駄足。つまりは無駄足な話。
「……え? 君、今なんて言ったの」
青年の言ったことが理解出来ず、いや理解したくなく、魔法剣士はもう一度青年に促した。
「聞こえなかったのかい? 彼女を離してやってほしい」
「そ、その前……」
魔法剣士の言葉に首を傾げ、青年は少し考える仕草をする。
「最近の人間は理解力が劣ったのか……?」
「君も僕を馬鹿にしちゃうの? 酷くない?」
「言語は変わってないはずだけど……。もしかして人間とは別の生物か?」
「あのぉ、話聞いてる?」
ちなみに二人は同じ言語のはずだが、この青年、基本的に他人の話を聞く気もなければ受け入れる気もない。それこそ唯の一人だけいたような気もするのだが、まぁ今はいいだろう。
「おい、ヘタレ……」
舞手のうめき声が聞こえ、魔法剣士は思い出したように「あ」と改めて青年を見上げた。
「ねぇ、君が誰でもいいからさ。早くなんとかしてくれない?」
「なんだ、言葉が通じるじゃないか」
「通じてるから言ってるんだよね? 君こそ早く……」
魔法剣士が手の力を無意識に込めるのを見、青年は少し興味が湧いたのか、魔法剣士を今度こそ正面から見据える。その冷たい瞳に、今更ながら魔法剣士は冷や汗をかき始めた。
「キミには、それが見えてるのかい?」
それ、と示したのは、もちろん魔法剣士が握りしめている何かだ。魔法剣士が首を横に振ると、青年は「そうか」と微かに口元を歪ませた。
「花妖精。遊ぶのはそこまでにしたまえ。あぁ、それから姿を現してやるといい。何ぶん、今の人間たちには、キミたちを見るには魔法力が少なすぎるようだからね」
「はい、白き妖精王」
「妖精王、他の人間たちは? どうする?」
声があちらこちらから聞こえだし、魔法剣士が不思議そうに辺りを見回す。次第に、小さな、それこそ手のひらに乗れそうなほど小さな人間が姿を現し出す。
自分が握る拳の中にもその人間は現れ、魔法剣士をきつくきつく睨みつけていた。
「早く離して」
「あ、あぁうん……」
言われるままに離してやり、魔法剣士は腕の中にいる少女の顔を覗き込んだ。先ほどより顔色も良くなっており、耳を塞いでいた手は、いつの間にやら魔法剣士の服を小さく掴んでいた。
その小さな人間、花妖精は、青年の周りを嬉しそうに飛び回る。時に肩へ髪へと触れながら、自分たちの主がどんな指示を出すのかと、楽しみで仕方がないと言わんばかりだ。そんな花妖精たちを余り気に止めず、青年は「そうだね」と口元に手をやった。
「それなら……ん? あれは……」
そう言い、青年は魔法剣士たちの更に奥、腐りきった森へと顔を向ける。青年の視線の先を追うと、あのキノコ頭の男が、興奮を隠しきれない様子で青年を見つめていた。ギラつく目からは、私利私欲が滲み出ている。
「み、見つけたぞ! 妖精王!」
さして対する青年、いや妖精王は冷めた目のまま、まるで虫ケラを見るように目を細めた。興奮で顔を赤くする男は、妖精王の口から零れた小さなため息にも気づかない。
「どこにある! 強大なる魔法石は! 我はそれを手にして、国の権力者に……!」
「キミは彼の仲間なのかい?」
さも興味なさげに妖精王は男を顎で示してみせた。
「違う! あんな奴、知るもんか!」
「そう」
妖精王が一振り、手を軽く振った。それだけ、それだけだ。その一瞬の間に、男は男だったものに成り果てた。
これだけではわからないか? そうだな、男であったであろう肉塊が、もぞりもぞりと蠢いていたのだ。
「生憎ボクは寛大でもなければ尊大でもないからね。さて、話を続けようか」
「な、なんで、ころ、殺した、の……!?」
真っ青になった魔法剣士が、恐怖で体を震わせる。それでも少女にそれを見せまいとする辺り、大したもんだ。
「貴様、簡単に人を殺すなどと……!」
回復した戦士がふらつきながらも立ち上がり、斧をその手に握り、妖精王に向かって地面を蹴った。流石は修羅場をくぐり抜けてきただけはある。たった一歩で妖精王の元まで辿り着いた戦士は、容赦なくその斧を横に払った。しかし、
