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この世界にドロシーはいらない  作者: 新藤 愛巳
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ブラザーコンプレックス

「しかし副委員長だってろくに寝ていないのに成績が落ちないから腑に落ちないよ」


「縁野くんも今のペースで成績を上げられないなら見回りなんてやめればいいのに。お化けなんて増えても人は死なないでしょう? だってそんなモノ、この世に存在しないんだから、もったいないお化けも、もったいないマングースもこの世にいないんだから。全部、真っ赤な嘘なんだから。放っておけばいいでしょう? うちの兄はいつも嘘ばかりを歌っていたわ。大嫌いよ、あんな男」


 そんなことを言う彼女は恋する乙女のようだった。俺は唸った。


「いないと言えばいないし、いると言えばいるとおじいはそう言っていた。今のところ、証拠は見せられないけど、居る所にはいるんだよ。名前がないお化けが」


 火佐賀屋さんは本来なら、もっと上の学校を狙うはずだった。が……本命高校の受験の日に病欠したのだそうだ。見かけによらずメンタルが弱いのかもしれない。


「その話はここまでだよ。縁野くんこそ、なぜお化け杉を捜すの?」


「ゲンロクは提灯とか、蝋燭とか街のかがり火がきれいなんだ。もう一度見たくなった」


 俺はすらすらと絵を描いた。おじいと見た、思い出の風景を携帯の画面に書きしるす。


「それはどこの風景かしら? 不思議な光景ね」


「ゲンロクの深部。俺が捜している場所だ。いつか一緒に見に行かないか?」


 火佐賀屋さんは俺の前の席の奴の椅子を引きだし、机に頬杖をついた。

 傍目には火佐賀屋さんの手には台本。俺はその練習台と言うスタイルを崩さない。

 火佐賀屋さんと仲良しな友人は遠巻きに俺たちを見ている。

 皆は俺の事を演劇に詳しい演出家だと信じているようだ。

 そしてこのやりとりを練習用の寸劇の一部だと信じて疑わない。


「男は『君にしか見せた事がない風景』を人生の中でたくさんの女子に見せてしまうような下等な生き物なの。ウチの兄もそうだったわ。縁野くん。君はどうなの?」


「君のお兄さんが特別だ。俺は――」


 何人に見せるのだろうか? 何人が見てくれるんだろうか?

 誰も見てくれない気がする。友達いないし。火佐賀屋様は不敵な笑みを浮かべた。


「わかった。縁野くんがウチの兄のことを下等生物だと思っていると私の両親にぶちまけておくね。この【火佐賀屋電工の取引相手のねじ工場の事務員の息子】が!」


「何を言う! 俺はごく普通の会社員の息子で、君の実家は寺じゃないか!」


「盲点だったわ!」


 彼女の愛読書は『恐るべき娘たち』なのだから油断できない。


 悲劇好きの人間に……ロクな奴はいない。火佐賀屋さんは勢いよく身を起こした。


「でもまあ、それはそれで、単独チケットでもいいの。貴方はウルトラアドベンチャーワールドの外で犬のように私を大人しく待っていればいいのよと思ってみる」


「俺を送り迎え専門の人にしたいのかと思ってみるぞ、火佐賀屋さん!」


 他の奴には天使のように振る舞う火佐賀屋さんなのに酷い仕打ちだった。

 全力で俺だけ目の仇にするとは何か恨まれる事でもしたのだろうか。覚えがない。

 火佐賀屋さんは口だけ微笑んだ。


「貴女の弱みは私の旨み。楽しいわと思ってみる。忘れたとは言わせないんだからね」


 ……今に始まった事ではないが、彼女は俺の口癖を完全にマスターしたようだった。


 返してくれないかな。


 火佐賀屋さんは鋭い。肌も性格も石包丁のようだ。こんなに一緒にいても、まるで触れて欲しくないみたいに冷たい。そしていつも柔らかい唇で俺をけなすのだ。


 信頼を勝ち取るのは難しそうだ。けれど――あの日あの時、君がとても困っているように見えたんだ。だから放っておけない。


 かといって他人の全身の毛を剃ろうとしている女の子を助けようなどと思ったことは、やはり酔狂でしかないのだけれど、自分が困った時におじいに助けられた事を思い出すと、俺もそんな事が出来るスマートな人になれたらと思うのだ。


 スマートという単語には賢いという意味もあるので、現在の俺は本当にスマートではないのだけれど、成りたい者に成るのが人生だ。おじいは俺の事を甘っちょろいなんて言うけれど、自分らしく生きられないなら死んでいるのも同然だ。いつかスマートになって火佐賀屋さんを見返してやる。覚えていろ!


