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未の八ツ半 ~梅の章~  作者:
華のお江戸の川西屋
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 奉公に来て直ぐ、湯屋で隣町に住むという金太と馴染みになった。

 去年から鍋町東横丁にある摺り師の所に通っているという。

 摺り師というのは書物を作る際、板に彫った文字や絵を紙に摺りつける専門の職業だと聞かされた。書物は見たことの有る捨だったが、そんな仕事があるのを江戸に来てはじめて知った。

 百姓仕事や草木のことは良く知っている捨も、江戸では見ること聞くこと初めてのことばかりだった。


 金太の父親は魚の担ぎ売りをしているが、自分は片方の足が悪いとかで結局どこへも奉公へ行けず、知り合いを頼ってやっと摺り師の親方のところで通いの修行を始めたという。

 お店の奉公人と違って仕事が終わる時間もまちまちで、薮入りといってもあまり関係ないらしいが、今回は休みがもらえたらしい。

 昨夜、湯屋で会った際に、「お父っあんが小遣いをくれたので、一緒に遊びに行かないか」と誘われた。在所まで帰る捨は一緒に遊びにいけないが、それでも又今度遊ぶ約束をして別れた。

 金太は捨が江戸に来て始めて出来た友達だった。


 若旦那が気を利かせてくれたおかげで、今日は早く帰れそうである。そうなると、捨の頭はくるくると廻る。

 若旦那が手配した男には心当たりが会った。岩太という男である。いつも捨の家で取れる青物を船で運んでいる。

 店をでる前に岩太を捕まえ、勝手に断りを入れた。

 明日早くに家を出れば少しは遊ぶ時間が出来るかもしれないと、期待を膨らませていた。帰りに寄り道にはなるが、鍋町東横丁によって金太のところに顔をのぞけるのも悪くない。楽しい見世物や菓子を食べるのはきっと楽しいに違いない。


 行きがけにも同じ辺りで風呂敷を抱えて、うろうろしている十五くらいの娘を再び見つけたのは、そんなことを考えている時だった。


 先ほどここを通ってからしばらくたっている。いまだにこんなところをうろうろしているにしては、あたりに気を配っている様子もない。ずっとこの辺りを放っき歩いているとしたら、考えものだ。

 忙しく通り過ぎるものがほとんどだから誰も気に留めている様子はないが、目に付けば近くの自番所へしょっ引かれない。

 だいたい石を投げれば男に当たるというぐらい男が多いお江戸の町中で、娘一人で歩いている方が珍しい。湯屋の帰りでも大概が数人団子になって歩いている。常識知らずの山出しにも見えない。


 このまま放っておくのもはばかられ、娘のそばまで歩み寄った。

「やあ、姉さん、一緒にお茶でもどうだい」


 娘が橋の中央で欄干に足をかけた時、捨が軽く声をかけると、娘はびっくりしたように振り返り、頭からつま先まで二度三度と眺めた。

 前掛けははずしていたが、風呂敷包みを背負って、どこからどう見ても粋な兄さんとは違う。髪形が子供然としている上に、背丈が小さく顔が幼い。いつも年よりも子供に思われてしまう。

 とはいえ、捨にしてみればこの娘とさほど歳が違うと思えなかったのだ。


「子供が何をいってるの」

 欄干にかけた足をはずすし、ぷいと、橋を渡ってすたすたと歩き出した。

 後を追うように捨も続いた。


 三町ほども歩いただろうか、ふと娘は歩みを緩めた。どんどん亀の様に鈍くなっていくので、急ぎ足で走ってきた男とぶつかった。

「どこ見ていやがんでえ」

 怒鳴りつけながら走り去る男の後ろ姿を見つめていて、捨と目が合った。


「やあ、姉さん、縁があるね」


 悪びれない捨に、娘は途端に駆け出して行ってしまった。昼日中でも江戸の町を若い娘一人でボンヤリと歩くのは、確かに危険すぎる。子供といえども安心出来たものではない。

 娘は前も見ずに横丁に曲がった途端、ドスンと音をたてて転がり出た。


「やれ別嬪さんだ。見かけない面だね。こんな処を一人でうろうろしてっと岡場所に売っぱらわれちゃうよ」

 捨が声の主を見やると、やに下がった男が娘に声をかけて、手を差し出しているところだった。


「さっきから、人にぶつかってばかりだな」

 捨が娘の背後から声をかけた。


「きゃあああ」


 娘が突然女が悲鳴を上げたからたまらない。驚いた男が「じょ、冗談に決まってんだろ」とか何とか言いながら、今来た道を裾っからげて下駄を鳴らしながら走って逃げた。

 確かに男の方もいい迷惑だ。ちょっとからかっただけなのに、かどわかしか何かに間違えられたのだから。

 まあ、半分くらいは、さっきから付け回している捨が悪いのかもしれない。


 通りから人が集まってきた。

「姉さん、このままだと番所から人が来ちまうよ」

 捨が娘に近寄って小声でささやくと、娘はつと顔色を変えた。案の定と言ったところだ。


「姉さん、縄紐と蛇を見間違ってるぜ」

 今度は廻りに聞こえる声で捨が一人で喋りながら、どこから取り出したのか紐をひらひらさせた。


「なんでえ」

 ぶつぶつと文句を言いながら、野次馬はひとりまたひとりと消えていった。町並みがいつもの顔を取り戻すと、捨は娘に手を差し伸べた。今度は、その手を娘が取った。


「ありがとう」

「さ、もう行こうぜ」

 言ってる台詞は気障だが、まるきり子供では絵にもならない。

 立ち上がり埃を払うと、二人は肩を並べて歩き出した。ただ、頭半分ほど捨の方が低い。端から見れば姉と弟に見えなくもない。

 さしずめ物静かな姉と、おしゃべりな弟といったところだろう。


「どこまで行くのか知らないけれど、なんだったら近くまで送ってやってもいいぜ。なんだかまるきり頼りない。姉さんも薮入りかい」

「あんた、お節介だね」

「お節介か。そんなこと言われたことはねえな」


「別にどこに行くつもりもないわ。仕事を辞めちまったんだ」

「じゃあ、行くところがねえんだな」

 娘は答えなかったが、それが答えになっていた。

「親兄弟は」

「二親とも先になくなった」

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