青染めの狩衣(三)
キヌからくどくどと顔を出すな、髪を見せるなって念を押されたので、薄衣を頭から被いて、私はささっと山を下りてみた。
生まれてはじめての人里に、どっきどき!
いつもお山にはないけど必要なものは、キヌがどこからか持ってきてくれるから、私が山を下ることなんてないんだよね。
山を下りていくと、ひそやかな路の先には鳥居があった。
この鳥居はあの世とこの世の境目だってキヌは言っていたけど、ちょっと不思議な気分。
私にとって、鳥居の向こう側があの世なのかな、なーんて。
そんなことを思いながら、鳥居の向こう、人の世とやらに踏み出したんだけど。
「滝又? 知らないねぇ」
「萌黄の狩衣の都人? そんな御仁見かけたら皆大騒ぎだ」
「それよりお嬢ちゃん、どこから来たんだい?」
ぜんっぜんっ……!
滝又様のこと分かんない……!
会う人会う人に滝又様のこと聞くけど、全然分かんない。
滝又様とはあれからずっと会えずじまいで、最後にいた場所を教えてもらえなかったんだよね。
それでもとことこ歩いて人に尋ねてまわれば、お日様はあっという間に中天を過ぎて、沈み始める。
ふわぁ、高鈴山ってあんな形してたんだぁ……。
仕方なく帰ろうかなって振り返ったら、高鈴山が通り過ぎてきた村の、さらに向こうでずっしりと構えていて。
まっすぐ歩いていた私、ようやくここでかなりの距離を歩いていたんだってことを理解した。
「……え、これ、私、帰れる?」
帰る頃には朝が来ちゃいそう。
きゅるるるって、お腹もなってる。
お腹がすいたのに気づいたら、なんだか一気に疲れちゃって、そのまま座り込んじゃった。
えっ、えっ、こんな時どうしたらいいの?
ご飯も、床もないよっ?
えっ?
……考えなしって、こういうことを言うのかもしれない。
キヌ、こういう時どうすればいいのか教えてくれなかった……。
もしかしたら、私が途中で根を上げて帰ってくるって思われてたのかも。だからこういう時どうすればいいのか教えてくれなかった……?
なんかそれは腹が立つなぁ。
このまま帰るのって、やっぱり癪。
一人でできるってところ、キヌにも見せてやるんだから!
どうしようかな、とりあえずもうちょっと歩いてみよう。誰かのお家に頼るのもなんだか図々しくて気が引けるから、木の実か何かを見つけて、そこを今日の寝床にしようかな。
うんうん。そうしよう、それがいい。
ちょっと人里からそれた林の中に入ってみる。
暗いけど、星の位置でなんとか迷子にはならなさそう。
ふんふんと林の奥に入っていくと―――変な声が聞こえた。
「んー……?」
なんだろう、唸り声?
まるでキヌがぐわりって吠える時みたいな声も聞こえる。
なんとなく、その唸り声の方へ行ってみたら。
「獣……?」
なんだろう、目がすごく濁ってて、嫌な感じがする。
唸り声。
あ、目が合った―――って、こっち来た!?
「きゃあっ!」
いきなりのことでびっくりして走ろうとしたら、木の根っこに躓いて転んじゃった!
あわわっ、急がないと……っ!
でも、立ち上がる前に獣がもうそこまで来ていて。
あ、襲われ―――
「去ね!!」
轟っとすごい声。
びりびりびりって耳の奥が痛いくらいの大きな声が聞こえて、驚いた獣たちはきゃんきゃん泣きながら逃げて行っちゃった。
呆気にとられて目を丸くしていれば、今度は頭上から怒鳴られた。
「たわけ!! こんな時間に人里から離れるやつがおるか!! おるな!! 俺の目の前にたわけた奴が一人おるな!!」
その言い方がなんとなーくキヌっぽくて、むっとして振り返る。
「そんな言い方しなくてもいいじゃん! キヌのばかっ!! ……あれっ?」
「ああ?」
ずぅうんと私を見下げているのは大きな男の人。
墨染めの直垂を着ていて、キヌとおんなじくらい大きくて、ざっくばらんな白い髪を雑に一つにくくってる。
私とおんなじ、白い人だ。
初めて見た。
白い人が暗い夜の中に立っていると、月明かりでぼんやりとその白い髪が浮き上がって、すっごく綺麗。
「……おい、せっかく忠告してやったというのに罵倒とは、いい度胸だな」
「はわっ、ごっ、ごめんなさい! キヌと間違えました! あっ、キヌっていうのは、私と仲良しさんな熊さんでっ! あっ、だめだっ! キヌのことは内緒だった!」
「……はぁ。まぁいい」
しゃべる熊とか私が白子のことは絶対に秘密だってキヌと約束したのに、もう破っちゃった!
どーしよ、どーやって誤魔化そうっ?
あわあわと慌てていれば、墨染めの白い人は私をよっと肩に担いじゃった。のしのしと俵のように運ばれちゃう。ど、どこ行くの!?
「夜は危険な獣が多い。人里の明かりのある場所から離れるな」
「で、でも、私、どうすればいいか分かんなくて……」
「そんなことだろうと思った……」
やれやれといった風に墨染めの白い人は言うと、林の中でもちょっと拓いた場所に私を下ろしてくれた。
手近な木を集めて、火打石を鳴らして火を点ける。
すごーい、手慣れてるー。
「今日はここにいろ。野営だ」
「やえい?」
「野宿、ともいう。外で寝るときは、獣が寄ってこないよう、火をつけろ。火をかざせばたいていの獣は逃げていく。だが火が燃え広がったり、消えたりしないように見張りが必要だ。それができなきゃ、どこぞの家の厄介になれ」
「はい……」
「今日は俺が見張っててやる。寝ろ」
そう言うと、墨染めの白い人は私を膝の上に乗せてくれた。ぎゅっと抱き込まれれば温かくて、すぐにうとうとしちゃう。
なんだろう、知らない人なのに、キヌに抱っこされてるみたいで安心する……。
ふわふわとした気持ちでまぶたを閉じる。
今日は沢山の人とお話して、ちょっとつかれちゃった。
お腹も空いていたはずなのに、空腹よりも眠気のほうが強くなる。
自分でもびっくりするくらい、すこんと眠っちゃった。