そんなのは聞いてない話。
まだまだ日が昇るには早い時間。
山間から降りてくる霧が谷へと吹き込む寒さで、魔法剣士は戦士に起こされるよりも早く、目を覚ました。
「……おはよ」
「目が覚めたか」
「うん。焚き火してても寒いんだね」
身体を起こし、手に息を吹きかけながら魔法剣士は苦笑いをした。それを見た戦士に促され、魔法剣士は焚き火に当たる。背中を向けて眠る舞手に視線をやれば、まだ起きてはいないようで、その細い肩は規則正しく動いている。
「ただの湯だが、飲むといい。少しは暖まるはずだ」
そう渡された鉄製の、少し歪んだコップには、なんの変哲もないお湯が入っていた。一言礼を述べて口に含んだ瞬間、魔法剣士はなんとも言えない気持ちが込み上げ、そのまま黙り込んでしまう。
戦士もまた同じようなコップにお湯を淹れ、それを一口飲んだ。それから息をひとつふうっと吐くと、視線は焚き火にやったままで話し始めた。
「……貴公は優しい。その優しさは貴公を苦しめることもあるだろう。しかし手放してはいけない。その優しさは、いずれ貴公を強くするだろう」
「いいのかな。それで僕は強くなれるのかな」
「貴公は十分強い。だからこそ、そこの舞手殿も貴公についていってるのではないか? なぁ、舞手殿」
魔法剣士が驚いたように舞手を見る。
微かに舌打ちが聞こえ、舞手が心底面倒くさそうに身体を起こした。眉間に寄るシワが、奴の今の気分を表している。
「まいちゃん、起きてたんだ」
「ついさっきな。それよりおっさん、オレがこんな弱っちいヘタレについてくたぁ、出鱈目言ってくれるじゃねぇか」
相変わらず舞手が減らず口を叩くが、戦士は歯を見せ立ち上がると、火の始末をやりだした。それを見た魔法剣士は慌てて残りの湯を飲み切る。
「さて、起きたなら早速向かうとしよう。ここから“風の町”まで徒歩で向かうと、俺の足でも四時間はかかる。不慣れな貴公らでは、もう少しかかるだろう」
「話を聞け、おっさん」
「話ならば道中いくらでも聞いてやろう。遅くならん程度にな」
布袋に魔法剣士から受け取ったコップと、自分のコップを入れてから、それを肩へと背負う。手慣れた様子で斧も担ぐと、二人へ「こっちだ」と示しながら、先頭を歩いていった。
道中。野良犬や熊、更には魔物が襲いかかってはきたが、この戦士の前では足止めにすらならなかった。仮にも一人で傭兵をし、過酷であろう旅路を歩いてきたのだ。
村から出たことないヘタレや、姉に甘えてばかりの根性なしとは、根本から違うということだな。
そうして日は登り、昼になる前だ。
「風車だ!」
見えてきた風車に、魔法剣士がいの一番に喜びだし、それに舞手は「落ち着けよ」と言いつつも、顔が綻ぶのを隠しきれてはいない。そんな二人に、戦士もつい苦笑いが零れてしまう。
しかし、当たり前だが喜ぶのはまだ早い。町が見えたというだけで、着いてすらいないのだからな。
「貴公ら。確か、正面から入って捕まったのだったか?」
「そうそう! まぁ、あれはまいちゃんが悪かったのもあるかもだけど」
「おい」
戦士は「ふむ」と唸り、それから町を少し外れるように迂回して歩き出した。不思議な顔をしながらも、魔法剣士と舞手も後を追い出す。
「町はあっちだよ?」
町を指差す魔法剣士に、戦士は警戒心を解くことなく、近くの岩影へ潜むと、
「いくら俺でも、貴公らを庇いながら町中で暴れることは出来ん。例えそれが、町ぐるみで行われている愚行だとしても、だ」
「ならどうすんだよ! ここまで来たってのに」
「落ち着け。結果だけを求めて過程を飛ばすと、後々響くことがあるぞ」
と戦士は町を覗き見た。
町民たちが忙しなく、慌ただしく走り回っているのが、遠目からでもわかる。女子供は男たちの指示に頷いては、家々へと入り、戸締まりをしているようだ。
「何してるんだろう」
「ろくなことじゃねぇよ。キノコ頭だぜ?」
「人を見た目で判断するのはどうかと思うけど、今はまいちゃんと同意見だよ」
少しずつ近づきながら、近くの草むらに入り伏せる。休んでいる男たちの声が聞こえ、三人は息をも殺す勢いで、それを聞こうと耳を澄ませた。
「昨日の僧侶。なんでも“弐の座”らしいぜ」
「まぁ、早々“壱の座”はいねぇしな。前に来た旅の僧侶、ありゃ“四の座”だったか」
「あれは観物だった。やめてほしいと最後まで泣き喚いていたなぁ」
「最期の最期まで保たなかったし、今回は開くといいなぁ」
意地汚い笑いを飛ばしながら、悠々と歩いていく姿に、舞手が拳を震わせながら耐える。戦士が「よく耐えた」と肩を叩き、それから家の影へと這っていき、辺りに誰もいないのを確認してから二人に合図を送った。
