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この世界にドロシーはいらない  作者: 新藤 愛巳
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武利木

「黒さん! 何をやっているんだ!」


「あ、坊ちゃま。お花に水をあげようと思ったら、貯水タンクが、突風にやられたので、気合を注入していました。なにかあったのですか?」


 俺は脱力した。タンクにはゲンロクの水と書いてある。ああ……。


「黒さん、どこからこんなわけのわからない水を?」


「えへへ。ゲンロク通販で買いました。美味しいですよ」


 盲点だった……。


 そんな水を――通販で売っているのか? まさかそんな。


「誰が届けに来ると言うんだ」


黒子くろこさん達ですよ」


「そんな者――見たことも会った事もないんだが……」


 と思ってみた。


「確かに美味しかったけど。美味しい水だったけど……息が出来きた。黒さん、何を混ぜたんだ?」


 知らない間に変なモノを飲まされていた。健康志向などあるはずもないけれど……正直へこむ。黒さんは不思議そうに首をかしげた。


「息が出来ない水がこの世にあるのですか?」


「いや、むしろ息の出来ない水だらけだよ……この世は!」


 なので、聞く。


「黒さんはどうしてゲンロクから来たんだ?」


 黒さんは着物の袖で口を隠した。哀しそうに俺を見つめる。


「ごめん。悪かった。ここは俺が直すから、黒さんは休んでいて欲しい」


「はい」


 夜風で頭を冷やそう。おじいはゲンロクが好きだった。けれど、ある日突然、たどり着けなくなった。そんな場所の水がこんなに簡単に手に入るのはおじいに悪い気がする。


 黒さんが去って、足音がする。誰だろう。その時、俺の前に一人の男が現れた。

 フードをかぶった男、顔の上、半分にお面をかぶり……中性的な顔をしている。


 俺より同い年。いや、それよりは年上か。含みを持った唇が穏やかに笑う。


「やあ。縁野くん。久しぶりだね」


「どうも。仮面舞踏会の方ですか?」


 人の顔はあまり覚えていない。よっぽど特徴的でない限り、俺の脳はそういうシステムで構成されている。そう言う性質なのだ。


「どこかで会いましたか?」


「会ったも何も……何度か会っているよ。君にはね」


 男の喉は真っ黒だった。黒い刺青が喉の周りに施されていた。黒の二本線のライン。


 異様な風体の男は静かに指を組む。


「オズヌくんは覚えてないかな? 僕のこと」


「いや、知らない……と思います。色々あって、貴方の事は思い出せません。すみません」


「なら良いんだ」


 男は俺の隣に座りこむ。彼は不思議な笑みを浮かべた。


「僕は昔の尾路異さんの知り合いだよ。君が覚えていないのも無理はない」


 なるほど。子供の頃、会ったという事か。


「おじいに会うなら住所を教えますが?」


「今日はそんなに時間が……そうだ、君にプレゼントを上げよう」


 俺の掌にしおりが落ちる。三角の金属のシオリ。上部の中央に穴があいていて、大きな赤い布が結ばれていた。俺が握るとシオリは巨大化し、放すと小さくなった。


「大事にしてくれ。尾路異さんの物だ。それから……かかしという人間が訪ねてきても友達になってはいけないよ。約束しなさい」


「なぜ? なぜそんな事を……あなたは? 何を知っているんですか?」


「未熟な心は悪意を消化できない。君も心理分析官なら――君の許容量を見誤ってはいけないよ。深淵はね、悪意はね、君を覗きこむんだよ。フリードリヒ=ヴィルヘルム=ニーチェの言葉を僕なりに解釈したものだ。覚えておくといい」


 男は来た時と同じようにゆっくり歩いて非常階段を降りていく。


「ちょっと待ってくれ。あなたの名前は!」


「本当に覚えていないんだね。それはそれでそうだろうね。僕は武利木ぶりき武利木慶吾けいご。種も仕掛けもないただの優良不良青年だよ。一つ言えば――そうだね。ラスボスだと名乗っておこうか。脳髄に刻みこんでおきたまえ。病弱で線が細くて女子にモテるタイプだよ。最後には君と愛のデットヒートを起こすんじゃないかな」


 俺は息を飲んだ。


「なに! 病弱だと! 貴様! フルーツを食べて身体の調子を整えろ!」


 武利木さんは爆笑した。腹を抱えて転げまわる。


「野菜だよね。その場合……。君はいい人だね。だからこそ、忠告しに来たのさ。君には女難の相が出ている。女の子と仲良くする時は気をつけなよ。心を閉ざして誰とも関わらない事をお勧めするよ」


「俺は結婚して子供に囲まれて……いつかサッカーチームを作る予定です。だから約束は出来ません」


「それは豪気ごうきだ。子供が十一人欲しいのかな」


「孫が十一人です!」


 武利木さんは楽しそうに笑った。


「君は壮大なテーマで女の子と付き合うつもりなんだね。面白いな。それなら今からアルバイトしてお金貯めた方がいいよ。もしくは産婆さんばの訓練をお勧めするよ」


「男は産婆になれませんが!」


「あはは。君は男の友達を作りなよ。そうすれば、ゲンロクの騎士なんて大きなことも事も言えなくなる。そうだ、この漫画にハマりたまえ。二次元の女の子は良いよ。感性が豊かで心にポケットをたくさん持っている。素敵な子だよ」


 武利木は人気少女漫画『まんじゅしゃげ』のサイン本を差し出した。


「特にこの話はいい。兄に捨てられた少女が復讐のために、悪役女優になって演技を猛勉強し、やがて押しも押されもせぬ――大女優になるお話だよ」


「読めと言っておいて、ラストまで言うんですか。酷い人だ」


 武利木さんは笑いながら去っていく。


「あらすじだよ。前説のようなものだ。それじゃ。そのシオリは困った時に使いなよ」


 武利木は歩いてゆっくり去っていった。綺麗なシオリだ。

 このシオリは昔おじいが大切に使っていたものだ。金属のシオリ。


「おじいの知り合いか、変な人が多いな。でもまあ……」


 とりあえず夕日に照らされながら『まんじゅしゃげ』一巻を開いてみた。

 少女マンガなのに意外と面白い。


 武利木さんか。ただの無頼の者ではなさそうだし、気にすることもないだろうけど、どうしてこんなに気になるんだろう。おじいの味方なら俺がこんなに引っ掛かる必要も……。


 どこで会ったのか……。


「坊ちゃま、坊ちゃま……どうかなさいましたか?」


 黒さんは武利木さんと入れ違いに屋上にあがって来て首をかしげた。

 俺は深呼吸して屋上を見渡す。ここには武利木さんの残滓ざんしも残っていない。


「黒さん、屋上の応急処置はしておいたよ。当分、下の階に浸水するほど水をやらない事」

「かしこまりました」


 火佐賀屋様とそっくりのかかしと呼ばれる幼い少女か。いったい何者なんだろう。

 泣き虫の目をしていた。


「俺も馬鹿だな……本当は面倒なことには関わり合いになりたくないんだけど」


 あの子と話をしよう。少し話を聞いて相談に乗って、家に帰ってもらって、明日は元気に学校へ行ってもらおう。


「黒さん。ネコを拾った。腹をすかせている。ご飯を作ってくれないか」


「えへへ。かしこまりました」


 黒さんは楽しそうに振り返る。


「そうそう、かかし様は先程ご飯を三杯おかわりされましたよ。坊ちゃまのネコもご飯を頂くのですか?」


 俺は静かにその場にしゃがみ込んだ。黒さんは何でもお見通しらしい。

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