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この世界にドロシーはいらない  作者: 新藤 愛巳
26/27

闇落ち

『破砕の力』を体中に感じる。

 

 俺は妖精の館の中で物音のする方へ走りだした。


 真っ赤な装飾が血のようだと思った。


 館がボコボコと気持ちの悪い音を立てて膨れ上がっていく。バターケーキを焼いているような臭いが充満している。気分が悪い。


 お化け達を一撃必殺で吹き飛ばしていく。うつし世に返って肉体を取り戻してから『破砕の力』は面白いほど発動していた。触れるだけでお化けが消し飛ぶ。


 奥の部屋から子供たちが息を切らして駆け抜けてくる。


「お前たち無事だったのか?」


「なんで肝心な時にいなくなったんだよ。馬鹿ドロシー!」


「ドロシーに馬鹿つけんな!」


 パンチを寸止めした。風圧で子供たちがのけぞる。


「あんた大人気ないよ! びっくりしたぞ。好きだけど! そういう所! 遊んでいて楽しいけどさ、そう言う所! 真面目な時には迷惑だぞ」


「危険はどこに潜んでいるか解らない。油断するな。足首見せろ!」


「あんたが油断するな! 敵の館でボケを量産するな!」


「平気だ。俺は恐いお化け退治のエキスパートなんだぞ。君たちなんて無事に決まっているだろ」


「凄い自信だよな。相変わらず」


「そう言えば、お前達、かかしはどこだ? 一緒じゃないのか?」


 子供たちに手をひかれ、部屋から出て来た満身創痍まんしんそういの師匠は俺の前に立つ。


「王は戦っておられます。しかし様子がおかしいのです。パパ様はまだ来られませんか?」


「雷音様、あの人は強すぎて元人間を壊すのが恐いのだ。かといって娘を戦わせるのはもっと怖い。あの人は今でも臆病だ。君たちはこのまま外に出てくれ。武利木さんが、前の王様が外で待っている」


 師匠は強くうなずいた。


「わかりました……。お前、子供たちは任せなさい。そしてわたくしを連れなかった事を後悔なさい。今度、会うときは全裸です」


「師匠、おじいの影響はいりません。俺に足首見せてくれるだけでいいですから」


 俺は師匠の頭を軽く撫でた。


「不安そうな顔をしないでください。心配しなくても王様は平気です」


 師匠は肩を怒らせた。


「まったく、子供扱いが腹立たしいです。かかしちゃんを頼みましたよ」


 俺は勢いよくシオリを振りかざし、師匠に教わった剣の技で妖精のしもべたちをなぎ掃っていく。うん、これなら何とかなりそうだ。


「王様はどこだ!!」


 俺の前を黒子さんたちが走る。


「◆◆◆!」


 魔法は便利だけど、未だに黒子さんの言葉が解らないのが最大の難点だ。


 俺は黒子さんたちに渡されたヘッドフォンを耳にあてた。


「これで君達と話が出来るのか? 黒子さん……」


 ザザザザザガガガ。きーん。耳の奥が裏返った気がした。その雑音の中で俺は黒子さんの声ではなくかかしの声を拾っていた。


『誰もこっちに来ないで! 一人にして!』


 妖精と戦っているのか? 俺は館の奥へと走る。


「かかし? 君なのか?」


 息を飲むような音がした後、答が返ってきた。今まで聞いたこともない、面倒くさそうな投げやりな声だった。一瞬、かかしの声に聞こえなかった。


『オズヌさんは傷つきやすいよね。すぐ怪我するし、すぐ血が出るし、弱いし、要らないよね――』


 俺は苦笑した。


「君たちが頑丈すぎるんだよ」


 かかしは呟いた。


『どこかへ行ってよ! 邪魔だよ! 嫌い、嫌い、大嫌い!』


「それを本気で言っているのか?」


『本気だよ!』


 俺はヘッドフォンを耳に正面を見据えた。


「そうやって一人で背負って、さっきのように弱い俺を恐い妖精から遠ざけるのか?」


 沈黙が訪れた。かかしは酷く動揺していた。


『違う! 私はそんな良い子じゃない! お兄ちゃんの言いつけを破ったの。それで何もかも滅茶苦茶になった……。ダメになった。酷い事になったの……。でも私は間違ってないよ! 全然、間違ってない! だからどこかに行ってよ! 来ないで……!』


