ミッチーのアタビチャー
これは腎臓病が不治の病で、多くの子供が腎臓病で死んでいった戦後十年の頃の小説です。
太平洋戦争という大きな戦争が終わって十年ほどが過ぎた頃の話だ。
正雄は光男と仲良しで、二人は幼稚園生だった。
その頃は、公民館を幼稚園にしていた所が多かった。二つか三つの区の幼稚園生を公民館に集めて幼稚園を開いていた。だから、公民館にはすべり台があって、ぶらんこがあって、鉄棒があって、砂場があった。
正雄と光男の通っている幼稚園は光男の家の近くにある公民館だった。公民館で歌を歌って、踊りを習って、庭を走り回って、すべり台をすべり、鉄棒にぶら下がり、ぶらんこに乗り、砂場で相撲を取って、昼になると公民館の幼稚園は終わりになり、みんなは家に帰った。
幼稚園が終わると、正雄は光男の家に寄って光男の家の庭でよく遊んだ。
じゃんけんをしたりちゃんばらごっこをしたり追いかけっこをしたり。
光男には一歳下の妹がいた。
名前は美智代といった。美智代のことをみんなミッチーと呼んでいた。
ほっぺたがふっくらとして、ちょっぴりおしゃまで。
でもミッチーは庭に出て正雄や光男と一緒に遊ぶことはしなかった。ミッチーの母ちゃんはミッチーが外で遊ぶことを固く禁じていたんだ。だからミッチーは、いつも家の中で二人の遊びをうらやましそうに眺めているだけ。
ミッチーの母ちゃんが、ミッチーが外で遊ぶのを禁じていたのには理由があった。
ミッチーはジンゾウ病という難病にかかっていたんだ。ジンゾウというのは体の中の汚れた物をおしっこにして体の外に出す働きをしているが、そのジンゾウが壊れてしまう病気をジンゾウ病というんだ。ジンゾウ病になってしまうとな、体の中の汚れた物がおしっこになって外に出ないで体にたまってしまう。体の中にはふたつのジンゾウがあるが、その二つのジンゾウが完全に壊れてしまって、体の中に汚れた物が一杯たまると死んでしまう恐ろしい病気なんだ。
ジンゾウは壊れてしまうともう元には戻らない。ジンゾウ病は不治の病気なのだ。今は人工透析という体の中の汚れた物を血液からこし取る機械があるからジンゾウが駄目になっても生き延びることができる。でも、その頃はそんな機械がなかったからジンゾウがとても悪くなったら、生き延びることができなかった。ミッチーはそんな恐ろしい病気になっていた。
ジンゾウ病になったらな、ジンゾウがこれ以上悪くならないために、おいかけっこなんかの激しい運動はしないようにしないと駄目なんだ。激しい運動をしてしまうと、ジンゾウは弱るし、体の中に汚れた物が一杯になってしまう。すると、命が危なくなる。
だから、光男の母ちゃんは家を留守にする時はミッチーに、走ったり運動したりは絶対にしないように何度も注意し、光男にはミッチーをちゃんと見張っているように言いつけたんだ。
母ちゃんが留守をしている時は、光男は母ちゃんの代わりに、ミッチーが外で遊ばないように見張りをしなければならなかった。
もし、ミッチーが外で遊んだことが母ちゃんにばれたら、ミッチーではなく、光男がこっぴどく叱られたんだ。光男の母ちゃんはとても怒りんぼで、光男は竹棒で叩かれたり、一晩中押入れに閉じ込められたりしたんだ。だから光男はミッチーが外に出ようとしたら、無理やり家の中に押し戻した。なにしろミッチーが外で遊んだことが母ちゃんに知れたら光男はこっぴどく叱られるからな。
光男の母ちゃんが出かけて、光男が外で遊ぶことができない日は、正雄と光男は光男の家の庭で遊んだ。
ミッチーが縁側でほつんと座り、さびしそうにしていると、光男と正雄はミッチーとじゃんけんぽんしたりして遊んだ。
正雄にはジンゾウ病というのが不思議な病気に思えた。ジンゾウ病になったミッチーはふっくらとして健康そうで、正雄には病気には見えなかった。大きな戦争が終わって十年くらいしか経っていない時代だから、みんな貧しくて、食べ物も少なかったから、みんな痩せていた。ところがジンゾウ病のミッチーはふっくらとしていたんだ。だから、正雄はミッチーが本当に病気なのか半信半疑だった。
ジンゾウ病には他にも不思議なことがあった。ふっくらとしているひざの表面を指で押すとぷくーんとへこんで、へこんだのがすぐには元にもどらなかった。正雄は自分のひざを押してみたが、ひざは少しへこんで指を離すとすぐに元に戻った。
「ふうん。なんでだろう。ミッチー、痛いか。」
押したひざが深くへこんだので、正雄はミッチーは痛いだろうと思った。
でも、ミッチーは平気な顔をして、
「痛くない。」
と言った。
「うそ。ほんとうか。」
と正雄が言うと、
「ぜんぜん痛くない。」
とミッチーは言った。正雄は信じられなかった。
「もっと強く押しても痛くないんだよ。なあ、ミッチー。」
と、光男が言うと、ミッチーはにこにこしながら、
「うん。」
と言った。
正雄は少し強く押した。するとふっくらとしているひざの表面が深く沈んだ。
「ミッチー、痛いか。」
と、正雄は聞いた。
「痛くない。」
と、ミッチーは平気な顔をして言った。
「ふうん。」
こんなに深くへこんでいるのにミッチーは痛くないと言う。正雄は不思議だった。
「もっと強く押しても痛くないか。」
と正雄はミッチーに聞いた。
「痛くないよ。」
ミッチーはにこにこして言った。
「ほんとうかなあ。」
「ほんとうだよ。正雄、押してみろよ。」
光男が自身まんまんに言った。
「それじゃあ、押すよ。ミッチー、痛かったら痛いと言えよ。」
ミッチーは、正雄がどんなに強く押しても平気だよという顔をしてにこにこしていた。正雄が、「ううん。」と言いながら、ありったけの力を出してミッチーのひざを押した。
「ミッチー。痛いか。」
ミッチーはにこにこしながら首を横に振った。とても深くへこんでいるのにミッチーが平気なことに正雄は驚いた。正雄は気味が悪くなって指を押すのを止めた。
ミッチーが太っているのは体の中に汚い物がたまっているせいなんだ。押したらぷくーっとへこんで、へこんだ所がすぐに元に戻らないのは、皮膚の下にたくさん汚い物がたまっているからなんだ。正雄は幼稚園生だからそんなことを知らなかった。へこんだ所が元にもどらないことを正雄は不思議に思った。
光男が、
「正雄、ミッチーの食べ物を食べてみるか。」
と言った。
