悪徳受付嬢
「おお……! ここがサウスウォーター……! 実物をこの目で見る事になるなんて、思いもしなかった」
にゃあにゃあと海鳥が鳴き、がやがやと人混みは活気ある音を奏でている。城門を抜け、白い石畳を歩いて周囲を見渡せば、そこは紛れもなくサウスウォーターの港町そのものであった。草原で行き倒れたプレイヤーが大抵辿り着く最初の拠点であり、プレイヤー数の多い場所となっている。初心者から廃人まで幅広く揃っている場所な為、プレイヤー間で取引されているアイテムやうろついているプレイヤーのレベル差、装備のグレード、大規模侵攻クエストの発生率など――様々なものや要素が桁違いになっている。ちらりと視界を別の場所に向ければ、初期装備の『手軽な皮鎧』を纏った剣士がアイテム屋の前で吟味をしているらしく、低品質な薬品類を幾つか購入していた場面であった。別の場所では侏儒族の頑固親父が目印になっている武器屋の前で、リュックサックを背から降ろしている男が居た。その鞄を店主の親父に渡し、何や紙切れを受け取っている。ホクホク顔の男はそのまま一際大きな建築物へと入っていった。
その建築物こそ、プレイヤー達の目的地であり……この世界の人々の憧れが叶うかもしれない場所――冒険者ギルドのサウスウォーター支部だ。円形の看板にあしらわれた印は『海鳥』で、選定された八つの要塞それぞれが各々のシンボルを所持している。円の周囲を八つの丸が縁取り、中央に海鳥が堂々と掘られているが、これは他の要塞でも似たようなデザインを採用している。ここではない別の――例えば、レッドロックと呼ばれる要塞拠点では山羊の顔が採用されているのだ。
――プレイヤーもまた、この建物に入り込んで冒険者登録をするところからゲームが始まるのだが、ここは今や現実そのものとなっている。疑問に思う所は幾つか浮かんでいるのが本音であった。
まず、拠点などと呼んではいるが、それはゲームキャラが食事睡眠を必要としないから言える事である。食事なんてものは精々、重複するクソザコバフアイテム程度の認識であったのだ。中にはぶっ壊れ性能の物もあった筈だが、この狐叢という『プレイヤーキャラクター』ではなく、『ひとりの人間』はどの様に生活すれば良いのかという事である。
何処で食べる? 何処で寝泊りをする? 通貨はどのような物だ? ――これらの事を知らなければならない。そしてそれらの事をギルドが懇切丁寧に教えてくれるかどうかは分からないのだが……。
「ま、なるようになるさ」
開き直って、ギルドの建物へと入る。ドアは無く、真正面に受付用カウンターが四列分設けられているのだ。今の時間帯はどうやら空いている様子で、これなら手間取る事も無いだろう。――と思ったのだが。
「……いや、待てよ」
ふと思った。
今の自分はレベルカンスト勢で、そのくせギルドカードを再発行せよ等というクエストが自然発生している状況だ。……仮に、もし、あの受付嬢達が『鑑定』の魔法で此方の詳細なステータスを覗いてきたのであれば、それは面倒事の始まりである。申請に必要な500Rはもうポケットに入っている。武装はどうだ? 未だ魔導鎚を腰にぶら下げているこの様は、どう見ても冒険者に見られる事は無いだろう。――対策が必要だ。
(まずは……武装を変更しよう)
神祭事の導槌を外し、インベントリへと収納する。開いたスロットに適当な武器を……刀をセットする。――剣のカテゴリーに分類されるが、有っても無くても魔法スキルは使用ができる。単に効果が激減し、カバーできる範囲が狭くなるだけなのだ。
武器の名は『蒼穹断ち』。これもまた、上級アイテムである。
蒼穹断ち(未強化)
刀剣 攻撃属性:斬撃
威力 1100
重量:30
【アイテム説明】
遥か海の果て、東の孤島にて打たれた一振りの刀剣。
東の戦士たちはこれらの特徴的な武器を腰に差していたという。
流れる様に剣を振るえば、空気の様に相手は切断されていく程の斬れ味を持ち、
極めた者は大空ですら断ち切り、晴天を呼び寄せたとも云う。
(まぁ、これで少しはマシになったか? ……いやいや待て待て、木目級の駆け出しがこんな業物を持っていたら、大騒ぎになる……えぇと、これでもないとなると……)
「これかな? ……うむ、これなら大丈夫だ」
取り出したのは初期装備の魔導鎚だ。職業解放時に対応した武器がひとつ貰えるのだが、これらの初期装備品は地味に入手が難しいのだ。見た目が職業ごとに見合ったものである上、公式絵のデフォルトキャラクターが装備しているイラストによって、最も知られる装備こそが初期装備の武器や防具であったりする。それ故、そういった武装は未だに高レートで取引されている。
