元人魚姫ですが、今はただの泡ですのその後の小話集。
【その1:ただの泡ですが、元人魚でしたって言ってませんでしたっけ?】
「って、元は泡じゃなくて、人魚だったのか」
『ですです。昔はモテたんですよ。でも、これ話すと過去に囚われた哀れな老害泡っぽいじゃないですか』
あっけらかんとただの泡は過去話をする。いや、言えよ。お前の実家と問題の魔女がどんなのか調べられないだろ。
そもそも老害って……待て。人魚ってどれぐらい生きるんだ? これまでの経験上、年齢を聞くのが怖くなる。でも大丈夫だ。ただの泡姿でも俺は愛せた。うん。大丈夫、大丈夫。
「そう言えば人間になった時はなんで俺に会いに来なかったんだ。もしかしてしゃべれなかったからか?」
声を失う代わりに人間になれるとか、魔女はえぐい魔法をかけたものだ。確かに話せないと、王子である俺に会うのも一苦労だろう。いや、話せたところで、難しいかもしれない。
『会いに行ってましたよ?』
「えっ」
『じっと見てました』
「話しかけろよって、話せないんだったか……」
『もしも私と王子が人間同士だったらと、一緒に馬に乗ったりする妄想もしてました。じっと見ながら』
じっと見てた?
えっ。
『でも服の上からだけなんで、筋肉見れなくて残念でした』
「ひっ」
俺はなんとなく生娘のように両手で自分の体をだいた。怖い怖い怖い。
『だから、泡になれて幸せです!』
駄目だこいつ。早く人間にしないと。
俺は人間の常識が欠如した、ただの泡を見て、そう思ったのだった。
◆◇◆◇◆
【その2:ただの泡ですが、何故人間は服を着るのかよく分かりません】
「そう言えば、なんでそんなに俺の筋肉を見たがるんだ」
『えっ。駄目ですか?』
泡が悲しげにへこんだ。もちろん物理で。
俺はまだ、泡の顔色を読みきれない。たぶん悲しいからへこんだ——でいいんだよな?
とりあえず、駄目といわれると駄目ではないが、色々恥ずかしい………。
我ながら生娘のような反応をする自分に別の意味で恥ずかしさがあるけれど、人に筋肉を見せつける趣味は持っていない。泡相手に何言ってるんだろうという感じではあるが、なめ回すように見られると羞恥心が半端ない。
『逆に何故服で隠すのですか?』
「は?」
全裸で歩いたら、痴漢だ。確かに部屋の中では裸族はいるけれど、俺は部屋でも服を着る派だ。
『人魚の雄は筋肉と鱗の美しさで雌の気を引きます。服で隠してしまってはもったいないかと。折角綺麗な腹筋と臀部の筋肉を持っているのに』
言われて初めて人魚は服を着ない事を思い出した。ついでにただの泡も何も着ていない。金魚鉢の中はただの泡だけで満たされている。とはいえ、ただの泡の生まれたままの姿を見て欲情するようなマニアックな趣味はない。そもそもただの泡姿では、服を着たくてもきれないだろう。
「そういうことか。ちなみに顔での認識はしないのか?」
『ほぼしませんね。ただでさえ人間は特徴が薄くて見分けがつかないのに、なんで肉体美を隠してしまうんですか?』
「見分けがついてないのか?」
『雄雌ぐらいは服を着ていても体型でわかりますが』
まさかの発言にぎょっとする。確かに俺だって泡の違いがわからないけれど。しかしまさか性別しか見分けがつかないなんて……。
「……俺に一目惚れしたんじゃないのか?」
『しました。正確には、セイレーンのような二股に割れた足と、服からチラリとのぞいた尻の形とお腹の割れたところに。そう思うと服はチラ見せができるところがいいですね』
一応俺、人間の中では美形の部類なんだけどなぁ。とんでも事実に俺は驚くと同時に、泡との種族の差をいつも以上に感じるのだった。
◆◇◆◇◆
【その3:ただの泡ですが、ちゃんと人間の勉強をしたんですよ。えっへん】
ただの泡から飛び出た、まさかの人間の見分けがついていない話に動揺が隠せない。
……確かに俺だって、泡が二つあったとして見分けがつくかと言われれば、微妙だけど。
「もしかして、俺に中々会いに来なかったのは、俺の見分けがつかなかったからなのか?」
俺の言葉に、返事はない。
なんだ、ただの泡のようだ——じゃない。本気で一目ぼれしたくせに俺が分からなかったのか。冗談じゃなく?
