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この世界にドロシーはいらない  作者: 新藤 愛巳
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俺と火佐賀屋さん

 火佐賀屋さんと俺がこの盆地の夜廻りをするようになってから、お化けたちはこの世から姿を消した。お化け――黒い入道のような化け物はあれ以来……現れない。


 夏も終わり、日差しも柔らかくなってきた秋。教室の窓際で一人まどろむ。


 俺の日常に他人を撒きこむ事を思えばこうして一人でいる事は限りなく幸せだった。


 日常の存在感の薄さから俺は現在、空気椅子と呼ばれている。


 呼んでいるのは火佐賀屋さんだ。俺と人付き合いをするには忍耐を必要とするという意味らしい。文化祭も運動会も終わって一息つく。教室に人はまばらだ。


 美食家の俺は数限りない食べ物の中でフルーツを愛している。過去に『フルーツの王様』と呼ばれたこともあったが――それは過去の栄光だ。今ではない。窓際でお弁当の中の葡萄を口にする。小粒のデラウエアだ。旨い。経済力に見合った贅沢だ。


 昼飯はむろんこれだけだ。口の中ではじけるうまみがたまらない。


「最高の美味しさだ。この旨さは、まさに貴婦人に抱かれたチワワの鼻のようだ」


 なんて口当たりのいい表現なんだ。

 教室では人当たりのいい副委員長が無表情で俺の背後に立つ。


「あんまりおもしろい事を言うと、教科書の角に頭をぶつけて死ぬ事になるけど大丈夫なの? 縁野くん。えへへ」


 相変わらず滑らかな棒読みの喋り口調だった。副委員長は何があっても動じない。

 シリコンのような人だ。


【俺は君を退屈させない】


 そう約束してあれから二カ月。


 俺と相対する時の副委員長は表情が乏しく、表現が乏しく、その言葉は滑らかな御経のようであまり変化はない。これでも関係は改善された方だ。まず信頼関係を築くために闇討ち脱毛をやめさせた。その彼女が新たな台本を手に俺の顔を睨んでいる。

 これはもう何か自分に落ち度があったとしか思えない。


「何か気に障ったのか? 火佐賀屋久乃さん」


「縁野くん、貴方の周りの女はすべてアブラ虫よ」


「あいかわらず凄い事を言う――。みんなが見ているぞ」


 演技の練習だと思っている人間が大半だが……それもいつまで持つものなのか。

 火佐賀屋は台本を片手に朗々と叫んだ。


「アブラ虫は蟻にごちそうを渡して身を守ってもらう存在なの――君は自分の事すら上手く出来ないのにすぐに人の相談に乗ろうとする馬鹿な人。女にだらしない奴は嫌われるのよ。縁野くん。えへへ」


「そこまでぼろくそに言われる覚えはないんだけど」


「縁野くん。君のこのお弁当箱は可愛すぎるのよ。君の趣味じゃない……御弁当の主は何者なの? 言ってみなさい。そしてわたしに許してと懇願なさい」


 相も変わらず目が笑っていない

 黒さんの事を説明しても聞いてくれなさそうだよな……。


「食べるか?」


 高いブドウをお裾分けしたら、副委員長は白い指を震わせた。


「果物ってどうして指が汚れるのかしら。食べさせてください。あなたの指で、縁野くん」


「うますぎて舌を落とさないように気をつけるようにと思ってみる」


「そんなうっかり者見たことがないわ」


 ブドウの皮をむくと彼女は指でつまみ、意味ありげに俺を見た。

 目は冷たいのに口だけがにやりとほころぶアンバランスな笑顔で俺を見る。


「縁野くん……縁野小角くん!」


「なんですか? 副委員長殿」


「今度からお弁当におかずを入れてきなさい。これ以上、私に罵られたくなければ……次は肉と野菜を入れてきて。この前のように探索中に倒れられても迷惑なの。君の死因は確定したわ……この偏食フルーツが!」


 脳内変換。直訳。『食事はバランスを取れ』と言いたいみたいだ。


「火佐賀屋さんこそ食べているのか? 少し痩せたんじゃないか?」


 やつれたようにも見えるが。


「何を言うの。私は元気よ。これ以上、侮辱するなら、縁野くんを七回死なす事になるけど、どうかしら?」


 その場合、俺の原型は残っているのかいないのか……いないんだろうな。


「あいにくウチの家政婦は優秀なんだ。夕食は豪華だよ。バランスも取れている」


「どうしてその豪華な夕食を弁当に入れてこないの? その家政婦が作った料理を一つ一つけなしてやるわ。涙で食事がしお味になるまで!」


 サスペンスか!