 かかしの声が泣き声に変わる。ああ、泣かせてしまった。でもだからこそ伝えたい気持ちがある。


「一人で戦うなよ。俺が哀しくなるだろ――もしかして後悔しているのか?」


 長い沈黙。かかしの中にあるのは迷いだ。


『……オズヌさんは失敗した事がある? どうしょうもなく失敗して後悔したことがある?』


 俺は笑った。可笑しくて笑った。


「失敗ならいろいろあるに決まっているだろ。生きている限り誰にでもだ」


 不安だらけのかかしの声が途絶えた。


「俺も失敗は恐い。少し似ているのかな? 俺たちは」


『似てないよ。私は誰とも似ていない。孤独なの』


 俺は『役小角の魔法使いかもしれない』という本を握りしめる。


 敵の陣地にいるのに……何をのんびり話しているんだろう。


 辺りは化け物だらけだ。本気でいかないとな。だけど、全身全霊イヤホンに集中する。


 いつも通り、体感時間を遅くして腕をふるうとお化け達は豆腐のように吹き飛んで行く。

 本当に変な感じだ。遠くにいるかかしの本音がダイレクトに伝わってくる。


 黒子さん達の魔法というものは本当に不思議だ。


 遠くにいてもかかしと心のパイプが繋がったみたいだった。それは感じたことのない一体感だった。自分の中に誰かがもう一人いるみたいだった。


 かかしの悲しい気持ちが細波のように押し寄せてきて、その波に自分がさらわれそうになった。哀しい。涙が出そうだ。心細くて頼りなくて、優しくて、残酷だ。そう思った。


「俺……かかしのこと好きだよ」


『オズヌさんの好きはよくわからないよ……。きっと誰でも好きなんだよ。私がどんなに酷くても嫌な奴でも好きなんだよ』


「それって、物凄く愛されてないか?」


 かかしの声が涙声になる。違うと呟く。それは彼女の中の確かな変化だった。

 全部を肯定しなかった。俺に反抗して見せた。従順ではなくなった。


 それが進化でないなら何だと言うのだ。


『ずっと逃げ出したいと思っていたの。どこかへ行きたかったよ。オズヌさんも私と一緒だと思っていた。一緒に逃げてくれると思ったよ。憧れている場所が違うだけで、ずっと仲間だと思っていたよ。オズヌさんは寂しいのだと思っていたよ』