『一応、半年ぐらいで、何とか見分けがつくようになりました。ですが、自信をもって、あの時の白いパンツの方だとはいえず、ジッと観察していました』
「……俺の覚えられ方は、それなのか」
俺が金魚鉢を無言でジッと見ていると、しばらくしてただの泡は言い訳した。
ただの泡にとって俺は白馬の王子ならぬ、白いパンツ扱いだったのか……。ただの泡を愛していると自覚しているからこそ、何だか切ない。
『実は目も一般的な人間に比べると私は悪いようで。海の中は光がそれほど届かないので、鼻や耳の方がいいぐらいでして』
「……それは人間の姿をしていたころの話でいいか?」
『はい。でも泡になってからの方がよく見えます。なので、尻の黒子まで確認可能です』
「そこはできれば、顔を覚えて欲しい」
『模様の方が覚えやすいのですが、顔ですか……頑張ってみます』
それにしても、俺の尻には黒子があったのか。
特に知りたくない情報だ。夜の営みをしたわけでもないのに、尻の黒子まで知られているなんて……ん?夜の営み? ふと、嫌な予感が俺を襲う。
ただの泡とそういう関係にはなるはずがないというかそういう趣味はない。しかし魔女との交渉が上手くいき、ただの泡が人間になった時、俺達は大丈夫なのか? ただの泡と人間の間には深い溝のような生活習慣の差があるような……。
「ふ、深い意味……、そう。深い意味はないんだが、泡はその……子供はえっと……欲しかったりするのか?」
なんと言えばいいかわからず、俺は中途半端な声掛けになった。
『子供ですか。ただの泡では無理ですね』
「そ、そうだよな」
『卵さえ産めればいいんでしょうけど。卵、作られてない気が』
「……卵」
『人魚は海藻に産み付けておけば、雄が勝手に体液かけて、卵を守るんですよ。人間はキャベツ畑なんでしたっけ』
「えっ」
キャベツ畑……。
『私も人間になった時色々人間の生態について勉強したんです。子供はキャベツ畑からつれてきて育てるんですよね!』
「お、おう」
こ、これは……どこから説明をすればいいんだ。というか、俺が説明をするのか?
ただの泡に目はないけれど、すごく純粋な目で俺を見ている気がした。
◆◇◆◇◆
【その4:ただの泡ですが、人間と人魚って結構違う生き物ですよね】
種族の差が海より深く山より高い件について。
俺はそれを超えられるのだろうかとちょっと怯む。外見の違いは越えられた……。そうだ越えたのだ。うん、いける。俺ならできる。そう自分自身に言い聞かせつつも、ただの泡に対する性教育に関しては後日に回させてもらう。ちょと今は無理。色々心が耐えきれない。
今までただの泡の事を変態だと思っていたけれど、これだけ生活習慣が違うと、性教育の話を始めれば絶対俺が泡から変態扱いされる気がする。色々辛いので、できるならもう少し先延ばししたい。
「そういえば、卵を守るのは雄と言っていたが、子育ては雄がするのか?」
『人魚は二人で子育てするのが基本ですね。卵から孵すまでは雄の仕事ですが』
「母親がするわけではないんだな」
『そうですね。そもそも人間のように母親が乳を出して赤ん坊に飲ませるわけではないので。どちらでも餌を与えられますから』
そう言われると、人間の方が頭が固いのかもしれない。乳は確かに母親しか出せないが、乳を飲むのなんて一年程度だ。他の事なら、どちらだって出来る。
『それに、最初は卵食べてますし。親がやる事なんて、外敵と戦うぐらいですね』
「ん? 卵?」
『はい。生まれなかった卵は、赤ちゃんのご飯になります』
……それは、所謂共食い?
