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未の八ツ半 ~梅の章~  作者:
はつはるのおよろこび
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 竹屋敷は、五代将軍綱吉公がお隠れになる前の年に、砂村の中でも江戸に程近い場所に作られた。


 綱吉公は生類憐みの令によって、生き物を大切にしたため、お鷹場であれば何かとうるさいはずのこの場所も、当然鷹狩などなさらない将軍の世にあっては、取り締まりは緩やかとなっていた頃のことであった。


 竹屋敷といっても、ただの百姓屋である。砂村の名主の家に生まれた竹屋敷初代吉左衛門は、早くに兄が後を継ぐと、この場所に家を建て、分家を起こした。

 家屋敷を建てた場所には、母屋のほかに大きめの納屋に厩、裏庭に竹林を配してもまだ十分に農作業をする広さは確保していた。それどころかまだ同じくらいの屋敷が二・三軒建つくらいの場所は残っていた。

 その時裏庭にあった竹林が大きくなって、今では誰言うとなく竹屋敷と呼ばれている。


 世が移ろい八代将軍吉宗公がその座にお就きになると、再び鷹場を改め、砂村にも足をお運びになられた。

 鷹狩りには、田畑であろうが、お構いなしに馬が乗り入れ、せっかくの作物を蹴散らかされることもあったが、悪いことばかりでもない。

 吉宗公が鷹狩りに砂村に足を踏み入れられたとき、砂村の西瓜を召し上がられ、大層お褒めの言葉をいたただいた。それを亡くなった初代吉左衛門は、今際の際まで言い続けたと言う。

 本人もよほどの誉れだったのだろう。


 初代がなくなって二代目吉左衛門が跡をついでからも、家族が一丸となって開墾を繰り返し、畑を増やしていった。本家から分かれた当初は、自分達が食べるに十分な田んぼを所有していたが、それで満足することなく畑に力を入れた結果、江戸近在の農家という地の利も生かし、ますます大きくなった。


 そんな竹屋敷に、その年は実にさまざまな出来事が起こった。


 正月の松が取れるとすぐ、長男の太吉が本家から菊という嫁を迎えた。

 月が変わると今度は太吉の妹の千が、本家に嫁いだ。

 この二つの婚姻には少しばかり事情があった。本家から嫁に来た菊は、丙午の生まれだったのだ。

 丙午生まれでは場合によっては縁遠くなりかねないと心配して、生まれたときから菊はこの竹屋敷に嫁に迎えることが約束されていた。それを承諾した代わりに、初代吉左衛門はこの竹屋敷からも本家に嫁を送ると取り決めがなされた。それが実現したのが今年の二組の婚礼であった。夫を食い殺すなどと物騒なことも言われるが、菊はおとなしい娘であった。なにより、初代の遺言でもあったため、竹屋敷としても是非にと長男の太吉の嫁として迎えられたのだ。


 そして上巳節句の頃には、一緒に住む従兄弟の与三郎が江戸の青物問屋に働きに出た。


 閏四月、初代吉左衛門の妻とめが亡くなった。なかなかの大往生であった。


 昨年は大雨で田畑が水に浸かり収穫前の作物が駄目になったが、今年は順々に月は過ぎ田植え稲刈りが済むと、嫁に来たばかりの菊が男の子を産んだ。


 しかし、二月と持たずあっけなくこの世を去った。初めての子供だけに尚更悲しみは募った。乳飲み子を失った嫁を介抱する姑の稲もまた、年明け早々には身二つなる状態であっただけに、なお一層菊に心を砕いて供に泣き、励ました。

 姑の稲は後添えであった。それまで三人の子供を身ごもり、一年と育てることが出来ず、前回も早くに流れてしまっていた。それだけに菊の悲しみは痛いほどわかる。


 それでも月が変わると、稲は無事男の子を産み落とした。

 菊が泣き暮らしていたころ、夜毎西の空に禍々しき星が、村の上をゆっくりと流れていた。

 前の年にも正月が済んだ晦日近くに、東の空に一尺五寸もの尾を引いた星が現われた。その夏あの大水害が起こったばかりだ。星が災いを運んでくると村々で恐れられていたときだっただけに、菊は子供をあの禍々しい星に連れて行かれたと、半狂乱になるほどに泣き暮らした。星の巡り合わせが悪いと一言で言いきれるものでもなかった。


 それだけではない。その年は春先に竹の花が咲き、竹屋敷と呼ばれていた名の由来ともいえる竹林がいっせいに枯れたのである。誰もが不吉なことと考えていた。不吉なことばかり続くので、少し月足らずで生まれた子に『捨』と名づけて、丈夫に育つように願っていた矢先、それまでの無理がたたったのか稲が産後の肥立ちも悪くあっけなく身罷った。


 少し前まで自分を励まし、供に涙を流してくれた姑の稲が残した大事な子。わが子を失った菊が自らの乳を与え、亡くした子の分も可愛がって育てたため、捨は七五三も無事迎えて、ちょっと身体は小さかったが元気に育った。


