【千年王国叛逆史】「救国の英雄」と呼ばれた錬金の魔女♂は謎の乙女と旅をする
舞台は、百年の長きにわたる戦争が終わり、平和が訪れた、とある王国。
王国各地にはまだ、戦争によって大きな爪痕が残され、戦争中に流行した黒死病の影響によって貧しい者がひしめいていた。
しかし、そんな状況の王国のとある街に、やたらと金払いの良いチンピラがいた。彼はマントを翻して宿屋に入ると、こう言った。
「おかみさん。2名、一部屋。暫く泊まるぞ」
癖のある黒髪と、蛇のような緑色の瞳が、おかみに有無を言わさないように睨みつける。その後ろでは、包帯をぐるぐる巻きにして、白いフードを目深に被った少女が、無言でおろおろとしていた。
「あ?」
おかみは怪しげな二人組を泊まらせることを、勿論躊躇した。
傍若無人をそのまま人にしたかのような、攻撃的で抑圧的な態度のこの男ーー泊まらせれば、何をしでかすか分からない。そして、連れの少女も、明らかに格好が怪しい。もしまた黒死病の者でも連れられたら、たまったもんじゃない。
「嫌だね、ウチは諦めな!病気の娘なんて、連れてくるんじゃないよ!」
おかみが威勢よく断ると、男は不機嫌そうに舌打ちした。そして袋から何かを出し、机に叩きつけた。
それは、小型銀貨だった。
「あ…あんた…早く来ておくれ!大変だよォ!!」
おかみは震え上がって、夫を呼びながらおろおろと周りを見渡した。
銀貨は庶民にはかなりの大金だ。しかし、そのために怪しい人間を暫く泊まらせるというのは、かなりリスキーだ。
慌ててやってきた夫は、状況を理解するとすぐに二人の客を二階へと通した。
揉み手をしながら笑って、部屋へと案内する。そんな夫を、男は馬鹿にしたようにフンと鼻で笑う。
「金払いのいい客が来ただなんて、決して言うんじゃねーぞ。…な?」
「は、はいぃっ!その代わり、どうかこれからも泊まってくれよ。できれば、旦那の名前を聞かせてくれねぇか?」
男は、顎に手を当てると、緑色の瞳を輝かせて、ニヤリと口を開く。
「いい返事だ!俺様は小山羊。ジュール・ジレットだ。」
ジュールは少女を先に部屋に通すと、ベッドの様子を確かめ、包帯の少女に座るように勧めた。
「もう…いくらぼくが、宿屋に泊まらせてもらい辛いからといって、乱暴するのはやめてね?…でも、ありがとう」
「…恐縮です。我が君」
そう言いつつも、ジュールは少女のお礼の言葉を噛み締めるように、胸に手を当てて感じ入る。その姿は、まるで騎士のようだ。
少女は、顔の包帯をずらす。そして、外から包帯の姿が見えないように、少しだけ窓枠から顔を出して窓の外を覗いた。すぐ近くに、教会の鐘が見える。
「ねえ、あの教会に、ぼくのロザリオの珠の一つがあるの?」
「ええ。貴女様を利用するだけして打ち捨てた、腐った不届き者の連中が保管しています。私がきっと、その無念を晴らしてご覧に入れましょう…」
「…そこまでしなくても、いいんだよ?ただでさえ、無茶な旅に付き合ってもらって、高貴な貴方に世話までしてもらってるんだから」
困ったように言う包帯の少女に、ジュールは跪いて畏る。身なりも悪く無く、ひょろりと細く背の高いジュールが、少女に必死になって頭を下げているのだ。それは、とても異様な光景だった。
「いえ…!私は、貴女様を助けられなかったどころか、その御身に傷をつけるようなことをしでかしてしまいました…!貴女様の為なら、私は死んでも構いません!」
「そんなこと、ぼくに言っちゃダメだよ…」
少女は、ジュールの頬に手を添える。ジュールは思わず顔を上げて、少女を見上げる。男の子のように短い金髪の間から、濁りのない碧眼が、ジュールの揺れる緑の瞳を見つめていた。