「伏せ」
一言だ。たった一言、妖精王が発しただけで、戦士は斧を手から離し、言われた通りに地面へと伏したのだ。それは戦士だけではない。舞手も、聖女も、師匠殿でさえ、その言葉には逆らうことが出来ない。
ロディアだと? あれはいつも伏せているようなものだろう。
だがしかし、魔法剣士と少女だけは、その言葉に従うことなく、その異様な光景を座り込んだまま眺めていた。
「み、皆? なんで、え?」
戸惑いを隠せない魔法剣士。地に伏せた面々、特に戦士に呆れた視線を投げると、妖精王は「全く」と腕組みをする。
「躾がなっていないね。ボクは今、彼と話をしているんだ。少し静かにしていてくれないか」
「き、さま……!」
「さて。キミはさっきアレを“あんな奴”だと言ったが、ボクがやってはまずかったのかな? それならば謝ろうと思うのだが」
この妖精王としては、魔法剣士の代わりに男を消しただけに過ぎない。そこに善悪などはないのだ。
魔法剣士が何も言えずにいると、腕に抱かれた少女に気づいた妖精王が、その目を一瞬見開いた。
「おや? その子供……」
「こ、この子は、ぼ、僕の、えぇとえぇと、家族だ!」
「家族?」
なんとも似てない二人に、妖精王が騙されるわけがない。しかしこの妖精王もまた、永らく人間の生活から離れていた為か、常人とは少し感性が違っていてな。何をどう受け取ったのか、妖精王は「あぁ」と頷くと、
「もしかしてキミ、そういう嗜好の持ち主だったのか。聞いたことがある。人間は自分より弱いものに、庇護欲や加虐心を煽られるのだと」
「違うよ!? 僕はただ、この子の家族で、えぇと、そう、今決めたんだ!」
妖精王は更に理解出来ないというように、その端正な顔を歪めた。
「ふうん、まぁいい。それで? その子供、どこから連れてきたんだい?」
「え? どこ? どこってそれは……」
ちらりと少女を見るも、その沈んだ瞳が動くことはない。魔法剣士はしばし考え、
「とりあえず、立ち話もなんだし、屋敷を案内してくれる?」
「……は?」
呆れた妖精王が全員に自由を返したのは、割とすぐのことだった。
屋敷の中は、外見からは予想も出来ないほどに広く、壁という壁には所狭しとばかりに本が敷き詰められていた。どういった原理なのかはわからないが、円形の本棚が宙にも浮いており、更には本自体もそこらじゅうを漂っている。
その屋敷内を探索するだけで、一日は潰せそうだと的外れなことを考えながら、魔法剣士は前を歩く妖精王の背中を見つめた。
自分よりも少し背が低く、外で見た時にはわからなかったが、余分な脂肪は一切ついていない。まぁ、筋肉もついていないのだが。
「入りなよ」
そう言い妖精王が開けた扉の先には、温室のような場所だ。花々の世話をしていたらしい、とんがり耳の人間、森妖精が、妖精王の姿を認めると頭をぺこりと下げる。
「客人だ。もてなしてやってくれ」
森妖精の女性は「え?」と一行を見やり、それからまた妖精王に視線を戻した。
「お客様、ですか?」
「そう言ったつもりだが? 聞こえなかったのなら」
「みんなー! お客様だってー! 久しぶりのお客様だよー!」
森妖精の声に反応し、草花の影から同じような男性や女性たちが出てくる。奴らは皆口々に「お客様だ!」「おもてなしだ!」「お花は何飾ろう!」などと騒いでいる。
肝心の妖精王は「好きにしてくれ……」と、ひとつだけある使い古された白い椅子へ腰かけると、小さなテーブルに置いたままだったであろう本を手に取った。
清潔なレースのクロスをかけられた大きなテーブル。人数分の椅子。採れたてのフルーツが盛られた皿がどんどん並べられ、程よい熱さの紅茶をカップに注ぎ、そして森妖精の男女がずらりと並んで、
「ようこそ、我らが妖精領へ!」
と一斉に頭を下げた。それに圧巻された魔法剣士はただただ「あ、どうも」とつられて頭を下げるしかなかった。