だいたい、夢のせいな話。
あれから三日ほど経った頃。稽古の間の、休憩時間の話だ。
「なぁ、お前なんであのもやし野郎を信用してるんだよ」
屋敷から持ってきた水を頭から被った舞手が、水を飲む魔法剣士へ質問した。同じく疑問に思っていたであろう戦士もまた、斧の手入れをしながら話に参加する。
「それは俺も感じていた。魔法剣士殿、何か妖精王に通じるものでもあったのか?」
魔法剣士は水を飲み干し、考えるように頭を左右に捻ってから、
「特にないかなぁ」
と苦笑いをする。ある程度予測はしていたが、まさか何も考えていなかったとは思わず、舞手が「あのなぁ」と頭に手をやる。
「あ、でも」
「あ?」
「魔法を“愚か者にしか使えない”って言ってただろ?でも妖精王はそれを使っていたから、何かしら、なんかあったのかなぁって思ってさ。こう、上手く言えないんだけど、彼は自分を嫌ってるのかなって」
それを聞いた舞手が「まさか」と手を振る。
「もやしの態度見ただろ? 自分は違う、自分が正しい、自分が唯一だ、そう思ってる奴だぜ、あれは」
「そうかなぁ」
少なくとも、魔法剣士にはそうは見えていなかった。いや、そうであることに違いないのだろうが、魔法剣士の目には、奴が自分から世界を遠ざけているように写ったのだ。
「俺も、奴は余り好かんな」
「戦士も?」
「うむ。覚えてるか? 男を躊躇うことなく肉塊に変えたことを」
魔法剣士は蠢く肉塊を思い出したのか、口に手を当て頷いた。
「普通は簡単に人を殺せはしない。恨みや憎しみがあるならまだしも、奴はあの男に対して“興味が無い”のにそれをやった。いや、むしろ逆か。興味が無いからこそ、奴はそれが出来たのだろう」
「興味が、無い……」
確かに、魔法剣士と話をしたのも、花妖精のことがあったからだろう。それでも魔法剣士には、あの夜のことや、朝食のことを思い出すと、そこまで悪い奴には思えなかったのだ。
「うーん……」
頭を捻るも、それを説明出来るほど雄弁でも無ければ、確信を持った発言すら出来ない。と、そこへロディアが「だーりん!」と慌てた様子で跳ねてきた。
「ロディア?」
稽古をしている間は、ロディアに少女の相手をしてもらっていたはずだ。そのロディアが慌てる理由はひとつしかない。
「あの子に何かあった?」
「たいへんなのでち! わたちじゃ、どうにもできないのでち!」
頭に乗られ、早くと急かされては急ぐ他ない。魔法剣士は舞手に「師匠にも言っといて!」と一言だけ告げ、急かされるまま屋敷へと走り出した。
「何、これ」
宙に横たわり、少女がふわふわと漂う姿を見た魔法剣士の第一声がこれだ。恐らくは辺りを飛び回る花妖精の仕業なのだろうが、如何せん、花妖精を咎めようにも魔法剣士には姿が見えない。
「えぇと、花妖精、だよね? あの子、降ろしてあげれない?」
浮いた本棚ほどの高さを漂う少女は、どうやっても届く高さではない。けれども少女を見るに眠っているらしく、怖がっている様子も見られない。
「えー。せっかく遊んであげてるのに」
「ねー。楽しい夢を見させてあげてるんだよ」
夢といえば嫌な記憶しかない。けれども苦しそうなわけでもなし、花妖精の言う通り、悪い夢ではないのならいいのかもしれない。
だが、あの高さは流石に危ないと判断し、魔法剣士は見えない花妖精に呼びかけるように、辺りを見回した。
「遊んでくれるのは嬉しいけど、それならせめてベッドに運びたいからさ。僕が運ぶから、降ろしてあげて」
「えー」
「仕方ないなー」
軽快な笑い声の中、ゆっくりと降りてくる少女に安堵しつつ、魔法剣士は腕の中へ少女を抱きとめる。健やかな寝息を立てる少女の口から「パパ、ママ……」と零れたような気がして、魔法剣士は抱く腕に少し力を込めた。
その時だ。
少女の瞳が開かれ、その何も映さなかった瞳に、はっきりと恐怖の色が映し出されたのは。