「今から、ぼく、ずるいことを言うね?…本当に貴方がそう思ってくれるなら…ぼくを、もうひとりぼっちにしないで。ぼく…ひとりで死ぬのは、もうイヤなの。」
「畏まりました…我が君」
ジュールは、更に深々と頭を下げた。少女はジュールに立つように促すと、自分は荷物を紐解き始めた。液体の入った小さなフラスコや瓶、薬草、そしてランプに煌く結晶…全て、一介の旅人の荷物にしては奇妙なものばかりだった。
ジュールは金属でできた器具を取り出して、組み立て始める。そんな彼に、少女は謎の粉を準備してやる。
「さぁ…今夜までには頼むね、「錬金の魔女」様!」
人も動物も寝静まる、夜。
物音は無く、静まり返る世界を月がただ照らしている。
そんな中、教会の鐘つき台に、二人分の人影が現れた。
「いい月だこと」
妖しく笑って言ったのは、白いフードの少女だった。しかし、フードから覗く髪は、優しい色の金髪ではなく、この夜闇よりも深い黒髪だ。
「こんな時こそ宴がしたいけどーー仕方ないから、今日も働いてあげるわ。」
急に強い風が吹いて、少女のフードをするりと脱がせる。包帯はなく、顔全体や身体に、大きく魔法陣のような火傷の痕が残る、凄惨な姿が現れる。細められた瞳が、闇の中でキラリと緑色に光る。
ジュールは不服そうに溜息を吐くと、下に降りる階段を見つけ、先に進んでいく。
「クソが…」
苛々するジュールの後を、少女は散歩でもしているかのような雰囲気でついていく。ジュールは鐘つき台の窓から出ると、廊下の屋根を伝って、教会の聖堂の建物に辿り着く。
「おい、悪魔。あそこに飛ばせ。」
ジュールは、窓から室内を指さした。少女はニタニタと笑って、ジュールの上にのしかかる。距離が近づいて、ふっくらとした唇が、ジュールの唇に近づいていく。
「キス…してくれたら、考えてもいいわ」
ジュールは少女を睨みつけると、険しい顔で舌打ちした。しかし、少女を乱暴に突き飛ばしたりはしない。ただ、のしかかろうとする少女の肩を押し除け、これ以上好きにさせまいとするだけだった。
「痛っ…!愛する貴方の聖女様の身体、乱暴にしてもいいのかしらぁ…?」
「…一々腹の立つ奴だ。もう良い!」
ジュールはニタニタと笑う少女を押し除け、腰の剣を抜いた。そして、柄を逆さに持つと、両手で剣の柄を振りかぶってガラスを破ろうとした。
「くっ…固い…」
「ねぇねぇ、本当に私の力に頼らなくて…いいの?」
少女はジュールの背中に胸を押しつけ、ジュールの腰を、腿を、意味深に指でなぞっていく。
ーーそして、ジュールの手が、少女と重なった。
「あら…?」
少女が意外そうな声を上げる。しかし、ジュールは少女の手をそっと払うと、腿のベルトに挿した試験管を二つ取り出した。そして、その液体の一方を窓にかける。
「え?何々?今度は何するのよ?」
ジュールは黙って、少女の手首を掴んでその場を離れる。目を輝かせる少女を無視して、ジュールは試験管を窓に投げつけた。そして直ぐに、少女と自分をマントで覆った。
ドカ……ン!
一拍遅れて、爆発が起こる。そして、地震のように地面が揺れる。固い破片がマント越しのジュールの背中に、雨のように叩きつけられた。
「…ってぇ……」
「はぁ…!これだから、貴方と居るのは面白いわ」
ジュールは舌打ちすると、爆発で吹き飛ばした窓(正確に言えば、壁ごと破壊していたが)から、聖堂に乗り込んだ。
爆発音のせいで、すぐに人がやってくるだろう。それまでに、ロザリオの珠を見つけなければならない。
急ぎジュールは、教会の奥へと走った。目指すは、この教会の神父だ。
ジュールの経験上、大概の神父がロザリオを無くさぬように身につけていた。しかし、もう背後から人の声がする。
(先に蹴散らしておくべきか…?)