正雄はミッチーだけが食べる食べ物があるとは知らなかった。
「ミッチーの食べ物ってあるのか。」
「あるよ。ミッチーはね、みんなと同じ食べ物を食べてはいけないんだって。」
「どうして。」
「ジンゾウ病だからだよ。そうだよな、ミッチー。」
ミッチーはコクンとうなずいた。
「ふうん。ジンゾウ病はみんなと同じ食べ物を食べないんだ。」
「そうだよ。正雄、ミッチーの食べ物を食べてみるか。」
光男はにやにやしながら言った。ミッチーは口を押さえて笑っている。
「ミッチーの食べ物はおいしいのか。」
と正雄は聞いた。光男はにやにやしながら、
「食べたらわかるよ。」
と言った。ミッチーは口を押さえて、クックックと笑った。
正雄は光男とミッチーの様子がおかしいので、ミッチーの食べ物には正雄が予想できない何かがあると思った。それがなにか、正雄は知りたくなった。
「うん、食べる。」
「じゃあ、こっちに来いよ。」
三人は台所に行った。
「これがミッチーの食べ物だよ。」
光男は小さな鍋の蓋を開けた。にんじんや冬瓜が入っている普通のスープだった。特別なスープには見えない。
「普通のスープと同じじゃないか。」
正雄が言うと、ミッチーはキャッキャッと飛び跳ねながら笑った。光男は皿にスープを入れて、さじを正雄に渡した。
「食べてみろよ。」
正雄は恐る恐る、スープをさじですくい口に入れた。
「うわー、まずい。」
ミッチーのスープはとてもまずかった。
「まずいだろう。」
と言って、光男は笑った。ミッチーも笑った。
「なんでこんなにまずいんだろう。」
「これな、塩もしょう油も味噌も入っていないんだ。」
「そうかあ、それでまずいんだ。ミッチーはこんなものを食べれるんか。」
正雄がそう言うと、今まで笑っていたミッチーが悲しそうな顔をした。
「ミッチーはジンゾウ病だからな。これを食べなかったら、母ちゃんがとても怒るんだ。」
「そうなのか、ミッチー。」
ミッチーは黙ってうなずいた。
「へえ、ミッチーはこんなおいしくないのを食べているんだ。ミッチーは偉いなあ。」
正雄はまずい食べ物を食べているミッチーに感心した。
南風が吹いて、太陽がさんさんと輝き、じーじゃー(せみ)が盛んに鳴き始めた初夏のある日曜日、正雄はいつものように光男の家に行った。正雄はトラバーチンの門柱を通り抜けて庭に入った。庭には光男と光男の兄の光一が居た。光一は中学一年生だ。
「みつおー。遊ぼう。」
と正雄は言った。
「正雄、今日は遊べないよ。これからあたびちゃーを取りに行くんだ。」
「え、あたびちゃーを取りに行くのか。」
「そうだよ。ねえ、兄ちゃん。」
あたびちゃーとはかえるのことで、沖縄の方言ではかえるのことをあたびちゃーとかあたびちと言う、
正雄はあたびちゃー捕りをやったことがなかった。
夜になるとあちこちでぐえーぐえーと鳴くあたびちゃー。
雨が降った日は昼夜おかまいなしにぐえーぐえーと鳴くあたびちゃー。
でも、鳴き声のするくさむらや木の根っこの方に近づくとあたびちゃーは鳴き止んでしまう。
だから正雄はあたびちゃーの姿を見つけたことはあんまりないし、見つけてもあたびちゃーは直ぐに逃げてしまうから、正雄はあたびちゃーを捕まえたことは一度もなかった。
「あたびちゃーを捕りに、どこに行くのか。」
「兄ちゃん、どこに行くのか。」
「バクダン池だ。」
バクダン池の場所は正雄も知っている。正雄もあたびちゃー捕りをやりたくなった。
「ぼくも行きたいな。」
「遊びじゃないからな、正雄。」
「遊びじゃないって。」
「ミッチーのジンゾウを治すあたびちゃーを獲りにいくんだよ。」
光男は得意げな顔で言った。正雄は光男の言ったことが理解できなくて首を傾げた。
「あたびちゃーはな、ジンゾウを治す薬なんだ。」
「へえ、ほんとうか。」
「ほんとうだよ。そうだよね、兄ちゃん。」
「ああ、そうだ。」
「だからあたびちゃーをたくさん捕ってミッチーの病気を治すんだ。」
あたびちゃーがミッチーのジンゾウ病を治す薬と聞いて正雄は驚いた。
「そうかあ。あたびちゃーはジンゾウ病の薬なのか。ぼくもあたびちゃーを捕りたいなあ。ぼくも連れて行ってよ。」
正雄は光男に頼んだ。
「兄ちゃん。正雄も連れて行っていいか。」
正雄は光一が許可してくれるか気にしながら光一を見た。
「いいよ。」
光一は正雄が一緒に行くのをあっさりと許可した。
正雄と光男と光一の三人は、あたびちゃーを捕りに家を出た。
光男の家は村の中央通り沿いにあった。三人は村の中央通りに出て。北に向かって歩いた。村の中央通りは白い石灰岩を敷き詰めた道路で、朝の太陽の光で白く輝いている。涼しい風が三人の少年を横切っていった。
村のはずれにある三叉路を三人は右に曲がった。すると、一号線に出る。一号線は南の遥か彼方から北のはるか彼方まで続いていた。
一号線はバスやトレーラーなどのとても大きな車が通れる道路で、沖縄島を南の端から北の端までつないでいる沖縄で一番長くて大きい道路だった。
三人が一号線に出ると北の方からゴゴゴーっという音が聞こえてきた。
「うわー、戦車が来るぞ。」
光男が叫んだ。
遠くのほうに深い緑色のトラックが見えた。トラックの後ろにはゴゴゴーと地響きを立てて進む戦車が見えた。アメリカ軍の戦車隊がやってくる。三人は勇ましい戦車の隊列が来るのを待った。
ゴゴゴーと言う音が次第に大きくなってきた。戦車隊が目の前までやってきた。
「すけーなあ。」
と光男が言うと、正雄も、
「すげーなあ。」
と言った。
目の前をゴゴゴーと地響きを立てて一台また一台と次々にアメリカ軍の戦車が移動していく。キャタピラがガガガガと大きな音を出して、黒い車道を削るように回転して進んでいる。ものすごい戦車の音に正雄と光男は耳を押さえた。
戦車の砲台に座っている上半身裸の若いアメリカ兵が三人を見て手を振った。
三人も手を振った。
三人が手を振ると、若いアメリカ兵は両手を振り、笑いながら大声で叫んだ。
アメリカ兵の声はゴゴゴーという戦車の音にかき消されて聞こえなかったが、光一は陽気に喚いている若いアメリカ兵に応えて、
「ハロー、ハロー。」
と大声でいった。正雄と光男も光一を真似て、「ハローハロー。」と声の限りに叫びながら手を振った。
最後の戦車が通り過ぎていって、ゴゴゴーという音は遠ざかり、回りは静かになった。