俺は泡を凝視した。生まれなかったということは、無精卵だったということだろうが……鶏の卵を食べるのとは意味が違う。
『卵って栄養価高いんですよ』
「……そうだな」
それが人魚の習慣というのならば、俺がとやかく言っても仕方がない話だ。色々人間と違い過ぎてショッキングだけれど。
『後は、時折子供同士で共食いが始まってしまう事があるので、気を付けないといけないぐらいですかね。人魚は生まれたばかりの頃は小魚みたいで、餌と間違えられやすいんですよ。月齢が違う子供同士が近くにいると危ないですね』
……そういえば、金魚も共食いをすると聞いた事がある。赤ん坊を餌と間違えて、親が食べてしまうのだ。
『後は食べ物が少なくなると—―』
「ありがとう。もう十分だ」
色々、人魚事情がディープだ。既に溺れそうだ。
『私は食べるより、食べてもらいたい派ですけれど』
なるほど。
俺に食べていいと言っていたのはこの習慣からか。
根気よく人間は共食いしないことを伝えていこう。そして俺もうっかり食べさせられないよう気を付けようと思った。
◆◇◆◇◆
【その5:悪い魔女でしたが、もう二度と人魚には関わらないと誓います】
「おい。まだ、人間になれる薬はできないのか」
「そんな簡単にできると思わないでちょうだい。しかも、あの人魚姫、すごく複雑な事になっているんだから」
私は海に住む、深海の魔女。光の届かぬ、無情な魔女と恐れられている。……いや、もう、かつて畏れられていた魔女だ。
なら、現在はというと——。
「契約を違反したのはお前が先なんだからな。ちゃっちゃと、ただの泡を人間に戻せ」
「あのね。元々あの泡は人魚なの。人間じゃないの! 戻るわけじゃないの!!」
王子にネチネチ隣から薬と呪いの研究に口出しをされている。
王宮からある日、王子と弁護士、それにただの泡がやってきたかと思うと、私との契約は無効な上に、泡になってしまった人魚姫を人間にしろと命令された。
無論、私は魔女。そんな命令は聞けないとはねのけても良かったが、弁護士の方からコンコンと契約上のミスを指摘され、二重搾取だの、他国への関与が見られるだの、色んな事を理詰めで話された。そして最終的に契約は破棄され、ただの泡を人間にする魔法薬の開発をする命令を飲む羽目になったのだ。
魔女の契約はそれなりに重い。重いからこそ、間違いの発覚は魔女の中では詐欺に当たり、仕事を干される可能性がある。更に国家権力で、住む場所もなくなる危険まで出てきて、泣く泣く今では命じられた薬の研究をしている。
研究費用が王子持ちなのはいいけれど、弁護士が不正に金品請求などしてないか目を光らせているのが怖い。何、アイツ。何で不正をしたら倍返しだとか、百倍返しだとか言ってくるの? 勘弁してよ。確かに今まで恐れられてはいたけれど、私はごく普通の魔女なのよ。
「というか、何で泡になっても、消えないのよ」
「そういう魔法じゃないのか?」
「普通は体が泡になったら心が折れて、精神も消えるものなの。どれだけポジティブなのよ」
人魚姫との契約は、人間の足を得る代わりに声を失うというものと、王子が他者と結婚したら海の泡となるというものだった。
さてこの他者との結婚というのをどのタイミングと定義するかは難しい。式を挙げれば結婚なのか、書類が教会に提出されれば結婚なのか、それとも世間が結婚したと認識した瞬間に結婚なのか。
そう。色々曖昧なのだ。
なので人魚姫にかけたのは、所謂催眠のようなものだ。人魚姫が、王子が他者と結婚したと認識した瞬間に体が泡になるように調節した。
それがまさか、婚約と結婚の違いをちゃんと理解しきっていなかったなんて。
人魚には結婚という概念がない。雄と雌はあくまで他人だ。
