〜ベクトル〜
「お前さ、どう思う?」
廊下に出ていた翔は貴之に話しかけた。
「どうって?」
「陸の事だよ。再捜査始まってからの様子!あいつ大丈夫かな?」
翔は心配になっていた。
健一郎が店に訪ねてきて、高松の事件の話をしてきた。
陸が関わってるんじゃないかって。
あの場には杏の母親もいた。
正確にはあの話をした時には居なかったわけだが、今回の事はその後すぐに起こった。
健一郎との話を聞かれていた?
それとも、おばさんも陸が何か知ってるって思っていたって事なのだろうか?
「山神の事なら優馬のがよく知ってるだろ?なんで俺に?」
「いや。優馬は少し過保護だしな。ちょっと聞きたい事もあって。」
優馬は陸にゼリーを食べさせると言って病院内のコンビニに買い物に行っていた。
翔は優馬の居ないタイミングを見計らって貴之に話しをしていた。
「確かに。初めは好きなのかとも思ったけどそうゆうんじゃないんだよな。」
貴之は笑いながら言った。
「昨日の夕方さ、健一郎が店きたんだよ。15年前に死んだ高松ってやつの件、陸が関わってると思うって。」
「へーなんだそれ?高松って学校で死んでた奴だろ?一ノ瀬が居なくなったのと何か関係あるのか?」
翔は少し驚いた。
自分が想像していた貴之の反応が違ったからだ。
もっと怒ったり、驚いたりするものだと思った。
「お前なんか冷静だな。もっと違う反応するかと思ったよ。」
翔と貴之は学年でも目立つ存在だった。
2人ともリーダー気質ではあったが、小学校入学と同時に意気投合し仲が良くなった。
そんな2人が2年生で優馬と同じクラスになってからは、そこに優馬も加わり3人で一緒に居るようになったのだ。
もちろん、優馬や陸とも仲は良いが、翔と貴之は、特別皆んなを引っ張っていかなきゃという思いが強く、何か計画する時はたいてい2人で決めてから皆んなに話をしていた。
バカな話も、真剣に悩んでた時も1番初めに話す親友。
だから俺たちには、お互い知らない事はないってそう思っていた。
だけど目の前の貴之の反応が腑に落ちない。
「貴之、お前何か知ってたりしないよな?」
「何かって?」
やはり怪しく感じた。
いつも一緒にいるからこそわかる。
何か隠してる。
「俺、健一郎に言われた時、怒ったんだよ。それは俺らの地雷だって。陸が関わってるわけないだろって。実際俺らも大分陰口たたかれただろ?でも、お前はそれが何か一ノ瀬に関係あるのか?って聞いただろ?陸は?陸の話だぞ。」
翔に言われ貴之は目線をそらした。
「そうだな…。健一郎は何で山神が関係してるかもって言ってたんだ?龍さんか?」
「なんでそこに辿り着いたかは知らない。ただ、当時の鑑識官に会ってきたって。陸のDNAが出てるって…。」
相変わらず目線をあわせようとしない貴之に、翔は不安をおぼえた。
「…俺ももちろん今は、山神が殺したとかそんな事は思ってない。でも当時は一瞬思ったんだ。そうかも知れないって。」
「なんで!?」
「上履きだよ。あいつあの直後、龍さんに上履き買ってもらってたんだ。見たんだよ。山神がいらないって言ってるのに履いてる上履きと新しいのに交換しろって怒ってる龍さんを…。だっておかしいだろ?俺ら6年生で卒業するまで1年もなかったんだから。」
ー死後何度も蹴られている跡があった。ー
そう聞いていた。
だから嫌がらせをされてた俺らが当時疑われる事になったのだ。
「どうしたの?何話してるの?」
買い物を終えた優馬が、重い空気になっている2人に話しかけた。
「なにか悪い事あった?陸の事?」
「いや。なんでもないよ。ゼリーあった?」
優馬に言われ貴之が話をそらした。
そりゃ言えないか、と翔も気持ちを察した。
「え?なんか隠してない?仲間外れにしないでよね!」
「違う。違う。本当なんでもないって。」
翔も合わせるように言った。
貴之の言った事は、あくまで推測だ。
実際何かあったのを見たわけじゃない。
だからこそ、当時誰にも言わなかったのだろう。
でも一瞬でも何かあったかもと思ったと言っていた事には驚いた。
そう感じるほど、龍さんと陸のやりとりが切迫していたのかもしれない。
ただ、この事が杏の件と何か関係があるのか?とも思う。
わざわざ掘り返す意味があるのかって。