「ああああああ! パパ! ママ!」
「え? え!? 何、落ち着いて! てか喋った!?」
戸惑いからか場違いなことを捲し立て、それでも魔法剣士は自身をなんとか落ち着かせると、いるであろう花妖精たちへ叫ぶ。
「何したんだ! また悪夢を見せたのか!?」
「ち、違うわ。私たちは何も……」
焦りが滲むその声に、嘘や偽りは感じられない。ならば一体少女に何が起こったというのか。
わけがわからない魔法剣士と花妖精を嘲笑うように、少女の体から目を閉じてしまうほどの光が溢れ出す。それでも目を閉じることなく、なんとか薄目で少女を見ていた魔法剣士の耳に、いつもと様子の違う妖精王の声が届いた。
「何があった!」
「妖精王! どうしよう、どうしよう、この子が……!」
慌てるでもなく、妖精王は光を放つ少女に近づくと、その額に触れる。次第に弱まる光に内心安堵するが、渋いままの妖精王を見るに未だ安心は出来ないのだろう。
「ありがとう、妖精王。お陰で助かった、よ……」
そう言い妖精王に笑いかけ、魔法剣士は見てしまった。
真っ赤に染まる、奴の血のような瞳を。
「き、君、その目……」
「見るな!」
聞いたことのない怒鳴り声に、魔法剣士の肩が竦む。と、そこへ仲間たちが遅れてやって来た。なんとも悪いタイミングだ。
妖精王が苦しそうに口に手をやり、背を向けたのを見て、魔法剣士は咄嗟に妖精王を庇うように立った。
「キミ、何を……」
「あああ、なんかね、具合が悪くなっちゃったみたいでさ、この子が、うん。妖精王が見てくれたんだけど、ほら、こここ子供の扱い慣れてないみたいでさ。暴れちゃって平手打ちもらっちゃってさ、あはは、何言ってんのかな、僕は」
それが嘘なことくらい、誰にでもわかる。だが、魔法剣士が何の意味もなく、嘘をつけるような奴でないことくらい、いい加減わかっているのだ。
だから戦士は「それは災難だったな」と苦笑いをしたし、師匠殿も「あまり騒ぐんじゃないよ」と呆れたし、見ていたロディアでさえ「だーりんたら!」と笑顔を見せた。
「ほ、ほら、叩かれたほっぺ冷やしてきなよ。いい男が台無しだよ」
「どうして、キミは……」
「僕がそうしたほうがいいって思ったから。だから、そうしただけだよ」
爽やかに笑う魔法剣士は、この妖精王の目にはどう映ったのだろうな。妖精王は小さく「すまない」とだけ述べ、仲間には背を向けたままで足早に奥へと消えていった。
だが、運が悪い時というのは、余り良くないことが続くものだ。
妖精王はなぜ料理を余り口にしないと思う? 簡単だ。奴にとっての食事というのは、魔法剣士たちが考えるそれは異なるものだからだ。食物を摂ったところで、大した足しにはならん。
では何が奴の食事に値するのか。
「あらぁ? 妖精王ちゃん、具合が悪いのかしら?」
「キミ、は……」
与えられた自室から出てきた聖女が、たまたま廊下で妖精王と会ってしまった。いや、これほどの聖女ならば、先の異常を感じて部屋から出てきたのだろう。
そして悲しいかな。この心優しい聖女様が、これほど具合の悪そうな奴を放っておけるわけがない。
例えそれが、人間でなくとも。
「妖精王ちゃんも具合悪い時があるのねぇ。お姉ちゃんが優しく介抱してあげますからねぇ」
「気にしなくて、構わ、ない」
「でも……」
聖女が近づき、そして気づいてしまった。その目が赤く、そしてそれが何を指しているのかも。
「貴方、もしかして始祖の……?」
「……っ」
伸ばされた聖女の手を払い、妖精王は目を反らす。しかし聖女はそれに気後れすることなく、視線を合わせるように、その冷たい頬に両手で触れた。
「やめ……っ」
そのまま聖女は自身の胸の中へと、妖精王の頭を引き寄せる。
「辛いのでしょう? よく我慢できました。もう、耐える必要はありませんよ」
「……っ」
妖精王が小さく息を呑む。縋るように回された腕は、微かに震えていた。