 ああ、そうだ。俺はゲンロクに逃げたかったんだ。


「俺もいつかどこかへ行きたかったよ。違う場所へ行きたかったよ」


 正面から飛んできた真っ黒お化けを力いっぱいふっと飛ばす。


 お化けはつぶれてはじけ飛んだ。


『オズヌさん。どこかに行って……どうだった?』


「俺は変われなかった。同じだったよ。でも、君は違うかもしれないな」


 シオリを横薙ぎ振るうとびっくり箱のお化けが二つに裂ける。


「……なあ、かかし。今でも外の世界に憧れるか?」


『うつし世には憧れるよ。クレープをお腹いっぱい食べたいと思うよ』


「もしも俺と向こうに住むなら、アイスクレープにフルーツを飾るよ。お腹いっぱい食べられる、美味しいぞ。来るか?」


『本当?』


「お勧めは生クリームチョコバナナ。最強のおやつだ! 栄養補給が出来て優れ物だと火佐賀屋様が言っていたぞ!」


『わああああぁぁぁ。素敵だね』


 彼女の声がほころぶ。良かった。もう一息だ。俺は深呼吸した。


「昔――完璧な女子がいるなら聞いてみたい事があったんだけど、君なら答えてくれるかな?」


『なあに?』


「女子ってさ、水着はいいのに下着を見るとなんで怒るんだろう……? わからないんだ」


『それって今聞くこと?』


「うん。ずっと気になっていた」


『オズヌさんは正直だね。ストレスが溜まらないね』


「そうだ、今度、君の絵を描いてもいいか?」


『うう……うんん。恥ずかしいけど……いいよ……』


「本当か?」


『オズヌさんの事――本当はよくわからないよ。変な人』


 俺は妖精の館の中央のドアを蹴っ飛ばして中に転がり込んだ。荘厳な鐘の音が響く。


 ガションガション。辺りをブリキのおもちゃたちが蠢いている。

 その中央にかかしが居た。


 かかしは魔動兵器の攻撃をかわしきれず俺の目の前で倒れた。

 黒い剣が折れ、バランスを失い肩から崩れ落ちる。


 そして重い魔動兵器たちに押し潰された。


『あはは。チョコバナナ楽しみだな。食べたいな。お腹いっぱい食べたいな……えへへ』


 かかしは口では喋っていなかった。心で喋っていた。


 俺は必死に走る。巨大な部屋の中央まで走る。


「死ぬな、かかし!」


『私はオズヌさんに愛されていて、それでここで戦う事が出来る。凄い、凄いね。当たり前みたいにオズヌさんが助けてくれる。温かい。温かいね』


 かかしから溢れだした……どす黒い液体が床を濡らす。俺はそれに滑ってその場に転んだ。


 俺が何度も戦ってきたお化けの血。それがかかしの身体から溢れていく。


『なのになんでこんなに寒いの? 寒くてどこかにさらわれそうだよ……』


「ダメだ! 行くな!」


 俺はかかしに攻撃を仕掛ける魔動兵器を何度も殴って破壊した。


 ゆっくり歩いてかかしの隣に座りこむ。


「黒子さん! 黒子さん!」


 黒子は頷いた。手当てする準備を始める。早く――早く、急いでくれ!


「◆◆◆!」


「目を開けろ、かかし!」


 『顔のない妖精』はコマ飛ばしで俺の背後に現れる。


「えい☆」


 壁際まで俺を蹴っ飛ばすと妖精は……動けないかかしの手を握りしめた。万力のように。


「……うぅ」


 俺と同じお化けを倒す力。『破砕の力』でかかしの手を握りしめる。


 なぜお前がそれを!


「ドロシー。貴方達ネッコ族なんて――人間の心のトラウマなんて! この世に必要ないんです! いらないんです! 私はトラウマが嫌い! 嫌な事を思い出したくないんです! だから貴方達は綺麗に消えさってくださいぃぃぃぃ☆」


 トラウマ、心傷。ネッコ族。うつし世の問題を解決する一族。

 かかしの手が真っ黒に染まっていく。黒。その掌に大きな目が生まれた。


 辺りを見回す。低い、嵐のように響く声が……辺りの空間を支配する。

 かかしは大きく目を見開いた。真っ黒になったヘッドフォンの大きな叫びは止まらない。


『私がお兄ちゃんを倒したの。だって邪魔だったから、要らなくなったから。でも新しいお兄ちゃんを手に入れたよぉぉぉぉぉぉ。オズヌさんだよぉぉぉ』


 かかしは顔を白くした。空白の表情で俺の顔を見る。


「それを壊して! ヘッドフォンを壊して! 違う。そんなの私の声じゃない!」


『壊さないで……私の本音を聞いてぇぇぇぇ……』


「…………もう嫌だ! もう喋らないで!」


 妖精の館に嵐が吹く。その風は妖精の館を舐め取っていく。

 顔のない妖精は腹を抱えて笑った。


「おいでなさい、ドロシーちゃん。そうすれば王様の心だけは助けてあげますよ☆ 妖精は約束を守るんです☆ この顔にかけて☆ あ、顔は無くしたんでしたっけ☆ うふふ」


 かかしのためなら心臓ぐらいくれてやる。それくらいできる。


 でもそれで本当にかかしを救えるのか?

 歩もうとする俺の脚をかかしは掴んでいた。


「やだああああぁぁ。連れていかないで……行かないで!」


 かかしの叫びが館を走る。ゲンロクの街が夜に包まれる。

 妖精の館の外は墨のように真っ黒だった。


 館が空に浸食されて崩壊して行く。王の力でかかしが壊しているのか?


 ヘッドフォンは呟いた。


『お兄ちゃんがね、私をネコかわいがりしたの。べったり甘えて育った。何も考えなかった。お兄ちゃんの選んだ靴を履き、お兄ちゃんの選んだ顔をした。結果……私には本当の友達が出来なかった。孤独だった。周りには大勢いたのに、私は独りだった……寂しかったよ』


 かかしの黒い手は自らの意思に反して俺を指さした。


『寂しかった。だから貴方が好きだったの……』


 残酷な告白だった。でもその言葉を……俺はどこかで予想していたのかもしれない。

「かかしは周りの環境を恐がっている。家族以外の他人に愛された記憶がないからだ。だから何もかもが恐い。人と関わるのが怖くて人と仲良くするのが怖い。

それで俺を好きだと言うのならそれは多分恋じゃない。現実はかかしに残酷だ。残酷でしかない」


『貴方が羨ましかった……凄く羨ましかった。だから貴方になりたかった』


「羨ましいなんて思ってないよ。君は周りを観察して、周りがこうされたら喜ぶだろうと、そう演技していただけだ。だから誰も理解してくれなかったし……君も理解しなかった。俺の事もその一つだ」


