皆、生きるんだ! な話。
妖精王にとっての食事とは、すなわち魔法力である。それは人間が口にするものからでも取れるが、味のしない、美味いとも思わないものを食べ続けることが出来るか?
それをしてきたのがこの妖精王だ。
何? どうやって魔法力を奪うのだと? 一番手っ取り早いのは、対象に触れ吸収してしまうことだな。あとは経口摂取だ。血や唾液、汗でも構わん、つまるところ体液を摂ればいい。
あとはそうだな、男女のまぐわいでも可能だと、言っておこうか。さて、この妖精王はどうやって摂取するつもりなのか。
「ボ、クは……」
掠れる声が聞こえ、聖女はそれを宥めるように、抱き込んだ白髪を撫でる。少し癖のある猫毛は、まるでこいつの気紛れさを表すかのようだ。
「大丈夫、私は受け入れますから。だから、貴方が望むものを、その手にすればいいのですよ」
「……」
それを聞いた妖精王の腕に一瞬力が入り、そしてその腕は聖女をしっかりと突き放した。
「……気持ちだけ頂いておくよ」
「あら? 本当によろしいのですか?」
未だ赤いままの目は、聖女を真っ直ぐ見ようとはせず、床へ落とされたままだ。
「もしここで、ボクがキミに手を出してしまえば、きっとあの少年が気に病むだろうからね」
「他人を気にするのは愚か者のすることでは?」
なんとも意地悪な笑みを向けられ、妖精王は「そうだな……」と呆れるように口元を歪めた。
「言ったはずだよ。愚か者にしか扱えない魔法だってね」
「ふふ、では私も愚か者ですね。けれどそのままでは私たちが、ひいてはあの子が困りますので……」
聖女は穏やかな笑みを携えたままで、妖精王の手を取ると、その人差し指を躊躇いもなく咥えた。それに己の唾液を絡ませてから「はい、どうぞ」と差し出してやれば、妖精王の端正な顔立ちが酷く歪んだ。
「呆れるくらいに愚かだ。けれど」
自身の人差し指についたそれを舐め、妖精王は白に戻った目を細める。
「キミたちらしいよ」
それに対し、聖女は口元に指をやり、ぺろりと舌を出してみせた。
「こちらでもいいんですよ?」
「ご遠慮しておくよ。抑えが効かなくなったら、困るのはそちらだろうからね」
「そちらかもしれませんよ?」
「へぇ。それはそれは、流石は弐の座の聖女様というところかな」
妖精王は落ち着いた様子で聖女に背を向けると、ふと何かに気づいたように窓を開け外を見た。聖女もまた隣に並び、外を見ると。
黒い穴が、ぽっかりと空に開いていた。
魔法剣士は、姿の見えない自分に代わって、森妖精が花妖精に説教をしているのを眺めていた。悪気がなかったとはいえ、少女に何かしらあったことに違いはない。
「魔法剣士様、本当に申し訳ございませんでした」
「いやいや、いいよ」
ここに来てからよく話すようになった森妖精だ。彼女には世話になりっ放しだと、申し訳なく思う。そんな彼女が頭を下げるのを諌め、魔法剣士は「それで」と少女を抱え直し、話を切り出した。
「あの光は?」
「あれは魔法力の光ですね。目視出来るほど強いかたは中々おられませんよ」
「魔法力って、確か封印されてたんじゃ……」
森妖精は頷き、少女に目をやる。
「恐らく、夢でご両親と会ったことで、想いが暴走したのかもしれません。淋しい、悲しい、嬉しい、離れたくない、それこそ言葉に出来ないくらい」
「そっかぁ……。そうだよな、まだちっちゃいもんなぁ」
再び何も映さなくなった瞳を見て、魔法剣士は眉を伏せる。そんな空気を破るように、慌てて別の森妖精が駆け込んできた。
「大変だ! 空に、何か出てきたんだ!」
「空?」
その穴は、魔法剣士たちにも見えていた。外に出た魔法剣士は、少女の背を優しく擦りながら、突如として現れた穴を見上げている。
「あれ何かなぁ。太陽かな?」
「あんだけ近かったら焼けちまうだろうが」
「まいちゃん頭いい」
「お前が馬鹿なんだよ」
突っ込む舞手もまた、ではあれは何かと問われても答えることは出来ない。戦士も遅れて出てくると穴を見上げ、