 退屈な君を救うためには……この町の心理分析官、二代目ゲンロクの騎士見習いとして面白可笑しく日常を過ごさねばならんようだ。俺とて本心は友人を求めていたのだし、足首の綺麗な火佐賀屋さんを失う事は人類の損失だしな。


「火佐賀屋さん、恩を着せたいわけじゃないが君を助けようと思う人が一人でもこの世にいるという事を忘れないで欲しいと思ってみるぞ」


「正直、あの男どもは一人でもどうにかなったのよ。だから貴方は私の『命の凡人』だと思ってみる」


「君は結構ブッティズムな性格をしているな……いつか俺にひざまずけ……と思ってみる」


「貴方が尊敬にたる人物ならば貴方のいちばん嫌な時に服従してあげるからと思ってみる」


「最悪だ……本気で思ってみる……を返してくれと思ってみる!」


「嫌だと思ってみる」


 火佐賀屋さんは本当に楽しそうに口を裂いて笑った。


 君は宇宙から来た人だろう! この血も涙も緑人間が――と思ってみた。

 火佐賀屋様にはファンが多いから……。そんなことを言ったらそれこそ酷い目に会わされるのだろうけど――。ため息が漏れる。


「俺は君の『命の恩人』だ! 今すぐ君の油断した裸足をクラスにさらして――」


 冗談は通じなかった。火佐賀屋さんは椅子を踏みしめ、潔く机の上に片足を乗せて立ち、上品にスカートを広げて俺に……俺だけにその美脚をさらした。


 ヒダのあるスカートの布地の向こうの頼りない白磁の足が現れる。


 白く滑らかなラインが床へと走っている。窓から入ってくる太陽光と蛍光灯に照らされて……黒のソックスがその美しさを際立たせる。柔らかい曲線。


 ふとももの上の見えそうで見えないライン。その扇情的な美しさに俺は息を飲む。


 次の瞬間、副委員長の奇行に教室中が静まり返った。火佐賀屋さんは両手を広げる。


「縁野くん、君は酷い人だね。私は隠れ露出狂なの。そんな事を言われると……もう脱ぐしかないじゃない。私はどうでもいい男の前ではすぐさま脱ぐことにしているんだよ!」


「嘘をつけ! 沈まれ、みんな。これは演劇練習中の事故だ!」


 俺は飛ぶように走り、スポーツバックを握った火佐賀屋を外へ連れだす。


「君って奴は……本当に最悪だ……最悪のクラスメートだ……!」


 火佐賀屋さんは俺の両頬を掴んでいた。


「様が足りないわよ。火佐賀屋様と呼んで、縁野くん。一見、良い子の言う事は万年悪い子の言う言葉よりも強い――そんな宇宙の法則を覆すには貴方はまだまだトロロイモにはなれないの。アブラ虫二十四号の恋人止まりなのよ」


「疑問だ。なぜそんなにトロロイモが偉いんだ? と思ってみる」


「美味しいけど、食べ過ぎるとのどがかゆくなるでしょう。白くて傲慢で、粘着質で高価で私みたい。えへへ」


 自覚があった……。そして宇宙スケールで畑と雑草と昆虫の話をされた。けなされた。


 今日のコンセプトはドキドキがテーマだけれど……なんか違う。これは動悸だ。もはやストレスと言ってもいい。長い女難があの日からずっと続いている。早く解放されたい。


 彼女は口を大きく開いた。


「縁野くん、貴方とて、私を持て余しているんでしょう。わかっているのよ。達観した君でさえも、私は身に余るんでしょう? やっぱり私なんかどこにも居場所がないんだね。お兄ちゃんと縁野君のせいでこうなったのに」


 所在がないと言うのか。


「そんな歪んだ考えを持って、君のお兄さんに同情するよ。君のお兄さんがまともな感性を持っているならだけど」


 火佐賀屋さんは不思議な笑みを浮かべたまま俺の顔を見た。


「まだ言っていなかったれけれど、私はブラコンなの。凄いブラコンなの。兄の選んだ服を着て、兄の選んだ顔をするぐらいのラブラブラコンなの。そんな人の前で兄をけなしたら、二度と故郷の土は踏めないと思えばいいんだからね」


