断罪には断罪を
長め…かな?
「…カトリーナ・マテリアル。今この場を持って、貴殿との婚約を破棄させてもらう」
―どうやら私は、
「聖女候補への暴行・苦行の数々、あまりに目に余る。たとえマテリアル家が重要な家系だとしても、これ以上増長させるわけにはいかない。そして、今この時をもって、私と聖女候補であるマリア・イリエディスとの婚約を成立させる」
貶められたようだ。
(…馬鹿な男)
地中海に浮かぶ自然豊かな島国・サンチェス。
それがこの国の名前だった。
サンチェス王家の統治が続いて早三百年。
大きな戦争は一つもなく、世界全般でも「平和な国」と呼ばれていた。
そんな国でも、やはり爆弾を一つは抱えているものである。
マテリアル家は建国当時から続いており、もう一つの王家とも言われている。
王家に劣らない力を持ち、生まれてくる子は皆様々な分野に優れていたりする。
王族の仕事として「マテリアル家の者の機嫌を損ねない」という事項もあるくらいだ。
何せ領地は巨大、戦争をしたとして王家の勝率は半分、といったところ。
よって両家はたびたび婚姻関係を結び、互いに不可侵であることを誓っているのである。
(一体誰の得になるのだろう)
婚約破棄を申し出された女性は、カトリーナ・マテリアル。
シャンデリアの光を受けて輝いている絹のように滑らかな銀髪。
元婚約者のそばにいる聖女候補を眺めているのは海を移したようなコバルトブルーの瞳。
誰もがうらやむような容姿の少し冷ややかな印象を持つ彼女は、実に優秀であった。
軍師になればほとんどの国を翻弄するだろうし、
学者となれば新たな論理を発見するだろうし、
領主となればさらなる繁栄を望めるだろう。
そんなカトリーナはすでにマテリアル家当主の座についており、目の前の男――第二王子に婚約破棄されたとて痛くも痒くもないのだ。
そもそもこの場で婚約破棄をしたことで立場が悪くなるのは第二王子、ひいては王家なのだ。
(この男はちっともそれをわかっていない)
確かに貴族社会で婚約破棄されたことは一生付きまとう醜聞だろう。
だが、それがどうしたというのだ。
圧倒的な力の前では醜聞さえも無に帰る。
今この瞬間、第二王子――マクシミリアンは最悪の人物を敵にしたのだ。
この状況が得なのは。
(聖女候補)
「そんな!わたくしのためにこんなむごいことをしなくてもいいのに…」
「安心しろ。私がついてるし、第一君が悲しむことはない」
(言葉と顔が真逆だ)
聖女の如く清らかな言葉を口にした女は、見るだけで気分が悪くなりそうな、そんなゲスい顔をしていた。
(恋は盲目というけれど)
今のマクシミリアンは、いささか度を越している。
始まりは、去年の始業式。
颯爽と現れた聖女候補は、数々の男を虜にした。
もちろん、彼女に心酔する女も少なくなかった。
何がどうなったらそう見えるのか、ほぼ確実に聖女になると噂されている。
(私には計算尽くの猫かぶり女にしか見えないわ)
「…何か、申し開きはあるか!?」
声の主はマテリアル家を長年目の上のたんこぶだと思ってきたセリエル家の長男。
そして、マリアの周りには彼女を取り囲むように他の上位貴族の子息が数人立っていた。
そう、マリアは逆ハーレムを築いていたのだ。
それをわかっていない愚か者のなんと多いことか。
(どうやら彼女、すでにたくさんの関係を持っているようだし)
そんな女が次代聖女とは、世も末である。
そして、カトリーナがいろいろと考えているうちにセリエル家の長男――アルバートが近づいてきていたようだ。
顔には怒りをあらわにしており、その横に振りかぶった拳が見えた。
その拳が思いっきり振られる。
まともに受けたらそれこそ骨が折れていたであろうそのパンチは、殺す気で放ったとしか考えられないものだった。
でも、それが運の尽き。
カトリーナはまさに文武両道。
避けるのはたわいもない。