 それが真実。


『うん……でも』


 本物のかかしが口を開く。


「でも……私にだって心はあるんだよ……」


 かかしの目に大粒の涙が溢れる。俺は一歩踏み出した。


 かかしの手を握る。


「俺と友達になろう。無条件で守ってやる」


 彼女の喉が鳴る。かかしの周りにたくさんの闇が集まってくる。


『無理だよ。オズヌさんは私みたいな甘えた女の子は嫌いだもの。オズヌさんは久乃ちゃんみたいな強い人が好きなんだよ……私なんか選んでもらえないよ』


「火佐賀屋様と俺は友人だよ。それに君の本物のお兄さんはもうすぐ帰ってくる。安心して良いよ」


 かかしの気持ちを読み解いて……今まで拾った心を読み解いて、ゲンロクの騎士見習いとして仕事をまっとうしたはずだった。


 けれど、そうではなかった。そうはならなかった。


『お兄ちゃんが帰ってくるの?』


 かかしは震えあがった。なぜだ? なぜそんなに動揺するんだ?


「馬鹿ですね、ドロシーちゃんは何にも知らないんですね。間違っていますよ。この娘が本当に怖いのは……☆」


『オズヌさんにお兄ちゃんを助けて欲しかったの。大好きだったお兄ちゃんを助けて欲しかった……。でもお兄ちゃんはきっと私を憎んでいる。お兄ちゃんが返ってきて、私が全部無くなるのが恐い……こわいよぉぉぉぉ お兄ちゃんが恐いよぉ……』


 ヘッドフォンから流れる自分の声を聞きなら、かかしは大声で泣いた。俺は読み違えていた。解っていなかった。


 俺はかかしの願いをかなえるために、ここまで来たのに。人の心が解らなかった。


 人の心の傷が解らなかった。だから失敗をした。かかしの身体に闇色の痣が広がる。


 妖精は唇を裂く。爪を伸ばし、低く構える。


「ふふふ。顔が欲しい顔が欲しい、でも仲間も欲しいんですよ☆ 化け物の仲間が」


 妖精はコマ飛ばしでかかしに手を伸ばす。


「やめろ!」


 俺はシオリを握りしめた。妖精と切り結ぶ。

 窓の外の建物が闇に流されていく。溶けて流れて行く。


「かかし、この街を終わらせるつもりなのか!」


 かかしはゆっくりと俺を見た。青白い顔は涙で湿っている。


「無くなってもいいよ。私……悪い事をしたの。妖精の言う通りなの……」


「かかし!」


「来ないで、オズヌさんは帰って。私――オズヌさんは傷つけたくないから。優しさを教えてもらったから……一人で消えるね」


 かかしは笑った。黒い指先をくるむように泣いていた。


「かかし!」


 床に倒れたかかしの身体がパズルのピースのように剥がれ落ちて消えていく。


 消えていく。消えて……。


 この部屋の入口が勢い良く開く。そこには武利木さんが立っていた。


「……ドロシー。暴走が始まっている。民を消した王は罰を受ける……かかしを止めろ!」


「残念。もうお終いですよ!」


 顔のない妖精の嘲笑が響く。


「うおおおおおぉぉぉぉぉ」


 俺は叫んだ。そうだ、シオリを挟めば中断する。俺はかかしをシオリで切りつけた。


 黒い指に筋が刻まれる。けれど闇の広がりは消えなかった。


 代わりに床からノドグロたちが生えてくる。


「ドロシーよ。王に逆らうか! 王の願いに逆らうか! 万物の法則に逆らうか!」


「それどころじゃないんだ! 手伝え、ノドグロ様!」


 かかしの着ていた服一式が床に散らばった。俺の手は空を切った。


 かかしはどこかに消えてしまった。

 いなくなってしまった。


 かかしが消えた場所にオレンジの卵が浮かび上がる。


「妖精の卵である。王の闇落ちである。我らにはもう何も出来ぬ……」


 ノドグロは厳しい顔で俺を囲む。闇落ちした者が妖精になるなんて知らなかった。

 顔のない妖精は喜んでいた。


「王様はいなくなりました! その上、仲間を手に入れた! 私の勝ちです☆」


「かかしは俺にこう言った。『お兄ちゃんを助けて』と。連れてこいなんて言わなかった。なんでそれに気付かなかった。なんで気付いてやれなかった。だって俺はお化け殺しで、君はお化けで、成立しない友情で、成立しない願いだった。そんな風に思いたくなくてここまで来たけれど。結局――俺は」