「戦車はすげーなあ。」
と、遠ざかって行く戦車を見ながら光男が言った。
「戦車はすげーなあ。」
と正雄も言った。
戦車が通り過ぎたので三人は一号線を渡って、あたびちゃーのいるバクダン池に向かった。
バクダン池ができたいきさつはこうだ。
一九四五年の春のことだ。沖縄島は多くのアメリカの軍艦に囲まれていた。アメリカ軍は沖縄島を占領する目的で大軍を沖縄島に上陸させようとしていた。沖縄島に上陸する前に、アメリカ軍は艦砲射撃ででかい爆弾を沖縄島にぽんぽん打ち込んだ。家などは軽く木っ端微塵にしてしまうような大きい爆弾が沖縄島の日本軍陣地だけではなく、村や畑や野や山にもどんどん落ちてどんどん大きな爆発をやった。家は吹っ飛んで、畑や野原は穴だらけになった。
畑のくぼみだった所に大きな爆弾が落ちて、大きな爆発が起こり、大きな穴があいた。くぼみだった所に大きな穴ができたから、大きな穴には雨が降るたびに水が溜まり、水かさは増し、大きな穴は小さな池になった。その小さな池を、村の子供たちはバクダン池と呼んでいた。
バクダン池のある畑は正助という農民の畑だった。戦争の前は正助が畑を耕し、さとうきびを育てていた。ところが正助は兵隊に召集されたので畑は耕されなくなって荒地になった。兵隊となった正助は南方に行き、南方の戦場で死んじまった。正助が戦争で死んだので、戦争が終わっても畑を耕す者が居なかった。バクダン池は埋められることもなく、回りはすすきやナジチュウの草が生い茂り、バクダン池はあたびちゃーの棲家になったというわけだ。
一号線を渡って東に一キロほど進むとバクダン池に到着する。
バクダン池が見えてきたので、正雄と光男はバクダン池に向かって走った。車が通れるくらいの大きい道から細い道に入り、ひとつの畑を越えるとすすきやなじちゅうが生えている広場があった。バクダン池はその広場にあった。
光男と正雄はバクダン池に着くと、バクダン池を見た。バクダン池は直径が十メートルほどの円形の池で、水は緑色によどんでいて、水面には青い空と白い雲が映っていた。池の中はたくさんのおたまじゃくしが泳いでいる。
正雄と光男は池の中のあたびちゃーを探した。
池の水面にはあたびちゃーは一匹も見当たらなかった。
池のあたりを見回したが、
あたびちゃーの姿を見つけることはできなかった。
「あたびちゃーは居ないよ。」
「あたびちゃーは居ないな。」
「あたびちゃーはどこに居るのだろう。」
「どこに居るのかなあ。」
正雄と光男が池の回りであたびちゃーを探していると、光一がバクダン池に到着した。
「兄ちゃん。あたびちゃーは居ないよ。あたびちゃーはどこに居るのかなあ。」
光男は光一に聞いた。
「あたびちゃーはどこに居るのかなあ。」
と正雄も光男と同じことを言った。
「あたびちゃーは池の周りの草の根元や石の下に居る。じっくり探してみろ。あたびちゃーが見つかるよ。」
兄の光一は腰を屈めて草を掻き分け始めた。
正雄と光男も光一を真似て草を掻き分けた。
「あたびちゃー出て来い。」
正雄が言うと、
「あたびちゃー出て来い。」
と光男も言った。
その時、
ナジチューの草を掻き分けている光男の指先にぬめーっとしたものが触れた。
光男は思わず。
「ひえー。」
と叫んで、手を引いた。
光男の指に触れたのはあたびちゃーだった。
あたびちゃーは光男の指に触れた瞬間に飛び上がり、光男の顔にぶつかった。
「うわー。」
突然あたびちゃーが顔にぶつかったので、光男はびっくりして尻もちをついてしまった。
「あたびちゃーだ、あたびちやーだ。」
光男は急いで起き上がり、あたびちゃーを掴まえようとした。
あたびちゃーはぴょーんと飛び、
またぴょーんと飛び、
池のふちに来たあたびちゃーは、
ぴょんとジャンプして、
ちゃぽんと池に飛び込んだ。
「びっくりしたあ。」
「光男、あたびちゃーを逃がしたじゃないか。」
正雄はあたびちゃーが池に逃げたのをくやしがった。
「光男、正雄。」
光一の声に光男と正雄は池の反対側に立っている光一を見た。光一は捕まえたあたびちゃーの後ろ足を掴んで振りかざした。
「あたびちゃーはすばしっこいからな。油断すると直ぐ逃げられるよ。あたびちゃーに気付かれないように、そうっと草を掻き分けるんだぞ。声を出したら、あたびちゃーに気付かれるぞ。」
光男と正雄は光一の言う通りに、
声を出さず、そうっと草を掻き分けた。
しかし、正雄も光男も、
あたびちゃーを見つけることはできなかった。
真っ青な空と真っ白な雲。
太陽はさんさんと輝き、
強い陽射しが野原をまぶしく照らしている。
赤土はより赤く。
草や木の葉は濃い緑色に輝いていた。
正雄と光男の顔からは次々に汗の粒が吹き出て、
汗は頬を伝って流れ落ち、
首筋で一筋の川のようになっていた。
正雄と光男は頬を流れる汗を気にしないで、
膝を曲げ、
生い茂る草の根っこをそうっと掻き分けてあたびちゃーを探し続けた。
「あ、居ったぞ。」
正雄は声を上げた。
そして、直ぐに手で口をおおった。
あたびちゃーは草の根っこでじーっとしている。
正雄は両手を一杯に広げて、あたびちゃーに近づいた。
あたびちゃーを押さえようとした瞬間にあたびちゃーはぴょーんと飛んだ。
ぴょーんと飛んだあたびちゃーは草むらに着地すると、草の中に潜り草の中でもぞもぞしている。正雄は逃がしてはなるものかとあたびちゃーが飛んだ所に大きくジャンプして、あたびちゃーを押さえ込もうとした。
ところが、正雄が手で押さえる前にあたびちゃーは素早く飛んで逃げた。
正雄は懸命にあたびちゃーを追った。
正雄はあたびちゃーを手で押さえようした、
しかし、正雄が手で押さえる前にあたびちゃーが飛んだ。
正雄は、「ええい。」と飛びあがってあたびちゃーに襲いかかった。でも、あたびちやーに手は届かないで正雄は草に足を取られて前のめりに転んだ。正雄の目は、転びながらもあたびちゃーを追っていた。正雄は起き上がり、あたびちゃーが着地した場所に近づくとあたびちゃーを探した。あたひちゃーを見つけた正雄はそうっと手を延ばした。しかし、正雄の手が触れる直前にあたびちゃーはぴょーんと飛んで逃げた。
正雄はあたびちゃーを追ってぴょーんと飛ぶ、
すると、
あたびちゃーはぴょーんと飛んで逃げる。
