どくを吐かれてもめげない話。
何かが焦げる臭いに、多少の気持ち悪さを覚えたものの、魔法剣士はいつぞやのように戻したりはしなかった。
地面に散乱している瓦礫や岩、そして黒い塊を神妙な顔で見つめ、魔法剣士はただ呆然と立ち尽くしていた。
「これ、本当のこと、なのかな」
がくりと膝をつき、地面を濡らす涙にも構わず、魔法剣士は「夢なのかな……?」と半笑いを浮かべて、自身の頬をつねる。
もちろんこれは夢ではない。すぐに感じた痛みに、魔法剣士は信じられないと言わんばかりに顔を両手で覆い尽くした。そんな状態の魔法剣士に痺れを切らしたのか、舞手がその中を歩き始める。
「ま、まいちゃん、どこ行くの」
「……決まってんだろ。姉貴を助けに行く」
魔法剣士は「そ、そうだね」と震える声で絞り出し、それから誰かを探すように辺りをしきりに見渡し始めた。
「あ、じゃあ、あの人、探さないと……」
「誰も探す奴なんていねぇだろうが! 現実を見ろよ!」
「だ、だってあの人、旦那さんと息子さんがいるって言ってた。ちゃんと、ちゃんと一緒に、行かなきゃ……」
そう虚ろに女性を探す目には、この惨状が見えていないのだろうか。いや、奴はただ、直視したくなかっただけだ。
初めての、人の死というものを。
「じゃあ勝手にしろよ。いつまでも探してればいい」
「なんでそんなこと言うのさ! まいちゃんは冷たいなぁ、あはは……」
振り返った舞手が、見たことないほどの剣幕で、魔法剣士に掴みかかった。流石に戦士が間に入り止めるが、舞手は戦士に抑えられながらも、魔法剣士をきつく、きつく睨みつける。
「オレは! オレは姉貴が大事なんだよ! お前みたいなヘタレで、村から出たこともねぇ、ただの能無しに、冷たいだの言われる筋合いはねぇんだよ!」
「だ、だって、人、人が死んだんだよ? なんでまいちゃんは大丈夫なの!?」
魔法剣士も負けじと睨み返し、戦士を押しのけようとするが、二人がかりでも戦士の身体が動くことはない。
「大丈夫とか大丈夫じゃねぇとかじゃねぇんだよ! 姉貴が、姉貴が死んじまうんだぞ! 赤の他人に構ってられるか!」
「どうしてまいちゃんは……!」
「二人ともやめないか!」
戦士の声はよく響いた。場所にではない、二人の熱くなった頭に、だ。
「お互いの言いたいことも、感じていることも、やりたいことも、どちらも間違ってなぞいない。だが思い出してくれ。夫人はなんの為に、誰の為に、貴公らを生かした?」
二人は何も言えず、黙って視線を下へ落とした。戦士は落ち着いた二人を見、魔法人形に弾かれた斧を拾い上げた。
その際、一粒。一粒だ。戦士から零れ落ちたそれを見て、魔法剣士は小さく「ごめん」と呟き、黙って門のあった場所へと向かいだした。最後に少しだけ後ろを振り返り、小さく頭を下げて。
日がすっかり落ちた頃。
ようやく上まで戻ってきた三人は、さてどうするかと手頃な石や木に腰を落ち着けた。
「戦士」
「ん?」
「さっきはごめん、ありがとう」
戦士は「構わん」と歯を見せて笑うと、集めておいた木や葉に火をつける為、懐から魔法石を取り出した。それをその中へ放り込み、
「火炎」
と火の初歩魔法を口にした。反応するようについた火は、みるみるうちに燃えていき、焚き火をするには十分なほどになった頃。
「まいちゃんも、さっきはごめんね」
「……」
「お姉さんのこと、すごくすごく大好きだもんね。僕、無神経なこと言っちゃってさ……」
「……どうでもいいわけじゃない」
話してくれたことに多少驚きつつ、しかし魔法剣士は舞手の言葉を聞き逃すまいと、少し前屈みになる。
「構っていられないわけじゃない。だけどオレは」
「うん。だから行こうよ、助けに。僕とまいちゃんと、それから戦士も!」
「は? このおっさん傭兵だろ。金取られんぞ」
「……取る?」
魔法剣士は恐る恐る戦士を見る。戦士は息をふっと吐き出すと「さて」と焚き火から視線を外した。そして伺うような目つきをしている魔法剣士に笑みを見せると、
「これからのことを話そうではないか。俺と貴公ら二人で」
「そうくると思ってた! じゃ、早速なんだけど、どこ行こうか」
「考えてから発言しろよ!」
二人は言い合いを始めるが、今度のそれは止める気がないのか、戦士は火に枝を焚べる。
しばし争った後、気が収まった魔法剣士が、戦士に「どこ行く?」と期待のこもった視線を向けた。
「その前に聞いておきたいのだが。まず貴公らの名はなんという?」
「名前? あ」
そう、ここにきてようやく思い出したみたいだが、二人は戦士に名乗ってすらいなかったのだ。全く。人に名だけ聞いて名乗りもしないとは、礼儀に欠ける奴らだ。