一方アルバートはそれに癇癪を起こしたのか、今度はワイングラスをつかみ、そのガラスにてカトリーナを傷つけようとした。
だが。
(無駄が多すぎる)
気付いたら、アルバートの手首は綺麗に折れていた。
アルバートはさらに顔を赤くする。
(避けたら怒るとか、子供すぎないだろうか)
「そのくらいにしておけ、アルバート」
「でも…っ!」
「その女は何もしなくとも牢にて拷問くらいかけられるだろうさ」
(…なぜ、私が牢に入れられる前提なのか)
そこでマクシミリアンは意地汚く笑う。
「お前は今、公爵子息を傷つけた。その罪を償ってもらわないとな?…警備兵!!」
明らかに卒業パーティーの警備には多すぎる量の兵士達が突っ込んできた。
その場で固唾をのんで見守っていたほかの貴族たちは悲鳴を上げる。
十中八九、カトリーナを捕らえるために用意された兵だろう。
それぐらい多くなければカトリーナは捕まえられないと思ったのだろうか。
(その用意周到さは、褒めてやってもいい)
しかし。
(でも、それでも足りなさすぎる)
次の瞬間には、全ての兵士が足に傷を作っていた。
その傷は深く、骨まで届いている。到底まともに歩けるはずがなかった。
それを数秒のうちに行ったのは誰か。
ドレスの中に隠していた短刀を血に染めていたカトリーナだった。
普段は表情を浮かべることのない女神の顔には、狂気的な笑みが作られていた。
…もう一つ。
「皆様」
マテリアル家の人々は皆そろって、
「ではこれから続く、地獄をお楽しみください」
ひどく残虐であった。
*****
カトリーナは、その日を境に社交界から姿を晦ました。
あるものはどうでもいいと思い、あるものは蔑み、あるものは戦慄した。
この場合は、戦慄した者が正しい。
マクシミリアンを始めとしたマリアに最も近しい者たちは毎晩のようにマクシミリアンに与えられた宮殿に集まり、眠れぬ夜を過ごしていた。
そんな、何もかもが丸く収まったかのように見えた日のこと。
宮殿に、矢が撃ち込まれた。
その矢は幸い重要人物らの命を狙うような代物ではなかったが、手紙と言うにはあまりに短い紙切れがくくりつけられていた。
そこに書かれていたのは、『あと五日』――これだけ。
「どういうことだ…何かの嫌がらせか?」
それを見たマクシミリアンは真面目に受け取らなかった。
「ねえ…それよりい、はやく続きしましょうよ…」
マリアの甘ったるいあでやかな声が響く。
「ああ、そうだな…!」
皆、気にしなかった。
それが最大の誤りであることに、今はまだ誰も気づかない。
****
所変わってマテリアル家の屋敷。
その屋敷は屋敷と言うよりは城であった。
大部分が大理石で作られた神秘の城に暮らすものはわずか二人。
人の気配はなく、寂しげに足音だけが響いていた。
「姉上、何をなさるおつもりで?」
疲れた顔をした男は名をクラウディス・マテリアルという。
カトリーナの弟で、たった一人の肉親である。
「…今のところは、別に何も」
「でも、やっているんでしょう?」
クラウディスはその驚異的な身体能力を持ってわずか十五歳でこの国の騎士団のトップを取った。
ゆえに見えていたのだ。カトリーナが矢を放つ姿を。
「あれは、やけになって放った矢だ」
「姉上の矢は百発百中だ、そんな無意味なことはしないはず」
「…わかっているじゃないか」
やはり何かしでかすつもりなのだ、クラウディスはため息を吐く。
今のカトリーナは動きやすそうなパンツスタイルだ。クラウディスの騎士団服を流用している。
(この姉上に考えがないわけがない。…おおかた先日の件だろう)
カトリーナは、歴代当主の中でも輪をかけて温厚な方だ。
しかし彼女は己が見下されることをひどく嫌う。
先日の婚約破棄で爆発したのだろう。
(確かに我が家を見下すあの態度と行動は腹が立つし、王家を滅ぼすのなら喜んで手伝う。だが、姉上は何を考えているのだ?)