すると、
飛んで逃げたあたびちゃーを、正雄はぴょーんと飛んで追う。
「正雄があたびちゃーになったぞ。」
あたびちゃーを追って、何度もジャンプしている正雄を見て 、
光男は笑った。光一も、
「正雄がんばれ。」
と言って笑った。
懸命の追っかけも空しく、
正雄はあたびちゃーを池に逃がしてしまった。
「ああ、くやしい。もう少しで捕まえたのになあ。」
正雄はくやしがった。
くやしがっても逃げたあたびちゃーが戻ってくることはない。しばらく、あたびちゃーが飛び込んだ池を見ていたが、正雄は気を取り直して、再び草を掻き分けてあたびちゃーを探した。
太陽が東の空から真上の方に移動し、
日差しはますます強くなり、
くさむらはもわーっと蒸し暑くなってきた。
光男も正雄も喉はからからだ。
二人はあたびちゃーを探す元気も萎えていった。
「光男、喉が渇いていないか。」
正雄は光男に聞いた。
「うん、喉が渇いた。」
「水が飲みたいな。」
「うん、水が飲みたい。兄ちゃんに聞いてみる。」
光男は立ち上がって、池の反対側であたびちゃーを探している光一を呼んだ。
「兄ちゃん。」
光一は立ち上がり、光男の方を向いた。
「なんだ。」
「喉が渇いた。」
光一は正雄に、
「正雄も喉が渇いたか。」
と言った。
「うん。」
「じゃあ、水を飲みに行くか。来いよ。」
光一は光男と正雄を呼んだ。
光一は光男と正雄を連れて、バクダン池のある広場から出た。
三人は水筒を持っていなかった。
大きな戦争が終わって間もない沖縄は貧しく、子供が水筒を持つことはなかった。
でも、水筒を持っていなくても、山や野にはこんこんと湧き出る泉がいくつもある。山や野で遊ぶ子供達はこんこんと涌き出る泉の場所を知っていたから、水筒なんかなくてもへっちゃらだった。
大きい道に出ると左に曲がり、東の方に三人は歩いた。道は戦前に日本軍が作った固い石灰岩の道だった。古い道だから、所々に穴があいて、草が生えていた。
三人は泉に向かって歩き続けた。
太陽はますます燦々と輝き、陽射しは強くなる。
強い陽射しに晒されて歩いていると体力はどんどん消耗する。
六歳の光男と正雄はへばってしまった。
坂道を下っている途中に、
「お兄ちゃん、疲れた。」
と光男は言った。
「そうか。」
「少し休もうよ。」
「そうだな。あそこの木の下で休憩しよう。」
坂道の途中に大きな岩があり、岩にはウスクガジュマルが生えていた。三人はウスクガジュマルの下で休憩をとった。
岩に生えているウスクガジュマルの枝葉は風と触れながらしゅうしゅうと絶え間なく音を出していた。ウスクガジュマルの下も涼しい風が絶え間なく吹いていた。
岩の側には蘇鉄が生えていた。光一はポケットから十セントナイフを取り出して蘇鉄の葉をナイフで切り取った。
「兄ちゃん。蘇鉄の葉をどうするのか。」
「これで、虫かごを作る。」
光一は岩の側の石に腰を下ろし、蘇鉄の葉で虫かごを作った。正雄と光男は光一が虫かごを作るのを側で見学した。
光一は虫かごを作ると、その中にバクダン池で捕らえた三匹のあたびちゃーを入れた。あたびちゃーは狭くて細長い蘇鉄の虫かごで身動きができないでじっとしていた。
「お、牢屋の中のあたびちゃーだ。」
正雄と光男は蘇鉄のかごを手に取り、虫かごの中のあたびちゃーを見て楽しんだ。
正雄は立ち上がり背伸びしてから、正雄と光男に、
「それじゃあ、でかけるよ。」
と言った。
「兄ちゃん。泉はまだ遠いの。」
「もう、少しだ。光男はへばったのか。光男は弱いなあ。」
と光一が言ったので、
「僕はへばっていないよ。僕はへっちゃらだよ。」
と正雄は言った。正雄は元気であることを見せるために光一の前でスキップした。光男も正雄に負けじと、
「僕もへばっていないよ。僕もへっちゃらだい。」
と言って、スキップしながら前に進んだ。すると正雄は光男に負けじとスキップしながら光男を追い抜いた。抜かれてしまった光男は正雄に負けじとスキップを早めた。スキップ競争はいつの間にかかけっこ競争になっていた。
「こらあ、走るなあ。転んでケガするぞう。」
光一に言われて、正雄と光男はかけっこ競争を止めた。
子供は野山を走るのが楽しいんだ。
疲れなんてすぐ忘れてしまう。
疲れなんてすぐ消えてしまう。
坂を下って、暫く歩くと水田にやってきた。水田の奥の方に泉があった。水田には泉から湧き出た清水が流れ、成長した稲が一面に広がり、小さな稲穂を出していた。
「うわあー田んぼだあ。」
水田を一面に覆っている緑の稲にさあーっと風が流れ、稲は右にさあーっとなびいたり、左にさあーっとなびいたり。緑の稲は風と踊っていた。
三人は水田のあぜ道を通り、水田の水源となっている泉の方に向かった。
「兄ちゃん。魚が泳いでいるよ。」
五センチくらいの小さなフナたちが水田の溝をゆっくりと泳いでいる。
「お、おっきい魚がいる。」
正雄が言うと、光男は正雄の傍に行った。
「うわあ、おっきい魚だ。お兄ちゃん。おっきい魚だよ。捕ろうよ。」
光一も二人の側に来て、フナを見た。
フナは二十センチもあり、水田の溝を窮屈そうに泳いでいる。
「これなら食べられるよ。捕ろうよ。」
戦後の貧しい時代の村の子供たちは木の実や魚を見つけると、その木の実や魚が食べられるか食べられないかを即断する性癖があった。そして、食べられると判断したら捕って食べた。だって家の貧しいご飯だけでは彼らの食欲を満足させることはできなかったのだ。それに魚なんて滅多に食べたことはない。二十センチの魚なんてごちそうだ。
光男はあぜ道に臥すと右手を水田に入れ、ゆっくりとフナの尻尾を掴もうとした。しかし、光男の指が触れた瞬間にフナはすーっと逃げた。
「正雄。あっちあっち。」
正雄と光男はフナを挟み撃ちにして、掴まえようとしたが、正雄の方にやってきたフナはばしゃばしゃと正雄の手をかわして逃げた。
光一はふなを捕まえる気はなかったから、光男と正雄の行動を笑いながら眺めていた。
すばしっこいふなは光男の手が近づくとさっと逃げた。
「くそくそ。」
と言って、光男はくやしがった。
フナを捕まえるのにむきになった光男は水田に入った。水田に入った光男の足はずぶずぶと沈んだ。
「うわあー。気持ち悪い。」
