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この世界にドロシーはいらない  作者: 新藤 愛巳
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黒さんと俺

 縁野小角……名前はコカド。渾名はオズヌ。高校一年生。


 英語と国語以外は中ぐらいの成績を持つ。


 俺は元々この土地の人間ではない。高校からここに住み始めた。

 だからこの年になるまで知らなかったが、この街の図書館には民話があった。

 都市伝説と言うよりも奇譚に近いのか。


 近所の森にゲンロクという街があったらしい。その街にはお伽の国の住人が面白可笑しく暮らしていたと言われている。もちろんいい奴ばかりではない、『人食い』や、『惑わせ』『魔人』や『幽鬼』『魔王』『妖精』などが同時に混在する暗く怖い場所だと聞いたことがある。夜霧に迷った人が歩いて辿り着く場所で、江戸時代の古書にそんな幻の町が存在するという話が残っていた。勿論おとぎ話だ。


 個々のお殿様はそこと特別な交流を持っていて、近代まで行き来があり、そこの住人をモデルに適当なおとぎ草子を作り上げて、莫大な収入を得た藩もあったらしい。


 俺はおじいの残した『役小角えんのおずぬの魔法使いかもしれない』という達筆で書き連ねられた本を手にした。勿論、中をまともに開いた事はない。流れるような草書体に、本自体も分厚いので読む気も起こらない逸品だ。おじいはこの本の最高の読み手だったらしい。心理分析官。闇落ちする人間を救う者。人間の心の奥の化け物と話をする者。


 言葉巧みに心理を読み解き、敵を絶望させて勝利を得る。論破者、そういう人だった。

 変わった人。おかしな人。穏やかな人。容赦ない人。けれど、俺には何も教えなかった。


 何も知らなかった。おじいに助けられるまで、なにも、気づかなかった。


 コンビニも出来て、大型スーパーも出来て、今の人たちは本気でゲンロクなど信じてはいないが、俺のほかにゲンロクに行ったことがある者がこの世に一人だけいる。


 俺は笑顔で階段を駆け上がり、アパートのドアをたたいた。


「ただいま。黒さん」


 部屋の中には真っ黒な着物を着こんだ少女が座り込んで待っていた。


「おかえりなさいませ……坊ちゃま」


 俺は両親のもとを離れ、遠く離れた希望の高校に入学した。ここはその下宿先で……三階建のマンションとは言っても名ばかり――過去に人を助けた時におじいが貰った財産で……俺はここのマンションの管理を任されたのだが――結局、俺と黒さん以外誰も住んでいない――地元で意外と有名な怪談話満載のマンションだ。


「えへへ。坊ちゃま、今日はお部屋のお掃除をさせていただきました」


 どこもかしこも片付き整っているが……黒さんは好奇心旺盛な人物なのだ。


「わたくし坊ちゃまの好きな写真を素敵に飾り付けてみました。褒めてください」


 嫌な予感がこぼれ落ちそうになる。


 仕切りのカーテンを開くと本当に飾ってあった。俺厳選の美しい足を持つ女子高生たちの特集ページがリボンをつけて飾られていた――。


「黒さん。なぜ……この選択を?」


「とじ込みのあるエロ本を可愛く並べておきました。素敵ですよね」


「とじ込みのある漫画雑誌と言ってくれ。もしも副委員長が押し掛けて来たらどうするんだ……! 色んな意味で退屈する暇がないぞ」


 弁当箱一つで恐いのに。死にます。俺が!