まさか、健一郎も陸が杏の失踪に関係してると考えてるわけじゃないよな。
わからない。
あいつは杏の件を探る為に俺たちとも仲良くなったわけだし、関係ない事をするとは思えない。
健一郎ともう一度話すか。
健一郎はマジックミラー越しに取調べ室に座る一ノ瀬月子を見ていた。
俺があの時、家に行ってよかった。
もし行ってなかったら、大事になっていたかもしれない。
ピンポーン
健一郎は翔との話を終え、約束通り月子の家を訪れていた。
しかしチャイムを鳴らしているが、中から応答がない。
「叔母さん留守かな?」
そう思い何気に手をかけたドアノブに違和感をおぼえた。
「え。開いてる…?」
今度は試しにドアを引いてみる。ドアは簡単に開いた。
部屋の中は薄暗いが、奥から啜り泣く音が聞こえる。
奥え進もうと踏み出した時、足に硬いものが当たった。
花瓶が落ちていたのだ。
「なんで落ちてるんだ?叔母さん?叔母さん居るの?」
声をかけながら進むが反応はない。
リビングから奥の部屋が少し見えた。
部屋の中央に人が寝かされていた。
全く動かない。
もう一歩、そしてもう一歩と歩みを進める。そしてはっきりと見える陸の姿に一気に血の気が引いた。
「陸!!陸!!!」
思わず駆け寄る。
部屋の隅では月子が座りこんで泣いていた。
「叔母さん!何があったの!救急車は呼んだ!?」
月子はずっと泣いたままでその場を動こうとしない。
健一郎はすぐさま救急に連絡をした。
「今すぐ来て下さい!意識がないようなんです!」
救急に電話をかけ、陸の容態説明をしている際に気が付いた。
陸の後頭部からの出血と、首に圧迫痕があるのを。
何が起きたのかわかった気がした。
気づいた以上は月子を取調べないといけない。
現場で話を聞いたが、錯乱している様子で全く話は聞けなかった。
仕方なく事情聴取で署に連れてきたのだ。
状況的に月子がやったことで間違いないが、月子はずっと自分の手のひらをただじっと見つめて話そうとはしなかった。
しばらく時間を置いてから、健一郎は再度、取調べ室のドアを開けた。
入って行くと月子は、一瞬顔を上げ健一郎を見上げた。
しかしまた直ぐに自分の手へと目線を戻した。
「健ちゃん…。こんな事になってしまってごめんなさい。」
月子は手のひらを見つめながら呟いた。
こんな自分の叔母をみるのは辛い。
「叔母さん。どうしてあんな事?陸は多分被害届は出さない。だから今回の事は事件にもならない。でも、もしかしたら陸が死んでいたかもしれなかった。何があったの?」
健一郎は月子に投げかけた。
しかし月子はずっと上の空だ。
相変わらず手のひらをずっと見つめていた。
「うっ…やめて…違う…わたしじゃない…」
目の前の少女は苦しんでいる。
しかし手の力をゆるめる事ができなかった。
早く終わらせたい。
早く抜け出したい。
自分の娘の生存を誰よりも信じていたはずなのに。
時間が経つに連れ、もう会えないのだろうと。
母親なのに…。
信じ待つ事の辛さ。
時と共に薄れ行くことなく、増す痛み。
その気持ちが月子をさらに心の深い、暗い所へといざなっていた。
自分の非力さを感じる。
娘の為に、愛しい大切な杏の為に、、
何もすることができない。
早くこの世界から抜け出したい。
叶わぬなら消してほしい。
感情を、わたし自身を。
そう思えば思うほど、手の力は強くなった。
少女はもう抵抗はしない。
動かなくなった。
その瞬間だった。
動かなくなった少女の目が見開かれた。
「ママ!やめて!陸じゃない!!」
そう強い口調で言われ、思わず月子は手を離した。
一瞬。その瞬間だけ、目の前の少女に自分の娘の姿を見た。
わたしの娘。
成長した姿の娘。
すぐにそうだとわかるほど変わっていない。
どれだけ会いたいと思っていたかわからない。
だが、すぐに消えてしまった。
その瞬間に自分の娘の大切な友達に取り返しのつかいない事をしてしまったと気づく。
もう何が現実で何が真実なのかもわからない。
「叔母さん?叔母さん、ちゃんと話して。」
「…あの子が止めてくれたの。」
「うん?あの子って?陸の事?」
「あの子が、杏が…止めてくれなかったら、わたしは陸ちゃんを殺してしまう所だった。」
そう言うと、月子の頬をそれまで黙っていたのが嘘のように涙がつたっていった。