光男の足はひざの近くまで泥の中に沈んでしまった。沈んだ足を抜こうとしたがなかなか抜けない。思いっきり力を入れて左足を上げたら、左足が泥から抜けた勢いで倒れてしまい、正雄はあぜ道に脇腹を打ってしまった。でもフナ捕りに夢中なっているから光男は痛みなんか感じない。
「正雄。こっちに追い込んで。」
もう、光男は意地だ。なんとしても大きなフナを捕まえてやると意気込んでいる。正雄はフナを光男の方に追い返した。光男の足元近くまで来た時、危険を感じたフナは向きを変えて正雄の方に来た。正雄は大声を出し、水田の水をばしゃばしゃ叩いた。水を叩く音に驚いて、フナは光男の方に向かった。
「おお。」
と叫んで、光男は自分の足元に来たフナを捕まえようとした。両手でフナを掴んだが、六歳の光男の握力ではフナをしっかりと捕まえることはできなかった。フナは暴れて光男の手から逃れ、ものすごいスピードで水田の中に逃げてしまった。
光一は光男がフナを捕まえるのを失敗したので笑った。
「光男、へたくそだなあ。」
光男は、
「えへへへ。」
と照れ笑いをした。
三人は背後に男が近づいているのに気付かなかった。
「こら、フナを捕ったら駄目だぞ。」
三人はびっくりして声の方を振り返った。ひとつ隔てたあぜ道に泥で汚れたカーキー服を着けた男が立っていた。
顔は陽に焼けて黒く、手には水田の草捕りに使う鍬が握られていた。
「フナは田んぼの虫を退治するために、飼っているのだから、フナを捕ってはいけないよ、光一。」
男は同じ村に住んでいる玉城さんだった。
「そうなんですか。光男、フナを捕ってはいけないんだって。」
「うん。わかった。早く水飲みたいよ。お兄ちゃん、手を引っ張って。」
光男は光一に手を引いてもらって水田から出た。足には泥がねとねとへばりついている。気持ち悪い泥を洗い落としたい光男は泉に急いだ。
三人は水田の奥にある泉に到着した。
泉からは透き通った清水がこんこんと湧き出ている。
清水はわれもわれもと田んぼに流れ出ている。
大きなガジュマルの木が日陰をつくり、
泉のある場所はとても涼しい風が吹いていた。
ガジュマルの日陰と涼しい風は光一と光男と正雄に英気を取り戻させた。
光一が最初に泉で冷たい水をごくごくと飲み、
次に正雄が水を飲み、
足が水田の泥で汚れている光男は泉から水田に流れている水路で足を洗い、
それから泉の水を飲んだ。
「おいしい。」
と光男が言うと、
「おいしいね。」
と正雄が言った。
光一も光男も正雄も、
代わる代わる湧き水に顔を突っ込んでほてった顔を冷やした。それから、正雄と光男は水路で泉から勢いよく流れ出る水に足をつけてばしゃばしゃさせた。
ざわざわとガジュマルの枝葉は風に揺れ、
田んぼの稲は太陽の強い陽射しでぴかぴかに輝いて風と踊っている。
真っ白な雲はゆったりと流れている。
木々は太陽の光をさんさんと受け、葉は濃い緑色に輝いている。
まぶしい夏の昼下がり、
光一と光男と正雄は涼しい風に吹かれて体を休めた。
「あたびちゃーだ。」
突然、光男が叫んだ。
光男の指した方向を見ると大きいあたびちゃーがふきの根っこでじいーっと座っている。
「光男、近づいたら駄目。」
あたびちゃーを捕ろうとしていた光男を光一は止めた。
「僕が捕る。光男はあっち、正雄はあっちで待機して。あたびちゃーがお前たちの所に来たら捕まえるんだぞ。」
光一はあたびちゃーが草むらに逃げないように光男と正雄を配置した。
光男と正雄がそれぞれ光一の指示した場所に着いたのを確認すると、光一はゆっくりとあたびちゃーに近づいた。
あたびちゃーは敏感だ。
光一の手が触れる前にあたびちゃーは飛んで逃げるだろう。
素手であたびちゃーを掴まえるのは難しい。
それはあたびちゃーだけに限ったことではない。セミだってとかげだって蝶々だってとんぼだって素手で捕まえるのは簡単ではない。野生の生き物はみんな生命の防衛本能があって、捕まる寸前に逃げる。蝿や蚊だって逃げる本能があって簡単には捕まえられない。だから、野生の生き物を捕まえるには知恵が必要なのだ。
今日のあたびちゃー獲りは遊びじゃない。ミッチーのジンゾウを直すための、とても真剣なあたびちゃー獲りなのだ。失敗は許されない。知恵を絞ってあたびちゃーを確実に捕まえなくては。
光男と正雄が指定した場所で身構えていることを確認してから、光一は慎重にあたびちゃーに近づいた。
あたびちゃーを捕まえるには、あたびちゃーが座っている所に手を延ばしたらだめだ。あたびちゃーは敏感だから手が届く前に必ず逃げる。だから、手を近づけながらあたひちゃーが飛ぶ先を予測して手を伸ばすのだ。あたびちゃーが飛んだ瞬間にその方向に手も移動させるのがこつだ。しかし、一発であたびちゃーを捕まえる成功率は非常に低い。
最初に捕まえることができなかったら、次の方法は素早くあたびちゃーの着地点に移動して、あたびちゃーが着地した瞬間に押さえこむことだ。しかし、そんな工夫をしてもあたびちゃーを捕まえるのはむつかしい。あたびちゃーを捕まえ損ねて、あたびちゃーが深い草むらや水の中に逃げ込んだら万事窮す。捕まえることをあきらめなければならない。
だから光一は、光一が捕まえ損ねても、あたびちゃーが正雄か光男の居る所に逃げるように体の位置を考えながらあたびちゃーに近づいた。ゆっくりゆっくり。音を立てず慎重に。
予想していた通り、光一の手があたびちゃーに触れる前に、あたびちゃーは大きく飛んで光男の方に逃げた。
「光男、逃がすなよ。」
光男は大きいあたびちゃーが自分の方に向かってきたので、
あわてふためいてしまった。
「後ろに逃がすな。」
光男はどうしていいか分からず、
「わあー。」
と大声を出して手足をばたばたさせた。
光男の声に驚いたのかそれとも手足をばたばたしたことに身の危険を感じたのか、あたびちゃーは正雄の方に向きを変えて飛んだ。
正雄は光男のようにあわてることはなかった。
正雄は、あたびちゃーが飛んできたので、両手を広げてあたびちゃーにアタックした。しかし、正雄の手があたびちゃーに届く前にあたびちゃーはジャンプして、正雄の顔にぶつかった。
あたびちゃーがぐにゃっと顔にぶつかっても正雄はひるまなかった。まるで獲物を狙う狼のように、正雄はあたびちゃーを追いかけた。
でも、六歳の正雄よりあたびちゃーの方が動きは早い。
