肉片が飛ぶ。それらはすぐに再生し、元へ戻る。


「やるじゃねぇか若造! 今食っちまうには惜しいなぁ。あぁでもなぁ、これ以上育っちまったら脅威になるしなぁ。どぉしよっかなぁ」


 魔法剣士の細剣をよけ、男が愉しいと言わんばかりの満面の笑みを浮かべた。

 それを見ていた妖精王フィーニが、抉られた横腹を押さえ、ふらつく足をなんとか踏ん張り立ち上がる。男より魔法剣士を見つめると、小さく「駄目だ……」と呟いた。


「妖精王、魔法剣士殿の身に一体何が起こっているのだ!」

「彼は、自分に魔法力がないと言っていたが、おかしいと思っていたんだ……。そもそも魔法力がなければ、花妖精ニンフを見ることは、いや掴むことは出来ない」

「じゃあ、なんであいつは魔法が使えないんだ!」


 鬼気迫る舞手に、妖精王は「さてね」と首を振ってみせ、


「どのみち、彼は上手く魔法力を制御出来ていない。このままでは枯渇し、最悪死ぬ……っ」


と痛みで顔をしかめた。戦士と舞手がなんとかしたくとも、魔法剣士と男の攻防の速さの前では立ち尽くすしかない。

 師匠殿に魔法をかけている聖女が、手をかざし、額に汗を浮かべながら微笑む。視線は師匠殿に落としたままで。


「貴方なら、出来るのでしょう?」

「アレが言った通り、ボクは長らく食事を摂っていない。お陰様で自分の傷すらこの通りさ」

「あるじゃありませんか。貴方がその道を選ぶのであれば、私は構いませんよ」


 その穏やかな声は、まるでそれしかないと言われているようで、妖精王は悔しげに唇を噛んだ。舞手と戦士はその意味がわからず、見守っている。


「かはっ!」


 魔法剣士の苦しげな声が聞こえ、そちらに目をやれば。膝をつき咳込みながら吐き戻している姿があった。つまらなさそうに男はそれを見下ろし「もう終わりかぁ?」とにたりと笑う。


「まだ、だ……!」

「まぁ若造のくせに頑張ったほうだよ、テメェは。このまま食っちまうには、惜しいくらいになぁ」


 なんとか体勢を整えようとするが、既に魔法剣士の身体には限界がきていた。足がガクガクと震え、細剣を握る手には力が入っていない。それでも立とうとするのは、なんでだろうな。


「お、前と……」

「あん?」

「お前と妖精王を一緒にするな……」

「ああん? 一緒だろうが! それとも何かぁ? 化け物を庇うのか? あんな、人間離れした、やべぇ奴をよぉ!」


 腹を抱えて男は笑う。しかし、


「やばい奴じゃない……、友達だ!」

「……っ」


 その魔法剣士の言葉はある奴に響いた。

 妖精王は未だ治療を続けている聖女の後ろへ屈み、肩にかかる髪に触れる。


「やっと覚悟が決まったご様子で」

「言っただろう? 愚者だと。だから同じ愚者のキミにも手伝ってもらおうかなと」

「痛いのは嫌ですよ?」

「善処はするよ」


 そう苦笑する妖精王と、穏やかに微笑む聖女。妖精王がその首筋に顔を寄せ、そして微かに牙を立てた。


「っ」


 善処はすると言ってくれたが、痛いものは痛い。服を伝う血が視界に入り、聖女は「嘘つきですね」と皮肉を零す。気を抜けば血だけでは済まないことを察し、何回か深呼吸をして気を入れ直した。