雌は自分が産んだ卵から孵った子供を守り、雄も自分が守っていた卵から産まれた子供を守り育てる。二人の間に契約的なものはない。一応恋はするようだが、結婚をしてないので、次の産卵期には別のパートナーがいるのが普通だ。時折同じもの同士が子供を作り続ける事もあるが、結婚をしたというわけではない。
そんなわけで、王子が婚約したということを姉から聞いた所為で、結婚をちゃんと理解していなかった人魚姫は、泡となったというわけだ。王子を殺しに行く間もなく死んだと彼女の姉からしこたま文句を言われた。
いや。私も流石にそのタイミングで泡になるとは思っていなかったわよ。
さらにその泡の状態になっても、まあいいかと泡のまま生き続けて、最終的に王子に会いに行って愛し合うとか、誰が想像するだろう。
ただの泡の状態でポジティブに王子を観察して、情報を集め続ける人魚姫もアレだけど、ただの泡に恋する王子もどうなのよ。しかもただの泡が得た情報のせいで、王子は結婚する前に婚約破棄してしまうし。おかげで、完璧にこちらの契約違反じゃない。
しかも王子が結婚しようとした相手が国家転覆を狙っている人物だったものだから、私にまでとばっちりが来て、姉を通して王子を殺そうとしたんだろうとか言われるし。違うわよ。普通に呪術の関係で、王子の心臓の血を使えばただの泡は人魚には戻ったのよ。
「そういえば、ただの泡は人間になったら、卵生じゃなくなるのか? その辺りどうなるんだ? 見た目だけが変わるわけじゃなく、機能も変わるんだよな?」
「知らないわよ!!」
「ふざけるな。その辺りすっごく、大切な事なんだからな」
あーもう。めんどくさい。
本当に、最悪すぎる。
この薬が完成したら、もう二度と人魚との契約なんてしないと私は心に誓うのだった。
◆◇◆◇◆
【その6:ただの泡ですが、すっごいイケメンに出会ってしまいましたが、浮気はしていません】
最近何だか、ただの泡の様子がおかしい。
上の空というか、泡が一部目減りして、どこかに行っている。……何だろう。男の勘が、その行動をすごく怪しいと言っている。
「なあ、最近どこに行ってるんだ?」
俺の言葉に、ぱしゃんと泡がはねた。
どうやら驚いたらしい。ますます、怪しい。まさか、浮気なのか? えっ? 本当に?
「おい。どこの馬の泡に会いに行ってるんだ?! 答えろ」
『……泡には会ってません』
「なら、人魚か?! 結局、人魚の雄をお前は選ぶのか?!」
分かっている。俺とただの泡は全然違う。生まれも育ちも、種族も、生態も!! でも俺は、それでもただの泡と一緒に居たいと思ったのだ。
確かに俺はただの泡に助けられてばかりだ。何も返せていない。だからなのか? だから俺は今、捨てられようとしてるのか?
『違います。浮気じゃないですよ。ただ、ちょっと、イケメンと出会ってしまって。人間でいうアイドル鑑賞に行っているんです。人間だって、アイドルを愛でるだけなら浮気じゃないですよね?』
「確かにそうだが……人魚のアイドルなんだよな」
間違いが絶対ないと言いきれないのは、俺が人魚を知らないからだろう。
冷静になれば、人間もアイドルと付き合うなんて、ほぼ絶望的だ。
『人魚じゃないです』
「ん? なら人間か?」
その方が、ますます問題だ。俺よりもいい肉体美を持っているだと?
どこのどいつだ。
『違います。人間は今も王子以外は見分けがついていないんですから。出会いは、庭の池でした』
「庭の池? ……ここのか?」
『はい。なんとも美しい色味の殿方で、うっとりしてしまいます。種族は、錦鯉と言ってみえました。人間からも鑑賞されるほど、素晴らしい鱗の持ち主なんです』
……錦鯉。
俺は果たしてただの泡が人間になるまで、愛想をつかされずにいられるだろうかと、不安になる。……大丈夫だよな?
後日、俺が錦鯉を睨みつけていた為、王子は錦鯉が好きだという噂が流れ、周りから錦鯉が献上された。そして池の錦鯉はアイドルユニットになり、ただの泡が小躍りするのだった。