正雄があたびちゃーに近づく前にあたびちゃーはどんどん先の方に跳んで逃げて行った。
「待て―。」
と叫びながら正雄はあたびちゃーを追いかけた。
光男も気を取り直してあたびちゃーに飛びかかった。でも、光男も六歳の子供だ。正雄と同じようにあたびちゃーを捕まえることはできなかった。
あたびちゃーを捕まえたのは光一だった。
跳ぶ力が弱くなってきたあたびちゃーに素早く近づき、あたびちゃーが着地した瞬間にあたびちゃーの首根っこを押さえつけた。
「うわあー、捕まえた。大きいあたびちゃーを捕まえた。」
「大きいあたびちゃーを捕まえた。」
光男と正雄は喜びの声を上げた。
光一はあたびちゃーの後ろ足を掴んで湧き水であたびちゃーを洗った。光男は大きいあたびちゃーを手に持ちたくなった。
「お兄ちゃん。ぼくに持たせて。」
「だめだめ。逃がしてしまう。」
光一は光男が逃がしてしまうかも知れないので大きいあたびちゃーを光男に渡さなかった。光男は不満そうな顔をしたが、
「じゃあ、指で触らせて。」
と言った。
「いいよ。」
光一は大きいあたびちゃーを前に出した。光男は指で大きいあたびちゃーを触った。大きいあたびちゃーに指で触れて、光男の機嫌は直ぐによくなった。
「このあたびちゃーならミッチーのジンゾウも直ぐ治るね。」
正雄が言った。
「直ぐ治るよ。ねえ、兄ちゃん。」
と光男が言った。
「ああ、直ぐに治るさ。」
と光一は確信に満ちた顔で光男に答えた。
大きいあたびちゃーは蘇鉄の虫かごには入らなかったから、光一はふきの葉であたびちゃーを包むと、細長いすすきの葉でぐるぐる巻きにした。
光男と正雄は大きいあたびちゃーを捕まえたのですっかり気分がよくなった。大きなあたびちゃーでミッチーのジンゾウは治るんだと思ったから、あたびちゃー捕りはもうお終い、という気分になった。
「光男、ガジュマルに登ろう。」
「うん。」
ふたりは泉の側に立っている大きなガジュマルの木に登った。
木の上は涼しい風がひゅうひゅう吹いていた。
田んぼが眼下に広がり、
田んぼの彼方に竹林が風に大きく揺れて踊っていた。
ガジュマルの葉はざわざわと歌っている。
「気持ちいい。」
と光男が言うと、
「気持ちいい。」
と、正雄も言った。
光男と正雄は大きいガジュマルの幹が二股に別れている所に座り、ぐー・ちょき・ぱーを始めた。
ガジュマルの木の上ではちゃんばらやかけっこはできないからな。動かないで遊べるぐー・ちょき・ぱーが光男と正雄のガジュマルの木の上での定番の遊びだった。
「じゃんけんぽん。」
「あいこでしょ。」
「ぐう。」
「ぱあ。」
「ちょき。」
「勝ったー。」
「じゃんけんぽん。」
「ぱあー。」
「ちょき。」
光男と正雄はぐう・ちょき・ぱーの遊びに夢中になった。
「おうい、バクダン池に戻るぞ。下りてこい。」
「はーい。」
「はーい。」
光一の声で正雄と光男は涼しいガジュマルの木から降りた。
三人は再び泉で喉を潤した。
元気を回復した光一と光男と正雄はバクダン池に戻った。
光男と正雄はバクダン池であたびちゃーを見つけても捕まえることはできなかった。六歳の光男と正雄ではあたびちゃーの逃げの早さに追いついていけなかった。
光一はバクダン池で捕まえた五匹のあたびちゃーと泉の近くで捕まえた大きいあたびたちゃーと合わせて六匹のあたびちゃーを捕まえた。
田んぼの近くの泉で大きいあたびちゃーを捕まえたことで、光男と正雄はもうあたびちゃーを捕まえたいという気持ちが薄れていた。だから、いつの間にか光男と正雄はあたびちゃーを探すのを止めて、草の上で相撲をとったり、鬼ごっこをして遊んでいた。
いつの間にか
雲はあかね色になり、
風は冷たくなっていた。
「家に帰るよ。」
光一が言うと、
光男と正雄は遊びを止めて、
光一の方に寄ってきた。
「お腹が空いた。早く、お家に帰ろう。」
と光男は光一に抱きついて、光一の手を握った。
兄のいない正雄は光男がちょっぴりうらやましかった。
「さあ、正雄、帰るよ。」
「うん。帰ろう。お腹が空いた。」
光一と光男と正雄は、
雲が次第に赤くなっていく夕暮れ時に家に向かって歩き出した。
翌日、幼稚園が終わって、正雄と光男は光男の家の庭で遊んでいた。
ミッチーは縁側に座り、遊んでいる二人を嬉しそうに見つめていた。
「きのうは、あたびちゃーを一匹も捕まえることができなかった。くやしいな。」
「くやしいな。」
「どうしたらあたびちゃーを捕まえることができるのだろう。」
「あたびちゃーは、飛んで地面に着いた時に捕まえるんだって。兄ちゃんが言っていた。」
「ふうん。」
「あたびちゃーがここに居るだろう。近づくと飛び上がって逃げるだろう。そしたら、あたびちゃーが逃げる方に手を延ばして、あたびちゃーが地面に下りたとき、捕まえるんだって。」
光男は自分の手をあたびちゃーにして、正雄にあたびちゃーの捕り方を教えた。
「ふうん。あたびちゃーが地面に着いた時に捕まえるのかあ。」
正雄はいいことを思いついた。
「光男。石で練習しよう。」
正雄は庭に転がっている小石を拾い、光男に渡した。
「光男。この石を投げろ。ここに投げて。」
「え、どうして。」
「石はあたびちゃーだ。」
光男は正雄の言ったことが理解できなかった。
「どうして、石があたびちゃーなのか。」
「あたびちゃーは飛ぶだろう。そして、地面に落ちるだろう。光男が投げた石が地面に落ちたら、すぐに捕まえる。」
「ああ、わかった。」
「それじゃ、投げて。」
「うん。」
光男が小石を正雄から一メートルくらい離れた所に投げた。
正雄は投げられた小石を目で追い、かえるのように跳んで、小石が地面に落ちた瞬間に小石を押さえ込もうとした。しかし、正雄が手で押さえる前に小石は地面に落ちてころころと転がった。正雄は小石を押さえ込むができなかった。
「ううん。石は転がるなあ。あたびちゃーみたいに止まらないなあ。」
「でもさ、あたびちゃーもすぐ逃げるだろう。石が転がる前に捕まえなきゃ、あたびちゃーも捕れないじゃないのか。」
「ああ、そうかあ。石が落ちたらすぐ捕まえなければあたびちゃーも捕まえきれないなあ。ようし、光男、もう一回投げてみろ。」
光男は小石を投げた。正雄はかえる飛びみたいにジャンプをして小石を捕まえようとした。しかし、正雄は小石が落ちる場所を間違えたので小石を捕まえることができなかった。小石は正雄の手の側に落ちで転がった。