月子が言っている意味もわからず健一郎は困惑した。
「杏が?杏が来たの?」
「健ちゃんは杏が生きていると思う?あの子の顔を見て、わたしは、」
「叔母さん、落ち着いて。俺が着いた時には、叔母さんと陸の2人しか居なかったよ。」
「わたしは、健ちゃんの鞄の書類を見てしまったの。何かの鑑定書だったわ。陸ちゃんの名前が書いてあったの。それで、わたし。」
「…じゃあ、翔の店で?」
俺のせいだ。
叔母さんに誤解をさせてしまった上に、陸を危険なめにあわせてしまった。
だいたい大事な書類を、雑に扱いすぎてしまった。
陸は確かに怪しい。
しかし、陸が杏に何かするとは思えない。
「ごめん。叔母さん。違うんだ。確かにあれは陸のDNA鑑定書だ。でも別件なんだ。」
「ああ、陸ちゃんになんて事を…でも、杏に会えたわ…。」
結局月子はその後も、杏を見たと言うだけで詳細を聞く事は出来なかった。
健一郎は叔母のその姿が不気味に見えた。
陸への行為を反省している一方で、笑を浮かべていたからだ。
叔母が心配だったが、事件じゃない以上署に置いておく事はできない。
一度家に送り届け、その足で龍さんと陸の居る病院へ向かった。
病院に着くと、事前に連絡をしていた為か入口で翔と貴之が待っていた。
「おばさんはどう?」
翔が月子の様子を聞いた。
「うーん、どうと聞かれると難しいな。まあとりあえず陸が被害届を出さない限りはどうにもなんないし、とりあえず家に送ってきた。」
「なんだよお前!いつもはっきりしないなー1人にして大丈夫なのか?」
曖昧な答えの健一郎に翔が責めるような口調で聞いてきた。
「自殺とかそうゆう事?それなら大丈夫だよ。そうゆう感じじゃないんだよ。それに優馬の親がついてるから。それより何だよ。何でここで待ってたわけ?」
健一郎にそう聞かれ、翔と貴之は互いの顔を見合わせた。
2人は話合い高松の件を健一郎に話す事に決めていた。
元々、健一郎が杏の件で陸を質問攻めにする事は予想できた為、陸には優馬を見張りにつけ入口で待っていたのだ。
「まず、初めに言っておく。俺たちは山神は一ノ瀬には何もしてないって思ってる。大好きだったから。でも、翔は違うが、俺は屋上で死んだ奴の件は一瞬だけど山神が関わっていると当時は思ってた。翔からお前が今そっちも調べてるって聞いて、それで翔に話せって言われた。でも、今は山神にはあんな事出来ないって思ってるよ。」
「俺からも言わせてくれ、仮にもし、もし陸がそいつの事件に関わってたとして、今それを調べる意味ってあるのか?貴之が言ったとおり、陸は杏が消えた事とは無関係だと思う。だからそんな昔の事を、蒸し返す必要ってある?」
貴之の後に翔がつづいた。
確かに、杏の失踪に100%関係があるとは言えない。
けど、龍さんは何かを隠していたし、俺にわざわざ高松の事件の話しをした。
それを調べる事が杏に繋がる気がした。
「俺も、わかんない。だけど、龍さんは意識がまだ戻ってないし、何かに巻き込まれたのは確かだ。俺は龍さんから高松の件を聞いたんだ。何か関係してるとしか思えない。陸に直接聞く。」
「ちょっと待て待て、ストップ!」
病院内に入ろうとする健一郎を、翔と貴之がなだめる。
「お前がきっとそうするだろうなと思って、俺たちここで待ってたの。」
「なんで?聞いた方が早いだろ。龍さんの事もあるし、陸だって知ってる事は正直に話すだろ。」
翔と貴之が制止する手をどかしながら言った。
「いや、タイミングよ。陸も今は杏の母ちゃんの件で混乱してるとゆうか、今はまずいと思う。」
今の陸には少し時間が必要だと翔も貴之も考えていたのだ。
「なんだよ。混乱って?」
「あいつ、わたしのせいでって泣いてたんだよ。何がどのせいかわかんないけど、今は聞ける状態じゃないと思う。」
「え?それじゃあ今聞くタイミングででしょ?」
陸とはここ最近すれ違いで会えていない。
会えない間に知った事を陸に直接聞きたい。
その気持ちで、2人を押し退け走り出そうとした時だった。
病院内の奥から走ってくる人影が、手をふって何か言いながら向かってくる。
「みんなー!陸がどこにも居ないー!!!」
陸は病室から居なくなっていた。
優馬がトイレへ行っている数分の間の出来事だった。