 ノドグロを掻きわけて、武利木さんが呻く。両膝を折り喚く。


「彼女が選んだ道なら、僕は喜んで……!」


「喜べないだろ? ……武利木さん、どうしてかかしを許さなかったんだ?」


「僕はとうに許していたよ。最初から怒ってさえいなかった。けれど、あの子がそれに納得しなかった。あの子が僕を許していないんだ!」


 武利木さんの両眼から涙がこぼれ落ちる。


「水難事故の事件でかかしは一人ぼっちになった。だから僕はかかしを見直してもらうために勉強を重ねた。僕の発言は力を持ったが、かかしはみんなからますます浮いた。僕は運よく雷音様から王位を譲り受けてその時、無意識に願った。かかしを憎むすべてのネッコ族を綺麗に洗い流す事を……無意識に願ってしまったんだ……」


 街は王の怒り、ノドクロの災害に見舞われた。暴走した武利木の憎しみは街を洗い流し、ゲンロクの街は半分流され――大勢のネッコ族が姿を消した。


「かかしは命を賭けて僕と戦い全力で僕を倒した。僕は喜んだ。その経緯をみんなに告白すれば、結果としてかかしは英雄になり国に祭り上げられるだろう。みんなもかかしと仲良くするだろう。今までの状況もひっくり返るだろう。しかし……そうはならなかった……かかしは僕の名誉の為に口を閉ざし、何も言わなかった。民を流した僕は存在を失い……かかしは嫌われ者の王になった」


 その先の展開は想像がつく。一年と半年が経って。


「かかしは貴方を倒した事を後悔して後悔し続けた。ネッコ族に責められるたび、自分が悪いのだと心を閉ざした」


 悪循環。兄の思い描いた英雄のシナリオを演じるには――かかしは少し善良過ぎたのだ。

「かかしは兄を捜して欲しかった。王位を失い、愛する妹に倒され、罰を受けた兄を救って欲しかった。しかし兄を悪者にするわけにはいかなかった。妖精が悪い……すべて妖精の仕業だと思いこんだ。だからかかしは俺を呼んだんだ。かかしは俺に罰を与えて欲しかった。でも心理分析官見習いの俺は何もしなかった。彼女を受け入れた。かかしは考えを変えた。俺といれば、妖精を倒せばネッコ族に認めてもらえると思った。世界は変わると思った。けれど……今――妖精に矛盾を突かれ、かかしの心はバラバラになってしまった」


「ネッコ族は人の想いだ。妄執だ。人の想いはそう簡単に変わらない」


 だから兄は俺の前に姿を見せた。関わるなと。


 いたずらに傷つける事になると知っていたから。解っていたから。


 俺は空気を震わせて叫んだ。


「世界を飲み干すのはまだ早いぞ、かかし!」


 外は彼女の待ち望んでいた嵐だ。闇が広がる。

 俺はかかしの消えた空間にシオリを立てた。オレンジの卵にシオリを突き立てた。


 瞬間、俺の体中の血が沸騰した。気をしっかり持て。


「王はドロシーよりも強いのだろう。でも王様は寂しいのだ。誰からも理解されない。寂しい王様」


 卵は胎動した。シオリが高速で震える。ウウウウと唸る。


 腕が……指が……痙攣する。


「かまうものか。やっとわかった事がある。かかしが苦しいと、俺も苦しいんだ」


「◆◆◆!」


 さっきまで倒れていた黒子たちが俺の周りに集まってくる。

 身体中の震えを押さえる力をくれる。


「かかし、お前が困った時は俺が傍にいるから……怖がるな!」


 俺はオレンジの卵の殻をシオリで叩く。シオリをぶつける度、火花が散る。

 俺は振りかえった。


「武利木さん! 力をかしてくれ! 俺には出来ない。武利木さんにしか出来ない。俺は一人っ子だったから、仲の良い兄弟ばかりでもないと知っているから……仲がいい事に美徳を覚える。羨ましくさえ思う。仲が良すぎて何が悪いんだ! いいじゃねえか兄妹好き、コノヤロー!」