ミッチーは正雄がカエル飛びをして、小石に飛びつく様子を見て手を叩きながら笑った。
「正雄は下手だなあ。」
「石を捕まえるの、むつかしいよ。光男、もう一回、投げて。」
光男は、
「投げるよ。一、二、三。」
と言ってから、正雄の前に小石を投げた。
「うわー。」
正雄は大声を出して小石に飛びついたが、小石が落ちた地点にぴたりと手を下ろすことができなかった。小石はころころと転がった。
「正雄は下手だなあ。」
「じやあ、光男がやってみろよ。」
今度は正雄が小石を投げて、
光男が飛びついた。
光男も小石を押さえ込むことはできなかった。
ミッチーは光男がカエル飛びをして、
小石に飛びつく様子を見て手を叩きながら楽しそうに笑った。
「難しいなあ。」
「難しいなあ。」
光男と正雄は何度も何度も練習をした。
光男が小石を投げ、正雄が小石に飛びつく。
正雄が小石を投げ、光男が小石に飛びつく。
たまに、
「お、捕まえたぞ。」
と小石を捕まえることもあったが、取り逃がす方が多かった。
光男と正雄は、何度もあたびちゃーのようにジャンプして、
小石に飛びついた。
光男と正雄があたびちゃー捕りの練習をしているのを見ているうちに、縁側に座っているミッチーも小石捕りをやりたくなった。
「にいちゃん。」
「なんだ、ミッチー。」
「ミッチーもやる。」
「駄目だよ。ミッチーはおとなしくしているんだ。」
光男の厳しい言葉に、正雄はびっくりした。
いつも、ミッチーにやさしい光男が、きぜんとした言葉でミッチーを叱ったのだ。光男が駄目と言ったので、ミッチーはぷうっと頬を膨らませて怒った。
「光男、一回くらいならさせてもいいんじゃないか。」
「駄目だよ。そんなことしたら、僕が母ちゃんに叱られるよ。母ちゃんにひどく叩かれて、押入れに閉じ込められるんだ。絶対駄目だよ。」
光男は頑としてミッチーに小石捕りをさせなかった。
ミッチーは顔がふっくらとしていて、正雄には健康そうに見える。笑ったり怒ったり、手を叩いたり家の中を歩き回ったり。ミッチーが病気であることが正雄は信じられなかった。
ミッチーのふっくらとした膝を指で押すとくぼみができ、くぼみはなかなか元にはもどらない。それがジンゾウという病気だそうだ。でも、ミッチーは膝を指で押してくぼみができても平気だ。ちっとも痛くないという。光男と正雄は遊び疲れると、ミッチーと光男と正雄の三人でミッチーと光男と正雄の三人の膝や腕を代わる代わる押して、体のくぼみができる場所とできない場所を探したり、ミッチーのくぼみが元にもどるまで覚えたての数を数えて遊んだ。ミッチーも一緒に数を数えて遊んだ。
ジンゾウという病気は本当の病気とは正雄には思えなかった。風邪の病気にかかると喉は痛いし、頭も痛いし、体温が高くなってふらふらになる。ミッチーは元気なのだから風邪に比べりゃジンゾウなんて病気の数に入らないと正雄は思っていた。だから、ミッチーに小石捕りをさせても大丈夫だと思った。
「じゃあさ、母ちゃんに内緒にすればいいんだよ。なあ、ミッチー。」
ミッチーは大きくうなずいた。
「おまえ、うちの母ちゃんの恐ろしさを知らないな。うちの母ちゃんはミッチーが外で遊んだことなんかすぐわかるんだぞ。何回もばれたんだから。ミッチーもさ、遊んでいる時は元気一杯なくせに、夜になると元気がなくなって、熱を出して母ちゃんにばれるようなことをするんだから。母ちゃんはさ、ミッチーはちっとも叱らないで僕だけこっぴどく叱るんだよ。だから駄目だよ。ミッチー、外に出たら駄目だよ。」
光男の強い言葉に、ミッチーは寂しそうに縁側の奥にひとりぽつんと座わった。
正雄はミッチーがかわいそうになった。
「ミッチーはあたびちゃーの肉を食べたか。」
と正雄はミッチーに聞いた。ミッチーはこくんとうなずいた。
「ミッチーはあたびちゃーの肉を食べたか。」
正雄は光男に聞いた。
「うん、今日の朝、食べたよ。」
「あたびちゃーを食べたからミッチーのジンゾウは直るんだろう。ジンゾウが直るのだから、小石捕りをさせてもいいじゃないか。」
「駄目だよ。母ちゃんにばれたら、僕は大変な目に会うんだ。絶対駄目だよ。」
光男は絶対にミッチーに小石捕りをさせなかった。正雄はミッチーがかわいそうだったが、ミッチーに小石捕りをさせるのをあきらめた。
光男と正雄は再びあたびちゃー捕りの練習を始めた。
光男が小石を投げて正雄が小石を押さえる。
正雄が小石を投げて光男が小石を押さえる。
勢いよく小石を投げると、
光男も正雄も小石を押さえることはできない。
小さく投げたら、
光男も正雄も押さえ込むことができるようになった。
光男と正雄は大きく投げたり小さく投げたりして、小石を押さえ込む練習を続けた。
突然、縁側の方から小石が正雄と光男の間に飛んできた。小石はころころと転がった。光男と正雄が振り向くと、縁側でにこにこ笑いながらミッチーが立っている。
ミッチーは光男と正雄のあたびちゃー捕りの練習に参加したくて参加したくてじっとしていられないのだ。
光男はミッチーを睨んだ。
「絶対駄目だからな。ミッチーには絶対やらせないからな。」
光男は怒った声で言った。
光男の怒った声に、
ミッチーはなにも言わなかった。
でも、黙って光男を睨み返した。
ミッチーは負けん気の強いおてんばな女の子だ。
ジンゾウ病になる前は光男や正雄と一緒に木登りをしたし、一日中かけっこをして遊んだ。ミッチーはとても元気な元気な女の子だった。
ジンゾウ病のために体はだるいけれど、
ミッチーは正雄や光男と一緒に遊びたくて遊びたくて、気持ちを押さえることができなかった。
「光男。ちょっとの間ならあたびちゃー捕りの練習をやらせてもいいんじゃないか。ミッチーがかわいそうだよ。」
正雄は光男に言った。でも、光男の気持ちは変わらなかった。
「絶対駄目だよ。ミッチー、庭に出るなよ。絶対に出るなよ。」
光男はミッチーを睨みながら言った。
ミッチーは光男の断固とした態度に負けて、怒った顔のまま縁側に座った。ミッチーの目からはうっすらと涙が流れ出ている。
光男はミッチーに背を向けるとあたびちゃー捕りの練習を始めた。正雄はミッチーのことが気になり、時々ミッチーの様子を見た。暫くすると、ミッチーは立ちあがり、手で涙を拭うと家の奥に入っていった。