「まいちゃん、“弐の座”ってお姉さんのこと?」
「貴公はそこから知らぬのだな。僧侶は上から壱、弐、参、四、伍の座と位が決められていてな。使える奇跡の魔法によって、座を与えられるのだ」
「つまり、お姉さんは……」
「うむ。相当手練れとお見受けする」
「……うわぁお」
確かにあの聖女は強い。腕っぷしも、そして精神的にも。
「姉貴はこんなくだらねぇことの為に座を受け入れたんじゃねぇ……」
「わかっておる。して、今の話を聞くにまだ姉上殿はここにおるのだろう。ならば」
戦士が言いかけ、しかしすぐに騒がしくなった町のただならぬ様子に気づくと、何事かと顔を覗かせた。
すると、衛兵に囲まれ連れてこられる聖女の姿があったのだ。両手を縛られ、両足も必要最低限に歩けるだけの長さの縄で縛られている。それを少し後ろから歩かされているのは、槍を腰に突きつけられた師匠殿と、同じく剣を当てられた少女だ。ロディアは小さな檻に入れられ、大粒の涙を零している。
「姉貴!」
「ロディア! 師匠とあの子も!」
飛び出そうとした二人の肩を掴んで、戦士が首を横に振る。舞手が血走った目で睨むが、戦士が手を離す様子はない。
「いんやぁ、聖女様が来てくれて嬉しいですよぉ、本当ですよぉ」
「それにしては、やけに粗暴な歓迎とお見受け致しますが。弟と、その友人をどこに連れて行かれたのです?」
いつもの口調とは違う、堂々としたその振る舞いに、キノコ頭のあの男が一瞬言葉に詰まる。
「い、いや、弟様とご友人は、違うおもてなしをしておりましてな」
「それでしたら、もう結構ですので。私どもは旅を急いでおります。この煩わしい拘束を解いて下さいませ」
凛と答える姿は、まさしく何物にも染まりはしない強い意思表示にも等しい。姉の見たことない姿に、弟である舞手でさえ息を忘れたように魅入る。だが。
「こ、この、口だけ達者な、女が! 前の奴は白き妖精王の居場所が掴めず、上手く開けなかったが、今回は違う! 貴様のような、口だけの女、かの魔法石さえ手にすれば、いいようにしてくれるわ!」
男が衛兵に指示を飛ばす。衛兵が頷き、聖女の細腕に刃を入れると、地面に血が滴り落ちた。
「姉貴!」
舞手が叫ぶ。男がそれに気づき、魔法剣士たちを見るが、慌てるでもなく、むしろ勝ち誇った笑みを浮かべ空を仰いだ。
「出てきたようですが、もう遅い! 深き孤空。這い出る宵闇。我が声に応え、腕に宿れ。超空間!」
それはもう既に廃れた孤空の魔法というやつだ。使い手など既にいないと思っていたのだが、どうやらこの男、古い文献を読み漁ったのだろうな。そうまでして白き妖精王に、いや狭間の世界に行きたかったのだろう。
だが、男は知らなかった。この魔法には、膨大な魔法力を必要とする。だからこそ使える者は限られ、いつしか失われていったのだ。
ん? 魔法力が足りなければどうなるだと? 簡単だ、こうなる。
「な、なんですか、あの穴は……!?」
「あれは……。なんということを!」
宙に突如として出来た真っ暗な穴は、辺りのものを吸い込もうと、ものすごい風を辺りに発生させた。しかし不思議なことに、その風に吸い込まれるのは人間だけで、家屋や動植物には全く影響を及ぼさなかった。
「す、吸い込まれる……!」
家や柵にしがみついてなんとか耐えていた者も、力尽きた者から吸われていく。何事かと外に出てきた女たちは、いきなりのことにしがみつくことも出来ずに吸い込まれていった。
「こ、これは、なんで失敗したんだ!?」
「魔法力の少ない貴方のような人が、古代魔法を扱うからです! 足りない分の魔法力を吸うまで、あれは止まりません!」
聖女も地面に伏し、なんとか耐えるが、あの穴が塞がる気配などどこにもない。聖女にはわかっていたのだ。自分が吸い込まれたとて、あの穴は塞がりはしないのだと。
すると、少女の体がふわりと浮き、みるみるうちに穴へと向かっていった。耐える為に両手を使おうとした結果、衛兵が少女から手を離したのだ。
「駄目だ!」
迷いなく魔法剣士が飛び出し、少女の体を抱き止めた。しかし、支えの無くなった二人は、そのまま穴へと吸い込まれていく。
「魔法剣士殿!」
戦士もまた、迷いなく穴へ自ら入っていく。
「ああ、ったく!」
苛立ちを隠せない舞手が、聖女に駆け寄りその手を取った。
「やっぱりまいちゃん、お友達をほっとけないのねぇ」
「うるせぇ!」
そうして二人も消えていく。全員が消えるのを見送った師匠殿が、呆れたようにため息をつくと「ふん!」と縛っていた縄を力づくで切った。
「ほら、行くよ」
衛兵が抱える檻をぶんどると、師匠殿もまた穴へと入っていく。
その後もしばらく穴は開き続け――
その町には、誰もいなくなったという。