「動揺するあなたを見て微笑みます。私は悲劇のヒロインだから最終回には笑わないといけないんです」


「何の最終回だ。むしろ今が俺の人生の最終回だ!」


 あんまりだった。あんまりだったので週刊誌を抱えてベッドの下に戻す事に成功した。


 任務完了。往復する俺を眺めて黒さんは少しはにかんだ。


「ちなみに今のが、【冥土の土産】ジョークです!」


「黒さん、冗談をつければ何でも許される世の中は俺の子供の頃に終わりを告げた」


「そんな不毛なブームがあったのですか?」


「俺の中だけで静かに。今より若い頃の話だ」


 恥ずかしい過去だが、こんなことが言えるようになったのはあの頃より成長した証だと信じる。


「ならば坊ちゃま、【ストッキング】ジョークを一つだけ」


「あ、それはセクシーでなかなか……」


「えへへ。最後は必ず『伝染』します!」


 落語なような落ちをつけて彼女ほほ笑んだ。綿菓子のような笑顔だった。

 俺は照れくさくなって咳払いする。


「じゃあ、黒さん。俺は着替えるんで向こうに行ってくれないか」


「私は坊ちゃまが心配です」


 黒さんは子犬のような目で俺を見た。


「私は坊ちゃまを見守っています。それがお父様とお母様から坊ちゃまを預かった……」


「会わせた事もない! 両親に会わせた事もない! どこから来たんだ、君は?」


「お伽の国ゲンロクでございます」


 黒さんは上品な笑顔を見せた。ゲンロク……おじいが好きだった世界。火佐賀屋様が行きたがっている世界。俺が永遠にたどり着けない世界。その名前を彼女は口にする。


「俺もいつかゲンロクに行きたいよ。素敵な所なんだろう?」


 黒さんは困ったように微笑んだ。


「あそこは坊ちゃまの思うような天国ではありません……」


「でもなんか楽しそうだし。幻の国はどこにあるんだ?」


「霧の出た日に道がつながる国です」


「ここからは遠いのか?」


「向こうの人間は総じて芯師しんしです」


「芯師?」


「物の本当の姿を捉える……魔法使いの一種です」


「お化けならともかく、この世に魔法はないよ。存在しない」


 お化けに対する俺の殴る蹴るも、酷い物だけど。魔法なんてもっとない。


 科学ならともかく、そんな物はないと断言できる。

 俺は何もない掌から五百円を取り出した。無論、五百円は袖口から滑らせたのだ。


「タネが無ければ魔法も使えないと思うが……」


「坊ちゃま、人間の脳髄は世界を支えています」


「うん。無意識に考えているんだろうな……足の事とか、天国の事とか、フルーツの事とか」


「そして――人間、悪いことは忘れません。忘れられません」


「それはそうかもな。経験則になる。忘れたら繰り返すし、覚えていないと不都合だし」


「はい。でも、だからこそ。その悪いことは――この街に黒い雪のように降り注ぎます」


「うん。だから俺がゲンロクに悪意を流して、この町を綺麗に」


「ゲンロクに流れた悪意はどうなるのでしょうか?」


 それがどうなるか――すべてわかってやっているつもりの俺は口をつぐんだ。


「それがどんなに恐ろしくとも誰かがやらないと……うつし世が壊れる」


「これ以上、不法投棄はおやめください。貴方に何かあってからでは遅いのですよ。ゲンロクはあんなに大量の悪意を消化できません」


 俺は東京に行ったおじいを思い出した。彼女は今も病院のベッドの上だ。

 黒さんは表情を凍らせた俺の頭を力いっぱいなでた。


「泣かないでください」


「子供扱いしないでくれ……。泣くものか。泣いてないよ」


 俺は着替えを持って隣の家のドアのカギを開けた。マンションが古いのでどこでも同じ鍵で開くのだ。

 防犯的には問題だが盗む物なんて家にはないから困らない。


 おじいのような覚悟があれば、きっと迷いはしない。苦しみなんてないに違いない。

 俺は本当の意味で強くなりたいんだ。俺を助けたおじいを助けられるくらい強く。


「いいか。入ってくるなよ」


「えへへ。家政婦は覗く者と相場が決まっております!」


「芦屋のメイドは押し入れで昼寝したりするそうだぞ」


「はい。かしこまりました。今度、押し入れで寝てみます」


 黒さんはお辞儀をした。女性に裸を見せるのは変質者と同じ。俺は心理分析官=騎士だ。

 いくら女性好きでもそれだけは倫理に反する。隣の部屋で私服に着替える。


 黒さんと出会ったのは中学生の頃のことだった。


 黒さんはアパートの前で行き倒れていた。ぼろぼろだった。


 だから犬の子のように拾ってご飯を食べさせた。

 綺麗に洗って手当てして、それで今のような関係になるまでに時を費やした。


 黒さんは時々ゲンロクの話をする。ゲンロクは……美しい国で、だけど黒さんは帰りたくないのだ。女性の秘密は聞かない。話したくなるまで聞かない。そういう関係でいい。


 僕は隣の部屋でTシャツに袖を通し、深呼吸して息を止めた。

 着替え部屋の天井が壊れて――上から見知らぬ足が覗いていた。


 ぼろマンションの天井を足が貫通していた。

 綺麗な足だった。女の子の足だった。白く清らかな足。興味が湧いた。


 なぜならその足は――毛糸のパンツをはいていたからだ。珍しいな。

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