「光男、ミッチーが家の奥に行ったよ。」
光男はミッチーが家の奥に去っていくことは知っていた。
光男にとってミッチーは大の仲良しの妹。ミッチーの気持ちは手に取るように分かる。光男がこんなに怒ればミッチーが家の奥に去るのは知っている。今頃は家の奥の小部屋でミッチーはしくしく泣いているだろう。
光男だってミッチーが光男たちと遊びたい気持ちはとってもよく分かる。だから、母ちゃんに内緒でミッチーと遊んだことが何度もあった。でも、ミッチーが激しい運動をしたことが分かった時の母ちゃんの怒りは普通じゃなかった。鬼よりも怖い母ちゃんに変身した。母ちゃんの怒り方から、ミッチーに運動をさせるということがどんなにいけないことか光男もなんとなく分かるようになっていた。光男は母ちゃんにこっぴどく叱られるのが恐かっただけではない。ミッチーの体のことを心配していたのだ。
「いいよ、ほっとけよ。それより、あたびちゃーを捕まえる練習をしようよ。」
光男は苛立った声で言った。
二人は再びあたびちゃーを捕まえる練習を始めた。
光男が小石を投げ、
正雄が小石に飛びつく。
正雄が小石を投げ、
光男が小石に飛びつく。
小石が地面に落ちた瞬間に、小石を押さえ込むのは難しかった。
次第に
正雄は小石捕りに夢中になって、
ミッチーのことを忘れて小石を追いかけたが、
光男は妹のミッチーのことが気になって、
小石捕りをやる気がなくなっていった。
光男は小石を握ったまま動かなくなった。
「光男、早く石を投げてよ。」
正雄が催促しても、光男は黙って動かなかった。
「光男、早く石を投げてよ。」
光男は小石を持ったまま家に入っていった。
「待ってよ、光男。練習を続けようよ。」
光男は正雄に返事をしないで。家の奥に入っていった。
正雄は光男の後を追った。
ミッチーは家の奥の小部屋でうずくまって泣いていた。
「ミッチー。」
光男がミッチーを呼ぶと、
ミッチーは顔を上げた。
小さな高窓から射し込んで来る陽光に、
ミッチーの頬の涙が寂しく輝いていた。
光男はミッチーの前に座った。
正雄は光男の隣に座った。
「ほら、小石を持ってきたよ。ここでやってあげるからな。」
光男はぶっきらぼうにでもやさしく言った。
「うん。」
ミッチーはうれしそうに小さくうなずいた。
「あたびちゃーのお汁を嫌がるなよ。全部飲むんだよ。」
光男はまるで母ちゃんのような口ぶりだ。
「うん。」
ミッチーは笑顔で答えた。
「いいか投げるよ、ミッチー。」
「うん。」
ミッチーの目は輝いた。涙は止まっていた。
光男が小石を投げると、
ミッチーは嬉しそうに小石の転がるのを見ていた。
「ミッチー。駄目だよ。小石はあたびちゃーだぞ。捕まえなくちゃ。」
「うん。」
光男が言うと、
ミッチーはとても嬉しそうな顔をした。
光男が小石を投げると、
ミッチーは身を乗り出したが、小石が床に落ちて転がっても、ミッチーは見ているだけで飛びつくことはできなかった。
「ミッチー。見ているだけではあたびちゃーは捕れないよ。手で捕まえなきゃだめだよ。」
と正雄が言うと、
「うん。」
とミッチーは目を輝かせて言った。
「ミッチー、今度は捕れよ。」
「うん。」
光男はミッチーの前に小石を投げた。
ミッチーは
「きゃー。」と叫んで小石を捕まえようとした。
でも、
ミツチーの動きは鈍くて、
小石がころころと転がってから、
小石の落ちた所に飛びついた。
光男は少しの間黙っていた。ミッチーの体が大分悪くなっているのを感じたのだ。光男は小石を拾うと、
「ミッチー、ここに落とすからな。」
と言って、ミッチーが一番手の届きやすい場所を指でさした。
「うん。」
光男はゆっくりと小石を投げた。
ミッチーは
「きゃー。」と嬉々とした声を出しながら小石に飛びついた。
でも、ミッチーの運動能力はかなり悪かった。
ミッチーは小石が転がってから小石の落ちた所に飛びついてしまう。
「ミッチーは下手だなあ。」
と正雄が言うと、
ミッチーは正雄の方を向いた。
ミッチーはとてもとても嬉しさ一杯の顔をしている。
そして、
「ミッチーは下手だなあ。」
と言って微笑んだ。
光男は何も言わなかった。
黙って小石を拾い、
「ミッチー、ここだよ。ここに落とすよ。」
と言って、小石をゆっくりと投げた。
でも
ミッチーは小石が転がってから、小石の落ちた所に飛びついてしまう。
光男が「一、二、三。」と投げるタイミングを教えても、ミッチーは投げた小石を押さえることができなかった。
次第にミッチーの息づかいが荒くなってきた。
でも、ミッチーはやる気まんまんだ。
目は生き生きと輝いている。
光男はミッチーの息づかいが荒くなったのに気付き
小石を投げるのを止めた。
ミッチーは光男が小石を投げるのを今か今かと待っている。
光男はミッチーの膝の前に小石を置いた。
「ミッチー。ほら、石を捕まえて。あたびちゃーを捕まえて。あたびちゃーが逃げちゃうぞ。早く早く。」
光男は、まるで小石があたびちゃーで今にも飛んで逃げ出すかも知れないような声で言った。光男の声にせかされたミッチーは小石に飛びついて、小石をつかんだ。
「わあー。ミッチーがあたびちゃーを捕まえたぞお。」
と正雄が手を叩きながら言った。
すると、ミッチーも、
「ミッチーがあたびちゃーを捕まえたぞお。」
と言って、喜びに満ち溢れた。
光男は嬉しそうにミッチーを見つめていた。
「ミッチーのあたびちゃーはイシグー(小石)だ。」
と正雄が言うと、
「ミッチーのあたびちゃーはイシグーだ。」
と言いながら、
ミッチーは、
小石を大事そうに抱えて、
正雄を見ながら、
とてもとてもうれしそうに、
微笑んだ。
その日から、
一週間後に、
ミッチーは、
夜空の小さな星粒になった。
あれから五十年。
バクダン池は埋められ、
バクダン池があった野原も、
畑も丘も谷も整地されて、
一帯は住宅街になった。
大きいあたびちゃーがいた泉は枯れて、
水田はさとうきび畑になった。
すべては変わったけれど、
ミッチーが星粒になった夜空は
今も、変わらない。
そして、
光男と正雄が
ぐー・ちょき・ぱーをやった大きなガジュマルの木は、
毎年襲って来る暴風雨にも耐えて、
今でもたくましく生きている。