ジュールが、腰の剣に手をかける。
しかし、火傷の痕の残る手がーー少女が、それを止めた。
「面白いものを見せてもらったから、少しは役に立ってアゲル」
「…最初から働け」
少女はクスクスと笑うと、石の廊下にそのまま留まった。ジュールの遠ざかる足音と入れ違いに、武器を携えた修道士が現れた。
侵入者が女だと知った修道士達は、驚いてそれぞれ武器を構える。
「何者だ!!!」
「あらあら、「奇跡」を与える「女神様」に向かってなんてこと。…まあ、貴方達風に言えば「魔法」を操る「異教の悪魔」だけどね」
「何…ッ?!」
少女は、艶かしく唇を指でなぞると、その指先にフッと甘い息を吹きかけた。
「操魂の御業ーーセイズ」
セイズと呼ばれた魔法を食らった修道士達は、「あぁ…」と蕩けたような声を出して倒れていく。
魔術を繰り出した少女の方も、急に髪が黒色から金色に変化していく。瞬きをすれば、瞳の色も碧眼に変わっている。痛々しい火傷の痕は、そのままではあるが。
「……待って!」
「我が君!」
少女は走って、廊下の先へ進んでいく。ジュールは一瞬、輝く笑顔を少女に向けると、一室の扉を乱暴に開いた。
「オラァ!!!」
立派な家具の部屋に入るジュール。そしてその後ろから、恐る恐る少女も続く。ベッドに隠れるようにして震える影は、何かを胸に抱えているようだった。
「あ…ああ……!せ、聖女…ジャンヌ……さま?!それに…英雄…ジルさま……?!!お亡くなりになったのでは…」
少女ーー否、嘗ての聖女・ジャンヌは無言で、ジュールーー否、英雄・ジルの前に立つ。月明かりの中、目を凝らして神父の顔をまじまじと見つめた。
「…見覚えがあります。確か過去に何度か、式典でご挨拶しましたね。ーーそして、僕を転落させた一派に与していた…違いますか?」
ジャンヌの、打って変わって戦場の戦士のような剣呑な気迫に、神父はブルブルと震える。何かを言いたそうに、口をぱくぱくさせて言葉を探している。
「…ち、違うんです!あれは、その…逆らうことができなくて!仕方なく…!」
ジャンヌは、冷たい視線を神父に投げかける。何も言わないまま、コツコツと足音を響かせて、神父に近寄る。
神父は縮み上がって逃げようと床を這うが、すぐに部屋の角に追い込まれてしまう。
「返しなさい」
手を差し出して、ジャンヌは言う。
「な…何を……」
神父がそう言うと、ジャンヌは腰に手を伸ばす。娘には似つかわしくない、細身の剣がすらりと抜かれる。
そしてその切っ先が、神父の鼻先に向けられる。
「わ!わ!申し訳ありません!!お返しします!命だけは、どうか……!!」
ジャンヌは、神父のことをまるで無視して、差し出されたロザリオの珠を手に取った。
「これで、ロザリオの一連の10個の珠のうち、3個目…!ああ…神様……」
ジャンヌは愛おしそうに、ロザリオの珠を手で包み込んだ。
ジルは神父に近づくと、そのすぐそばの壁を蹴った。怯える神父は、縮こまる。
「ひいい…ッ!!!」
ジルは試験管を取り出すと、嫌がる神父の頭を押さえ、無理やり液体を飲ませた。
神父ははじめは抵抗していたが、やがてカクリと意識を失った。
「…我が君、戻りましょう」
ジルは後ろを振り向くと、ジャンヌに向かって言った。ジャンヌはほっとしたように息を吐き出すと、小さく頷いた。
「帰ろう、ジル」
夜明け前から、街は大混乱になっていた。
ジルは床で目を覚ますと、少女を起こさぬように、カーテンの隙間からそっと窓の外を覗く。
一夜にして、立派な教会の壁が粉砕されて、荒らされたのだ。
大騒ぎになったのも、不思議なことではない。
「ん…ジル……?」
ジャンヌが、布団の中で目を覚ます。
ジルは目元を和ませて、恭しく礼をした。敬愛する聖女が、真っ先にジルを頼りに呼んでいる。その事実は、ジルにとって替えようのない至上の喜びだった。
「おはようございます、我が君」
「おはよう、ジル」
何でもない朝の挨拶。
毎日の中で、必ずその瞬間は昔の二人の呼び方で始まるのだ。
嘗て百年戦争下で、「救国の英雄」と呼ばれたジル・ド・レと、「聖女」と呼ばれたジャンヌ・ダルク。
歴史の闇に葬られた二人の流浪の生活は、まだまだ続く。