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未の八ツ半 ~梅の章~  作者:
華のお江戸の川西屋
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1

 青物問屋の朝は早い。

 当然の成り行きとして、店に勤めるものは丁稚も全て通いでなく住み込みばかりだ。

 日も開け切らぬうちから近在の百姓が作った青菜を山盛り一杯積んだ小船が、水路を利用して次々と運び込まれる。それを買い付けるとすぐに卸問屋に売り渡す。町木戸が開く頃には、次々と卸問屋から買い付けた振り売りが町へと繰り出す。


 生まれも育ちも百姓の捨でさえ、この暮らしに慣れるには時間がかかった。

 それでも慣れてしまえば、どうと言うことはない。

 生ものを扱う商売ゆえ、売れ残りは即、損失に早代わりする。その分、商いは気の抜けない、あっという間の勝負だ。だからこそ気の荒い連中も多い。しかしそれも一部のことであって、丁稚達は追い回されあれよあれよと訳がわからないうちに、その日の商いは終わっている。そうして大人たちが過ぎ去った後の片付けや、使いっ走りから仕事は覚えていかねばならない。


 後片付けが終わると、何時ものように近所に使いを頼まれた。


 四つか五つの頑是無い子供が旅装束でぶち当たってきた。こんなに小さいのにとつい、田舎の甥っ子達と比べてしまう。

 かと思えば、大店の子供だろうか。手代を連れて六つか七つほどの子供が籠に乗せられて、通り過ぎていく。


 ここは、人通りが多い。日本橋本町と室町が交差する場所だ。


 お使いでここまで来たのは初めてでもないが、明日は薮入り。何を見ても明日の薮入りに心躍らせ、ついあちらこちらに目を奪われてしまう。

 急いで帰らないと、又小言を喰らうことになりそうだ。使いに出すと、いつも寄り道をして叱られてばかりいる。


 春から勤め始めた捨は、明日初めての休みを貰い在所に帰る。奉公に出るのに反対したのは義姉の菊と兄の三吉だった。

 菊はわが子のように可愛がっていた捨を、手放したくなかったのだ。それでも長女鶴の下に、念願の息子を迎えた今、末弟を養子にして後を継がす必要はなくなった。だからといって、わが子のように育ててきた弟を手放すのは、身を切られるように辛いと泣いて夫の吉左衛門に頼んだが聞き入れてもらえなかった。


 三吉は自分が奉公先で江戸煩いになったことを心配して、難色を示したが家長に面と向かって逆らうわけにはいかない。それでも、従兄弟が入り婿としている青物問屋なら、心配も少ないだろうと納得した次第である。


 周りの心配をよそに、捨は江戸に出ることを楽しみにしていた。村も家も好きだが、歳若い男の子である、華やかな江戸の町に憧れを抱いていた。


 奉公に来てみると、同じ丁稚でも捨よりも年が若い子ばかりだ。それでも自分より長く奉公しているという。読み書き算盤は他の子よりいくらかできるといっても、商家のしきたりというのがなかなか難しい。言葉一つとっても、いちいち注意される。今年平手代になったばかりの嘉助というのが、また何かにつけ捨を使うので、一日中店の中を飛び回っていなければならない。


 やっと店まで戻ってくると、まず井戸に行き水を一杯飲もうとしたとき、近くから嘉助の話し声が聞こえたものだから、慌てて隠れた。

「若旦那さんも大変だ。入り婿でまだ大旦那さんが健在とくりゃ物事一つ決めるにも、大旦那さんの顔色をうかがわなくちゃいけねえ。それなのに今年入った小僧っ子は、従兄弟といっても自分の親兄弟が世話になっている家の子と来ちゃあ、あまり厳しくも出来ねえ。あっちを立てればこっちが立たずで、あれこれ気苦労がたねえなえわなあ」


 どうやら、自分のことを言っているらしい。隠れたのは正解だったが、今更出て行けるはずもなく、二人がこっちに来ないことを祈りながら、二人の話に耳を傾けた。

「嘉助、てめえは自分の身が心配なだけだろう。一つしか違わねえ子供が、読み書きも算盤もお前よりよっぽど達者、いまだに冬菜と大根葉の違いがつかねえお前じゃ、すぐに追い越されちまうからな」

「ば、馬鹿野郎。冬菜と大根葉の違げえぐらいわからあな」

「そうか、そりゃ結構だ。小僧っ子のことをとやかく言うつもりはないが、俺は若旦那が手代になった頃からずっと可愛がってきてもらったからな。何があっても若旦那についていくって決めてんだ」

 話し声が遠くなり、ほっと胸をなでおろしながら、辺りに人がいないことを確認して、水を飲むことにした。


「捨」

 優しい声に振り向くと、若旦那である従兄弟の与三郎が立っていた。

「若旦那、何でしょうか」

 嘉助に言われるまでもなく、奉公人と主人の違いは捨にもわかる。奉公に来る前にいろいろと教えてもらっていたように、最初から若旦那と呼び続けているが、呼ばれるほうの若旦那は、いつもなにやら難しげな顔をしている。


「ちょっと頼まれてくれないかい。浜屋さんに届け物をして欲しいんだよ。それが済んだら、今日はもう店のほうはいいからそのまま在所に帰りなさい。明後日、岩太の船で帰ってきたらいいから。朝の荷と一緒に送ってもらうように、岩太にはもう話はつけてあるからね。さ、支度をしておいで、それから奥にいるから出かける前に必ず顔を出しておくれ」


「あい。かしこまりました」

 こんなところが、周りから板ばさみだの気を使っているだのと言われる所以だ。

 それでもここであれこれと言うわけにも行かないから、言われたとおり又、お使いに出ることになった。

 さっき出かける前に早い昼餉を食べたばかりで日もまだ高い。少しでも里でゆっくりできるように、気を使ってくれたのだろう。家への土産もたっぷりと持たされている。

 あれこれと考えながらも日本橋を渡って、京橋を通りぬけ最後にもう一つ橋を渡って浜屋に無事届け物を済ませると、今度はゆっくりと帰り道を進んだ。

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