「……ありがとう」


 それは、視界の端に見えていた白髪が離れるのと同時だった。感じたことのない力が生じ、それは妖精王を中心にして激しい風を巻き起こしたのだ。

 異変に気づいたのは魔法剣士だけではない。男もまた妖精王を見、そして空へと高笑いを捧げた。


「ヒャッハァァアアアア! 来た来た来た! そぉだよぉ兄弟ぃ! 俺っちたちは所詮、化け物なんだよぉ!」

「……少し、煩いな」

「あん?」


 それは一瞬だ。

 男は自分の首が転がっていることに、全く気づくことなく、地面から妖精王を見上げていた。涼しい顔で立つ妖精王の横腹には、最早傷などどこにもない。


「あぁ、すまない。少し慣らしただけなんだが、キミじゃ食後の相手にすらならないな」


 その赤い目の底に揺れる光は冷たく、男はそれにすら高揚を覚える。例え自身の身体が、現在進行系で粉微塵にされようとも。


「妖精王……!」


 立つことすら出来ないでいる魔法剣士が、掠れた声で奴を呼ぶ。妖精王は激しく咳き込む魔法剣士を支え立たせると、戦士の元まで軽く飛び「頼んだよ」とその体を預けた。

 何度斬られようとも、何度千切られようとも、男の身体は再生を繰り返す。それはまるでイタチごっこだが、さて、何か策があるのか。


「こんの、クソがァァァああ! 俺っちをコケにすんのかぁ!」

「キミ、自分にコケにされる価値があるとでも思っているのかい? ならとんだ道化師だね」


 再生がしばし追いつかなくなってきたのか、男の腹に空いた穴が塞がらなくなった時。妖精王はそれを見逃しはしなかった。鎌を左手に持つと、右手をその空いた穴へと差し込んだ。


「深き孤空そら。忍び寄る混沌。我が声に応え、かいなに宿れ。時空領域ブラックホール

「その魔法は……!」


 そうだ、覚えているか?

 この狭間の世界へ来る時にキノコ頭が使っていた古代魔法だ。現代の貧相な人間が使えばロクなことにならないが、この“始祖”と呼ばれる、特に奴ほど魔法力を持つ者が使えばどうなるか。


「ギ、ギギ、ギギぎざまぁ!」


 空いた腹を中心にして、何かを吸い込むように現れたその黒き光は、男の身体を呑み込もうと光を大きくしていく。呑まれぬように男が抗うも、胴体、足と呑まれ、あとは顔と手だけになった時だ。


「チィッ」


 男は自身の首から上を切り離し、その光から逃れたのだ。


「許さねぇ! 許さねぇ許さねぇ許さねぇ許さねぇ許さねぇ! 兄弟! テメェは俺っちが殺す! 若造、テメェもだ。()が絶対、後悔させてやんよ」

氷霧ひょうむ!」


 妖精王が氷の魔法を使う。残った顔を覆うように結露していくが、男が甲高い声を上げると、その残った顔は無数のコウモリへと姿を変え。

 そして何処かへ飛び立っていった。


「魔法剣士くん!」


 すぐさま戦士の元へ駆け寄り、妖精王はその青い顔に両手で触れる。


「なんであんな無茶をしたんだ! 今すぐにボクの魔法力を」

「あは、は……」

「魔法剣士、くん?」


 力無くも笑う魔法剣士の意図がわからず、妖精王は首を傾げた。


「やっと目、見て……話して、くれたなってさ……」


 妖精王だけでなく、舞手も肩の力が抜けたように苦笑いをし、その頭を乱暴に撫でた。魔法剣士が小さく「やめてよ……」と言うが、舞手はやめることをしなかった。

 自身の、情けない表情かおを見られるのが気に食わなかったんだろうな。だから尚のこと力を強くしてやった。


「全くキミは本当に……、空気が読めないって言われないかい?」

「はは、僕のファン、かな……?」

「まさか」


 魔法剣士に触れた箇所から淡い光が溢れていく。次第に血の気が戻っていくその顔に安堵し、妖精王は薄く笑いながらこう言ったのだ。


「友達、の間違いだろう?」

「ふっ……。あはは、そうだね、間違いない」


 途端に溢れる魔法剣士の笑い声。それに重なるようにして、屋敷から森妖精エルフたちが騒ぎ出し、ようやく。

 この狭間の世界に、また元の日々が戻っては――こなかった。




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