 ビーン。火佐賀屋さんは俺耳元で耳かきを鳴らした。心底ドキドキした。

 ……違う。やっぱり違う。絶対違う。違いすぎる。


 トキメキじゃない。これサスペンスだ! 思わず耳かきを取り上げる。


「思うだけにしてくれ、火佐賀屋さん!」


 耳かきを懐に入れる俺を見て火佐賀屋さんは名案を思いついた顔をした。


「遠慮しないで、縁野くん。ついでに貴方も私を可愛がればいいから。ブラコンの妹は世界一可愛いそうじゃない?」


「それは兄にとっての理想の存在だ! 他人にとったらかなり迷惑な話じゃないか。好きになった女の子がブラコンだった日には明日の太陽すら拝めないくらいナイーブになれるぞ。お前のファンの青春を平等に返してくれ! 男の純情を守ってやってくれ。みんな路頭に迷うんだからな!」


「最近の男の子は随分ヤワに出来ているんだね。自分のマザコンを棚にあげて、ブラコンが認められないなんて心が狭いだけだよ。もっと南アルプスのように広大になれないのかなと思ってみる。『思ってみる』の使い方はこれで合っているかしらと思ってみる」


 そうつぶやいた火佐賀屋さんの目の下には濃いクマがあった。


「自分で捜索せずに警察に任せたらどうだ?」


 火佐賀屋さんは兄を心配している。夜な夜な探している。

 それが徒労に終わるのが恐いのだ。東を捜して、西を捜して、北と南を捜す。


 ただひたすら、夜の街を彷徨う。わき目もふらず。毎夜、その必死さに付き合ううちに心配になる。まともに寝てないんじゃないかとさえ思ってみる。


 本当に本当のブラコンなのかもしれない。世界一好きなのかもしれない。


 だとしたら俺はどうしたらいいのか。俺は兄にはなれないぞ。変わりは出来ん。


「無理をしていないか? 火佐賀屋さん、兄貴なんてそのうち帰ってくるよ」


「七回の裏で死にたいの? 夜道に気をつけて、縁野くん……これは兄との思い出の品よ」


 火佐賀屋さんのスポーツバックからからたくさんの石包丁が落ちる。

 ここは廊下なのに! 俺が翻弄されているのは野球場だとでもいうのか?

 こんな所で死ねない……死ぬ時はサッカー場のど真ん中だと決めているんだ。


「すみませんでした。火佐賀屋サマー」


 風を切って教科書の角が飛んできた。俺の頬につきつけられる。


「サマーイコール夏。まるで火佐賀屋家の真夏の祭典。最高の褒め言葉だね。胸が熱くなるね。私は貴方のけがれた足首を楽しむことしかできない素朴な人柄なのに。剃り応えがあるって素敵だね。えへへ。さあ、足を出して、世界一綺麗にしてあげる」


 君はもしや俺の大切な毛を盗んで行くつもりなのか。兄との思い出って毛刈りか。


「俺の足首好きを自分にひっつけないでくれ!」


「ああ、いけない。つい盗んじゃったわ。その辺のクラスメートにさし上げてきます」


「俺の趣味を返せ。健全な趣味なのにと思ってみる!」


「縁野くん……本当はストッキング狩りでも始めたいんじゃない?」


「誰がするか、しかし、いいアイデアな!」


 それよりも何よりも。


「……なんで俺の脚がけがれているって思う?」


「私の振り降ろす教科書の角がすべからく貴方に向かって行くからよ。良い人なら右に曲がったり左に曲がったりするの……見たことがないの?」


 すべて火佐賀屋様のさじ加減だった。小声で呟く。


「世界中の教科書から角なんて無くなればいいのに……と思ってみる」


 全部タブレットになったらどれだけ世界は平和になる事だろう。


 火佐賀屋様は考え込む。


「もしも無かったらお寺の檀家に頼んで三十度に尖らせるつもりよ」


「その教科書……最終的に読めるのか?」


「想像力がものを言う」


 嗚呼なるほど。創造の段階なのですね、火佐賀屋様。彼女はスポーツバックを開いて移動教室の準備を進める。全教科が詰まっていた。毎日、それで腕を鍛えているらしい。


「縁野くん。君と私は敵同士。相容れない宿命なの。だから退屈させないで。何をするにも私を楽しませて。あなたは可愛い私のことを全然、覚えていないんだから、こんなこと当然よ~」


 確かに危うい。


「ラスボスだったのか……道理でいつまでも辛辣……。君はゲンロクをどこで知ったんだ?」


 小学生の頃の噂話だと火佐賀屋様は言った。


「うちの兄は昔――ドロシーを捜していたそうよ。救ってほしかったみたい。何があったのかしら。これは兄が消える前に持っていた写真……私の恋敵なの」


 携帯に見知らぬ男と笑顔の俺の写真が収まっていた。過去に学芸会の助っ人で『オズの魔法使い』という演劇をした時の写真だった。運悪くドロシーやらされた時の――。その時の記憶は曖昧であまり覚えていないのだけれど。もしや火佐賀屋様は俺と出身が同じなのか?


