けがして、直して、な話。
さて、どれくらい歩いたか。
余りにも深いこの谷からは、太陽が真上にきた時くらいしか日光が見えないのだと、戦士が笑いながら教えてくれた。だから洗濯物が乾かなくて困っていたのだと、余分な情報も一緒にな。
背負われたままの女性の顔色は、歩き始めてからというもの、更に悪くなってきている。いや、元々がいいほうではなかったのだ、特に、この女性はな。
そんな女性の身体を労ることもせず、舞手は「おい」と少し先を歩く戦士に並び、女性を見上げた。
「お前は魔法石商人なんだな? あのキノコ頭はなんなんだ」
「ちょっとまいちゃん……」
「オレはあのキノコ頭の目的が知りたい。姉貴が死ぬかもしれねぇんだ! 悠長になんてしてられるか!」
舞手の気持ちは、まぁわからんでもない。幼き頃に母親を流行り病で亡くしたこいつには、姉が母代わりでもあったのだ。
父親はどうした、だと? さてな。こいつは父親の顔を知らん。それが答えだと今は言っておこう。
憤る舞手とは反対に、魔法剣士は何かを思い出すように視線を彷徨わせ、それから「あ」と女性を見つめた。
「あの、キノコ頭から伝言がありまして。“白き妖精王の居場所は掴んだ”って言ってました」
「おい、今はそっちの話じゃ……」
「いいじゃんいいじゃん。早く伝えておかないと、僕忘れそうだし」
困ったように笑い、頭を掻く魔法剣士。それに舞手はため息だけで返すと、仕方ないと諦めたのか、その伝言に対して女性が何と答えるのか待つことにしたようだ。
女性はしばし思案し、小さく「そう、ですか……」と何かを諦めたように話し始めた。
「白き妖精王。それはかつて、妖精たちが魔族に虐げられていた時代まで遡ります」
「あのぉ」
「はい、どうしましたか」
「それって長くなりますか?」
苦笑いをした魔法剣士を見て、女性は可笑しそうにまた微笑むと、
「そうね。端的に話しましょうか。白き妖精王は、その名の通り白い髪と白い瞳を持つ、強大な魔法力を秘めた気高き存在です」
「夫人、なぜ夫人は白き妖精王に詳しいのか」
「私の曾祖父が子供の頃、助けられたという話がありまして。手記があったのです。“気高き王、その存在は唯一無二であり、また同時に孤高で孤独の王”だと」
少し落ちてきた身体を戦士が背負い直す。
「して。なぜ夫人や貴公らを落とした男は、その白き妖精王に会いたがるのだ。そんな凄い奴が、いち人間の言うことなど聞くとは思えんが……」
「彼らの目的は白き妖精王ではありません。その狭間の世界にあるとされる、巨大な魔法石が欲しいのでしょう。けれども、あるという確証も保証もないものですが」
「そんなもん探すとか、物好きもいるもんだ」
鼻を鳴らして笑う舞手に、女性は「そうとは限りませんよ」と視線を移す。
「例えばそれは、海に眠る財宝だとか。天空に浮かぶ国だとか。聞いたことある話でしたら、そうですね、虹の麓には煌めく何かがある、とか。つまりは、そういった類の話なんです」
どの時代にも、そういった話は付き物だ。
大抵それは夢物語やお伽噺、はたまた嘘だったりするのだが。さて、今回の“財宝”とやらは実在するのかどうか……。
女性が少し咳込んだところで、女性には少し休んでもらうことになった。話しすぎて疲れたのか、そのまま寝息が聞こえ始める。
「あ、魔法石商人さんに森妖精について聞くの忘れちゃった」
「んなもん後でも聞けるだろ」
「そっか、そうだよね! それにしても……」
魔法剣士が穏やかに眠る女性をまじまじと見る。少しやつれてはいるが、顔立ちが整っており、一般的には美人と言われる部類に入るだろう。灰色の髪は今でこそその艶を失ってはいるが、普段は手入れもされているに違いない。
「ねぇ、戦士……さん」
咄嗟につけた敬称に、戦士は笑って首を横に振ってみせた。
「呼び捨てで構わん。気も使わなくていい。それほど立派に生きてきた人生ではないものでな、人から羨まれる生き方はしておらんのだ」
「それじゃ、遠慮なく。戦士、なんでこの人はこんなに弱ってるんだい?」
「俺が助けた時には既にこの状態だったものでな。夫人もわけを話したがらん。女性にそういったことを聞くのも失礼だろう?」
この若造二人よりよほど紳士的な発言に、舞手が気に食わないとばかりに舌打ちをする。舞手ももう少し口と態度を上手く使えばいいんだが、まぁまだ若いということだな。
「そうだ、旦那と息子がいると言っていたな。息子は貴公らより少し幼いくらいだと聞いたぞ。送り届けたら仲良くしてやってくれ」