「僕は――で、こっちはまいちゃん! 舞手なんだけど舞えないんだ」
「お前だって魔法つかえねぇだろうが!」
「いいんですぅ、剣をびしばし鍛えてくから使えなくても問題ないんですぅ」
「この……っ」
「全くよさんか、二人とも。それにしても、魔法の使えない魔法剣士と、舞えない舞手とは。中々どうして……くくっ。それで、何故夫人に森妖精について聞こうとしていたのだ?」
パキッと乾いた音を立てて、枝が弾けた。手をかざしていた魔法剣士が「わっ」と手を引っ込めた後、
「呪いにかかってる子がいてさ。森妖精なら知ってるんじゃないかなって」
「ふむ。それで魔法石商人の夫人を頼ってきたわけだな。ならばやはり白き妖精王の元へ行くのがいいだろう」
「おい、おっさん。簡単に言っちゃくれるが、ここにない狭間の世界って宛はあんのか?」
「あるわけなかろう」
ひとつ伸びをしため息を吐いた舞手が、ジト目で戦士を見つめる。それに戦士は豪快に笑ってみせ、
「簡単なことだ。知ってる輩についていけばいい」
「そんな知り合いがいるの?」
「まぁ、俺とは顔見知りではないが、貴公らは知っているのだろう?」
戦士の言いように、魔法剣士は頭を捻らせた。さて、自分にそんな顔が広い知識人の知り合いなどいただろうか、とな。それにすぐ思い至ったのは舞手のほうだ。
「おい、まさか」
「うぬ。そのまさかだ。顔は覚えているか?」
「忘れたいほどにな」
「え、誰? まいちゃんのお友達? やだ、僕以外にも友達出来ちゃったの?」
的外れなことばかり言う魔法剣士を睨んだ後、舞手は心底うんざりした顔でこう答えた。
「あいつだよ。あのキノコ頭」
「……友達になったの?」
「そこじゃねぇだろ!」
ついに立ち上がり魔法剣士の元までいくと、舞手はその胸ぐらを掴んで力任せに体を揺さぶった。
「まいちゃん、まいちゃん待って……!冗談、ただの冗談だからっ」
「うるせぇヘタレ! 脳みそミキシングかけてやるよ!」
「でも、それなら今日中に出発しちゃったんじゃない? 大丈夫かな?」
揺さぶられながらも、魔法剣士はもう慣れたもので、至って平静に疑問を口にした。戦士ももう慣れたのか、二人には特に突っ込むこともせず、
「それならば心配ない。貴公らにはこう言ったのだろう? “白き妖精王の居場所は掴んだ”と」
「うん、間違いないよ」
効果がないと悟ったらしい舞手が魔法剣士を離す。魔法剣士は服装を軽く整えながら頷いた。
「ならば今日は宴をしているはずだ。そういった権力を誇示したいだけの輩というのは、結果をまだ手にしないうちから掴んだ気になるものだ。今夜は宴を開き、出発はそうだな、明日の昼前ぐらいだろう」
「姉貴は無事なんだろうな」
「伝承が嘘か誠か定かではないが、今すぐに何かしたりはするまいよ。まぁ、考えるに、高貴な女性の血は嘘だと俺は思うが」
筋肉質な見た目とは反対に、よく考えている男のようだ。だからこそ、この先の旅路でも、いの一番に戦場を駆け、頼りになる背中を皆へ向ける男へとなるのだが。
「夫人が言っていただろう? “曾祖父”が助けられたと。どうしてそうなったのかはわからんが、わざわざ狭間の世界から妖精王自ら来るとは思えん。とすれば、迷い込んだところを助けられたと考えるのが妥当だ」
「君、脳筋じゃなかったんだ。ふわぁ……」
「はっはっはっ。傭兵をするには、貴公は少し優しすぎるな。さて」
新しい枝を放り込み、戦士は目を擦る魔法剣士に微笑んだ。
「明日は日が昇る前に発つ。見張りは俺がするから、二人は休むといい。何、疲れただろう?」
魔法剣士はすぐに首と両手を振り「疲れてないし!」と明るく笑ってみせる。だが、その瞳に滲む疲れを隠しきるには、この二人はまだ未熟だった。
「寝床も何もないが、横になるとだいぶ違うぞ。心配はいらん。こう見えて三日ほど寝ずに仕事をしていたこともあるのだ、一日ぐらいどうということはない」
譲る気はないらしく、戦士は早く寝ろと二人に手を振る。それ以上話す気もないらしく、黙って火の面倒を見ている。
魔法剣士は戸惑い、舞手はどうするのかとチラ見してみれば。
「じゃ、おっさん。後は頼んだぜ」
「うむ」
遠慮なく腕を枕にして横になった。あの図太さが羨ましいと思うも、いや奴もまた、本当は今すぐにでも姉の元へ向かいたいはずなのだと考え直す。
魔法剣士も火を見つめるように横になると、穏やかに枝を焚べる戦士に微笑んだ。
「おやすみ」
「あぁ、よく眠るといい」
目を閉じ、パキパキと心地よい音に耳を澄ませる。そうしていれば、二人が眠りに落ちるのは、割とすぐだった。