「嘘だ、嘘だ。何かの間違いだ。君の渾身の合成だ! 末代までの恥だ! こんな写真を撮った覚えはない!」


 火佐賀屋様は溜息を吐いた。


「……もっとショックを受けると思ったのに……」


「え……」


「二時間かけてパソコンで製造して来たのに……絵を描く人だから違和感でわかってしまうのね。次回からは気をつけるね」


「次回があるのか! 本物かと思ったよ!」


 火佐賀屋様は少し気取った顔をした。


「くすくす。貴方は今日のコンセプトをもう忘れたの……?」


「ドキドキしたよ……」


 火佐賀屋様は小さく笑った。満足そうに俺の隣に上品に座りこむ。


 サービス精神が旺盛すぎてまったくサービスになっていなかった。冷や汗が吹き出す。

 心臓に悪い発言を消化しながら、俺は持ちだした科学のノートにスケッチ風のイラストを細部まで描き上げた。


 筆を止める。


 俺の持論だとブラコンの兄が妹を捨てるとは到底思えないんだが……。


「俺が捜している風景だ」


 木版画のような黒く太い線で白黒の浮世絵のように仕上げる。

 大きな大樹のあるネオン街。街の中にある宮殿。赤提灯の下がった商店街。

 おじいと行った思い出の場所。ゲンロク。


「縁野くん、相変わらずどうしょうもないイラストを描くのね。展覧会に出して見ればいいのに。素敵な絵よ。この絵は」


「デッサンが狂っているんだよ。この絵は歪んでいる」


「ピカソは? 滅茶苦茶でしょ?」


「あれはあの人は特別。あの人のデッサン力は凄いよ。でもだからこそ、あの絵はあの人にしか見えないし、あの人にしか描けない世界だからとても高いんだ」


「幻想の街……これはもしかして縁野くんの頭の中の風景なの?」


「ありのままを描いただけだよ。そのままを描いただけだ」


 見たままを見たように。脳が見た物をここに閉じ込めた。

 子供のころに本物のゲンロクに騎士に連れられて何度か見た風景。


「この国にもまだこんな場所があるといいたいの? 面白いわね。樹海の中か、ドラゴンスポットの中か……教えて、縁野くん。一秒だって私を退屈させないで」 


 火佐賀屋様は三角座りをやめると指を掲げた。


「今度ブドウを持って来る時はウエットティッシュも持ってきてね。でないとこの指で貴方の制服をわしづかみコース……もしくは貴方の鼻をつまんでカッコ悪い言葉を喋らせるもう一つのコースが現れるんだから。私の偏見と一存で。ねえ、縁野くん。今日は楽しかった?」


【退屈なら俺を楽しませてみろ! それでもダメなら絶望しろ!】


 と――あの日……あの夏の日に言ったことが失敗だったのか成功だったのか。


「君はサスペンスだ」


「私は『くっつけ屋』だから、サスペンスは得意なの。夜道に気をつけなさい!」


 彼女は俺の絵のマネをして紙に人間の足の絵を描いた。芸術的に色を塗る。


「裸足はいいんでしょう? 美しいんでしょう? 机に飾っておこうかしら?」


「その趣味は俺の物です! 今すぐ返してください!」


 演劇部のエース、火佐賀屋様を変態にしたら、クラスメートから殺される。


「火佐賀屋……様。君のお兄さんから……連絡は来ないのか?」


「『電波の通じない所に居るか、電源が落ちている状態のため……かかりません』」


 携帯電話を持たない火佐賀屋様は髪をなびかせた。


「あの人はもう帰って来ない気がする。この世界がつまらないから、何処かへ去ってしまったのよ。きっとお化け杉とゲンロクに行ったんだと思う」


 火佐賀屋様はスポーツバックと次の授業の教科書を手に去っていく。

 歪な顔のまま、友達と楽しそうに去っていく。


 昔はもっと違った気がする。もっと優しかった気がする。


 俺はノートを閉じて描いた絵を鞄に収めた。火佐賀屋様はいなくなった兄を捜している。


 去年から捜し続けている……。


 そして彼女の愛する兄はこの世界のどこにも存在しないのだそうだ。

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