カトリーナらしくない。時間をかけるなど。
(それ相応の理由があるのだろうか)
「まあ、クラウディス。落ち着いて待っていろ。あと五日で、存分に暴れてもらうぞ」
それはいい。クラウディスの血が滾る。
クラウディスは重度の戦闘狂である。
平和な世の中は体質に合わないのだろう。
ここでマテリアル家が反乱を起こせば、彼が待ち望んだ乱世に突入する。
カトリーナにその切り札がある限り、クラウディスはずっとついていくだろう。
姉と言うものは、往々にして弟のことをよくわかっている。
日付が変わる。
それを知らせる鐘の音が国中に鳴り渡る。
「あと四日だ」
カトリーナの顔に、女神のような、悪魔のような笑みが浮かんだ。
****
毎晩宮殿に届くタイムリミットを知らせる手紙。
なんのタイムリミットかなんて知ったことではなく、四日目からは相手にされなくなった。
皆、目先の性を求めたのだ。
『あと一日』という手紙が届いた日に、カトリーナを捕らえるためにマテリアル領に軍勢がなだれ込む。
しかし意味はない。住民たちはすでに避難を終えていたからだ。
「やっと来たか。遅いじゃあないか。うちの番犬が怒るところだったよ」
カトリーナは、そんな独り言を口にする。
事実、城の少し前に首を長くしたクラウディスが待ち構えていたのだ。
クラウディスは、のどの渇きを満たすため兵士らを惨殺する。
多くのものが恐怖するが、王子に任命されたという責任感だけで足を支えている。
「弱すぎる」
次の瞬間、城下町に残る命は一つだけになった。
「クラウディス、お疲れ様」
「全く疲れてませんよ。で、まだ終わりじゃないでしょう?」
威圧も込めてクラウディスは姉を見つめる。
「もちろん」
皆、マテリアルをなめているのだ。
****
「敵襲!敵襲ーー!」
盛る彼らの耳に入ったのは、予想だにしなかった兵士の焦ったような叫び声。
「なんだ?我が国に敵対する勢力などいなかったはずだが」
「大方マテリアルの塵が攻めてきたのだろう。自滅するつもりなのか?」
「ええー、せっかくいいところだったのにぃ…」
「マリア、またすぐ戻るからな」
「はぁい」
本当に聖女であれば、傷ついた兵士を癒すなり結界を張るなりするだろうが。
一応、マリアに聖女の力は宿っている。そうじゃなければ聖女候補にはそもそもなれない。
しかし、聖女は”聖なる乙女”。
貞操観念を捨て去った時点で彼女は聖女ではなくなっていたのだ。
ただの娘に戻るのも時間の問題だが、そうなっても寵愛は受け続けるのだろう。
何しろこの聖女候補、魅了魔法にだけはとびきり優れているのだから。
「安心して、待ってるんだぞ」
「わかりましたわ」
その場にいた男はいなくなった。
マリアはまだ熱が引いていない。
彼女の場合、風邪ではないが。
「あーあ、つまんないのー」
マリアはひとりごちる。
「カトリーナさん、そんなにマックのこと好きだったけ…わからないや」
マックとは、マクシミリアンの愛称である。
「暇だなー、あ、そうだ」
一人になってもなおマリアは快楽を求める。
その考えや仕草、甘ったるい声は聖女でさえ、貴族でさえなければごく普通に男たちを虜にするだろう。
一方マクシミリアンたちのほうも、考えるのはマリアのことで、カトリーナのことなどもうすぐで忘れる勢いだ。
だが、戦場では常に目先の敵しか見てはいけない。考えてはいけない。
隙が生じた時点で、勝敗は決まっているのだから。
****
宮殿の周りは地獄絵図と化していた。
クラウディスに負けずとも劣らないカトリーナと、血を欲するいつもより数倍は強いクラウディス。
踏み入れれば即死の状況で、愚かにもアルバートは足を踏み出してしまう。
「あら、馬鹿ね」
アルバートとて、一人前の騎士として、マテリアル家の自称好敵手としてやってきたつもりだ。
ゆえにその一言は許せない。
そう思いもう一歩踏み出したところで、急な浮遊感を感じる。
まるで、自分の下だけが真っ黒い穴になったかのような。
視界さえも暗闇が支配し始め、聞こえる音にもノイズが混じり、聞こえづらくなる。
何もない。
それしか考えられない。
いや、その考えすら無のこの状態では思い浮かばない。
生きる、という概念すらないようだ。
ひたすらな無。
疑問も後悔も怒りも、もはや何も浮かんでこない。
「一人目」
アルバートは触れてはならないと本能が叫ぶような、漆黒の球体に包まれた。
術者が死なない限り、それは解かれることがない。
尤も、そのころにはアルバートは骨と化しているだろうが。
仲間の死は当然悲しい。