「来る……!」
と二人の首根っこを掴んで後ろへ飛んだ。
「ぐえ!」
「ぐふ!」
似たような声を上げ、二人揃って地面へ転がる。それでも魔法剣士は、少女を離しはしなかった。
瞬間、立っていた場所に何かが落ち、地面が抉られ木々がなぎ倒されていく。土煙が舞い上がる中、人影のようなものが見え、それがゆらりと動く。
「はぁぁあああ。外しちまったよ、的狙ったはずなんだけどなぁ。全く俺っち下手くそ☆」
陽気な、けれど心臓が跳ねるような不気味さを纏った声に、魔法剣士は立ち上がることも出来ず、少女を抱いたままでそれを眺めていた。
「貴様! 何奴!」
斧を構えた戦士が吼える。二人を庇うように仁王立ちし、その人影を睨みつけた。
「ああん? なんか獣くせぇと思えば……混血かよ。シッシッ、俺っち女以外興味ねぇんだわ」
土煙が収まると、赤い目の、金の髪を優雅に風にたなびかせた男が立っていた。同じ赤目だというのに、先ほど見た妖精王のそれよりずっと冷えたその目に、魔法剣士の全身の毛が逆立った。その男は辺りを見渡すような仕草をし、
「あっれー? ここからやべぇ魔法力感じたんだけどなぁ。そう。こ、こ、か、ら、なぁ!」
舌舐めずりをし、男はわざとらしく言う。魔法剣士にもわかった。この男が探しているのがこの少女であり、敢えて見えないフリをしていることを。
「おいおい、聞こえてねぇのかぁ? そこにいんだろぉ? 極上の、え、さ、が」
「餌、だって……?」
魔法剣士は少女に視線を落とし、そして気づいた。
今までのどの時よりも、比べ物にならないほど、少女が服を強く握りしめ、ただただ小さく震えているのを。
「お前、この子に何をした……?」
怒りで声が震えそうになるのを抑え、魔法剣士は至って冷静に言う。
「え? 何? 何って、なぁんにもしてねぇよ? その証拠にほら、そのガキ、生きてんだろぉ?」
魔法剣士は少女の耳を塞ぐように、強く、強く抱き締め、そして怒りに満ちた瞳を男へ向けた。
「この子に、何を見せた……?」
にやり、と男が笑った。
「だぁいすきな、パパとママを、美味しく頂いてやったんだよぉ! だけどアイツら、ガキ共々逃げやがった! 折角! 俺っちが! デザートに! 生かしておいてやったのに!」
地団駄を踏む男は、誰がどう見ても狂っていた。
「奇跡の一族って知ってるかぁ? 奴らの血は極上でさぁ、一度喰うと止まんねぇんだ、これが。いい女はヤッてもうめぇし、そのまま喰ってもいい。穢れのねぇガキなんて特に最高だ!」
「もういい黙れ……」
「ん? テメェ」
男が魔法剣士をまじまじと見、にたりと笑った。
「魔法力が微かに上がってんなぁ。おもしれぇ!」
甲高い声で笑う男は、自身の手をベロリと舐め、堪らないとばかりに魔法剣士と少女を見つめた。その赤目に、さっきは怯んだ魔法剣士だが、少女にいつもの優しい笑顔を見せ「大丈夫」と頭を撫でた。
少女の瞳から恐怖の色が薄くなったのを見ると、魔法剣士はゆっくりと立ち上がる。少女を後ろへ庇うようにし、腰から細剣を抜いた。
「お前がどこの誰だか知らない。個人的な恨みや妬みもないけど」
舞手もまた立ち上がると、扇を手にした。いつも鋭いツリ目が、更に細められる。
「オレも入れろ。あの赤目野郎、気持ち悪くて仕方ねぇ」
隣に立つ舞手を一瞬だけ視界に入れ、魔法剣士は小さく頷く。が、この舞手、よく見ると微かに震えている。まぁ仕方がない。この時の奴はまだ、未熟だったからな。
そして前で斧を構える戦士もまた、気持ちは二人と同じようだ。ただしこの男の震えは、怒りからくりものだろうが。
「俺も気に食わん。特にああいう輩は、な」
「戦士……」
「二人とも気を引き締めろ! 気ィ抜いたら、死んじまうぞォ!」
戦士が雄叫びを上げる。途端に赤く染まる目を見て、男は軽く口笛を吹いた。
「いいねいいねぇ! 食前の運動だ! 精々俺っちを楽しませてくれよぉ!」
両手を広げた男に、戦士が真っ先に飛びかかった――。