本当に旅立つ話。
※
「この穀潰しがぁぁぁあああ!」
小さな村に響き渡る声は、村人にとっては最早日常茶飯事だ。そしてその後に続く台詞も決まってこれだ。
「その言い方酷くない!?」
今家から放り出されたのが、平凡な少年、名を――いや、魔法剣士とでも呼ぼう。まぁ、今のこいつは魔法なんぞひとつとして扱えはしないのだが。
魔法剣士は、自慢の赤髪を掻きながら、目の前で仁王立ちする女性(まぁ奴の母親なのだが)を睨みつけ、いつもと同じように舌打ちをした。
「何が“酷くない”だい。せっかく学校を無事に終えて帰ってきたと思ったら、毎日毎日家にいるだけで、働きやしないじゃないか。隣の娘さんは、町へ働きに出てるっていうのに」
「違いますぅ、僕は自宅警備してるだけですぅ。その傍ら畑仕事だってして」
「畑仕事なんていらないんだよ! 新芽と雑草の違いも見分けられないのに! もうこの際魔王討伐にでも行ったらどうだい!」
母親の言葉に、魔法剣士は口を尖らせて不満を表した。
“魔王”というのは、この時代には既に存在していたモノであり、人間を滅ぼすと言い放った恐ろしい存在だ。長きにわたり魔族と人間の戦いが続いているが、魔王の圧倒的強さの前に、人間は防戦一方というわけだ。
「大事な息子をみすみす死なせに行かせるつもりですか、そうですか!?」
「あんたは死んでも死なないでしょうよ!」
「まぁ、うん。それはそうかも……?」
頭を掻いて変に納得する魔法剣士に、母親は家の中から小さな袋と一振りの剣を取り出してきた。それを魔法剣士に握らせると、早く行けと言わんばかりに背中を押す。
「え、待って。なんか準備よくない?」
「これはね、あんたのお父さんが使ってた剣と薬草だよ」
「剣はともかく薬草腐ってない? 大丈夫?」
「あんたのお父さんは、薬草を取りに行って崖から足を滑らせてね……。きっとお父さんも喜んでくれるよ」
「いや、親父の怪我そういう理由? 今初めて知ったわ」
呆れたようにため息をついてから、魔法剣士は腰のベルトに袋と剣を下げた。剣は手入れがされておらず、多少なりとも錆びついてはいるが、使えないことはないだろう。
「じゃ、頑張っておいで」
「倒さずに帰ってくるのもあり?」
母親は仕方ないと苦笑いする。
まぁ、彼女とて、息子を死なせたいわけではないのだ。これはただ、このどうしようもない愚息を少しでも外へ出すための方便に過ぎない。
「そうだね。疲れたら帰っておいで」
魔法剣士の頭を優しく撫で、母親は優しく微笑んだ。
「んじゃ、パパッと旅行してきますかね」
「はいはい、いってらっしゃい」
そうして魔法剣士は旅立ったわけだ。
この時誰が想像出来ただろうか。
魔法剣士が、後に、あぁいやいいか。
そしてこの村が、十年後には地図からも消えるのを。
さぁ、壮大で美しい、そして力無き者が足掻く様を、とくとご覧あれ。
さて村を出た魔法剣士は、まず最初に、近くの森に突如として出来たという遺跡へ“観光”へ行くことにした。
その道中だ。この、フワリンと呼ばれる魔物に出会ったのは。
「……なんだ、このピンクの毛玉。ゴミか」
檻に囚われたゴミがあるものか。
しかしこの魔法剣士は、この毛玉、フワリンをゴミだと決めつけ、無視して先へ進もうとした。あぁ、フワリンというのは、ありふれた魔物でな。大きさは手のひらサイズ、点のような目、三角の耳に、体は短い毛で覆われている。色は個体差があり、こいつはピンクだ。
「ちょっとあなた! このわたちをむちでちか!」
「うわ! ゴミが喋った!」
「ごみとはなんでちか! ちつれいでちよ!」
檻の中で跳ねるフワリンは、その感情を表すようにガンガンと檻に体当たりをする。が、もちろんそれで檻が壊れるなら、そもそもこのフワリンは、ここに捕まってはいないだろう。
魔法剣士は屈んで視線を合わせてやると、どうしたものかと頭を掻いた。
「ごめんごめん、ゴミじゃなかったんだな。じゃ、あれ? 何かの抜け毛?」
「わたちは、かのにんきもの、ふわりんでち! わたちをちらないなんて、あなたいなかものでちね……」
「い、田舎者じゃないし。ただちょっと最近まで、その、家事手伝いしてたというか……」
言いにくそうに口籠る魔法剣士。
しかしこのフワリン、なかなかに物知りだったようでな。
「あぁ、ちってるでち! ひきこもりってやつでちね!」
オブラートに包むということを知らんらしい。図星をつかれた魔法剣士は顔を手で覆い尽くした。
「あれ、おかしいな。霞んで何も見えないや」
「そのてをどければいいんじゃないでちか」
「君、毒舌過ぎない?」
まだ目には涙が残っているものの、魔法剣士はなんとか自分を叱咤しつつフワリンを真正面から見直した。