だが、それ以上に仇が憎い。
最初にカトリーナの射程範囲内に入ったのはカトリーナを抜いて魔法で勝つ者はいないと揶揄されるほどの魔導士・イクリュー。
自らの手から生み出された木がのび、カトリーナを捕らえようと蠢く。
「まさかそんなもので殺すつもり?」
それを相殺するように、カトリーナからは水が放たれた。
成長していた木は水圧に負け粉々になっていく。
異変を感じたイクリューが火で消そうと試みるが、逆に炎のほうがかき消えてしまう。
そうこうしているうちに水はイクリューの右手に触れた。
そこからは怒涛の速度でイクリューの体全体を包み込んだ。
当然水の中だから、呼吸はできない。
息苦しさを感じ、死を間近に感じる。
「もう生を手放すのねえ」
一番つらいのは溺死だと、カトリーナは考える。
溺死がつらいのは、苦しむ時間が長いからだ。
ならばもっと長くしてやればいい。
それこそ死んだほうがましの苦しさを延々と感じるように。
「二人目」
あくまで軽やかにカトリーナはつぶやく。
それまでいろいろな方面からの攻撃を受け流し、避けてきたその動きはまるで舞いのようで、誰しもが見惚れるだろう。
その周りで息を上がらせて汗ばみ、必死な男たちが水を差すが。
「汚いわ」
兵士達の隙間を縫って、外交官の地位を約束されたマクシミリアンの従兄・ストムが攻撃する。
ストムが持っているのはこの国最高峰の鍛冶師が打った最高級の剣。
ただ、その鍛冶師はマテリアル家のものだ。
よってその剣ではカトリーナを攻撃することが不可能だ。
カトリーナの片手剣の先がストムの首に触れる。
たかが薄皮一枚程度の攻撃だと、ストムは態勢を整えようとする。
それすらも無意味なのだが。
「…!!?」
ドクンと、心臓が鳴る。
待ち受ける死に逃げることすらできずに、体が悲鳴を上げる。
汗が噴き出す。
顔が青色になる。
毒を盛られた。
その事実に脳が追い付いたのは時すでに遅し。
すでに毒は体を蝕んでいたのだ。
まずは体が麻痺する程度。
徐々に吐き気が出てくる。
そして、頭がこんがらがる。
(俺は誰?あいつは誰?ここは何?あてはなんら?ああ、なじもかんらえあえない…)
この無限の苦しみが続くのだ。
「三人目」
カトリーナは、できるだけ時間がかかる殺し方を選んでいる。
そして、誰にも止められないものを。
では次は、何を取るか。
決まっている、拷問だ。
「カトリーナ!」
「レディを呼び捨てにするなんて、誰が教育したのかしら」
マクシミリアンは怒り心頭に駆け出す。
愚かにも、自ら最大の罠に入るのだ。
時間が止まった、そんな気がした。
遠くから聞えてきた戦闘音が一切ない。
そして、自分の体も、憎き女の体も一切動かない。
…いや、カトリーナは動き出した。
そして、爪を一枚一枚丁寧に剥がれる。
激痛に、声にならない悲鳴を上げる。
「つくづく馬鹿な男」
カトリーナのつぶやきは、マクシミリアンの耳には入らない。
否、届かない。
そのころマクシミリアンは、激痛をひたすらに感じていた。
爪を剥がれ、
指を折られ、
髪を抜かれ、
目がくりぬかれ、
手足が折られ、
局部を切断され。
死んだほうがよっぽどマシな耐えがたい激痛の末に、マクシミリアンは壊れた。
ただひたすらに、笑うしかない。
痛みにも麻痺するしかない。
そうして壊れたマクシミリアンは、美男と呼ばれた面影もないほど、ひどく狂っていた。
「姉上、それ、どうしたのです?」
「あらクラウディス、終わったのね。これもう壊れちゃったからいらないわ」
「ああじゃあ廃棄処分でいいですね」
「よろしく。あなたは満足した?」
「それはもう」
「ならいいわ」
カトリーナは笑う。
誰もが心臓を止められんばかりの、とびきりの笑顔で。
――サンチェスは破滅の道に入った。
王はそれを嘆き、自ら命を絶った。
聖女は公然で汚され、奴隷に堕ちた。
愚か者は苦しみ、死んだ。
戦闘狂はそれに感謝し。
カトリーナは、白亜の城で、ただ眺めていた。
二年後。
城のバルコニーでカトリーナが戦乱をつまみに白ワインを傾けているのかもしれない。
その横でクラウディスが笑顔で剣についた血を拭っているのかもしれない。
奥で第一王子が笑顔で家事をやっているのかもしれない。
その侍女がカトリーナの横で顔をしかめながら紅茶を啜っているのかもしれない。
マリアが奥で眠りこけているのかもしれない。
その子供がはしゃいでいるのかもしれない。
どこかで拾った少女がケーキをつついているのかもしれない。
元将軍が保護者面しているのかもしれない。