 俺はヘッドフォンを武利木さんに押し渡した。

 武利木さんは観念したように卵の前に座り土下座した。


「かかし、僕はもう怒っていないよ。いつでも会いにくればいい。お前の好きな時、困った時に助けるから……だから僕ら離れて暮らそう……」


 卵の中から……かかしの泣き声がする。


 俺は最後の力を振り絞って叫んだ。


「かかし、一人で消えんな! 大勢に囲まれてつまんなそうな顔をなんかするな! お前が笑って俺は嬉しいぞ! だから俺とか、師匠とか、もっとそういうのに出会え! 俺たちは愛人だ!」


 武利木さんは僕を殴った。


「お兄さん、何をする!」


「人の妹を愛人扱いするな。当然の報いだ!」


『ふふふ』


 卵は壊れていく。上品な下着姿に身を包み、一回り小さくなったかかしは弱々しく笑った。


「オズヌさん、それ、久乃ちゃんに言ってあげて。きっと喜ぶよ……」


「かかし……お前を守るよ。全力で」


 俺がかかしに触れると辺りが爆発した。何が起きたんだ?

 俺とかかしと黒子さんと武利木さんとノドグロ様にダメージはない。


 なのに、周りだけが爆発していく。

 暴れ回っていた魔動兵器たちが軽々と宙を舞う。粉々に吹き飛んでいく。


『―――――!』


 かかしは真っ赤になって震えていた。


「は、恥ずかしいよ!」


「え?」


「オズヌさん、く……くさいよ。セリフがくさすぎるよ。恥ずかしいよ……」


「え?」


「恥ずかしくて聞くに耐えられないよ……」


「――?」


「恥ずかしい、オズヌさん恥ずかしい! なんでそんなに恥ずかしいの? オズヌさんの半分は恥ずかしさで出来ているの……?」


 かかしは気の毒そうに俺を見上げた。俺が恥ずかしいわ!

 今度は俺の背後が大爆発した。


「◆◆◆◆◆~!」


 黒子さん達が連鎖で爆発しながらそこら中を走り回っていた。みんな恥ずかしがっている。桃色の爆発が次々起こり、俺たちを囲んでいた敵一同、妖精と魔動兵器が一斉に吹き飛んだ。赤い妖精の館は音を立てて軋んでいく。妖精もたまらず叫んだ。


「きゃあぁぁぁぁぁ☆」


 その威力たるや……『顔のない妖精』の身体にいくつもの亀裂が入る。


『ぶおぉぉおぉぉぉおぉ』


 俺が苦戦を強いられた魔動兵器たちも壊れて崩れていく。


 俺は慌てて『役小角の魔法使いかもしれない』の最新章のページを開く。


【王と魔法使いは心をずらし恥ずかしい力で妖精を倒したのです】


「あれ? 愛の力じゃないの?」


「オズヌさん恥ずかしい。恥ずかしいよ……」


 恥ずかしい力だった。かかしは顔を真っ赤にしてうずくまっていた。


 感受性が生まれたばかりの少女に、俺は言ってはいけない何かを言ってしまったのかもしれない。かかしの恥ずかしい力が暴走して館の中を龍のように駆け巡っている。


 そしてそれは――全てを壊すと唐突に終わった。


 館は崩れ去り、太陽は射し、その青空の下で傷だらけの妖精が震える。


「恐いです……。恐い! あなたたちは何なんですか……!」


「王様と魔法使いだよ」


 俺は顔のないお姉さんにシオリを押しつけた。


「永遠に眠るのと、ここから立ち去るのとどっちがいい?」


「ううううううぅぅぅぅ……酷いです……☆」


 顔のない妖精は砕ける体を撒き散らしながら逃げだした。


 俺は膝を折る。身体が痛い。もう追えない。恥ずかしさが全て爆発した時点で俺の中の魔力は空っぽになっていた。けれど……。


 俺は床に倒れながらかかしに叫んだ。


「君はもう誰にも心配をかけるな! だから俺や火佐賀屋様に話せ!」


「ごめん、ごめんね、オズヌさん。でもやっぱりダメだよ……!」


「何がだ?」


「オズヌさんの大好きな足首のどこが良いのか、私には全然解らないよ」


「全部いいだろうが!」


「こうかなあ」


 そう言ってかかしは俺に足を見せびらかしてくれた。彼女なりのサービスだろう。


「いいよ。良い」


 俺は少し感動して……下着姿のかかしを力いっぱい抱きしめて、武利木さんに殴られた。

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