魔導鎚の初期装備品はこのような物だ。
素人の魔導鎚(上級)
魔導鎚 攻撃属性:打撃
威力 120
重量:16
【アイテム説明】
魔法を扱う者によって考案された、杖を兼ねた近接用武装。
大杖同様に魔法を扱う為の触媒だが、その重量はこちらの方が重い。
固有の技能によって魔導鎚は差別化を図り、状況に応じた使い分けを前提とする。
固有技能は『回復』。
当たるとHPが回復する光球を放つことができる。
「これで武器は大丈夫だろう。……防具は、頭のこれを外せばいいだろうか」
頭のこれ――銀糸のリボンはミスリル銀糸で織られている(という設定)だ。現在のゲーム内技術で製造する事は出来ず、実際レアエネミーからのドロップのみで入手可能と言う装備品だ。手に入りづらいが性能が良いという訳でもなく、おしゃれ用アイテムとしてそれなりのレートを誇っていたが……この世界でどれ程の価値があるのか想像もつかない。
そんなものを着用するわけにもいかず、インベントリへとリボンを放り込む。頭部に風が感じられるようになり。ぴん、と立った耳が開放的になった。もうこれで大丈夫だ。
「さぁさ、登録に行こう」
もう迷うことは無い。
さっさとカードを発行して、これまでと同じように生活すればいい。
……そう思っていたのだけれど。
「登録料金は1000Rになります」
受付嬢のエルフは無表情で俺『達』に告げた。
「一体どういうことだ? 登録料と再発行料は同じの筈だぞ」
「そーだそーだ! こんなの『おーぼー』だぞー! わるいことはしちゃいけないんだぞー!」
「その通りだねーシオさぁん」
「どうもこうも、貴方のような獣人種と我々人型種とで料金は別になっているのですよ。これは以前より取り決められている事です。それに、そこの狐人ならまだしも……後の二人は手続きが面倒なのですよ。かたや小人族と狼人のハーフ、かたや耳長族と猫族のハーフ。血なまぐさい獣と薄汚れた半族種、我々ギルドに迎え入れるにはリスクが高いのですよ」
薄く冷たい、余りにも見下した態度。畜生を見る様な目だ。――いやまぁ、実際獣なのだが。
それにしても、これが世界で通用するギルド職員の対応だろうか。もしかするとこのサウスウォーター支部だけの特徴かもしれないが、それにしても酷いものである。獣人族もゲーム内ではれっきとしたヒトであった筈だ。人権もしっかり存在しているし、差別的な事は発生していない事を覚えている。
実に胸の悪くなる事だ。こんな事はするのもされるのも愚かな事だというのに。
「ど、どうするんだーしゃとー? これじゃ、シオたちはぼうけんしゃ? になれないのかー?」
「……ねーお姉さーん、これって本当に本当の話なのかなー? ここに来るまでそんな話は一度も聞いていないんだけどなー」
狼人と小人族のハーフの方はシオ。
猫族と耳長族のハーフはシャトー。
どうやらそれが彼女達の名のようだ……。
「本当の事です。この条件が呑めないのであれば冒険者になるのは諦めた方が良いかと」
「…………ふーん、だってさ。どうするのおにーさん?」
「……どう、とは? それに、お前達はどうする気だ」
成り行きで同族意識が芽生えてしまったが、そもそも彼女達とはこれが初対面だ。二人を見れば、随分と汚れた衣服を纏っている。シャトーの腰には少し大きめの麻袋があり、時折じゃらじゃらと音を立てている。あれに二人分の資金――1000Rが入っているのだろう。それこそ、こんな状態になるまで働いて、生活をして……顔色は悪く、頬も少しこけている。それはシオの方も同じだった。
「お前達はどうする気だ?」
「うーん……シオさんは前から冒険者になりたいって夢があったらしいからねー……ここはシオさんだけ、って事になるかもねー」
「それで、お前は? まさかこのまま帰る訳にもいくまい」
「まぁねー……でも、これはしょうがないよ。ここはシオさんだけでも……」
「なにー!? シャトーはぼうけんしゃにならないのかー!?」
「シオさん、これはどうやっても無理だよー? シオさんが冒険者になれば、それでいいんじゃないかなー? 前からなりたかったんでしょー?」
「で、でも! わたしはシャトーといっしょにやりたいの! ひとりだけなのはやなの!」
「どうでもいい話ですね。さっさと払って下さい。一人1000R、三人で3000Rです」
構わずインベントリを探り、金額に近いものを取り出す。こんな胸糞悪い女と話すのは早々に切り上げるべきだ。――それを取り出し、カウンターへと叩きつけてやる。
――――バァン!!