「今日の会話の注文は『ドキドキする』がコンセプトって言ったと思うけれど?」


 俺が教科書をそろえると、火佐賀屋さんいたずらっぽい顔で振り返った。


「縁野くん……ドキドキしなかった? わくわくしなかった?」


「はらはらしたよ……」


 俺は力尽きて机の上に身を伏せた。彼女の表情が読めないから疲れるんですけど。


「眠いの? 縁野くん」


 当然だ。睡眠のゴールデンタイムは十時から十一時だそうだが、俺たちはその時間、街を徘徊している。静まりかけた街は俺にとって箱庭のようなものだ。

 今は副委員長のモノでもあるけど、いつか必ず取り戻す。

 副委員長はよく書き込まれた台本の間からもう一冊本を取りだした。御伽草子。


「縁野くん、私の知り合いに聞いたところ、この田舎街ではお化け杉以外にも危険はたくさんあるのよ。そうね。この占いによると貴方は骨折り損タイプね」


「それは占いなのか?」


「うん。そうよ」


「俺は占いなんてまるで信じないんだけれど」


 占いなんて気にしまくっている事は女子には知られたくない心理が働いた。


「縁野くん、この筆者によればこの占いは万物の法則を内包しているそうよ。統計学だそうよ。その顔を見るとどうやら少しは当たっているようね。えへへ。貴方のラッキーアイテムは干しブドウなんだからね」


 俺は生ブドウを手に太陽にかざす。


「一瞬で干されろ」


 火佐賀屋さんは不思議そうに首をかしげる。


「縁野くん。激しく占いに頼るなんてもしかして依頼心が強いの?」


「いや、それが、偶然見た占いが嘘みたいに当たっちゃってさ……」


「それでハマっていたの? おはようございます占いのラッキーアイテムを持っていたからすぐわかったわ」


 火佐賀屋さんは台本を上から下に流し読みしながら、意味ありげに俺を見つめた。


「懐からカレーのレトルトパックが覗いているのよ。迂闊者うかつもの


 火佐賀屋さんはいたずらっぽく口だけでほほ笑んだ。


「こうして話していると少し楽しくなってくる。優等生をなぶっているみたいで――癖になりそうよ。えへへ」


 俺と言う人間は得意分野の歴史でしか活躍していないのに火佐賀屋さんにはかなり誤解されているようだ。俺は人差し指を掲げた。


「優等生はお前だ!」


「ところで縁野くん、私に謝る事がないかしら?」


 謝ること?


「君が隣の席の子の頭をジャイアンツ刈りにした事か?」


「授業中の事よ……そんな愉快なことはまだした事がないわ。素敵な事を言わないで」


「俺はいつも教室であくびをして堕眠をむさぼっているだけだ、授業中、一方的に火佐賀屋さんに睨まれる覚えはない」


「……それにつられて眠くなる人がいるのを知ればいいのに」


「それって……誰が――まさか完璧な美貌の君が?」


「あくびはウツルのよ。整った顔が乱れるの。私はこのクラスのトップスターなのに私を辱しめるつもり? 縁野くん。貴方は酷い人だわ」


 火佐賀屋さんは顔も身体も声も仕草もすべて可憐な姫だが性格に難がある。


「きっと美が取れるんだろうな」


 副委員長はスポーツバックを開くと俺の頭を耳かきで叩いた。

 頭を突然襲う激痛に思わず床に倒れる。頭痛が……。


「世界最弱な縁野くん。可愛いあくびはまだ勉強中よ。もう少し待って欲しいわ」


「酷いじゃないか。俺が人間に弱いのを知っていて! なんで君もお化け杉を捜す?」


 普通に学校に通っていればお化け杉などあろうとなかろうと関係ないモノなのに。

 確かに真夏なら、胆も冷えるだろうが……。退屈しないんだろうが今は秋だぞ。

 火佐賀屋さんは、ゲンロクに行くなんて本気で考えているんだろうか?

 子供の頃に行った俺だって今では半信半疑なのに。


「もちろん受験勉強の暇つぶしよ」


 彼女は大仰おおぎょうに教科書をめくった。


「まだ一年生の半分なのに?」


「いつだって走ってないと置いて行かれそうで怖いの。嫌なのよ。どこかで勉強をしている連中が居るのに私だけさぼるのが。さぼると死ぬ。怠けると死ぬ。怠惰は死ぬ。休むことは、立ち止まることはそれだけでとても恐いことなのよ」


「なのに退屈なのか。やれやれ。三カ月で授業から取り残された人間にする話じゃないと思うけどな。凄まじい話だ」


 頭のいい人間はみんなこうなのかもしれない。走っている事を走っていると思わない。

 努力している人間。し続ける人間。それが目標を無くしたらどうなるのか。少しだけ考えてみた。ああ、それは、確かに恐いのかもしれない。

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