「それで? 人気者フワリン様が、ヒッキーに何か御用ですか」
「たちけてほちいのでち」
「いや、これ罠じゃん。罠から助けたら僕が怒られるじゃん」
「だれもみてないでちよ」
フワリンは辺りを見回すと、早くと激しく檻の中で跳ねた。
確かに罠を仕掛けた人物は辺りにはいない、が、リスクを犯してまで助ける義理などどこにもない。ましてや魔法剣士は、初対面だというのにこのフワリンにコケにされたのだ。
迷うのも仕方のないことだろう。
「いやね、そもそもね、そんな固そうな檻、どうやって壊すのさ」
「まほうつかえばいいでち」
「使えないから言ってるんですが」
魔法剣士の言葉に、フワリンの顔から表情が一瞬で消える。
「つかえない、でちか……。つかえないやつ、あ、いや、なんでもないでち」
「もう慣れたよ。この檻ごと持ってけばいいか」
魔法剣士の顔はあまりよくはないが、それでもこのフワリンを置いていくつもりはないらしい。
それほど大きくはない檻を小脇に挟むと、魔法剣士はよいしょと立ち上がる。
「どっかで壊す手段探せばいっか。君もそれでいいだろ?」
「たちけてくれるなら、もうそれでいいでち」
「やっぱ置いてこうかな……」
出会ったばかりのフワリンでさえわかるほど、この魔法剣士がそれをしない優しい奴だというのは、言うまでもないだろうがな。
遺跡、というには、それは質素なものだった。といっても、地上に出ているのは入口のほんの一部で、そのほとんどはまだ地下に埋まったままだ。
「入れる、よね」
「なんのためにはいるんでちか……」
「観光? ほら、僕男の子だし? こういうの楽しくない?」
「わたちにはわかんないでち」
地下へと続く階段を降りながら、お世辞にも慎重とは言えない足取りで進んでいく。誰も手入れなどしていないだろうに、なぜか壁には燭台があり、通路を恍惚と照らしている。
その途中、だ。
壁に手を這わせながら歩いていた魔法剣士が、カチリと何かを押す音を聞いた。
「え? なんの音?」
這わせていた手を見ると、どうやら壁の何かしらのスイッチを押したようで、壁に手がめり込んでいた。
「……これは」
途端に崩れていく足元。
それをどうにかする手段など、この時の魔法剣士になどあるわけもなく、そのまま落ちていくしかなかった。
運がいいのもこいつの特徴だ。
普通ならばあの高さから落ちれば死ぬだろうに、この魔法剣士は生き延びた。まぁ、ここで死ぬような奴ならば語るに値はしないのだが。
「てて……、どこだここ」
辺りを見渡せば、薄暗い闇の中に、薄気味悪い小さな石像が見えた。台座に鎮座するそれは、どうやら竜を象ったものであることがわかる。
落ちた衝撃でフワリンが入っていた檻は歪み、自由の身になったピンクの毛玉が辺りを跳ね回る。
「じゆうでち!」
「はいはい、よかったですね。僕はとっとと戻りたいよ」
「かんこうしないでち?」
「いやいや、どう見ても怪しいじゃん。そんな危険なことは、世界を旅する凄い人になんとかしてもらえばいいんです」
全くその通りだ。
わざわざ危ない橋を渡る必要などなし、魔法剣士は落ちてきた瓦礫の山をよじ登ろうと手を伸ばす。が、ろくな運動さえしてこなかった奴が登れるわけもなく、二メートルほど登ったところで落ちてきた。
「ださいでちね」
「毛玉に言われる僕って何……」
「ひきこもりでち」
「もう泣きたい」
膝を抱えて座り込んだ奴を見兼ね、フワリンはため息と共に頭に登った。
「ないてるばあいなら、はやくなんとかするでち。あんがい、あれがすいっちかもしれないでち」
「新たなトラップの予感がするけどね……」
「はやくするでち」
これでもかと跳ねられては、魔法剣士も泣いているわけにもいかず。さっさと立ち上がり石像の前へと向かうと、動かせないかと手を伸ばした。
「あ、ここに玉がある」
目の部分に赤く光る玉がはめられ、それは禍々しさを放っている。しかし妙なのは、それが片目しかないことだ。
「んー、もう片方嵌めるってことかな」
「とるのかもしれないでち」
「いや、男ならハメ」
「あんたのだいじなものがとれればいいんでち」
全くその通りだな。
この魔法剣士、長らく家族以外の者と接してこなかったせいか、多々こういった気の効かない点がある。そしてそれは、こいつがモテないと悩んでいる最大の原因でもあるのだが。
「とりあえず、この辺を探索して……」
バキッ。
「……バキッ?」
嫌な予感と共に魔法剣士が足をどかせば。
そこには、粉々に砕けた赤い破片が散らばっていた。
「……あぁ、うん、やっちゃったかな?」
「おばかなのでちー!」
そう叫んだフワリンの声が反響し、更に遺跡が崩れてきたのは、まぁ、こいつらの不幸なのだろうな。