音が鳴り響いた瞬間、受付嬢もシオもシャトーも、周囲の人々の視線も此方に向いた。――そんな事はどうでもいい。これで金額には届くだろう。
受付嬢はカウンターに叩きつけられた物――紅い晶石を見て目を見開いた。
「こいつで十分だろう。炎の晶石……一万R程の価値はある筈だ。これで俺達『三人』の支払いとする……何か、文句でも?」
「……少々お待ちを」
換金用トレーに晶石を乗せ、奥の方へと向かっていく。
あの系統のアイテムは売値が9500Rとそれなりに高額であったが、度重なる属性持ちエネミーとの戦闘により腐るほどドロップするようになった経緯を持っている。後のアップデートにて売却価格が5000Rにまで低下したが、それでもこの三人の登録料金を払っても余裕がある。いやぁ、いい金策だった。
暫くすると、あの受付嬢が三つの板切れを持って戻ってきた。――あれこそが出発点。初期ギルドカード、木目級の証明証だ。
「これが冒険者であることを示す証明証です。各々記入を行ったら晴れて冒険者となりますので……では説明を行います」
木の板がカウンターに置かれ、三枚とも回収する。その内二枚をシオとシャトーに配る。未記入のギルドカードは自分で情報の記載を行わなければならない。
受付嬢は俺達の背後にあるクエストボード二つを指差した。
「冒険者の主な仕事はあちらのクエストボード、その隣にあるギルドクエストに張り出された依頼を達成する事となります。契約金が必要な依頼とそうでない依頼との二種類がありますが、この相違点は依頼書に既に記載されていますので、各自ご確認してください。依頼失敗時に、この契約金は戻ってきませんが成功時には全額返還となります。クエストボードの依頼につきましては現在の冒険者クラスによる受注制限はございません。ですがギルドクエストに関しましては相応の実力をお持ちでない場合には受注が通らない事になりますのでご注意ください」
受付嬢は次に、カウンター下からボードを取り出した。
「冒険者クラスは全六段階に分けられています。最初は木目級から始まり、鋼鉄級、硬銅級、純銀級、黄金級、最上級の魔晶級となります。木目級から鋼鉄級に更新するには、指定されたギルドポイントを獲得したうえで支持されたクエストを成功する必要がありますのでご注意ください」
それでは、とボードをしまった受付嬢は次の冒険者の対応を始めた。もう話す事は無いと言わんばかりの態度である。ものの見事に業務をすっぽかしやがった。もっと詳細は必要だと思うのだが。というか釣りはどうなった? 普通に着服しやがったぞ。
「……ねえ、おにーさん」
「何だ。さっさとここから離れるぞ」
「どうしてこんな事を? いやまぁ嬉しいけどさ、おにーさんには得の無い話でしょ?」
「……そうでもないさ。さ、行くぞ」
「……んふ、そっかー。行くよーシオさーん」
「へ?ま、まつのだー! しゃとぉぉぉぉわぁぁ」
「もー、シオさんてばぁ、ころんじゃうから慌てちゃダメだって……」
俺達はギルドを後にした。もう受付嬢の視線は此方を捕えてはいなかった。
本当に胸の悪くなる奴――いや、組織だ。
(見ていろ、今に見ているがいい。糞ったれの差別主義者の蛆虫め)
そう声を出さなかった自分を褒めてやりたい。