「えー。初対面で僕話せるかなぁ。まいちゃんなんかは喧嘩売りそうで怖いし」
「オレが短気みたいな言い方をすんじゃねぇ」
「短気だよ」
「うむ、短気であるな」
「お前ら、覚えてろよ……」
仲睦まじくこうして歩いているのだが、こいつらは知る由もない。その息子とは仲良くどころか、十年後のそう遠くない未来、魔王となった魔法剣士を討伐しに来ることを。
歩くこと、数刻か。日はとうに真上を過ぎ、恐らくは日が沈む時間へと変わりだしていた。
少し先に上へ続く坂が見え、それを遮るように鉄製の巨大な門が立ちはだかっている。こちらからは見えないが、坂側には衛兵たちが代わる代わる見張りをしているらしい。
影になる場所へ隠れ、戦士は出来るだけ反動がないように女性を降ろした。睡眠を取って少しは良くなったのか、自分で立てるほどには回復している。
「あれがその門?」
「うむ。俺がこの付近で暴れ、衛兵の気を引く。その隙に貴公らは夫人を連れて門を抜けてくれ」
「でも戦士、それじゃ君が……」
魔法剣士の言いたいことはわかる。戦士はわかっているというように頷き、魔法剣士の手に女性の手を握らせた。
「貴公はいい奴だ。だからこそ俺は貴公に夫人を託せる。どうか上手く抜けてくれ」
「戦士……」
覚悟を決めたように穏やかに笑う戦士に、流石の魔法剣士も何も言うことが出来ず、ただ強く夫人の手を握り、そして確かに頷いた。
「もう少し近づけそうだな。なるべく近くから行こうぜ」
「大丈夫かなぁ」
舞手が門を示し、更に近づこうとした時だ。
門が赤く光りだし、高い耳障りな音が辺りに響き出した。
「な、なんだ!?」
「まいちゃん、また何かしたの!?」
「してねぇよ!」
慌てだす二人とは反対に、戦士が「そういうことか」と悔しげに唇を噛んだ。音を聞きつけた衛兵たちが、慌ただしく門の向こう側から駆けつけてくるのが見える。
「トラップだ! このまま俺が引きつけよう! 貴公らは早く逃げ……っ」
「いけません」
斧を構えた戦士を制した女性が、小さく、だがはっきりと首を横に振った。戦士ならばその手を振りほどけたはずだが、女性の余りにも真剣な眼差しに、それをすることは出来なかった。
「ごめんなさい、戦士様。私がここに来たことには意味があるのです。そしてそれは、今がその時なのでしょう」
それはどういうことかと、三人が戸惑いの視線を向ける。女性は懐から小さな石、魔法石を取り出すと、悲しそうに微笑んだ。
「我が力を贄にし、現世に姿を表さん。魔法人形」
それはある種の魔法だ。
無機物に命を与えるという、いかにも愚者が思いつきそうな、いやいや、賢き者が編み出しそうな、な。
魔法石は虹色に光り輝くと、次第に巨大化していき、手足を生やし、そして頭を生やすと、意思を持つかのように高く高く咆哮を上げた。
「何!? なんなのこれ!」
「オレが知るか! つか引っつくな!」
怖さからか、魔法剣士は舞手の後ろに隠れるようにしてその人形を見つめている。では舞手がビビっていないかといえば、舞手も少し下がり気味なのだが。
女性は戦士から離れると、女性を乗せようと屈んだ人形にふわりと飛び乗った。その笑顔の意味を戦士だけがいち早く悟り、いかせまいと人形を掴もうとする。が、簡単に振り払われ、地面へ転がってしまった。
「いかん! それはいかん! 夫人、息子はどうするつもりだ!」
戦士の言葉に、女性は目を閉じ、ゆっくりと首を横に振った。
「あの男が私を捕らえた時に、全てを主人に託しました。次の当主はあの子。あの子を守れるのなら、ほとんど使い切ったような命など、惜しくはありません。戦士様、私を助けて頂いたこと感謝します。だからこそ、皆さんは白き妖精王の元へ向かってください」
女性を乗せた魔法人形が門へ走る。
戦士が斧を投げつけ、その足を止めようとするが、魔法人形はそれを簡単に弾き返した。
何をするのか理解した魔法剣士が何かを叫んだ。
門に魔法人形がその拳を叩きつけるその瞬間、女性が振り返り、その口が何か言葉を発した。
突如として響く轟音と土煙。
激しい火花が散った後。
煙が晴れた先には門はどこにも見えず、代わりに、真っ黒な何かが、地面に転がっていた。
「……わかん、ない、よ」
魔法剣士は、気づかぬうちに涙を流す。
「ねぇ、何言ったか、全然っ、わかんないよ!」
この女性が魔法剣士にとって、これから零れていくモノのうち、ほんの最初の、数滴のうちのひとつだということすらも、今のこいつには、わからないのだ。