 稲が息を引き取る頃、西の空から星は消えていた。

 菊は子育てに夢中で知らなかったが、稲穂のように見えることから、あの星を稲星と呼んでいたとか。



 歳月が流れ、菊にもあれから鶴という娘の子が生まれ、竹屋敷は家族を増やしながら大きく大きくなっていった。


 竹屋敷の吉左衛門が身体を壊し寝付いてしまったのは、雪が降り始めた頃のことだった。


 吉左衛門の甥に当たる与三郎が青物問屋に奉公に出た数年後、捨のすぐ上の兄に当たる三吉も米問屋に奉公に出ていた。

 豊作や凶作もあるが、竹屋敷では子供を口減らしに奉公に出さなければ暮らしていけない訳ではない。家族も多く、手伝いの男達も雇っている。農家にしては珍しく子供の頃から田畑の手伝いの傍ら、読み書きや算盤まで男女問わずに徹底して教育をしてきた。しかし、自分達の家族が汗水たらして作った作物が、江戸の町でどうなっているのか、家族も大事だが、その行く末を見届けさせるために、わざわざ奉公に出しているのだった。


 吉左衛門がそろそろいけないと便りを出そうと考えていたとき、畑で取れた作物を江戸まで運ぶ船を操っている岩太という男が、青物問屋川西屋に奉公している与三郎から預かったと言って、一通の便りを届けた。

 米問屋に奉公に出ていた三吉が、江戸煩いにかかって近いうちに送り返すという。江戸煩いは、放って置けば命にかかわる病だが、田舎に帰るとけろりと直ってしまう。

 青物問屋に奉公に出た与三郎と違って、三吉は米問屋。米だけは銀シャリを腹いっぱい食べさせてもらえるが、おかずは香の物に汁がつくだけで、始めのうちは良かったが、とうとう脚気まで伴っているという。

 江戸からの便りにも、若筍の和え物が食いたいと、泣き言とも思えるようなことを書いてきたという。


 それならばと、吉左衛門の容態が思わしくないこともあり、急いで連れ戻す運びとなったが、年の瀬になって青物問屋に奉公に出た与三郎が、一度話があるからと三吉を伴って帰ってきた。

 臨終には間に合ったが、それを待っていたように吉左衛門は、夜半近く静かに息を引き取った。


 年が明け、無事に弔いを済ませると、三吉が奉公はもう懲り懲りと、何も要らないから病が癒えても江戸へは帰らず、このまま残って家を手伝うと言った。それならば、こちらで嫁でも貰って暮らせばよいということになった。

 竹屋敷は長男の太吉が吉左衛門と名を改めて家を継ぐことになった。それに当たって、今まで一緒に暮らしていた叔父達に、すぐ隣に家を建てる算段を始めた。


 最初の子を失った菊も、その後鶴という娘を一人儲け、今も生まれんばかりに腹が大きくなっている。 

 家が手狭になったことも有る。家の普請のかかりは吉左衛門が全額だす。家は分かれるが、分家という形はとらず今まで通り田畑は叔父たちも含めた家族でやっていこうと決まった。


 ところで、三吉に付き添って帰ってきた青物問屋に奉公に上がっていた与三郎だが、折り入って話があるという。その話というのが、奉公先の娘婿にと望まれているという。これはめでたい話と誰もが喜んだ。


 話は全てついたと思ったときに、末っ子の捨が口を挟んだ。


「おらも、おらも」

「あら、捨さんも何かあるの」

 母代わりの義姉、菊が優しく問いかけた。


「おら、裏の竹やぶが欲しい」

「竹藪? お前何を言っているんだ。あんなもの貰ってどうする。竹とんぼでも作るのか」

 兄の吉左衛門がいぶかしげに、問うた。


「竹とんぼも好きだが、三吉兄じゃに若筍を腹いっぱい喰わしてやりてえ」

 三吉は帰ってきているのだから、季節になれば若筍を食べられるのだ。それをわざわざ、自慢げに言っている捨を周りの大人達は、つい笑ってしまった。


「ありがとな、捨」

 目を潤ませたのは、三吉だった。

 一回り近く年が離れて、物心ついた頃には奉公に出ており、薮入りのときに手土産の一つも買ってきたことはあるが、それくらいにしか付き合いがなかったから、余計に心に染みた。


「捨さんは、お兄さん想いの優しい子ですね。どうでしょう」

 菊は夫に微笑みかけた。


「捨、お前にあの竹やぶをやるわけにはいかんが、あの竹やぶで取れるものは、筍だろうが竹だろうが、いつでも欲しいだけお前の自由にすればいい。竹は放っておいてもどんどん大きくなる、竹やぶを丸裸にさえしなければ、これからはお前の自由だ」

「本当?」

「捨さん。お兄さまにありがとうというのが先でしょう」

「ありがとう」

 捨の喜び様は、その夜数年ぶりに寝小便をしてしまうほどだった。

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